一
【真樹】
田舎道を行く仲の良さ気な商人達。その中の若い小太りが汗を拭いながら言った。
「西国のとある地方に伝わる忍び伝説。影から影へと移動して怪しげな術を使う。そしてその姿を見た者は必ず首を刎ねられるとか」
すると端の男二人が言う。
「兄さん、よう考えてみ? 見たら必ず首刎ねられるのになんでその話が広まる? 話おかしいで。どうせあの村の長老さんに聞いたんやろ?」
「あそこの長老さん、お喋り好きで寂しがりやからねぇ」
負けじと小太りの男は言う。
「なら、この話知ってます? 頭巾姿の女に気をつけろ。悪さしたら必ず首を刎ねられる」
「あっはっは、また首かい」
そうして三人は、近くの村へと消えていった。
ここは田庫の村。
その外れにある庵の庭先で、頭巾をかぶった女が年寄りと対峙していた。
彼女の名は真樹
隠れ里に住み、食料調達の合間を縫って年寄り達の様子を見に訪れている。
対するこの年寄りは田庫村の長老で、隠居前は真樹が住む隠れ里を率いて名を馳せた元忍び頭。
「遠慮はいらん。本気で来い」と長老。
その言葉にためらってか、真樹はなにも応えない。
「──ならば、こちらから行くぞ」
互いに素手による体術勝負。
踏み込み一気。身を引いて躱す真樹を長老が容赦なく攻め立てる。
「逃げ回るだけか? 年寄りだと甘く見おって」
更に掴み掛かろうとする長老に、真樹は掌を向けた。
「待ったなしじゃ──」
どん……
大きく吹っ飛んだ長老。
腰を押さえてのたうち回るその姿に、真樹は慌てて庵へと担ぎこんだ。
「うぐぐ……見事。今後、里の頭領はお前に任せる」
「私はまだ十七。頭領なんて大役は……」
「村の総意よ。それに隣里の凛太郎にも既に通達済み」
「決まっていたのなら勝負せずとも良かったのに……」
「それはまあ、年寄りのわがままというか……あだだ!」
「ともかく当分安静にしてください」
真樹が住む里の現頭領は長らく不在。
そんな中での任命に戸惑う真樹だったが、総意ならば仕方ないと受け入れ、なにも言わず長老の腰を摩る。
「さて、主である三井様にお前の事を報告せねばならん。生憎、わしはこの様。すまぬが一人で行ってくれ」
「え、今から……ですか?」
「今は梅雨時。晴れているうちに急げ」
「……承知しました」
「くれぐれも粗相のないようにな」
そうして真樹は書状を預かり庵を出た。
空の様子はけして良くはない。
【銀】
真樹の隠れ里は田庫村から山を二つ越えた先にある。
もう昼過ぎ──里に戻ってからでは、とても日暮れまでに間に合わない。……かもしれない。
そんな不安を胸に、真樹は子供達の待つ米蔵へ。
「お~い、真樹様~」蔵の前であんこ餅を頬張る子供達。それを振る舞っているのは佐吉という屈強な年寄り。
必要とあらば容赦なく拳骨を落とす荒い爺だが、子供達は分け隔てない佐吉を慕う。
「お待たせ皆、さあ荷を積んで里に帰ろう」
「え~」
ごねる子供達をよそに、真樹は佐吉に長老の件を耳打ち。
「今からか……じきに雨落ちてくるぞ?」
「ですが、怪我をさせたのは私なので……」
「はっはっは! 気にせんでええ、気にせんでええ」
「……じゃあ皆、帰るよ」
「え~、もっと食べたい~」
食い意地が張った子供達を佐吉が急かす。
「ほれほれ、日が出てるうちに早う戻れ!」
「佐吉の爺っ様、あんこ餅全部持ってってもいい?」
「おう、持ってけ。しかし真樹、今日はもうやめといたらどうや?」
「……なんとか急いでみます」
「……気ぃつけてな」
「はい、それでは佐吉様、また─」
帰り道──思うように進まない荷車を必死で押す子供達。すると、聞き覚えのある笑い声と共に、そばの木の上から一匹の大きな犬と男が飛び下りてきた。
彼は隣里に住む銀。真樹の一つ年下で、いつも相棒の楽と里周辺を警護している。彼の兄は隣里の頭領凛太郎。
「よう真樹。ちび共も気合い入ってるな」
「銀に楽、こんなところで会うなんてね」
「へへ、素通りしようか迷ったよ。今帰りか?」
「うん。はやく長老様のお使いに出ないといけないのに、この荷車に手こずっちゃって……」
「お使いってどこまで行くんだ?」
「三井様の御屋敷まで書状を届けに」
「……よっしゃ、ちび共は俺に任せてお前はすぐ向かえ」
「いいの? また叱られない?」
「いいよ別に。でもメシは食わせてもらうぞ」
そう言って銀は真樹に巾着を手渡した。
「この兵糧丸……くれるの?」
「道中長いから念のために持ってけ。あ~でも、食う時は必ず舐めて味見しろよ? 効きが強いから。ということでさっさと用事済ませてこい」
「うん。……なるべく急いで帰るから皆をお願いね」
遠くの方でゴロゴロと鳴っている。
山道で皆と別れ、真樹は長老の使いに急ぐ。
【雨宿り】
田庫村を出てしばらくすると大粒の雨が落ちてきた。
辺りは瞬く間に暗くなり慌てて木の陰に隠れるも、雨風が横殴りに吹き付けてきて、更には雷まで。夕立だ。
ついてない……そう思いながら周囲を見渡すと、先の方に家屋を見つけた。
林の中に佇む古い一軒家。
一人で村を出たこともそうだが、見ず知らずの家に雨宿りを頼むなんて初めてのこと。
躊躇している暇はない。……意を決して戸を叩く。
どん、どん、どん
「誰かいませんか? しばらく雨宿りを──」
中から返事はなく戸締まりもなし。
仕方ない、家主には悪いが勝手させてもらおう……。
しっかりした外観なのに中はぼろぼろで、どうやらここは随分前から廃屋だった様子。
懐に入れた書状もなんとか濡れずに済んだ。先を急ぎたいところだが、雨が止むまでしばらく待つとするか──。
戸の隙間から外の様子を伺いつつ、服を脱いで体に付いた水気を払う。どうせ誰もいないし入っても来ないのだから遠慮なんていらない。
なんだか、「かくれんぼ」している気分だ。
私や里の皆は夜目が利く。それは単に山育ちだからというわけではなく、幼い頃に泣いて訓練したから……だったりする。
里の頭領か……私に務まるだろうか──。
貰った兵糧丸をひとつ、味見ついでに少し齧ってみた。
なんというか……親指二つ分ほどの大きさで独特な辛味と癖がある。私達もたまに兵糧丸は作るが、これはまったくの別物だ。
中になにが練り込まれているんだろうか……まあ銀が口にしている物だから大丈夫だろうけど……沢山食べたいとは思わない。ちょっと苦手な……そんな味。
ざーざー……
大分雨は小降りになってきた。
もう少しで止みそう。それより、なんだかさっきから体が火照って熱い……
ほどほどに雨が止んだところで急いで出発。
こんな遅くでは門前払いされるかもしれないが、その時はその時。書状を渡してまた日を改めよう。
香り立つ雨の匂いと、露が落ちる音が心地好い。
蛙達の唄に呼応するように道の脇から蛍が一斉に舞う。
──はぁ、はぁ、はぁ……
走るのをやめても火照りは鎮まらず、拍動が全身に響く。そこでようやく気がついた。
これは疲れによるものではなく、さっき口にした兵糧丸の強壮作用に違いない。そういえば、これをくれた際に銀がなにか言ってたような……。