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目が覚めた。

埃っぽく暗い部屋、経年劣化で穴だらけのシーツ、硬いベッド。

むくりと体を起こし、周囲を見渡す。

長い間、誰も住んでいなかったのだろう。

荒屋あばらやという呼称がふさわしい、ボロボロの寝室。

ここはどこだろう。


ご丁寧にベットの脇で揃えられていた靴を履いて、寝室から出てみる。

寝室の扉は、狭くて汚いリビングに繋がっていた。

部屋の中央に、人が二人くらい入れそうな大きな釜が置いてある。


「何これ…」


「それね、それね、錬金術師の釜」


独り言のつもりだったのに、返事がきた。

声の方向に目を向けると、モフモフの煤けた小犬がお座りしたまま私を見ていた。


「……?」


「ワン」


犬の鳴き声が言葉に聞こえるほど追い詰められてるんだ、私。


「あれ、もう起きてたんだ」


寝室じゃない方の扉が開いて、私の命の恩人が入ってきた。

もう一つの扉は、外につながっていたらしい。


「ごめんね、お兄ちゃんがどうしてもうちにあなたを入れるのが嫌だって騒いだから、とりあえずでこの空き家に運び込んじゃった」


空き家というか、廃墟では。

もちろんご親切にしてくれた彼女に対して、そんなことは言わないけれど。


「お水欲しいかと思って持ってきたんだけど、どうかな?」


彼女がそう言って水差しとコップを差し出してきた瞬間、自分の喉がカラカラに乾いているのを自覚した。

ひったくるみたいにそれらを受け取って、水差しを傾ける。

水がコップに溜まり切るのを待つのも惜しく、半分ほどになったところで飲み干す。

それを何回も繰り返す私を彼女は気を悪くする風でもなく、眺めていた。


「よかったぁ、あんな馬車でこっちにきたんだから欲しいだろうなって思ってたの」


「あの、ありがとう」


「気にしないで。あたし、ナーシャ・タングステンっていうの。あなたは?」


「リリイ。元はリリイ・ブレミッシュだったんだけど、破門されたから、名字はもうないね」


「教会に入る前のやつは」


「孤児の名無しだったからなぁ」


「そうなんだ、ごめん」


「いいよ、全然気にしてない。それより、私を助けてくれてありがとう」


私がお礼を言うと、ナーシャは大袈裟にぶんぶんと首を振った。


「当然だよ!いきなり殺そうとしたお兄ちゃんがおかしいの。無理なお願いだとは思うんだけど、あんまり怒らないであげて…ていうか、怒ってもぜんぜん良いんだけど、毒を盛るとかはやめてあげてほしい」


復讐内容の想定が物騒すぎる。

ナーシャはボロボロの机に、リンゴを3つ起きながら自分の兄について謝罪をしてくれた。


「本当はもっと食べ物を持ってきてあげたかったんだけど…ごめんね、うちから分けてあげられるものって、そんなになくて」


今度は私が大袈裟に首を振る番だった。

食べ物のない苦しさはよくわかる。


「ううん、こっちこそ貴重な食べ物を譲ってもらえて本当にたすかる。腹ペコには慣れてるから、そんなに気にしないで……ナーシャは親切だね、見ず知らずの私に食べ物を分けてくれるなんて」


教会の聖職者たちですら、ここまで善良な者は少ないんじゃないだろうか。

彼らは施しをするのは好きだが、それは自分たちに余裕がある時に限ってのことである。

私の言葉に、ナーシャが気まずそうな表情で眉尻を下げた。


「あの…実はね、無償ってわけじゃなくて……」


「おう!錬金術師殿はお目覚めか!」


出入り口の方から、いきなり野太い声がかかった。

肩に毛皮をかけたワイルドにもほどのある容貌の中年男性が、扉をばーんと開けて入ってきたらしい。


「あなたは」


私の問いかけに返事もせず、男性はズカズカと家に入ってきて私をジロジロと見た。

白髪まじりの太眉の下、ライトグリーンの目がぎらぎらと好奇心に輝いている。


「ふぅん、聖都のやつらってのは、痩せっぽちなんだなぁ!俺らよりたっぷり良いもん食ってるんだと思ってたが、そうでもないのか?」


「……聖女は太っててはいけませんから」


国を代表して人前に出ることも多い役職のため、聖女の選定基準には容姿もおおいに関係する。

容姿、人格、そしてもちろん聖石を作れるほどの祈りの力。

それらを高い水準で保持していてこその、聖女である。

聖女候補生でもあった修道女たちも、もちろんその価値観に準じていた。


「ええ!あたし絶対聖女になれないじゃん!」


背後で、ナーシャが悲鳴のような声を上げる。


「なりたいの?」


「別に良いけどぉ…なれないって言われるとぉ……」


気持ちは分かるような気がする。


「がっはっは、ナーシャはうちの聖女ってことで良いだろ!一番優しい女だからな!」


「もぉ、そういうことじゃないんだって!」


ずいぶん親しいようだが、どういう間柄なのだろう。


「それで、あなたは一体……」


「おっと、自己紹介が遅れたな。俺はゲラルド、ここの領主補佐だ」


大きな拳をドン、と己が胸に叩きつけてゲラルドが名乗った。

私もぼろぼろのワンピースのすそを摘んで、片手を胸に起き頭を下げる。


「リリア。苗字はありません、領主補佐殿ならご存知でしょう、こちらに追放処分となった元聖女候補生です」


「はっは、話は聞いてるぞ。ずいぶんヘマしたようだが、一応更生の機会を与えてやれと手紙がきてる。ここでガンガン働いて、罪を償うことだな!」


神妙な顔をして頷いた。

ナーシャの親切さやこの男の快活さを見るに、案外悪いところではなさそうだ。

聖都にいる時には、災害の多さや魔物の危険さばかりを聞かされたものだったが。


「うちのモットーは、働けるのに働かざるもの食うべからずだ!毎日リンゴくらいは支給してやれるが、それ以上が欲しければしっかり頑張ってくれ。安心しろ、もうお前の職は決めてある」


そんな、希望職種も聞かずに。

重罪人だから仕方ないと言われれば、そうなのだけれども…!

やっぱり地下施設にある謎の棒とかをぐるぐる回したりして、端金を稼ぐことになったりするのだろうか。


ゲラルドは腰につけていたポーチをガサゴソと探って、ボロボロの本を私にポンと渡した。

表紙には古めかしい文字で『錬金術 初級』と書いてある。


「よろしくな、錬金術師殿。これから忙しくなるぞぉ!」


ウワーハハハ!と部屋に響くゲラルドの笑い声を聞きながら、私はこれからの日々の過酷さをうっすらと嗅ぎ取っていた。


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