第2話 働き蜂、巣無しの姫蜂と邂逅する。
その日、働き蜂の青年は初めて困惑した。
目の前に見えるそれは、紛れもない現実であるが、とてもじゃないが受け入れ難かった。
青年の眼前には、ゴミ箱からはみ出る発光する誰かのケツがあったのだ。
こんな奇妙な情景を目の当たりにしても、優秀な青年は頭を回し思考する事が出来た。
ーーー発光する肉体…いや、光の粒子を纏っているのか?そんなことを出来るのは…姫蜂や女王蜂しかいないはずだ。しかし…コレは…
青年は確かに冷静に思考する事が出来た。
しかし肝心な回答を導き出すまでには至らなかった。
それは青年の固定概念と【働き蜂】の常識が大きく関わっている。
【姫蜂】や【女王蜂】は聖なる導きの光を生み出すことが出来る人間である。
導きの光はこの世界の…正確には【ビー・ハイヴ】のエネルギー源であり、腐敗の闇に対抗できる唯一の希望である。
それは、人類の居住空間を作り維持するための文明の灯火であり、人間性を守り闇を払う神聖なる松明でもあるのだ。
この導きの光が無ければ、人類はずっと昔に滅んでいたであろう。
それほどまでに、導きの光は大切なモノなのだ。
そんな光を生み出すことが出来るのは、発光石と呼ばれる銀の結晶と【姫蜂】や【女王蜂】だけである。
【姫蜂】や【女王蜂】は、神聖で尊い存在であるがゆえ、選ばれた民のみが住むことの許された【ロイヤルハイヴ】のさらに内地にある【クイーンハウス】に隔離されている。
そのため、青年のような【アウトサイトハイヴ】の【働き蜂】は、決して拝むことも出来ない。
そして、【姫蜂】と【女王蜂】は、こんな【アウトサイトハイヴ】の中でも辺境の地であるこの場所の目立たない路地裏のゴミ箱にいるわけが無いのだ。
しかし…
『うんしょ…んしょ…う…う~ん…で…出られないよ!だ…誰か助けて!』
世の中では、有り得ないとされている奇跡だって、起こる事だってあるものだ。
青年は今日、そんな奇跡に出くわしたと言うわけである。
とてもとても、幸運で稀少で素敵な日であろう。
…これが同僚の介錯をして恨まれた後で無ければ、素晴らしい日であったのかも知れない。
青年はようやく脳内で状況を整理し終えたようで、まずはこの謎の光るケツに尋問をすることにしたようだ。
「おい。ケツ野郎、こんな所で何をしている?所属と階級を言え。」
『ふぇ?!誰かいるの?え…えっと、誰だか知らないけど、まずはここから出して!』
その光るケツは、随分と幼い声であった。
まるでリンと静かに鳴る銀の鈴のように、優しく耳をくすぐるような声であった。
その声だけでも、この光るケツが麗しい乙女であると言う事を想像できる。
もっとも、こんな醜態を晒されていては、そんな淑やかな少女の姿を思い描くことが一気に難しくなるが。
「正体を明かせ。さもなければ、そのケツに煙草の吸い殻を捻じ込むぞ?」
『ま…まってまって!!まってよ!もう、素敵なレディになんて事を言うの…!』
青年に恐喝されたことで、その光のケツは嫌嫌ながらも所属と階級を名乗る。
もっとも、青年はオフの時間帯では有言実行をする事は滅多に無い。
なので仮に、名乗らなかったとしても、本当にケツに吸い殻を捻じ込む事は無かった。
『わ…私は【クイーンハウス】から来た期待の女王蜂候補のケーテルだよ!訳あってこんな状態だけど、れっきとした姫蜂なんだよ!』
ケーテルと名前を名乗ったその自称・姫蜂は、足をバタバタとさせた。
その様は、ひっくり返った虫が羽を必死に羽ばたかせているようだ。
とても哀れだと、青年は心の中で呟いた。
ーーー名前を持っている。つまり本当に姫蜂なのか?しかし、そんな姫蜂が、こんな所に居るはずが…
『と…とにかく早く助けてよ!言う通りにしたでしょ!?今度はこっちが命令する番なんだよ!』
まだまだ疑問は残っていたが、青年は溜息一つしてから、少女の足を掴んだ。
同僚からは無慈悲な少年だと恐れられている彼だが、本来の彼は良い人である。
なので、助けを求められれば、見捨てることは滅多に無いのだ。
足を引っ張り、少女は激しい騒音と飛び散ったゴミと共に引きずり出されて冷たいコンクリートの大地に尻をぶつけた。
『ふぅ…やっと出られたよ。ありがとうね!』
自分の尻を優しく労りながら、少女は涙目ながらも感謝の意を青年に示した。
振り向いたその少女は一言で言うと、荘厳で偉大な王冠のような雰囲気であった。
『改めて自己紹介をするね!私の名前はケーテル。金ぴかな王冠が良く似合う…素敵な!お嬢さんだよ!』
少女は白銀に輝く絹のような長い髪をしていた。
少女の柔肌は滑らかで若々しく、造られたような美白の肌であった。
外見は幼かったが、その金色の目は使命感に燃えており、奥深くでは偉大なる野望を燻らせていた。
そして何より目を惹くのは、頭に乗っけられた金メッキの王冠であった。
その王冠は、彼女の背負うナニカを表しているような気がした。
しかし…それがナニカは、青年は知るよしも無い。
「エーテル…良い名前だな。」
『エーテルじゃないよ!ケーテルだよ!ケーテル!王冠がよく似合うお嬢さんだよ~!二度と間違えないでね!』
ケーテルは自身の名前を間違えた青年を指摘した。
プンスカと怒り、頭の上の王冠を飛び上がらせるその様子は外見通りであり、青年をクスリと笑わせた。
もっとも、青年は感情を表に出したがらない性格であるから、その表情はずっと凍り付いている。
「さて、もう問題なく動けるようだな。なら、児童相談所にでも行こうか。そこに行けば、お前は元の場所に戻れるだろう。」
『あ…えっと、実はちょっと事情があってね。今はまだ帰れないんだ。…それに、私は子供じゃ無いよ?!だから迷子扱いしないで!』
ケーテルは言い辛そうに、目を逸らして誤魔化していた。
その様子を見た青年はある可能性を感じた。
ーーー巣無し。もしくはただの家出少女か…
【巣無し】とは、ここ【ビー・ハイヴ】で犯罪行為を行いその罰として居住スペースを没収され、や財産や地位を剥奪され追放された者の総称である。
【巣無し】の多くはここのような【アウトサイトハイヴ】にまで流れ着き、最終的には光の届かない【アンダーハイヴ】や腐敗の闇が拡がる【フロンティア】にまで追われて、ついには腐敗してしまうのだ。
つまり、仮にケーテルが【巣無し】であれば、いくら【姫蜂】であっても【クイーンハウス】はおろか、【ロイヤルハイヴ】や【インサイトハイヴ】にすら入る事が出来ないのだ。
つまり、今回青年に与えられた選択肢は二つ。
無視して見捨てる選択、同情して迎え入れる選択。
青年はただ黙ってケーテルを見つめた。
黙って見つめられたケーテルは恥ずかしさを感じて、そのあどけない顔を赤らめて、モジモジと手を後ろに組んだ。
ケーテルはまだ幼く、この世界の理に対して無知そうだった。
このような未熟で無垢な少女を見捨てるなど、繊細な心を持った青年には酷な選択であった。だから…
『ねえ!助けてくれた素敵なお兄さん!お腹空いたからご飯食べさせて!』
ケーテルは青年の優しき心に訴えかけ、食事を奢って貰うようにおねだりをする。
見ず知らずの青年にこんな事を頼み込むなんて、厚顔無恥にも程があったが、選択肢を選んだ青年は少し嫌そうながらもケーテルのほっそりとした手を引いた。
………。
………………。
【アウトサイトハイヴ】は居住地域しかないタコ部屋のような窮屈で苦痛しかない地域だと、【インサイトハイヴ】等の住民から好き勝手に噂されている。
実際の所その噂は、半分正解で半分不正解だ。
【アウトサイトハイヴ】にも、居住地以外の公共施設が存在しており、ここはそのうちの一つである【共同食事配給所】と呼ばれる場所だ。
青年はケーテルにボロ布を着せて、持っていた料理の配給券を店の主に渡しに行っている。
ーーーどうしてボロボロの布を被らなきゃいけないんだろう?折角の王冠が汚れちゃうよ!ああん!もう…
ケーテルは心の中で愚痴を零しているが、言いつけを守って足をバタバタさせている。
青年はケーテルの存在を極力目立たせたく無かったのだ。
なぜなら、ケーテルが【姫蜂】であるため、もしこの事実を邪心を持った者に知られてしまえば、厄介なことに巻き込まれる事を理解しているからだ。
ーーーそれに…俺が誘拐犯だとも思われたく無い。いつかは事情を説明する時が来るだろうが、わざわざ今じゃなくても良い。
青年はこの食堂を運営する店主さんに、配給券5枚を赤花甘味水1つと赤花甘味団子2つと交換してもらった。
「まいどありがとうなのじゃ♪」
「………。」
青年は料理をお盆ごと受け取り、暗くなった空を見ながら自分達の席に戻った。
若干光が抑えめのケーテルは、気力の無いグータラな表情で沈んでいた。
青年は不覚にも面白く思い、少しだけ心の中でクスリと苦笑した。相変わらず表では無表情であったが…
『あ!ご飯!』
甘い蜜の匂いに釣られたケーテルはまるで餌を待っていた犬のように、涎が零れた口をほころばせて目を輝かせていた。
犬は犬でも猟犬のような物ではなく、愛犬や子犬のような庇護欲を掻き立てて愛でたくなるような反応のケーテル。
その反対に青年は寡黙で落ち着いており、まるで沈黙を貫きながら見守る猫のようであった。
『食べて良い?食べちゃって良い?!』
「どうぞ。」
涎をすすり目を輝かせるケーテルは、赤花甘味団子を大口で頬張った。
ちなみに赤花甘味団子とは、【インサイトハイヴ】で生産された【フラワーシロップ】を赤花の花粉を固めて作られた団子に絡めた物だ。
ほのかに香る花の匂いとすっきりと甘い蜜は、柔らかくもっちりした団子と相性が良い。
さらに、ここの赤花甘味団子は店主のサービスで蜜がたっぷり付けられているため、大変美味である。
その旨味に感化されたケーテルは、言葉では表現しきれない程に幸せそうな表情で味わっている。
青年も顔は無表情であったが、内心少女に負けないくらいには幸せそうに味わっていた。
『とっても美味しいね!!!こんなおいしい物初めて食べたよ!!お兄さんありがとう!!!』
「どうも。でも礼を言うなら俺じゃなく、ここの店主に言うと良い。」
「きっと、喜ぶぞ」と青年はケーテルに助言した。
しかし、幸せいっぱいで赤花甘味水を飲むケーテルには、青年の言葉は届いていなさそうである。
甘い蜜を甘い蜜で流し込む、まさしく至高の贅沢である。
もっともこれはあくまで、【アウトサイトハイヴ】流の贅沢であるため、他の区画の者に自慢でもしたら笑われるだけであろう。
「さて、そろそろ聞かせてもらう。どうして姫蜂であるお前が、こんな所に居るんだ?」
煙草を灰皿にこすり消した青年は抱いていた疑問を投げかけたが、ケーテルは言葉を濁してばかりであった。
どうやら、言えない事情があるらしい。
青年は最速諦め、別の質問を投げ掛けた。
「…これからどうするつもりだ?」
ケーテルは青年の目を見つめて、その黄金の目で語った。
その表情は幼いながらも、何か覚悟を決めたようにも見える。
『優しいお兄さん!どうか私の騎士になってくれないかな?そして、私と一緒に玉座に座って欲しい。』
ケーテルの発現は、青年には理解できなかった。
それは彼女が変な言い回しを使っていた事もあるが、それ以上に彼女に忠義を誓う必要性を感じなかったからだ。
「なんで俺なんだ?俺が騎士にならないといけない理由は?」
『それはね。私を見捨てようとしなかったからだよ。素性の不明な少女を拾って施しをするなんて、普通の人には出来ないから!だから、ケーテルは貴方を期待するんだよ!』
ケーテルは青年の手を取って、唇を近づけた。
彼女の暖かい吐息が、彼の手の指にかかった。
青年は悪い気はしなかったが、やはりまだ納得出来ずにいた。
「悪いが…俺はお前が思っている程、優しい人間じゃない。お前をこのあと闇商人に売るかも知れないぞ?それでも信じるって言うのか?」
青年はワザと威圧して、ケーテルを斬り付けるように睨み付けた。
もしケーテルと同年代の少女が同じ様に威圧されたのなら、あまりのプレッシャーに息を詰まらせて泣き喚く事すらできず目を逸らす事すらもできずに怯えていたであろう。
しかし、この強気な少女はそんな事も意を介さず、得意気な顔で微笑んでみせた。
『面白いこと言うね!けどケーテルを見くびってはいけないんだよ!ケーテルは悪意を持った人間を見分けることが出来るからね!それに…』
不適に口角を上げ、黄金の目をキラリと輝かせた。
ケーテルはその金色の視線で、青年の鋭い目の奥に隠された本性を見抜いた。
『お兄さんはそんなこと出来ないでしょ?だって、お兄さんは他人の痛みがわかる人だから。そして…他人を傷付けたら、自分が傷付く事を知っているでしょ?ケーテルはわかるよ!』
ケーテルの理論には、一切の根拠が無い。
それもそのはず、彼女には人の心を読むことなど出来ないのだ。
しかし、青年の人間性をこうだと断言出来たのは、彼女が多くの人を見て多くの経験をしてきたからであろう。
彼女の物差しで測られた青年の人物像は、結局は彼女の理想でしかない。しかし…
「………騎士になるつもりは無い。…だが、そうだな。……お前の保護者にはなってやれる。だが…それだけだ。」
青年のここまでの振る舞いと態度を見てくれば、誰だって青年の人物像を言い当てることが出来るのだ。
ケーテルは喜びにより肩を跳ねらせ、その頭の王冠を小さく浮かせた。
『ありがとう!!今はそれだけでも嬉しいよ。…けど、いつかは騎士になってもらうよ!それが私のために成るんだからね!そしたら、誓いのキスをしてあげるね!それまではお預けだから!』
「ああ…そう、考えておく。」
ケーテルの傲慢なる宣言を青年は適当にあしらった。
不器用であったが、それが結果的に悪くない未来に繋がったのだ。
これで青年の道は、光の溢れるものになっただろう。
少なくとも、ケーテルがその闇を照らして導いていくのだから、道を間違える事はきっと無くなったであろう。
これは、王冠の似合う彼女が作った…第一の功績である。