夢幻:銀の思い出・その二
「お代は要りません。鞘飾りでもしましょうか?」
「それでは「銀」と一字入れてください」
「少しお時間頂きます。その間、どうぞお散歩でも」
そういえば、すっかり相棒のことを忘れていた。
驚かれるかもしれないが一度会わせてみよう。
「わあ~っ私は星花、あなたの名前は?」
「楽。俺の大切な相棒です」
駆け寄ってきた楽に抱き付く星花様。
初見で楽を怖がらなかったのは隣里の真樹だけだったからちょっと驚きだ。まあ楽が一番驚いているんだが。
「ねぇ銀、楽も連れて行こう!」
楽を連れて里を一回り。その後、刀を取りに道具屋へ。
「お待たせしました。どうぞ」
細く黒い鞘に燦然と輝く銀の一文字。
それを手に、星花様は顔を真っ赤にして俺を見た。
「銀、これを貴方に」
それは命令などではない。刀を賜るということは、つまり主従の間柄になること。
「……承知しました! この銀、必ずや貴女様の、いや、えっと……星花様を……」
「あ~待って、そんな堅苦しいこと言わなくていいから。これは、私のわがままを聞いてくれたことへのお礼」
「星花様……」
「あはは、そんなに深く考えなくてもいいよ」
道具屋を出る頃にはすっかり日が傾いていた。
しまった……俺としたことが帰りのことをまったく考えていなかった。屋敷に着く頃には暗くなっている。とにかく急いで戻らないと!
「え、楽は置いて行くの?」
「いつ頃からか、屋敷近くに来ると怒るんですよ。それで兄が連れて行かないと」
「私も帰りたくない……」
「それでは俺が怒られてしまいます」
「……ねえ銀、夜の間も見張っててくれる?」
「暗闇が怖いのですか? ならば明かりを付ければ……」
「そうじゃなくて……お願い……」
「……それより星花様、山道を通るのはお嫌いですか?」
「……なに、もしかして私が怖がりか試してるの?」
「ち、違いますよ! 実は近道があるんです。帰りが遅くなっては話が通し難くなりますので……」
「そう……うん、分かった。楽、またね!」
まだ日は落ちていないが山道は暗い。
星花様が転ばないよう、棒きれを拾って火を点ける。
「怖くありませんか?」
「大丈夫、銀が手を握ってくれているから怖くないよ」
「……いつもそばにおります……いや、独り言ですっ!」
「あはは、うん……頼りにしてる」
──日没と同時に屋敷前。すると丁度門から出てきた兄とばったり鉢合わせ。星花様には見られたくないが、今回は叱られて当然。
「銀、なにか弁明はあるか?」と冷ややかな兄……よし、言ってやろう。
「あまりにも楽しい一日で、つい惚けておりました!」
兄が俺を打つ時は無表情で必ず弁明を聞く。だが今の俺は有頂天。半殺しにされたって構わない。
と、覚悟していたのだが、
「今日一日、銀は私のわがままに嫌な顔ひとつしなかったどころか、忠誠まで誓ってくれました。凛太郎、その罰は彼の主である私が受けましょう」
俺の前に立ちはだかった星花様に厳格な兄が拳を下げる。
なんと豪胆な御方なのだろう。
というか、俺はどうすればいいのやら……。
「それまで。引け凛太郎」
すると、緊迫した二人の間に三井様が割って入った。
「ところで銀、星花に忠誠を誓ったというのは本当か?」
「はい、嘘偽りなく!」
「……その腰にあるのは刀か?」
「星花様より戴いた俺の宝です。ひとつ、三井様にお願いしたいことがあるのですが……」
「お願い?」
「夜、星花様が休まれてる間の警護をお許し下さい」
「寝ずの番をしたいというのか?」
「はい。星花様の不安が消えるまで」
「ほぅ、よう言うた。屋敷に入れ。凛太郎、しばらく弟を借りる」
そうしてその場は収まった。
──これは俺が一人でする初任務だ。
期待に応えようと硬くなっていたが、熱い湯と美味い飯にすっかり気が緩んでしまった──。
「刀を見せろ」晩酌を楽しみながら三井様が言った。
「……竜……なんとも妙な刀だ」
「三井様はあの道具屋の二人をご存知なんですか?」
「会ったのは随分前。星花、銀に見せてやれ」
星花様の守り刀──といいながらも、そのありかは部屋の枕元。怖がる星花様に随行し、二本を手に三井様の元へ。
「ほら、この二振りが私の守り刀」
「あ、正と光の刻印……美しい刀ですね」
「ふふ、美しいのは銀の刀も同じだよ」
「星花様はあの部屋のなにがそんなに怖いのですか?」
「……分からない。闇も光も」
「今から俺が部屋に篭って探ってみましょう」
「危ないよ!」
「大丈夫。俺は暗闇に慣れておりますので」
三井様からの了解も得た。いざ星花様の部屋へ。
暗闇の中で気配を探ってみる……が、なにもない。
家具や寝具の他、衣類に黒い彫り物に小物……この部屋にあるのはこれだけ。念のため畳を全部めくってみたが床下には板が隙間なく張られてある。
当然箪笥の中も慎重に見た。なにかが夜な夜な這い出してくるわけがないと思いつつ。
壁、障子戸先の中庭、四隅、天井裏……すべて見た。
……星花様の匂い以外まったく分からん。断言できる。
この部屋にあるのは物だけだ。
「銀、大丈夫?」
「あっあー、ちょっと待っ……」
「なにこれ? まさか部屋中調べたの?」
「片付けが間に合いませんでした……」
慌てる俺を見て三井様は大笑い。
めくった畳を戻していると三井様は部屋の障子戸を開けてこう言った。
「銀、番をするのならこの中庭でせい」
「兄様、それではまるで野宿同然ではありませんか!」
「……これ以上は譲らん。解ってくれ」
「それで構いません、感謝します三井様!」
何事も起こらない。起こりようがない。
──夜更け前。
月明かりが差し込む部屋で星花様はやっと静かになった。
部屋も庭も一望できるのなら俺は野宿で十分だ。
それにしても星花様はなにを怯えているのだろう。
なにに怯えているのか御自身でも理解されていないのに、どうして部屋に化け物がいるなどと言えるのか……。
さっき見たが部屋に鼠の通り道はない。となると、原因は部屋以外にあるということか……。
部屋への経路は廊下とこの中庭だけ。ただし、どちらにも見張りがいるのでなにかあればすぐに気づくはず。
……まさか屋根? いや、さすがにそれはないか。
──夜更け。
今頃楽は寝てるだろうな。それより、何故あいつは屋敷に来ると怒るんだろう。人を襲わない楽があんなにも吠えるのには必ず理由がある。
せめて一緒だったら調べてやれるのに。
──星花様の小さな寝息がする。変わりはない。
もしなにか異変があっても部屋中俺の間合い──。
日頃から里周辺を警護して回っているが、得体の知れない化け物なんて一度も見たことがない。もし遭遇しても戦うだけだ。
正光の二人に、もっと訊くべきだったかな。近い内にまた挨拶にでも行こう。
──もうじき夜明け。
当然のことながらなにも起きてない。だがまあ何事もなく朝を迎えられて良かった。もしかすると、部屋が広すぎて落ち着かない……そんな理由だったりして。
──夜明け。
もうじき霜月ともあってかなり肌寒い。
はやくお目覚めになってくれたらありがたいんだが。
そう思ってみただけ。それくらいならきっと怒られん。
「……熱っ!」
どういうわけか、腰にあった刀が熱くなっていた。
眠る星花様に変わりはなく、なにも気配はない。
「なんだこれは……?」
──朝を迎え、ようやく星花様が目を覚ました。
長かったが、任務初日としてはまずまずかな。
「おはようございます星花様」
「……銀、ちょっとその刀を見せて」
「今朝方、何故かとても熱くなっていたのですが……」
「夢に……この刀が出てきた……」
「え、刀が?」
どうして刀が熱くなったのかは解らないがきっと偶然だ。
ずっとこの目で見張っていたんだから間違いない。