10
あたりは暗くなって、視界は悪い。
窓に水滴が当たる。
「雨?」
俺は小さく呟いた。
同乗している彼女も窓の外を見つめる。
「もうすぐ着きます。ここの道は小さい時になんでも通ったんです」
そう言った彼女の口元は少し笑っていた。
「傘を準備しておきましょう」
そういうと彼女はカバンから傘を取り出した。
よほど楽しみなのだろう。
家に戻ったらゆっくり休める。
数時間の長い旅もこれで終わりだ。
馬車が止まり、彼女は先に降りる。
「俺が金を払いますんで、先に行っていてください」
そう言うと彼女は頭を深く下げ、傘を広げ駆けていった。
俺も馬車を降り、操縦者に金を渡す。
「アンタもここで休んだほうがいい。 夜は魔物が増える。幸か不幸か俺もいる。 何かあれば頼れ」
俺はそう言って彼女を追いかける。
バシャバシャと水溜りを踏み、ぬかるんだ泥が足を重くする。
少し歩くと彼女の姿が見えてくる。
村の姿は見えない。
もう少し先だろうか。
すると強い風が吹き、彼女の傘を飛ばす。
俺は走り出し傘を拾い上げ、彼女に渡そうと手を伸ばす。
「傘、落ちましたよ。 あまり濡れると心配されます」
俺の言葉には反応せずに虚空を見つめる。
「ここ・・・です」
「ここ?」
彼女は何もない草原を見つめながらそう呟いた。
瞬間、雨が止む。
俺は傘を畳み、彼女に無理やり手渡す。
「ここってのは・・・」
「私の故郷はここにあったはずなんです」
彼女はそう言った。
だが、何もない。
荒らされた痕跡や、瓦礫。
それどころか人が住んでいた気配がないくらいに草花が生えていた。
「確かなんですか?」
「はい、間違いないです」
彼女は俺を見つめ、真剣な表情で呟いた。
俺はもう一度、彼女の視線が向くほうを見る。
だが、何度見ても痕跡がない。
土が掘り返された跡もなければ、人が歩いた痕跡すらない。
それでも彼女は確かにここにあったのだと。そう言う様にずっと見つめていた。
俺は深呼吸をする。
雨が降った後で傘をささなかったからか、服が張り付き少し寒い。
「はぁ・・・少し見て来ます」
溜息にも似た空気を吐き、俺は草むらに足を踏み入れる。
膝くらいまである草を踏み締め、前に進む。
彼女を見ると、いまだに見つめていた。
「何かあるか・・・?」
独り言の様に小さく呟き、何か痕跡は残っていないかと散策する。
すると、突然足が何か重い物を蹴る。
下に視線を向け、草むらに手を入れ正体を確かめる。
「あった・・・」
触ると長方形で、何やらざらざらとしている。
「硬いし・・・重い・・・箱か?」
俺は両手でそれを掴み、持ち上げる。
すると、人の顔程はある分厚い本を拾い上げた。
ザラザラしていたのは表紙の紋様。
何やら神秘的な、それでいて奇怪な紋様だ。
「なんだこれ」
そう呟きながら本を開く。
ページの数だけなら1000は裕に超えるのではないだろうか。
だが、ある一点はおかしい。
「何も書いてない・・・?」
ページを捲るが、いくら捲っても最初から最後まで一文字も書いていないのだ。
怪しさは増し、嫌な感覚が身体を撫でる。
本を閉じて表紙を再度注視する。
次は泥を払い落とし、しっかりと。
先程は泥で見えなかった場所もしっかりと見える様に払う。
すると、紋様はただの紋様ではなく、魔法陣の様になっていることに気づく。
ーーこれは・・・
「魔術書か?」
瞬間、背後からビチャビチャと多量の液体が流れる音がした。
振り返ると女性の形をした真っ黒い何かが、槍で彼女を貫いていた。
傷口から鮮血が溢れ、彼女は口からも血を吐いている。
「何してんだお前ら!!」
俺が叫ぶと奴はこちらを見つめる。
皇都を襲った黒騎士の仲間か⁉︎
墨で塗りつぶされた様な漆黒の身体。
魔女の様な服を身に纏うが、使用する武器は杖ではなく槍。
まさしく、影と言ったところだろうか。
身長は2メートル前後で、かなりスタイルがいい様にも見える。
「・・・・・・。・・・・・・?・・・・。」
影は声を出すが・・・
やはり何を言っているのかわからない。
影は突然左手を頭の近くに持っていき、人差し指を立ててクルクルと回す。
次の瞬間。
「あまり騒ぐな、人間」
声が聞こえた。
「話せるのか・・・?」
「・・・私の目的は済んだ」
そう言って液体状になろうとする影に攻撃を仕掛ける。
短剣を握り、怒りのままに走り出す。
「逃がさない!」
だが、短剣が当たることはなかった。
「逃げるなぁ!!」
俺が叫ぶと、どこからともなく声が響く。
「私の名はサディア。 これは私の魂だ」
「違う! それは彼女の命で、彼女の魂だ!」
姿が見えなくなった影を探し、草むらを走る。
「どこだ・・・どこに行った!」
「貴様は弱い・・・女はもっと弱い。 だから私は貴様より強い・・・」
影の声はそう言った。
話しにならない。
会話が成立しない。
「なに言ってんだクソっ!」
すると、正面からドサッと何かが落ちる音がした。
俺は走り、正体を確かめる。
それは、肉塊となった彼女だった。
もう魂はここにはない。
「なんで・・・」
彼女はただ帰ろうとしただけだ。
罪のない彼女を殺した影に、その彼女を守れなかった自分自身に怒りが湧く。
血液が沸騰するように全身が熱くなった。
俺は膝をつき、彼女の胸に手を置く。
鼓動の振動は感じられず、身体は冷たくなっていた。
開いたままの瞼が、瞳が、絶望を写している様にも見えた。
俺は奥歯を鳴らし、拳を握りしめる。
爪が皮膚に食い込み血が出たのか、手の中がじんわりと暖かくなる。
「ぐっ・・・・クソっ・・・!ああぁぁぁぁぁぁぁぁぉ」
まるで癇癪を起こした子供の様に、怒りに任せ叫ぶ。
その声は闇の夜空に消えていく。
ーー・・・影・・・影だ。 皆殺しにしてやる。
一つ、心に小さな黒い火が宿った。




