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7 死者の国


 どこから落ちてきたのだろう、と上を見上げても、そこには何も無い。青い空が広がっているだけだ。


 冴え冴えとした空気を肺に思い切り吸い込み、吐く。アーベントの潮の匂いが混じった空気とは違い、それは全世界で最も清涼な味がした。


「――ここはね、亡くなった方が再び生を授かる時まで過ごす場所なんです」


 いつの間にか後ろに立っていたヘイゼルが声を上げる。


 振り返ると、輝く赤毛を風に靡かせて眩しそうに目を細めた彼女が「あそこに街が見えるでしょう?」と丘の向こうを指さした。


 そこには御伽噺の挿絵に出てくるような、あらゆる文化をごちゃ混ぜにしたような街並みが広がっている。その街の中心には、天高く伸びていく石造りの塔がそびえ立っていた。


「……あの塔にダイアナが?」

「どうでしょう、あそこは生まれ変わりを望む方々のための場所ですから。あの世界(・・・・)に絶望した方はここに留まるんです、どうせまた悲惨な人生を歩むばかりだと分かっていますもの。今のあの子が生まれ変わりを望んでいるはずがない」

「そうか」


 相変わらずよく分からない話だ、と思う。

 けれどあの洞窟の亀裂とこの場所が通じているという超常的なことを経験してしまえば、嫌でも納得できなくても頷くしかない。ヘイゼルの機嫌を損ねてしまえば、ダイアナに会うという目的を果たすことも出来ないのだ。


「ここについてどれくらい知っているんだ? まさか君も死人だなんて言うんじゃないだろうな」

「私が“特別”なだけです。早く行きましょう、生きている人がここにいることを知られたら大変ですから、決して私から離れないでくださいね」


 ヘイゼルが俺を追い越し、丘を下って街の方向へ走り出す。痩せ細った不健康な姿からは想像も出来ない軽い足取りに呆気にとられながら、彼女の背中を追いかけて駆け出した。


 そう時間が経たない内に街の外縁部に辿り着き、板を組み合わせただけのような雑な造りの小屋の軒先にぼんやりと座る老人や寝転んでいる人々の前を横切る。


「ここもあっち(・・・)とそう変わらないんだな、死者の国だって言うくらいなんだからこういう差なんて無いと思ってた」

「中心部と外縁部は生前に犯した罪の重さで区分けされています。どこにも平等な場所なんてありません、そうでなければ善人ばかりが損をしてしまいますもの」

「ここにはどれくらいの人が?」

「二十万人もいないくらいでしょうか、ここは無数にある死者の国の内の一つでしかないので。家族や親しい友人であっても同じ国に辿り着けるとは限りません」


 まるで屍のような人間ばかりだ。土色の肌が骨に張り付いた老人や、落窪んだ眼窩の下にある眼球をぎらぎらと輝かせる若者たちが地面に這い蹲るように俺を見上げてくる。

 その中には年端もいかない子供もいて、一度立ち止まりそうになった俺をヘイゼルが「止まらないで」と咎めた。


「彼らは大罪人です。貴方が気にする必要はない」

「……あんな子供でも?」

「恵まれた環境にいらしたのなら知る機会は無いのでしょうが、おぞましい罪に溢れた場所はどこにでもあります。あの子は幼いながらに誰にも許されない罪を犯したのでしょうね、ここにいる方は生まれ変わっても下層の生物になるだけ」


 地面に横たわる男、椅子に座って俯いている女、パイプを吸っている老爺。


 彼らの服装は皆異なり、中には生前かなりの社会的地位にいたことが予想出来る人間もいる。

 貴族的な服装で蛙のような顔をした男は、道の真中で腹の上に手を組んで寝そべっていた。


 不気味なくらいに悪臭のしないその通りを歩き続けていると、次第に建っている建物も変化していき、丸太小屋から四角い形の日干し煉瓦で作られた家、そしてどの文化圏にも属していない魔女が住んでいるような三角屋根の家まで、統一感も何も無い街並みが広がりだす。


 街を歩いている人々は格好等の程度の差こそあれ、皆明るい表情をしていた。外縁部とは違って話し声も聞こえてくるし、傷だらけの体を恥じることなく「息子と妻が元気にしているか心配で生まれ変わるに生まれ変われないんだ」と笑っている若い男もいる。

 露店を開いて商売をしている人間もそこの商品を選んでいる中年の女もいて、まさか彼らが全員死人だなんて誰も思わないだろう。


「本当に普通の街みたいだ」

「所詮真似事です、必要なわけではありませんから」

「皆すぐに塔に行くわけじゃないのか」

「生まれ変わりを望んでいらしても、遺してしまった家族が亡くなるまでは、という方も多くいらっしゃるそうです。すぐに生まれ変わりを望まれる方も当然いらっしゃるけれど」

 

 街頭が並ぶよく整備されている赤煉瓦の敷かれた道を歩く。

 肌色や服装がまるきり違う人間もいるし、話している言語が違う人間もいる。けれど皆不安や心配を何も抱えていないかのように街を歩き、生前と変わらずに暮らしているのだ。


 不意に、目の前に五歳くらいの小さな子供が飛び出した。その少年はヘイゼルに用があるのか黒い目を輝かせ、「久しぶり」と彼女に向かって勢い良く抱き着いて。

 それに数歩後退った彼女の背を支え、その子供の顔を覗き込もうとすると、彼女は俺を突き放すように子供を抱き締め返した。

 

「元気にしてた?」

「ええ、ウォルターはどうです?」

「僕はずっと元気! そうだ、あのね、僕もうすぐあの塔に行くの!」

「そうなのですか? そうしたらもう会えなくなってしまいますね」

「うーん、でもね、ここにずっといても楽しくないもん。飽きちゃったの、やっぱりもうそろそろ行かないといけないしさ」


 ふふん、と鼻を鳴らした子供がヘイゼルの腕から抜け出す。

 短い腕を腕組みした子供は「今度は絶対に大人になるんだ!」と笑いながら叫び、それから「お姉ちゃんも一緒に行かない?」とヘイゼルの服の裾を引いた。


「ごめんなさい、私はまだ行けなくて」

「どうして?」

「まだやらなければならないことが沢山ありますから。ウォルター、次はもっと大人になってからここに来てくださいね」

「そっか、じゃあいいや。ところでさ、その人は誰なの?」


 子供の目が俺を見た。

 俺が何か答えようと口を開くより先に、ヘイゼルが「今日ここに来たばかりの方です」と答える。一瞬こちらを振り返った彼女の目は「頼むから何も喋らないでくれ」とでも言いたげに鋭かった。


「案内してるの?」

「そうです、込み入った話もあるので二人きりで」

「そうなの?」


 ヘイゼルが頷く。子供はまだ疑わしそうに俺の顔を見ていたが、すぐに諦めたように「じゃあ仕方ないや」と後ろ手に腕を組んで項垂れた。


 彼がどうやってここで暮らしているのかは分からないが、どれだけ人から愛されるのに長けているのかは理解出来る。彼は子供らしい愛らしさと、年齢の割に大人びた態度をあわせ持った子供なのだ。


「そうだ、ダイアナ・クリフという子を知りませんか? 焦げ茶色の髪に灰色がかった緑色の瞳の子で、昨日来たばかりだと思うのですが」

「ううん、知らない」

「……そうですか、それならまた」


 ぶんぶんと勢い良く首を横に振った子供の薄茶色の頭に手を乗せたヘイゼルがこちらを見る。ここにもダイアナがいないのなら、どこにいるというのだろう。

 まさか他の死者の国とやらにいるのではないか、と思うけれど、ヘイゼルの断定的な口調を考えるとここにいるとしか考えられない。とにかく捜し続ける以外に方法は無いのだ。


「グレイソン、今度は向こうを見てみませんか?」

「向こう?」

「向こうに見える山です。あの子はここにいるよりもひとりでいることを望んでいるのかもしれませんから」


 その切り立った灰色の山肌の、三角の尖った形をした山はそう遠くない場所にあるように見える。

 今まで歩いてきた道を外れ、狭い路地に身を滑り込ませたヘイゼルが「こっち」と俺を手招いた。


 それに従順に従いつつ、「中心部の方にいるかもしれないじゃないか」と尋ねると、彼女は首を横に振って


「そこは塔に用のある方しかいらっしゃいません。あの子があんな場所を死に場所に選んだ理由は、きっと……本当はまだ生きることへの希望を捨てられなかったから」


 と言った。その言葉に足を止めた俺は「どういう意味なんだ」と喉奥から声を絞り出した。


 まだ生きていたかったというのなら、何故ダイアナは自らあんな死を選んだというのだろう。あんな寂しい場所で、誰からも見つけられないような場所で。


 気怠げに髪に手櫛を通したヘイゼルが辺りを見回す。

 周りに誰もいないことを確認して、彼女は猫のような形をした目を鋭く細めた。

  

「あの世界とこの世界を繋げているのはあの洞窟だけ。生者も死者も、ある条件を満たしさえすればあそこを通して互いを行き来ができます。もしかすると死者を生者に戻すことだって可能かもしれない――本当に死にたかったのなら、他の場所で確実な死を迎えるはず」

「だからそれがなんだって――」

「ですからあの子は心の奥底では死にたくなかったのでしょう。グレイソン、貴方のような方があの子を追いかけてくるかもしれないのに」


 筋の目立つ指が俺を指さす――俺を見つめるその瞳は、全てを焼き尽くす猛火の如き怒りに満ちていた。

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