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⑨ わたしは 桃が好き

 きー! その女何なのよー!

 と、突入できるほどわたしの立ち位置は『妻』ではない。


 わたしは、書類上でしか彼の妻ではないのだ。


 というわけで、ただ今絶賛不貞寝中である。

 詳しく言うと、不貞寝から起きてぼんやりなう。

 カーテンを引いていない窓の外は藍色だ。

 ダンディズム執事さんが部屋から出ていって、三・四時間というところだろうか。


 ぐー。


 ……こんな気持ちの時でも、お腹は減る。


 わたしは、この半年でひもじく惨めで痛い生活を忘れ、今の生活にすっかり慣れてしまった。


 例えば、今横になっているベッドは最高だ。

 しなやかでふんわりとした柔らかいのり付けのシーツ、ふわふわの枕からは花の匂いがして、夏用の掛け布はさらさらと気持ちが良い。

 着ている服だって破けてもほつれてもいないし、変色だってしてない。サイズもぴったりだし、色も明るいものだ。しかも毎日違うデザインの服に袖を通すという贅沢。


 次に、食生活。

 これは、まさに地獄から天国へ! って感じ。

 だって、食卓には、肉がでて、魚がでて、具沢山のスープがでて、柔らかい白パンがでて、食用花が散らばったサラダがでて、食後に甘いものと紅茶がでてくる。

 中でも、わたしはスープが好きだ。

 ブランシェット家の食卓には毎日違うスープが出る。

 とろっとしたもの、さらっとしたもの、喉越しと舌触りがいいもの。冷たいもの、熱いもの。どれもこれも美味しくって、心とお腹が温まる。


 ぐう、きゅるるるぅ。


 あーもう。お腹がすっごい鳴ってる。

 今日の夕飯は何だったんだろう。


 二日、ううん三日は、固形物が食べられない日だってあったのに。

 贅沢は慣れるとは、うまいこと言ったもんだ。その通りだ。

 あの生活から今の生活に慣れるのは早いが、今の生活からあの生活に慣れるには、きっと長い長い時間がかかるだろう。


 欲深いな、人間って。


 ──いや、欲深いのはわたしの方か。


 そも、推しに会いたいっていう、欲全開のわたしから産まれる推しは、果たしてわたしの推すローガンちゃんなのだろうか?

 そんな下心のわたしから産まれるのは、推しなのか?


 分からない。


 もし、タイミングなんかがずれて、ローガンちゃんではない、わたしそっくりの醜い灰鼠が産まれたとして、わたしはその子を愛せるのか?


 想像できない。


『生まれてきたくなかった』


 ローガンちゃんがヒロインちゃんに言う激重な台詞が、今、本当に重い。


 彼は、母親を『あの人』と呼んでいた。……笑いかけてくれなかった母親を、そう呼んでいた。


 シリアスとトラウマを抱いた推しに『可哀想萌え〜』などと言って萌え萌えしていたけれど、何だかそんな自分が最低で最悪な気がしてきた。



 ◇◇◇



 あの日から、わたしはアラステアと食事をしていない。部屋で一人で食べてる。

 っていっても、たったの四日なんだけど。


 そしたらどういうことでしょう。

 皆、わたしを気にしだす。

 ダンディズム執事さんも、無愛想メイドのオリーブも、ちょっと前までわたしの悪口を言っていた使用人達も、ぶっちょ面の料理長も、強面の庭師も、騎士達も。

 あの人もこの人もみーんな。


 そして、書類上の旦那様も。


 今も、背中に視線をびしばしと感じる。

 彼は、ほっかむりして花壇で土いじりをしているわたしを見てる。

 


 ……あの金髪美人の幼馴染さんは、本当に『ただの幼馴染』だった。


 ご本人がわたしに言いにやって来たので本当だろう。ダンディズム執事さんも三回も説明に来たし(三回目にしてやっと聞いた)。


 マーガレットさんは、シロツメクサの指輪なんか貰ってないってけらけら笑ってた。

 わたしはすっごく馬鹿にされた。


 マーガレットさんは、小戦争が始まった時期に隣国出身の楽師と駆け落ちして、さて落ち着いたというタイミングでアラステアに会いに来た。

 多分、お金の無心だなあ……子供がいるって言ってたもん。

 そんでもって、わたしに『誤解させてごめんね〜』だって。

 これまた適当に、片目をぱちんとウィンクされて謝られた。わたしが男なら、速攻許しちゃう可愛さだ。

 まあ、女のわたしも許したけどね。可愛いもん。


 だから、アラステアのことだって許してる……というか、わたしが『許す』『許さない』だの、していいのかって話よ。


 わたしにそんな権利あるの?


 ないでしょ。


 だって、わたしは『要らない嫁』なんだもん。

 だから、様子を窺うようにこちらを見てる様子はちょっと笑える。

 おかしいよね、あんなにキリッとした鋭利な美人がさ、わたしのことなんか気にしちゃって。


「あの、旦那様。何かご用ですか?」


 気が付いたら口から出ていた言葉は、わたしの負けの証拠だ。


「…………シェリー」

「はい」

「その……」

「はい」


 アラステアが、何やらとっても可愛く見えるのはわたしの錯覚だろうか。

 耳がぺっしょり垂れたわんちゃん?


 わたしは猫より犬ちゃん派なので、こういう姿にとても弱い。


「……長く外にいるとまた倒れる」


 こういう優しくて気遣うような声色にも弱い。

 かけられ慣れてないからだなー。


「この前のは倒れていたのではなく、お昼寝です」

「嘘を言うな」

「嘘じゃないです、お昼寝です!」

「……そうか。でも、ここで昼寝はやめたほうがいい」

「はい、もうしません」 


 わたしの言葉に、アラステアはうんうんと小さく頷いた。


 そして、何分か時間を置いた後、ようやく口を開いた。


「…………今日は、一緒に夕食を食べないか?」


 溜めたなあ。


 そして、今度は断られるのを怖がっているような声色だ。


「……ハーブルのことで、話したいこともあるし……食後に、冷やした桃を用意させるから……」

「え? 桃、ですか?」


「ああ、君は……シェリーは、桃が好きだろう?」


 わたしは、果物の中で桃が一番好きだ。


 ブランシェットで取れる桃は、特別甘くて果汁がじゅわっとたっぷりで、思い出すだけで口の中に唾液がたまる。


 だから、「はい、好きです」と大きく頷く。


「俺の分も食べるといい」


 そんなに食べられません、という言葉が言えなかったのはアラステアの笑顔がとっても可愛かったからだ。




 彼の手を借りて立ち上がったわたしは、もう彼に夜這いなんて仕掛けられないんだろうなあと思った。


 あーあ。

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