六の一
【子守】
昼、小雨が降ったり止んだり。
真樹が用事に出てもう三日。
ちび共に変わりはないが、真樹が帰ってこない事についてああだこうだと会議している。昨日からずっとだ。
戦に巻き込まれて帰れないだの、誘拐されただの、迷子になってどこかで泣いているだの……言いたい放題。
そしてその後こう訊いてくる。
「銀ちゃんはどう思う?」
まあ……どれも有り得ない。
少し距離があるものの、道なりに行けば必ず屋敷に着く。なので迷いようがない。
真樹の帰りが遅いのは雨で足止めを食っているから。だが何度言っても納得せず、すぐにまた皆で盛り上がる。
どれもか弱い真樹が苦難に遭うという話の筋ばかり──。こいつらには悪いが、真樹はか弱い奴ではない。正しくは世間知らずだ。
「怪我して動けないってことは……あるかもな」
「!」
「あ、いや……可能性だぞ、可能性。うん」
俺の余計な一言がちび共の妄想を広げてしまった。
「落とし穴! 誰かが掘りよったんじゃ!」
それがこいつらの捻り出した答え。
真樹は誰かが掘った落とし穴に落っこちて死にかけているらしい……と。
話の馬鹿馬鹿しさはまるで田庫の長老みたいだ。
もう放っておこう。
「銀ちゃん、楽ちゃんと真樹様を捜してきて!」
「ばかたれ、お前らを放って行けるか」
「じゃあさ、じゃあさ、皆で隣里に行って留守番しとく。それならいいでしょ?」
「……う~ん……」
どっちにしろ、俺が田庫の外に出るには兄の許しが要る。
子守りを引き受けた報告は済ませたが、こいつらを預けてみるというのは悪くないのかも。
俺の里は工房が多く、真樹の里よりも田庫に近い。
商談はすべて田庫で済まされるので、外部の者は年寄りと商人以外は入れない。
「分かったよ。じゃあお前ら全員、俺の里に連れていく。で、預かってもらえないか頼んでみる」
「おお、やった!」
「真樹を連れて戻る間、お前らは留守番。いいな?」
「うん! ありがとう銀ちゃん!」
「やれやれ……じゃあ、早いとこ移動するか──」
そうして俺と楽は皆を連れて移動し、兄に報告を入れた。
「構わん、屋敷まで迎えに行ってやれ」
意外にも兄はすんなり了承。
すると後ろにいたちび共の大きな声。
「凛太郎様、しばらくお世話になりますっ!」
……なにも言う必要はなさそうだな。
【追跡】
「田庫から追おう」そう楽に声を掛けた。
田庫から三井邸へは遠回りになるが仕方ない。近道を通るのは帰る時だけ。今は真樹の足跡を辿らないと。
三井邸は久々だ。なにより楽と一緒に行くのは何年振りになるだろう。おとなしくしてくれるといいんだが。
連日降ったせいで大きな水たまりがあちこち出来ている。
殆ど里を出たことのない真樹でも苦にはしないはず。まあ道なりに進んでいけば容易く見つかる……気楽なもんだ。
途中、真樹が雨宿りしたとおぼしき空き家を発見。
さっと中を覗き、屋敷へと向かう。
三井邸──。
「よく来たな銀、それに楽ではないか!」
「お久しぶりです三井様。……実は里の子供達から真樹を迎えにいくようせがまれまして……」
「まだ戻っておらんのか? 一晩泊まった後、国境の町に行きおったが……」
「国境……後を追ってみます」
「待て、道中の腹ごしらえに持っていけ!」
国境の町は山の向こうだ。とすると真樹はそこで足止めを食っているのだろうな。
とはいえ居場所は判った。三井様にもらったあんこ餅でも食ってのんびり行こう。
──山道を進むと大規模な土砂崩れが起きていた。
俺達は難無く通れるが、確かにこれでは帰ってこれない。
「よっと……おーい、早く来いよ!」
森の中をじっと見詰めたまま楽がついて来ない。
……残念だが、それが答えだ。
「……楽、行けるところまで案内頼むよ」
山育ちといえど自然の力には敵わない。だがそれらを回避する術も幼い頃から学び、鍛練に励んでいる。
皮肉にも、里の年長者である真樹はそれを教える立場だ。
森に入ってすぐ、空が見えなくなった。
土砂が止まったそこは苔でぬめった森。鳥のさえずりさえ聞こえない。
少し進んでは立ち止まるを繰り返す楽。
雨で流れた真樹の微かな残り香を探っているが、鼻を突くこの苔の臭いがその動きを鈍らせる。ものすごい森だ。
そこで俺は脂分を含んだ黄色の兵糧丸を木に擦り付けた。
「帰りの目印。楽ばかりに面倒はかけないよ」
「わう!」
「足元に気をつけろ。後ろは俺に任せろ」
そうして更に進んだその先は崖。
生い茂る木々が邪魔で下までは見えないが、覗き込む楽を見れば判る。……考えたくないが、真樹はこの下だ。
「こっちから下に行けそうだ。行こう!」
うっすらと見えた空。日暮れは近い。
【参上】
(話は変わって、銀達が着くその日のオロチ谷──)
真樹が男達に連れていかれてから一夜が明けた。
フタバは葉うちわを握りしめ、朝早くから小屋と沢の間を行ったり来たり。そんな幼い我が子の姿にアズサはなにも言えなかった。
──ただ時間だけが過ぎていく。
どんどん!
やってきたのは見回りの男。
「あの女はもう戻らない」
そう言い残し、男は食料を置いて立ち去った。
呆然とする母子。しかし、それでも尚フタバは沢の方へと駆けていった。
──しばらくしてアズサが沢を見に行くと、縄梯子の前で泣くフタバの姿があった。
「……ぁ~、ぁ~……」
「ごめんねフタバ、ごめんね……」
思わず駆け寄り抱き締める。
助けなど来ない……だが、それでも我が子は彼女の言葉を信じて必死に希望を見出だそうとした。
その姿が愛おしかったのだ。
「さ、戻って一緒になにか食べよう」
手を繋ぎ、家に戻ろうとしたその時。
わうっ! わうっ!
振り返ると、流木の上に立つ大きな犬を連れた男の姿。
「あ、脅かしてすみません。ちょっと訊きたい事が……」
「ぁ……ぁ……」
「お、そこの小っこいの、ちょっと訊いていいか?」
「ぁ~!」
「へへ、……よっと!」
そう言って男はいとも簡単に二人の元に飛び降りた。
「俺は銀。こっちは相棒の楽。今、友達を……」
「本当に真樹さんの言った通りに……」
「そう、その真樹です!」
「話は聞いてます。私はアズサ、娘のフタバです」
「ぁ~! ぁ~!」
「その前に二人共、顔色が悪い。これは兵糧丸って食べ物なんですけど食べて」
「ぁ、ぁ!」
「お、食った事あるか? でも、ちびは少しだけな」
「……美味しい」
「へへ、それにしてもなんでまた真樹はこんな所に」
「迂回の途中に落ちたのだと。少し足をくじかれたみたいですが大丈夫みたいです」
「真樹はどこに?」
アズサから話を聞いて、銀が小さく舌打ち。
「じきに日暮れ……脱出は明日の朝にしましょう」
「真樹さんは?」
「歩いてたのなら多分大丈夫。しかし、その蛇神ってのが気になりますねぇ……」
楽を見て動けないフタバに銀が言う。
「フタバ、楽は言葉が分かるんだ。声掛けてみ?」
「……ぁ~ぁ?」
頭を下げ、撫でて良いという仕草を見せる楽。
「……ほら、触っていいってよ」
「……わぁ~……」
その柔らかな感触にフタバの表情がほころんだ。
【引き継ぎ】
暗くなる中、フタバが持ってきたのは編みかけの縄梯子。それを見て真樹が考えていたことをすべて察した。
「……後は任せるってか。あいつ、俺達が来ると見込んでやがったな」
「ぁ~! ぁ~!」
「へえ、一緒に編んでたのか。よし、後は俺がやっておくからフタバはもう休め」
「ん~ん……」
「俺達は平気。どこへも行かないよ。アズサさん、明日は森を抜けるので覚悟しておいてください……なんてね」
蒸し暑く、静かな夜。
先に母子を逃がしてくれ──それが真樹の望み。
まあ無事だと判れば当然あいつの救援は後回し。その方が確実に三人を連れ出せる。
さてと……
集めてあった蔓を沢に運び、黙々と縄梯子を編む。そして出来たものを崖の上まで設置していく。楽は母子のそばにいるので、まあ徹夜仕事をのんびり楽しもう。
──そして夜明けを迎えた。
今発てば昼には屋敷に着く。
縄梯子の前で躊躇するフタバ。真樹を待たずに行くことが後ろめたいのだろう。
その気持ちは解るが今は動かなければ……。
「いいかフタバ、物事には順番がある。こう、こう、こうってな」
意外にもすんなり理解してくれた。いよいよだ。
真樹の予想通り、まだフタバでは縄梯子を登れない。先にアズサを登らせた俺は帯を解いた。
「ほれフタバ、おんぶ」
流木の上に立てたのなんてまだまだ序の口。ここから先は縄梯子だらけだ。
フタバを背負った俺が先に立ち、一番後ろを楽が行く。
なんとか崖を登った後、今度は俺と楽が入れ替わる。
引率しているとはいえ、アズサには相当堪えるだろう。
「アズサさん、兵糧丸を食べて」
「はぁ……はぁ……ありがとう……」
────
「ここまで来たら大丈夫。フタバも頑張ったな!」
まだ昼前。思ったより早く森を抜けられた。
雲一つない夏空の下、俺達は三井邸へ。
三井様に事情を話すアズサ。それを横で聞きながら、俺は耳を疑った。
「刀? 真樹は刀を持ってたんですか?」
「ええ、短刀を二本お持ちでしたけど……」
「その二振りはわしがくれてやった」
「三井様、まさかその二振りって……」
「……星花の刀じゃ」
数日前の夜、星花様の部屋に現れた影蛇を真樹が見抜き、そして三井様が叩き斬ったという。
「翌朝、真樹は星花の夢を見たと言っておった」
夢……
それを聞いて星花様との記憶が蘇る──。