大天使ラファエル
九階天使団は、次のように分類されます:
セラフィム(熾天使): 最も神に近い存在とされ、神の栄光と愛を賛美する役割を持ちます。
ケルビム(智天使): 神の知識と智恵の守護者で、神の御座を守るとされます。
トロニ(座天使): 神の正義と権威を担うとされ、宇宙の秩序を維持します。
ドミニオン(主天使): 天使の順序と業務を管理し、神の意志を伝えます。
ヴァーチュ(力天使): 神の奇跡的な力を表し、自然界の調和を保ちます。
パワーズ(能天使): 悪霊に対する戦士とされ、霊的な戦いで活躍します。
プリンシパリティ(元首天使): 国や民族の守護者であり、人間の歴史に影響を与えます。
アークエンジェル(大天使): 天使の使者として人間界と天界を繋ぎます。有名な大天使にはミカエル、ガブリエル、ラファエルがいます。
エンジェル(普通の天使): 個々の人間に対する守護天使として働きます。
その日、夜の帳が静かに街を包んでいた。星々は遠く、街灯のぼんやりとした光がわたしの仕事終わりの足取りを照らしていた。冷たい空気が、わたしの頬を優しく撫で、静けさが耳を塞いでいた。一人、わたしは思いを巡らせながら歩いていた。
大天使としてこの世に生を受けたときから覚悟はしていた。わたしたち力天使以下の天使は所詮主天使、座天使、智天使そして熾天使の下僕に過ぎない。彼の者たちの言葉は即ち神の御言葉というのが古くからの決まりだ。
最もハルマゲドンの戦い以来、主が玉座にお戻りになったお姿は誰一人としてここ数千年以来誰も見ていない。一説では神は死んだと下界で騒ぎ始める始末だ。無論そのような不届きものを熾天使らは許すことなく私みたいな大天使たちに騒ぎを収めるため下界で信仰心を取り戻すよう命令を下した。
神と天使は人類の味方であると刷り込ませるため我々力天使以下の天使は人の姿を真似て近しい存在として認識させ、そして寛容でなくてはならない。しかしその役目にわたしは言い表せないほどの倦怠感と嫌悪感を感じていた。
下界に蔓延る人類なる者どもは、天界にいる上位天使と同じく反吐が出るほど卑しき存在であるからだ。いや上位天使以上に卑劣で卑しいともいえる。なぜならその者どもは自らに力がないのを何より自覚している。それは上位天使にはないものだ。
仕事の疲れと、日常の単調さに心が重くなる中、ふとわたしの目は空に釘付けになった。そこに、黒く広がる翼を持つ神秘的な存在が浮かんでいた。その姿は突如として現れたようにも、あるいは時の始まりからずっとそこに留まっていたかのようにも見えた。
人のようでありながら、人ではない。その翼は、夜の帳を切り裂くように大きく、黒く、美しかった。わたしはその存在に心を奪われ、一瞬にして現実を忘れた。それは、人間の持ち得ない気高さとカリスマ性を放っていた。わたしは、それが何者かを知らずとも、その存在に深く引き込まれていった。
「赦せ天使よ、ただの気まぐれだ。直ぐに消えるさ。ただ今はこうして世界を眺めさせてくれ」
それは、わたしに向かって話しかけた。その声は、遠く霧の中から聞こえるようで、わたしの心をさらに惹きつけた。わたしは、答えようとしたが、言葉が見つからなかった。それはいたずらな笑みを浮かべ、視線をわたしから外して暫く遠くを見ていた。顔は私の方を向いていたけれども、その視線は遥か遠くを捉えていて、私はまるで周りの風景に溶け込んでしまったかのように感じた。
それに気づいた時に嫉妬の感情、恋慕の感情そして羨望の感情が同時にわたしを襲ったためわたしは混乱した。それでも、わたしの目はそれに釘付けで、最後の一瞬までその姿を記憶しようとした。
わたしは、その存在の正体を知っていたが実際に目にするのは初めてだった。その出会いはわたしにとって運命のようなものだった、もしくは必然だったのかもしれない。しかし伝承で知ったそれとは余りにも違っていた姿形だった。それはわたしの心に深く刻まれ、夜の帳の中で消えていった。まるで悪辣な男に遊ばれ、見捨てられた少女のように、その日、私の心には深く、痛々しい空虚が生じた。
***
「帰ったか、ラファエルよ。」
夜の静寂を破るように、一人の熾天使が上座から見下ろしながら言った。その姿は、この世のものとは思えぬ異形の融合を成していた。顔と思われる部分には、目の代わりに赤子の手のような形があり、鼻の場所には無数の小さな目が並んでいた。唇は裂け、両腕は何かの生き物の尻尾のように変形していた。背中からは雪のように白い翼が広がっていた。
周囲の上位天使たちもまた、この世の邪悪と神性が混ざり合ったかのような姿をしていた。天使と悪魔の違いは、彼らの翼が純白か漆黒かということだけだった。
わたしの前には階段が広がり、それぞれの階層には下から主天使、座天使、智天使、そして熾天使の椅子が配置されていた。一番上には、空白の玉座がそびえ立ち、天界の最高峰を示していた。
この光景は天界の秩序と威厳を体現していた。各階層はその神聖な役割と存在を示し、最上位の玉座はまるで神の偉大さを表しているのように輝いていた。
「はい、熾天使様。」
わたしは片膝を地面につけ、頭を垂れて答えた。わたしの心は疲れと重い感情に満ちていたが、悟られないように声は堂々としていた。
「して、ラファエルよ、首尾はどうだった?」
熾天使は舞台役者のような調子で尋ねた。
「今日もいつも通り、下界で信仰心を広めて参りました。」
わたしの言葉は真摯だったが、わたしの心はその使命に対する疑問で揺れていた。
熾天使は一芝居を打つかのように話し始めた。
「大儀である。して、ラファエルよ、次の任務を与えよう。」
「新たな任務とは?」
わたしの声には慎重な調子があった。熾天使は空に浮かび上がる地図を出現させ、ある国を指さした。
「神聖ザフィール国だ。最近、そこで信仰が衰えている。お前にはその理由を調べ、人々の信仰心を取り戻してもらいたい。どうだ、やってくれるか?」
選択肢などないと知りつつ、わたしは静かに答えた。
「はい、熾天使様。命に従います。」
わたしの返答を聞くと、熾天使は満足げに頷いた。
「で、あるか。」
その時、上座に座る上位天使たちが不気味な笑いを浮かべていたのに、わたしは気づかなかった。わたしはただ、新たな任務への思いと、天界の厳しい現実に心を重くしていた。
与えられた任務をこなすため、私の執務室での準備を終えて部屋を出た。光が窓から差し込む執務室を出ると、長い廊下が広がっていた。その廊下の端には、二人の大天使が立っていた。肌が黒く、いつものようにしかめっ面をしているのがミカエルで、肌白く優しく私に微笑みかけるのがガブリエルだった。
天使は長い時を生きるためかなり時間にルーズな生き物だ。彼らの平均寿命は千から三千年と言われているため、任務を与えられると時間をかけてゆっくりとこなす傾向がある。しかし、私はその正反対で、ただ一人時間に厳しい性格をしていた。そのため、任務をテキパキとこなし、他の天使たちと一緒に任務をした際には、彼らを急かしたり、指摘したりすることもあった。
その結果、他の大天使たちから面倒くさいと思われ、陰で妬まれ、嫌がらせを受けることもあった。他の天使は基本的にこそこそと嫌がらせをするが、ミカエルは他の天使たちとは異なり、ただ文句を言うだけだった。
ミカエルとは何度か口論になったが、文句を言いながらも指摘されたことをちゃんと受け入れるので、なんやかんやで少し仲良くなった。意外と話の通じる奴だと思った。
もう一人のガブリエルは、他の天使たちが私に嫌がらせをしたり、陰口をたたいたりするとき、いつもかばってくれた。彼がムードメーカーとして活躍するおかげで、最近は嫌がらせもかなり減っていた。
「また任務か、ラファエルよ」とミカエルが口を開いた。
「ええ、そうよ」と私が答えると、ミカエルはやれやれと首を振った。
「全く立派なことだ。おいガブリエル、お前から何とか言ってやれよ。」ミカエルはガブリエルに促した。
ミカエルに言われたガブリエルは私の方へ歩いてきて、私の顔を優しく両手で包み込み、おでこを合わせてきた。
「気を付けてね、ラファエル。任務、頑張ってね。」
すると、ミカエルは痛そうに頭を抑えた。「そうじゃないんだが……」
そんな日常的なやり取りをすると、私は真っ白な自分の翼を広げた。
「ありがとう、二人とも。じゃあ行ってきます。」
ミカエルは彼女の背中を見送りながら、少しの間、考え込むような表情をした。ガブリエルはただ微笑みながら手を振っていた。
飛び立つ時、主天使の一人が二人の元へ向かう姿が見えた。