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クレストル王立第一軍学校第68期 ファントム・ブラッド4


「というのが事件の概要です」


 クレストル王国王都・ゴダール館の閣議室で、宰相ゲルト・ボーデンハウス侯爵が一堂に対して先日の人身売買組織『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』摘発に関する報告をリンネ達の活躍も含めて説明していた。


「今度はリンネ様ですか・・・。本当にミアナ様とリキのお子達は次から次へと騒動に巻き込まれますね」


 半ば呆れる様に参謀部議長アンヌ・タヌルバルド侯爵がつぶやいた。


「ですね、一体どちらに似たのでしょう?」


 財務大臣セイア・レシゲネ男爵がふとそんな事を言った。


「リキだろう」

「リキでしょう」


 カーラ・ボルデンハイム侯爵とゲルト姉弟の声が揃ってそう指摘する。


「お、俺か?それはリィナやライデンも含めての事か?」


 一斉に注目された国軍元帥リキ・サーガ侯爵が聞き返した。


「その通りさ、先日の事や去年の事を忘れた訳ではあるまい?」


 カーラの言った先日の事とは勿論入学初日にライデンとデルニオが起こした騒ぎの事であり、去年の事とはリィナが巡行先で旧ドガ王国(クレストル王国に滅ぼされた北方の大国)を復興させようとする勢力の蜂起に遭遇し、付き従っていたドリスやエレーラ(リィナに従う66期の参謀志望の軍学生)を率いて兵を指揮してこれを鎮圧し、軍学生ながら准将の地位を授かる契機となった件の事を指している。


「そうかあ?ライデンはともかく、リィナはミアナ似だと思うがなあ」


 リキが反論するとセイアが、


「確かに。あのカリスマ性は天性のものでミアナ様を彷彿とさせますね。しかし、トラブルメーカーなのは明らかにあなた似だと思いますよ?」


 と笑った。


「そうかなあ?俺にしてみればミアナがトラブルに巻き込まれて俺やカーラがそれを鎮めてたイメージなんだけどなあ?」


 リキがぼやくとカーラが、


「ああ、それはあるかもしれんな。姫様は王女だから狙われる事も多かった。しかしな、リィナ様やライデン様、リンネ様は違うぞ?お子達は自ら進んでトラブルに首を突っ込んでいる。そこがお前似だと言っているのさ」


 と諭す様に説明した。


「まあまあ姉上それくらいで。話を戻します、先ほどお話しした『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』ですが、その名の通り両頭、つまり組織の首領(ボス)は二人いたのですが、残念ながらその内一名を取り逃がしました」


 ゲルトが人身売買組織『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』に関しての説明を再開する。


「取り逃がしたのですか?警備隊(警察)が?」


 アンヌが驚きと不信の目でゲルトに尋ねた。


「はい、人員は十分に配置していたのですが、どうやら逃げた首領(ボス)というのが【錬氣】能力者らしいのです」


「【錬氣】能力者だと?」


 思わずカーラが聞き返す。


「はい」


「どんな[能力]なんだ?」


 今度の問いはリキのものだ。


「警備隊員の報告では『加速』系の[能力]ではないか?との事です」


「『加速』だと?」


 カーラの声に力がこもる。

『加速』系の[能力]、リキ・サーガの[能力]が正にそれにあたる。

『加速』系の[能力]自体はそこまで珍しいものではない。『筋力強化』や『武器強化』ほどありふれてはいないが、めったに見ないと言うほどでもない。

 ただ、『加速』()と付くように『加速』の[能力]には亜種がある事が知られている。本来身体の動きを加速するだけの[能力]なのだが、まれに身体能力以外も加速する[能力]がある。思考や代謝なども『加速』するものだ。

 そしてそれこそがリキ・サーガが持つ『身体速度操作』と言われている【錬氣】[能力]で、リキはこれを駆使して怪我の回復を早めたりも出来るのだ。

 その恐ろしさはここにいる皆がリキを通して目の当たりにしている。


「はい。警備隊が『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』のアジトを包囲した時、首領の一人アミガンが包囲を突破して逃亡しました。包囲していた隊員によりますと、【錬氣】を行使した事を認めた時には既に包囲を突破されていたとの事です。ただ、視認できぬほどではない、とも報告を受けています」


 ゲルトの報告を聞いて、


「なるほど・・・話からはどうやらリキや聖王(滅亡した南部の大国聖王国の元国王、『加速』の【錬氣】能力者だった)程の[能力]ではなさそうだな・・・」


 カーラがふと漏らした。


「同じ【錬氣】能力でも[能力]の程度に差があるようですね。なぜでしょう?」


 カーラのつぶやきを聞いてセイアが疑問を口にする。

 するとアンヌが答える。


「そこは分かっていないようですよ?ただ、元々の個人の能力が影響しているのでは?という説があります。シャクリーン将軍に言わせると、リキの【錬氣】能力は軍学校生時代に比べるとかなり進化しているそうですから」


「ああ、確かにシャクリーンがそんな様な事を言っていたな。まあわからんことが多いのは確かだ。なにせ我々は【錬氣】能力とは何なのかという根本が解明できていない。どの様な要素で覚醒するのか、また()()()()()()()契機もわかっていない」

 カーラの言葉に皆が頷く。

 気を取り直してゲルトが続ける。


「それでですね、『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』ですが、どうも本拠地というか出身というかが南部のザンダー(南部の南海州の州都)らしいのです」


「ザンダーか」


 その地名にリキが反応した。


「ザンダーって元聖王国の聖都シャングリラだろ?去年のリィナの時の『エルバ教』、先日のライデンの時の『PCP』、そして今回の『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』、かつての敵対国での不穏な動きが多くないか?」


「確かに『エルバ教』は旧ドガ王国地域、『PCP』は旧カルード、『両頭の蛇(アンフェスバエナ)』は旧聖王国の聖都シャングリラだ。いずれも我々が滅ぼした国ではありますが共通点はそれくらいでは?」


 リキの言葉にゲルトが答える。

 するとカーラが、


「待てゲルト、私も妙な違和感を感じる。一見すると新興宗教に政治結社、犯罪組織とバラバラに見えるのだが、何となく似ている気がするのだ。上手く説明がつかないのだが、例えば有名な画家が肖像画を描いても風景画を描いても風俗画を描いても根底にあるタッチの様なものが似通っている、という様な・・・そんな感じを受けるのだ」


 と口にした。


「しかし、その三者を裏で糸を引くなどという事が出来るほどの強大な組織が存在するでしょうか?」


 セイアがさらに疑問を口にする。

 それに答えたのはアンヌだった。


「ありますよ。あくまで能力的に可能だという意味ですが」


「それは何ですか?」


「八大国同盟です」


 八大国同盟とはクレストル王国のある大小デミルズ島の西の大陸にある八つの国が結んだ同盟組織の事で、クレストル王国は同盟そのものとの直接の関係はないが、その構成国であるいくつかの国とは国交を結んでいる。


「八大国同盟!?まさか、大陸はデミルズ地方に関しては政治的・軍事的に不干渉のはずだろう?」


 大陸各国はクレストル王国がデミルズ地方を統一する以前からこの地方に対しては経済的なつながりだけで、政治的・軍事的には不干渉という事で八大国同盟内で合意しているはずだった。


「私もこれらの黒幕が大陸だと言っているのではありません。それが可能な組織があるか?との問いにあると答えたにすぎないのです」


「事の真偽は別にして、大陸が最近不穏なのは事実だ。西の帝国と南の楼丸国の二大大国がお互いに牽制しあって同盟自体が二つに割れかかっている。大陸で大乱が起こるかもしれないという事は頭に入れておいた方が良いだろう。特に西の帝国は近年軍備を増強していると聞く、我々も大陸の動向に無関心ではいられなくなってきているという事だろう」


 リンネ達の活躍と人身売買組織の話から大きく飛躍した話題になってしまったが、会議はつつがなく終了した。



「リキ」


 会議の後リキはカーラに呼び止められた。


「ん、何だ?まだ何かあるのか?」


 リキが振り向くと、


「いや、仕事の話ではない。最近姫様の具合はどうだ?」


 カーラが尋ねたのはリキの妻ミアナの近況だ。

 ドガ王国、グレナ国、聖王国を平らげて史上初めてデミルズ地方を統一し、『至高王』と言われたミアナ・ポンフォス・クレストルは統一と共に王位を退位し、リキと結婚してサーガ姓を名乗った。その後リィナが生まれ、その二年後にライデンとリンネの双子を生んだ。しかし、双子の出産はミアナの体に大きな負担をかけ、産後の肥立ちも悪く、それ以来病に臥せりがちになっていた。


「ここの所は随分良い様だ。イスティなんかと庭の花壇の手入れなんかもやっているようだし、イリアやベリサ(どちらもかつてミアナの下で戦った戦友兼側近)もよく訪ねてきてくれておしゃべりに花を咲かせているようだぞ。最近では産休に入ったシャクリーンもよく来ているよ」


「そうか、それは何よりだ」


「カーラもたまには顔を出してくれよ、ミアナが喜ぶ」


 ミアナにとってカーラとシャクリーンは幼馴染で親友であり、最側近でもある。三人は特別な絆で結ばれており、夫リキでさえ立ち入れない絆がそこには存在している。


「ああ、何とか時間を作って伺おう」


「ん、待ってるぞ」


 そう言って二人は別れた。




 軍学校ではこれから夏に向かう季節を迎え、行事が目白押しだった。

 まずは第一軍学校合同軍事演習だ。これは一年から三年までの全ての軍学生が参加して二手に分かれての軍事演習、つまりは模擬戦を行うのだ。さらにこの演習には軍事訓練所の実習生も一般兵として参加し、総勢千二百人以上で行われる。

 その後夏には軍学校総合武術大会、秋には対抗戦と他校を交えての行事が控えている。


 まずは合同軍事演習だ。今年は三年のリィナと二年のヨハンがそれぞれの大将を務める事になった。

 リィナ軍にはドリス、エレーラ、リンネ、レイア、デルニオ、バーノウ、ノヴァルドなどが配属され、

ヨハン軍にはライデン、フェリシア、ルシャ、ベナレス、ダニエル、などが配属された。


 戦場は王都の北にある川を挟んで二つの山がある地で、大抵は山上に本陣を置き、川を挟んだ平地で軍勢が激突するという形になるような地形だ。

 今年も定石通り川を挟んで東側の山にリィナ軍が、西側の山にヨハン軍が陣取った。

 リィナ軍が全軍山上の陣に入ったのに対してヨハン軍はライデンを将とした68期の軍とアウベスという66期生が率いる66期生の軍にそれぞれ兵百を付けて川向こうに布陣させた。

 リィナ軍は66期生のエレーラを中心にした参謀陣で、ヨハン軍は67期生のアイーダを中心とした参謀陣で、勿論フェリシアもその一員として加わっている。


「アイーダは川沿いに兵を置きましたか・・・去年の演習の事が頭に残っているようですね」


 リィナ軍参謀のエレーラは戦場の地図に駒を置きつつ沈思する。

 昨年の合同軍事演習では戦場は違うものの小山に陣取った敵軍を三方から囲み、兵糧・水切れを待って挟撃して敵を撃破したエレーラの策をアイーダは間近で見ていた。そこからヒントを得た策だとエレーラは見ていた。


「しかし、去年と今年では戦場が違う、この山では水の手はある。去年の様にはいかないんですよアイーダ」


 演習が開始されるとまずは双方情報収集を始める。ここで意外というかやはりと言うかレイアが斥候としての才能を見せた。元々軽業師だったことによる身の軽さに加え、レイアは気配を隠すという事に抜群の才能を見せたのだ。それはヨハン軍の陣地にある程度近づいてもヨハンにもライデンにも察知させなかったほどだ。


 ヨハン軍の狙いはエレーラが読んだ通り、持久戦に持ち込んで兵糧不足から士気の低下を待つというものだ。アイーダもリィナ軍に水の手がある事は事前に把握していた。しかし、兵糧は両軍とも既定の量しか持参出来ない事になっており、いずれ兵糧の方が不足するだろうと思っていた。ところがこの時期山では野生のベリーやグミの類が実っておりそれを採集して食事に加えている事が斥候の報告によって知らされた。それでも持久戦を続ければいつかは向こうの兵糧は尽きるかもしれない。こちらは川を押さえているので食糧にも水にも事欠かない。しかし問題はこの演習に期限が切られている事だ、期間は最大で一か月、それで決着がつかなければ引き分けになる。

 ヨハン軍が計算し直すとリィナ軍の兵糧が尽きるかどうかは微妙な感じだ。

 ヨハン軍は決断を迫られた。このまま引き分け覚悟で持久戦を続けるか、方針を転換して作戦を練り直すかだ。

 ライデン、アウベス両軍に待機を命じて善後策を練っていると本陣に伝令が飛び込んできた。


「リィナ軍、北側のアウベス隊に攻撃を仕掛けました!ライデン隊が救出に向かうも山上から矢による攻撃を受け身動きできず!至急救援を送られたしとのライデンからの伝令です!」


 まさかの襲撃にアイーダは狼狽して、


「くっ!!矢ぐらいかわして行けぬのか!?何の為に二本の脚がついている!?」


 と怒鳴った。


「ライデンのいた場所からアウベス隊を救援するには川岸の狭くなった所を通らねばなりません!恐らくそこを狙われたのでしょう。ライデンを責めても仕方がありません」


 フェリシアがアイーダを(なだ)める。


「私の布陣が悪かったというのか!?」


「落ち着け!アイーダ。挟まれていてはリィナ様の軍に取っては都合が悪い、エレーラが何らかの手を打ってくるのは当然だ。エレーラもここで勝負を着けようというほど単純ではあるまい、こちらが兵を出せば退く。早く援軍を出せ!」


 ヨハンがアイーダに冷静になって対処する様に指示する。


「承知しました・・・ガメル隊、ロボウド隊、アウベス隊の西に回って敵を挟撃せよ!」


 アイーダの指示によってガメル隊、ロボウド隊が救援に向かった。

 その直後に再び伝令が本陣に飛び込んでくる。


「リィナ軍、ライデン隊に対して攻撃を仕掛けてきました!こちらも援軍を求めております!」


「何だと!?ここで一気に会戦に持ち込むつもりか?やむを得ん、すぐに二隊を応援に・・・」


「お待ちください!!」


 アイーダの指示を遮ってフェリシアが声を上げた。


「直ちに全軍を撤退させるべきです!ガメル隊、ロボウド隊が危ない!」


「どういう事だ?」


 フェリシアの発言にヨハンが尋ねる。


「ライデン隊が襲われたという事は今までライデン隊を足止めしていた敵の弓隊が動けます。恐らくガメル隊、ロボウド隊の渡河中を弓隊が狙うはずです。戦場は川向う、本陣から遠すぎます!一旦兵を引き上げて、改めて布陣し直すべきです!」


「いや、弓兵は歩兵の援護あってこその隊、今の状況でリィナ軍がそこまでの戦力を投入するはずがない!」


「確かにその通りですが、万が一という事があります!」


 アイーダとフェリシアが議論を戦わせている内に更なる伝令が次々にやって来る。


「ガメル隊、ロボウド隊、渡河中を弓隊により襲われ、渡河できず!」


「エレーラは歩兵部隊も投入したのか!?」


「いいえ、敵弓隊は騎射隊であった模様!」


 騎射隊とは騎馬の弓隊の事で、かつてミアナ元女王がまだ将軍だった時に初めて採用し、以後クレストル軍の主力部隊となっている部隊の事だ。

 騎射隊ならば歩兵の援護がなくとも独立して運用ができる。


「なぜ!?馬はどこに隠してあったの!?」


 事態はフェリシアの懸念通りの展開になってきた。

 しかし、ここで流れが変わる。変えたのはライデンだ。


「ライデン隊、陣を放棄して移動し、敵騎射隊の背後から襲い掛かりました!アウベス隊を収容して渡河し、撤退するとの報告です!」


 ライデンは作戦に固執せず、被害を最小限に抑えるために現状を破棄して味方の救援に出た。

 そしてライデンのその動きを見たエレーラは退却の銅鑼を鳴らして騎射隊をはじめとした全軍を退かせた。


 ライデン隊とアウベス隊が合流し、川を渡って布陣し確認してみると、両隊合わせて二十八人を失っていた。



 ヨハン軍では戦略の練り直しが話し合われた。


「幸いにもライデンが機転を利かせてくれたおかげで損失も最小限に抑えられた。まだまだ戦いは始まったばかりで勝負はこれからだ。皆の忌憚のない意見を聞きたい」


 軍議の場で大将であるヨハンが主要な将・参謀に対して意見を求める。

 するとまず主参謀の立場であったアイーダが頭を下げる。


「今日の失敗は全て私の見通しの甘さによるものです。今後の作戦に関しては私は補佐に回りたいと思います。皆さん、どうかよろしくお願いします」


 他の参謀達が取りなすもアイーダの決意は固く、翻意する事はなかった。


「では誰か他に意見のある者はいないか?」


 ヨハンの呼びかけに応える者はいない。66期生のエレーラと言えば昨年のエルバ教蜂起事件の折の活躍で、十数年ぶりに軍学生ながら参謀部入りを認められた才女なのだ。同期である66期生はもとより、アイーダ以外の67期生の参謀達も委縮してしまって意見を言う事が出来ない。

 そこでヨハンは、


「フェリシア、何か策はないか?」


 とフェリシア個人を指名してきた。

 フェリシアならば物怖じすることなく意見が言えるだろうと思ったのである。

 何しろフェリシアはかのシャクリーン・ペスカニ将軍とヴィクトル元将軍の間の娘なのだ。サーガ三姉弟妹やヨハンのおかげで目立たないが、本来ならばとびきりの有名人だ。この場にいる者達も当然フェリシアにも一目置いている。


 フェリシアは戦場が描かれた地図に目を落としてから顔を上げてヨハンに向き直って言った。


「一つ提案したい策があります」


「聞こう」


 ヨハンが答える。


「それでは申し上げます。夜襲、というよりも払暁奇襲を提案します。今夜のうちに移動し、明日の夜明け前に敵陣に対して奇襲をかけます。敵は今日一旦我々をやり込めていますから兵達も興奮しているでしょう。なかなか寝付けぬ者も多いと思います。そこで払暁奇襲です」


「払暁奇襲?ならばむしろ夜襲をして同士討ちを誘った方が効果的では?」


 66期生の参謀から疑問の声が上がった。

 しかしフェリシアは首を横に振った。


「いいえ、この奇襲は敵を討ち取る為のものではありません、敵を山上の陣から追い立てる為のものです。地図を見てください。今夜のうちに軍を三隊に分け、二隊を今日と同じ所に、一隊を奇襲部隊とします。奇襲部隊は南に回り込んで敵陣に奇襲をかけて敵を山の北側に追い落とし、そこで三隊で包囲し三方から挟撃するのです。戦うのではなく、陣を追い立てるだけなので夜襲ではなく、払暁奇襲の方が適していると思われます」


「なるほど・・・面白いがエレーラに通用すると思うか?」


 ヨハンが目に力をこめてフェリシアを見る。


「チャンスは今夜だけかと。敵は我々の出鼻をくじき、こちらが混乱していると思っているでしょう。こちらが今夜これほど大規模な軍事行動をとるとは思っていないと思います」


 フェリシアもしっかりとヨハンの目を見て答える。


「他に何か意見のあるものはないか?」


 ヨハンがあたりを見回すも答えはない。


「良し!ならばフェリシアの策で行こう。陣立てはどうする?」


「本隊に二百、奇襲部隊に三百、横を突く部隊に百でよいかと思います。ただし、横を突く部隊には今日と同じライデンを当てる事を進言します。この部隊は敵大将もしくは大将旗を狙ってもらいます。敵将リィナ様にはドリスが付いているでしょう。相手が出来るのはヨハンさんかライデンだけでしょう。ヨハンさんを出す訳にはいかないのでライデンに任せるしかありません」


「どうだライデン、いけそうか?」


 ヨハンがライデンを見ると、ライデンは頭をかきながら渋い顔をした。ライデンにしてみてもドリスは()()格上の相手だ難しいと言わざるを得ない。

 しかしフェリシアは続けて、


「そこで少々策を弄します。ライデンに―――」


 と、リィナを撃つための秘策をライデンに授けた。



 真夜中―――

 ヨハン軍は全軍山上の陣を払い移動を開始した。


「うん?何だ?面白そうなのがいるな」


 移動を続けている最中、ライデンは一人の兵士(軍事訓練所の実習生)に注目した。

 その男は一般兵の標準装備である槍を手にしていたが、その雰囲気はとても一般兵のものとは思えなかった。


「ちょっといいかな?」


 ライデンはその男に声をかけた。


「私ですか?ってライデン様!」


 さすがにライデンの顔は知っている様だ。


「いきなり済まない、君の発している覇気がただ者ではないと感じたので思わず声をかけてしまった」


「いえいえとんでもないことです。私はただの訓練所の実習生に過ぎません」


「武術の心得は?」


「槍を少しかじっています」


「師は?」


「父です」


「君の名は?」


「ネストと申します」


「出身は?」


「南海州のザンダーです」


「元聖王国の聖都か・・・、もしかして君は・・・」


「はい、父は元聖王国の将マルガニ・ボイドと言います。父は聖王国滅亡と共に軍を退役しましたが、私への教育には力を入れてくれました。槍もその一環です」


「そうだったのか。知っていると思うが俺はライデン・パーヒュル・サーガ、サーガ家の長男だ。ネスト、これも何かの縁だ今後ともよろしく頼む」


「ライデン様からそのようなお言葉をいただけるとは光栄です。是非ともよろしくお願いします」


「ああ、それで俺の事はライデンでいいぞ?年も大して違わないみたいだし」


「いいえ!ライデン様はクレストル王国の王子、そのようなわけにはまいりません!私はライデン様の知己を得られただけで充分です。その儀は平にご容赦ください」


「遠慮する事はないのだがな・・・、まあネストがその方が良いと言うならそれでいいさ。じゃあお互いに奮闘しよう。それではまたいずれ」


「はい、またお声をかけていただけることを期待しております」


ライデンとネストの二人は互いに良い出会いだったと感じてその場は別れた。


「ライデン、今のは?」


 ライデンとネストが別れたのを見てヨハンが声をかけてきた。


「見ましたか?訓練所の実習生のネストというそうです」


「ああ、ちょっと使えるな?槍か?」


「はい、当人はそう言っていました。元聖王国の将である父に習ったと」


「なぜ軍学校ではなく訓練所なんだ?」


「そこまでは聞きませんでした。ただ父の名はマルガニ・ボイドというそうです。ファミリーネームがある事からすると貴族だったのでしょう。


「マルガニ・ボイド・・・さすがに知らないな」


「父やボルデンハイム卿ならば何か知っているかもしれませんね、機会があったら聞いてみます」


「そうか・・・、しかし一般兵にしておくには惜しいな。近衛隊に入れておくようにアイーダに言っておこう」


「あっ!ずるい!俺のとこに欲しかったのに」


「ははは、お前のとこには()()()をやったじゃないか。ネストはこっちで引き取るよ」


「ちぇ、まあそっちにはリンネとデルニオが行くかもしれませんからね、確かにヨハンさん一人だときついか・・・」


「そういう事だ、シアは奇襲部隊に行ってしまうしな」


 フェリシアは作戦立案の責任者として払暁奇襲の部隊を指揮する事になっていた。分かれる三隊はそれぞれヨハン率いる本隊が二百、フェリシア率いる奇襲部隊が三百、ライデン率いる別動隊が百となっていた。



 その夜は都合が良い事に深夜を過ぎてから雨が降り出していた。雨粒と雨音がヨハン軍の移動を隠し、夜明け前にはさらに辺り一面に霧が出てリィナ軍の探知にもかからなかった様だ。


「シア、上手くやってくれよ・・・」


 川を背にして東の山に対峙している本陣の中でヨハンがじっとフェリシアの行動開始を待つ。

 すると遂に戦場に進軍の太鼓が響き渡った。


「始まった!全隊攻撃態勢に入れ!敵が下山してきたらそこを一気に叩くぞ!」


 ヨハンの掛け声にアイーダが悲鳴で答える。


「違う!!!喚声は背後から!?どういう事!?」


 霧の中、目を凝らして見てみれば、うっすらと川向こうに大軍が見える。


「なぜ後ろに大軍が!!!」


「我々の策は読まれていました!!!敵は既に我々の背後に!!全軍反転!敵は後ろだ!ヨハン!近衛隊を連れて下がってください!ここでは乱戦に巻き込まれる!」


 アイーダがヨハンに向かって叫ぶも、


「もう遅いわよ!」


「そういう事!」


 リンネとデルニオが飛び込んできた!


「ちぃっ!リンネとデルニオか!二対一では厄介だ!ネスト!デルニオ、拳士の方を頼む!」


「承知しました!!」


 ヨハンに襲い掛かろうとしたデルニオにネストが槍を繰り出してそれを阻止する。


「リンネ、お前には俺が相手をしよう」


 リンネに向き合いながらヨハンが腰の剣を抜く。勿論刃引きした模造剣だ。


「うふ♪ヨハンさんとするのはいつ以来かしら」


「さあな?まだ子供の頃だったのは間違いないが!」


 混乱するヨハン軍の本陣の中、デルニオ対ネスト、リンネ対ヨハンの戦いが始まった。




 一方でリィナ軍の本陣に払暁奇襲をかけたフェリシア隊はもぬけの殻の本陣に唖然としていた。


「何て事!?私の策が読まれていた!!」


 そう、エレーラはヨハン軍の動きを読んでいた。実は昨夜―――



 エレーラは東の山上の陣から西のヨハン軍の本陣を観察していてある事に気付いた。


「かがり火の数が多すぎる・・・」


「どういう事だ?」


 エレーラがふと漏らしたつぶやきにドリスが反応した。


「夜とはいってもかがり火の数が多すぎる。警備の為だけならばあれほど明るくする必要はない。何かをしているからこそあれだけの明かりが必要なのよ」


「何かって?」


 一緒にいたリィナがエレーラに尋ねる。


「こんな時間にすることなど出陣の準備しかありません。恐らくヨハン軍は夜襲・・・いえ、待ってください・・・・・・ふむ・・・・・・。うん!恐らくは払暁奇襲をかけるつもりでしょう」


「払暁奇襲だと?」


「ええ、夜襲ならば奇襲部隊は少数の方が良い、同士討ちがあるから。でもヨハン軍のあのかがり火を見ると、そんな小規模な奇襲の準備とは思えない。大規模な奇襲なら払暁奇襲でしょう、それもこれは追い込み漁のようね」


「追い込み漁?」


 再びリィナが質問を投げかける。


「はい。川や湖などの漁や山狩りなどにおいて行われるもので、一方から音を立てて得物を追い立てて、逃げる方向に網を張って待ち受けるのです。これはそれと同じ方法で我が軍を麓の平地に追い立てて、そこで待ち伏せして挟撃しようという策でしょう」


「なるほど、手痛い失敗をした当日にそのような策を練りだすとはアイーダも中々やるじゃないか。やはり67期生の中心はアイーダという事になるのか・・・」


 ドリスがアイーダを褒めるとエレーラは、


「どうかしら?アイーダの策にしては大胆過ぎる。彼女は慎重居士でこのような策を取るとは思えないんだけど・・・」


 と疑問を口にした。


「シアじゃない?」


 リィナが言う。


「フェリシアですか。私はあまり面識がないのですが、どのような人物ですか?」


 エレーラの問いにリィナが答える。


「すごく頭のいい子よ。それにとても純粋。シャクリーンさんの娘さんだけあって薙刀の腕も大したものよ、私じゃ敵わないわね」


「智勇兼備の将という事ですか・・・。姫様の配下に欲しいですね」


 エレーラはそう言ったが、すぐにリィナに否定される。


「それは無理ね。シアはライデンとリンネの幼馴染だし、特にシアはライデンにねぇ」


「ですね」


 シアを知るドリスもリィナに同意する。


「そうですか残念です」


「それよりもエレーラ、どうするんだ?向こうの狙いはわかったのだから何らかの手を打った方が良いだろう?」


 ドリスの問いにエレーラはしばし考えて、


「こちらも夜陰に乗じて山を下りましょう。ここに足止めの為の兵百を置いて残りの五百で山を下り、ヨハン軍の背後を突くのです。ふふふ、どちらに転ぶにせよ今年の軍事演習は明日で終わる事になるでしょう、勿論私達の勝利で。誰か!リンネ様を呼んでください!それと敵本陣に張り付いている斥候のレイアにつなぎを付けて!ヨハン軍の動きを逐一報告するようにと!」


 と兵に声をかけた。


 リンネがやって来るとエレーラは、


「リンネ様、明日の早朝戦いに決着を付けます。リンネ様には敵将ヨハンを討ち取っていただきたい。ただし、ヨハンは一筋縄ではいきません。もしかするとライデン様が護衛に着くかもしれません。相棒を付けようと思いますが誰か希望はありますか?」


 と尋ねた。

 するとリンネは、


「同じ68期のデルニオを」


 と言った。


「デルニオ?ああ実力テストでライデン様に負けたあの男ですか。わかりました、ではデルニオと一緒に敵本陣へ突入して大将首を挙げてください」


「わかったわ!!」


 すると姉のリィナがリンネを(たしな)める。


「リンネ、エレーラは私が指揮をゆだねた司令官よ。軍の秩序を守りなさい」


 リィナの小言にリンネは、


「はぁい・・・承知しました。でもねエレーラさん、あんまりデルニオを甘く見ない方がいいですよ?あくまであの時の条件ではライデンが勝ったってだけ。真剣勝負ならわからないかもしれませんよ?まあそれはライデンについてもいえる事ですけど」


 と返した。

 そう言われたエレーラはドリスの顔を見た。

 ドリスは頷いて、


「少なくともデルニオの実力がこの軍学校でもトップクラスなのは間違いないです。あの時はライデン様が勝ちましたが、もう一度()()()()でやったら逆の結果になる事も十分あり得ます」


 と答えた。


「68期はどうなってるの?ライデン様にリンネ様、フェリシアにデルニオなんて人までいるなんて・・・」


 エレーラは信じられないという顔でつぶやいた。


「レイアやルシャもやりようによってはかなり強いわよ?」


 リンネが自信満々にそう言うとエレーラは、


「今年の対抗戦が楽しみだわ。というより私達参謀陣の出番がなくなりそうね」


 とこぼした。


「ふっ、違いない。今挙げた者達をヨハンに率いさせて突撃させれば大抵の相手は粉砕できるだろうな」


 ドリスもエレーラに同調した。


「さあ!そろそろこちらも準備をしましょう!エレーラ、指示を出して、リンネはデルニオに話をしておいて。敵の裏をかくのだからこちらは賢く立ち回る必要があります、準備に遺漏のないように!敵に先んじて動くわよ!みんな!行動開始!」


 リィナの掛け声で全員がそれぞれ行動を開始した―――



 という事があったのだ。

 呆然とするフェリシア隊の前に足止めとして残された部隊が襲い掛かる。


()められた!本陣が危ない!強引にでもここを突破する!全隊、私に続けぇーっ!!!」


 フェリシアは薙刀を振るいつつ、先頭に立って敵部隊を切り裂くように突撃を開始した。



 麓のライデン隊にも異変が知らされていた。


「こちらの策を利用されたか!流石にエレーラ、一筋縄ではいかないか!」


 思わず声を荒げたライデンに周りが尋ねる。


「どうするライデン?フェリシアの策は破綻したが、このまま予定通り敵の横を突くのか?」


 ライデンが答える。


「いや、まだシアの策が破れた訳じゃない。必ずシアがヨハンさんの救出に現れる、その時こそ俺達の出番だ。俺達は当初の予定通り敵大将の頸を狙う為の隙を伺う!全員即応体制で待機せよ!」



「ライデン様は動きませんか・・・」


 戦況の報告を受けたエレーラが首をかしげる。


「このままでは本陣が落ちるのは時間の問題、無理を承知で横入りを図るかと思いましたが・・・フェリシアが間に合うと考えているのでしょうか?だとすると少々楽観的過ぎますね」


「そうなのか?」


 ドリスが尋ねる。


「ええ、確かに間に合う可能性がない訳じゃない。一応足止めの兵は置いてきたけれどフェリシア隊は人数が多いから力押しで突破する事は可能でしょう」


「だったら何がいけないんだ?」


「リスクマネジメントですよ。フェリシアは間に合うかもしれないし、間に合わないかもしれない。間に合わなかったときには本陣は陥ち、敗戦が決まってしまいます。賭けに出るにはリスクが大きすぎる、ここは何を置いても大将を守るべきところです」


「ライデンは信じているのよ」


 エレーラとドリスの会話にリィナが入ってきた。


「何をですか?」


 エレーラが尋ねる。


「シアを。シアの立てた作戦を。ライデンはシアを信じているからシアに託された役目を果たそうとしているんだわ。ふふっ、我が弟ながら可愛いものじゃない?あのごつい見た目からは想像できない純粋さだわ」


「そうでしたか、しかし―――」


「ええ、軍人としての判断はエレーラの方が正解。ライデンには後で少々お小言を言わなければならないわね、サーガ家の人間としては思慮が足らなすぎる」


 リィナは厳しい表情でそう言った。




「ちぃっ!これほどの腕の人間がまだいたとはな!」


 ネストと向かい合ったデルニオは驚きと共にそう吐き捨てた。


「ネストといいます、訓練所の実習生ですよ!」


 槍を巧みに操りデルニオを踏み込ませないネストが名乗った。


「実習生か!?俺はデルニオ、軍学校の68期生だ!」


「デルニオさんですか、驚きました。ライデン様やリンネ様以外にも68期生にこれほどの人がいるとは!」


「ははっ!お互いに自分の知る世界が狭かったようだな!」


 ネストの槍をかいくぐろうと試みながらデルニオは楽しそうにそう言った。


「デルニオさん、やはりライデン様やリンネ様はお強いのですか!?」


 そうはさせじと槍を大きく払ってこれを防ぎ、再び大きく間を取ってネストが尋ねた。


「俺の事はデルニオでいい、俺はライデン達と違って庶民だ。それでさっきの質問だが、強い!俺はライデンに負けたよ!リンネはそのライデンよりもさらに強いそうだ!(()()と言っていたがな)」


 槍は射程が長い、それ故間合いを取っていれば拳士のデルニオには成す術がない。逆に間合いを詰めて懐に入れば槍の長い柄は却って邪魔になり、ネストは苦戦を強いられる。両者の戦いはつまり間合いの主導権争いだ。

 デルニオにしてみればライデンの時のようにかみ合う相手ではない。力を出し切って戦う相手ではなく、むしろ相手の長所を潰して力を出させない、というような戦いだ。


(ネストにとって無手の戦士と戦うのは珍しいだろうが、俺にとって間合いの遠い相手との戦いはなれているんだぜ!)


 デルニオはネストの槍の穂先をかわして踏み込み、蹴りを放った。しかし、間合いは中途半端、蹴りが届くとは思えない距離だ。


(デルニオ、焦ったか!?この間合いでは蹴りは届かない!)


 ネストが心持ち重心を後ろに移すと、


≪ガンッ!!!≫


 鈍い音と共にネストの右手に衝撃が走った。さらにデルニオはその場で回転し、回し蹴りで槍の柄をへし折った。


「無手の拳士が間合いの遠い相手に対する対処法を考えていないと思うか?」


 デルニオが蹴ったのは槍を持つ手だった。思わず右手を離し、取り落とし左手だけで持った槍の柄を蹴られたのだ。


「終わりだ!」


 デルニオは一気に踏み込みネストの顔前で拳を寸止めにする。


「ふっ、はははははははは!!!」


「往生際が悪くてすみません」


 見るとネストは折れた槍の端を踏んで、てこの原理で穂先を持ち上げてデルニオの腹に突き付けていた。このまま突っ込んでいれば槍はデルニオの腹に突き刺さっていただろう。


「やられた!詰めを誤ったか!ネスト!お前凄いな!それだけの腕がありながら何で軍学校に来なかったんだ?」


 デルニオが拳を引いてネストに話しかける。


「恥ずかしながら試験を受けられませんでした。訳あって親とは義絶しておりまして、金銭に余裕がなく・・・」


「そっか・・・色々あるんだな。それと俺に敬語はいらないぞ、さっきも言ったが俺は庶民だからな、友達付き合いをしてくれると嬉しい」


「そうですか・・・いえ、わかった。よろしくデルニオ」


 二人はがっしりと握手をした。


「それにしてもライデン様やリンネ様はこれ以上に強いのか?」


 口調も改まったネストがデルニオに尋ねる。


「ああ、見ろ。あれがリンネだ、相手は俺達の一学年上で宰相ゲルト・ボーデンハウス侯爵の息子さんのヨハン・ボーデンハウスさんだ。彼も強いぞ。一度ライデンとの立ち合いを見たが、ヨハンさんの勝ちだったよ」


「それほどなのか・・・」


「ああ、だがライデンが言うにはリンネはそれ以上だそうだよ」


「何と・・・」



 リンネとヨハンの戦いは意外にも静かなものだった。

 リンネがヨハンの周りをまわって隙を見て踏み込み、一撃を加えては離れる。リンネの得意な戦法だが、ヨハンは落ち着いて対処し、危うい所がない。


「隙が無いなぁヨハンさんは」


「剣の質の違いだろうな、リンネの剣は攻性の剣、俺のは守性の剣、かみ合うだけに中々決着がつきにくい」


「ふふっ、ならもう少しスピードを上げようかしら?」


 リンネの踏み込み・離脱の速さが一段上がる。

 途端にヨハンの方には余裕がなくなった。


「ちっ!速いってのは厄介だな。さすがは『幻影(ファントム)』の血を引くだけの事はある!」


「父様?父様はこんなものではありませんよ?まして【錬氣】を使ったらどれ位速くなるのかしら?想像もつかないわ!」


「リキ様か・・・とんでもないな!さらにその上にはシャクリーン将軍がいるんだからな!」


「ですね!でもまずはヨハンさんとドリスに勝たなければ話にならない!!!」


 リンネが猛攻を仕掛ける。


「ドリス、か!、あれ、も、化け物だぞ!何度か、やったが勝てる、気が、しない!」


 ヨハンがみるみる追い込まれてゆく。

 いったん距離を取ったリンネが、


「ヨハンさん、さらに上げますよ?」


 リンネがヨハンの顔色をうかがう。


「いつでも・・・来い!」


 肩で息をしながらヨハンが答える。

 リンネが両足に力をためるとヨハンは右手を柄から離して剣を左脇に引き、離した右手を剣の中ほどの腹にあてた。身をかがめ、切っ先をリンネの方へ向ける。


 ゴクリとリンネが息をのみ込む。ヨハンの狙いは構えからわかる。素早いリンネの動きに最も速い攻撃である突きを合わせようというものだ。突っ込んでくる相手には非常に効果的で定石でもある。


(ヨハンさん!私のスピードについてこれますか!?)


 リンネは期待を込めて一気に踏み込む。


「しっ!!」


 ヨハンが最速の突きを繰り出す。


「ぐっ!」


 目の前に迫ったヨハンの剣を前にリンネが必死に体をよじって間一髪攻撃をかわす。


(行ける!!)


「ガフッ!!」


 勝利を確信したリンネの体に衝撃が走る。


「あ・・・・・・」


 リンネの体はヨハンの剣の斬撃に打たれていた。


「左片手横平突き。突きをかわした相手をそのまま薙ぐというものだ。俺の母ティア・ボーデンハウスがリキ様の速さに対抗するために考え出した戦法だ。突きがかわされるならそのまま薙いでしまえば良いとな」


「ティアさんが・・・ふふふ、私達ではまだまだ歴戦の勇者たちには及ばないということですね」


「そういう事だ、才能や技術だけでなく、経験も大きな力になるという事だな」


「あーあ・・・デルニオも相討ちになっちゃったし、こちらの奇襲は失敗ね。このまま乱戦になるのかしら?」


 リンネがつまらなそうにそうつぶやくとヨハンは、


「それはどうかな?シアの策は()()敗れた訳ではないぞ?」


 と言ってニヤリと笑った。


「!!ライデンに何かさせるのね!」


 リンネが叫んだのとほぼ同時に東の山の北側斜面をフェリシア率いる奇襲隊がやっと到着した。


「さあ!援軍が到着したぞ!!!予定通り敵を挟撃するぞ!各自奮闘せよ!!」


 ヨハンが全軍に号令をかける。しかしフェリシア隊はヨハン隊の背後から現れており、挟撃する形にはなっていない。


 リィナの元では―――


「フェリシア隊はヨハン隊の背後に出ました。これでは隊が合流するだけで挟撃の形にはなりません。向こうの体勢が整わぬうちに一気に叩きましょう!リンネ様とデルニオの方は情報はありますか?確認してください!」


 フェリシア隊の出現にも動揺せずエレーラが冷静に部隊に指示を出していた。


「前衛を前に進めろ!ヨハン隊とフェリシア隊の継ぎ目を狙って分断し連携を取らせるな!一隊を東から回り込ませろ!フェリシア隊の横っ腹を突け!それとヨハン隊にもっと圧力をかけろ!リンネ様の援護をするぞ!」


 この時点でリンネ達の突撃隊は失敗しているのだが、リィナ軍にはまだその報が届いていない。

 そしてエレーラはライデンの事を失念していた訳ではない。しかし、ライデンの隊では戦況に影響を与えられないと考えていたのだ。だがそれはエレーラのミスだった。


「背後よりライデン隊接近!!」


 警戒中の兵士からライデンがエレーラの予想外である背後に回った事が知らされた。


「ライデン様は動いていなかったのではなかったか!?」


 ドリスが思わず声を上げるとエレーラが、


「監視を見破られていたのかも・・・斥候が報告に出たのを見計らって見張りを始末して動いたのでしょう。ここら辺の用兵の勘はリキ様譲りですね、将として最も優れているのはライデン様かもしれません」


 とうなる様に言った。


「それでエレーラ、どうする?」


 リィナが微笑みながらエレーラに問う。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。


「ドリス、姫様をお守りしつつ近衛を連れて前進してください。あなたがいれば問題ないでしょうけれど、それでもライデン様は危険です。むしろ前進してリンネ様たちと合流した方が良いでしょう」


「わかった。近衛隊!前進!前進だ!!!」


 ドリスの号令で五十人の近衛隊がリィナを守りながら前進する。

 しかし、事態はエレーラが想定しているよりも早く進んでしまった。ライデン隊に追いつかれてしまったのだ。

 ライデンには偶然が味方していた。ライデンが陣を置いた近くの茂みの中に、前日リィナ軍の騎射隊が使った馬が隠されていたのだ。

 ライデン隊はその馬三十頭ほどを使って五十人程が大きく川を渡って迂回し、リィナ軍の背後に現れたのだ。そしてそのまま騎兵として戦場を駆け抜け、あっという間にリィナの背後に迫っていた。


「姉上!!!」


 ライデンは馬を飛び降り、リィナに斬りかかった。


≪ギィィィン!≫


 ライデンの模擬刀は同じくドリスの模擬刀によって受け止められた。


「ライデン様、いきなり姫様の頸を取ろうなどとは甘すぎます」


 ライデンの前に立ちはだかったドリスが傲然と言い放った。


「近衛!姫様を逃がせ!」


 エレーラの指示にドリスが声を荒げる。


「ならぬ!!!姫様はこの場に!私のお側に!!」


「ドリス!なぜ!?」


「もし万が一この演習を利用して姫様を害そうとする者がいた時、お側に私がいなければ守ることが出来ない!最優先すべきは演習ではない!姫様の御身だ!!!」


 ドリスは強く主張する。


「エレーラ、諦めなさい。この件に関してはドリスは絶対にひかないわよ」


 リィナが柔らかな笑みでエレーラを(なだ)める。


「そうでしたね。私達の最優先事項は姫様の御身の安全を図る事。近衛隊!ただいまの指示は撤回し、改めて命ずる!姫様をお守りせよ!!」


 あくまでドリスはリィナを守りつつライデンの相手をするつもりらしい。


「そんなハンデを背負って俺とやるつもりか?」


 ライデンがドリスを挑発する。


「ふっ、ハンデを背負っているのはライデン様も同じなのでは?」


 ドリスが言い返した。

 ライデンは一瞬目を細くし、


「参る!」


 と斬り込んだ。

 二人の剣は互角、力はライデンが、技術はドリスが上だった。


(やはり!今のライデン様はヨハンとやった時よりもデルニオとやった時よりも強い!実力を隠しておられたか!)


「ライデン様、片鱗が見え隠れしていますよ」


 ドリスがニヤリと笑った。


(ちっ!ついドリスに釣られた!)


「ドリス、それは内密に頼む」


「なぜですか?」


「こちらにも事情がある、父上とボルデンハイム卿の命令だ」


「サーガ卿とボルデンハイム卿の?軍の秘匿事項という事ですか?」


 二人の声のトーンが落ちる。

 

「・・・」


 ライデンは無言で首肯する。


「そうでしたか・・・では出来る範囲でお相手願います」


「わかった」


 二人は無言に戻って再び斬り結ぶ。


「くっ!!」


 好勝負が続く中、突然ライデンが転がる様にして身をかわした。


「避けられてしまいましたカ!」


 そこにいたのは頭上の木より飛び降りてライデンを襲ったレイアだった。


「気配は断っていたつもりなのですガ」


 レイアは悔しそうにライデンを見る。


「気づいていなかったさ。ただ後ろにいるエレーラの目線が一瞬俺の頭上に向けられた、それで気付いただけだ」


(この緊迫した戦いの中で周りにも気を配っていたというのか?ライデン様は恐ろしい方だ!)


 ドリスは驚嘆しながらもレイアに指示を出した。


「戦いは私がする!レイアは隙を見つけて仕留めろ!」


 ドリスは個人の戦いに固執はしない、目的を果たす事が最優先だと理解しているのだ。


「了解しましタ!」


 二対一の戦いになりライデンは苦戦を強いられた。元々()()ライデンではドリスに勝つことは難しいのだ。攻め立てられながらも何とか耐え忍ぶ、そしてそれは遂に報われることになった。


「ライデン!!」


 リィナ軍の陣を切り裂いてフェリシアが現れたのだ。


「シア!レイアを頼む!俺はドリスの相手で精一杯だ!」


「任せて!レイア!私が相手よ!」


 ライデンとフェリシアは互いに互いの背を守りつつそれぞれドリスとレイアに相対した。


「例の作戦通りに」


 ライデンが小声でシアに声をかけ、放たれたようにドリスに向かった。


「シア、リンネ達はどうしましたカ?」


 レイアの問いかけにフェリシアが答える。


「既に討ち取られたわ、そちらの突撃隊は全滅したわよ」


「馬鹿な!リンネ様とデルニオでヨハンを討ちもらしたというのですか!?」


 エレーラが信じられないと口にする。


「こちらにも隠し玉がいたのよ、ライデン!ネストはデルニオと相討ちだったわ!」


 それを聞いてライデンはニヤリと笑った。


「ネストとは?」


 ドリスがライデンに尋ねる。


「訓練所の実習生さ、かなり使えると思ったのでヨハンさんが連れてった。デルニオと引き分けるとは思わなかったがな」


「そうですか・・・しかしリンネ様がヨハンに敗れるとは」


「乙女な部分が出たかな?」


 ライデンが茶化すように言った。


「ふふ、そういう事ですか」


「ドリスにはそういうのないの?いつも姉上と一緒だよな」


「わ、私には関係ありません!姫様をお守りする事が私の全てです!!」


 珍しくドリスが狼狽えて答えた。


 二人は再び剣を正眼に構えて対峙する。

 フェリシアとレイアはレイアが軽業よろしく跳ね回り、戦場を転々としていた。


 ライデンとドリスの戦いはやはりドリスの方が優位に立っていた。

 じりじりと追い詰められ、ライデンは後退する。


「このまま続けていてもジリ貧だ、勝負をかけるしかない。行くぞ!ドリス!」


 ライデンはそう言うと横へ横へと移動した。合わせる様にドリスもライデンを正面に据えたまま横に動く。


「ぬん!」


 いきなりライデンが横の動きから一気に間を詰める縦の動きに切り替えた。


≪ザンッ!≫


 両者の体が入れ替わる。


「見事だ」


「私の勝ちですね」


 すれ違いざまにライデンの胴を撃ったドリスが勝利を宣言する。


「いや、勝ったのは()()だ」


「へっ!?」


「姉上から離れるよう誘導していたのに気付いたか?」


「何っ!はっ!誰か!それを止めろ!!!」


 ドリスの叫びを聞いても誰も何のことかわからない。


≪ガンッ!≫


「痛っ!」


 戦いを見ていたリィナが頭を押さえてしゃがみこんだ。


「リィナ軍大将討ち死に!よってヨハン軍の勝利!!」


 見ればリィナの足元に先を布でくるまれた矢が落ちている。


「やったな!」


 ライデンが少し先の樹上に向かって親指を立てる。

 その先では木の上で弓を持ったルシャが手を振っていた。


「これが狙いだったのですか?」


 ドリスがライデンに問う。


「ああ、シアが立てた策は最初からルシャによる狙撃。払暁奇襲も挟撃もその舞台を整える為の準備に過ぎなかったんだよ」


「何と・・・」


「それでも払暁奇襲の失敗は計算外だったし、リンネとデルニオに本陣が奇襲されたのも紙一重だった」


「ライデン、一つ聞きたい事があります」


 おでこをさすりつつリィナが現れてライデンに尋ねた。


「リンネとデルニオがヨハンの本陣を狙った時、あなたは救出に動きませんでした。なぜですか?ヨハンが討ち取られればそこで終わりだったのですよ?」


 ライデンが答える。


「それは承知していました。しかし自分はこれを実戦と仮定して行動しました」


「どういうことですか?」


「大将の違いです」


「???」


「我が軍の大将はヨハンさんです。もしヨハンさんにもしもの事があれば、代わりに自分が指揮を執る事になるでしょう。姉上の軍ではもし姉上にもしもの事があれば全軍が撤退するでしょう、なぜなら姉上の代わりになる者などおりませんので。従って姉上を討てる機会があるのなら、多少のリスクには目をつぶってでもその機会を目指すべきと考えました。ヨハンさんを討ちに来るのはリンネとデルニオです、ドリスが来ない事は分かっています、ドリスは姉上の側を離れる訳がありませんからね。ならばヨハンさんとネストでも十分シアが駆け付けるまでの時間稼ぎは出来ると判断しました。この策の要は自分がドリスを抑える事とルシャを狙撃できる位置に配置する事、あの時自分が動いてしまえばその二つの要素のどちらもが実行不能になってしまいます。以上の理由からあの時は待機すべきと判断しました」


 ライデンの言い分を聞いてリィナがエレーラの顔を伺う様に見た。

 エレーラはため息をついて、


「驚嘆するばかりですが、ライデン様の主張は極めて妥当だと言わざるを得ません。あくまで演習を基盤として考えていた私と違い、ライデン様は実戦を想定して行動しておられた。実際の戦場ではライデン様の判断の方が正しいと思われます」


 と己の敗北を認めた。


「そうでしたか、私が思い違いをしていました。私は軍事行動という公事よりもシアとの信頼関係という私事を優先させたのかと勘違いしていました。ライデン、ごめんなさい」


 リィナは自分の非を認め素直に頭を下げた。


「姉上、頭をお上げください。今思えばシアの策の正しさを証明したいという気持ちもあったように思います。姉上の指摘もあながち間違ってはいません。自分にも反省すべき点があると気付きました」


 慌ててライデンがリィナに対してのフォローを入れる。


「ふふふ、ライデンはやさしいね、いつも周りに気を使って。でもたまにはお姉ちゃんに甘えてくれてもいいんだよ?」


 リィナは柔らかな優しい姉の顔になって微笑みかけた。


「ありがとうございます」


 ライデンが頭を下げると、


「もう!堅い~!ライデンもリンネも最近はちっとも甘えてくれないよねぇ、ちっちゃな頃は”お姉ちゃん、お姉ちゃん”って慕ってくれたのに・・・」


 と不満げに頬を膨らませてリィナが言った。

 そこへ、


「姉様!申し訳ありません!ヨハンさんに負けちゃいました!」


 リンネがヨハンやデルニオと共に現れた。


「もぅ!リンネもたまにはお姉ちゃんって呼んでよぅ!」


 リィナがそう言ってリンネに抱き着いた。


「えっ!?ちょっと姉様!?ねえちょっとライデン!姉様どうしたの!?」


 ライデンはただ笑うだけで、その代わりにフェリシアが答えた。


「リィナ様は最近ライデンとリンネが構ってくれないから寂しいんだって」


「えっ!?そ、そうですか?そんなことないでしょう?この間も一緒に遠乗りとかしたじゃないですか」


「そうじゃなくて、リィナ様は”お姉ちゃん”がしたいんだそうよ?」


 フェリシアがニッコリ笑いながら言うとリィナは、


「昔はシアも私の事”お姉ちゃん”って呼んでたわよね?」


 と今度はフェリシアを標的にしてきた。


「えっ!?そ、それは子供の時の話ではないですか!ライデンやリンネがそう呼んでいたからで・・・」


「みんな大人になっちゃったのね、お姉ちゃん悲しい」


 この後ライデン、リンネ、フェリシアに加えヨハン、ドリスらも一緒になってリィナを(なだ)めたのだが、かなり苦労したのだった。



 こうして春の合同軍事演習は68期の新星たちが鮮烈なデビューを飾って幕を閉じた。

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