⑧ わたしは 不貞寝する
わたしの誕生日から二ヶ月。つまりわたしが嫁いで半年が経った今日。
ついにハーブルの塗り薬が完成した。
十二番目の試作品を経ての、完成品である!
擦り潰したハーブルと油性基剤のバランス配合を繰り返し、わたしはついにその配合を見つけたのだ。
だけど健康茶は時間がかかった。
乾燥させただけのものも味が最悪だったから、ブレンド茶を作るのに苦労したし……もうね、わたしが思ったよりも転生チートは大変だったってこと。
難しいと思っていた化粧水とハンドクリームは、予想よりもかなり簡単にできたけどね。
とはいえ完成ですよ! えっへん。
ダンディズム執事さんはわたしに本物の笑顔を向けてくれるようになったし、わたし付きのメイドのオリーブも『はい』『いいえ』以外の言葉を返してくれるようになったんだから、ハーブルの効果と影響は言わずもがなである。
最近というか、短剣を貰ったあの日から、アラステアとわたしの仲はとっても良くなった──ブランシェットでは『新妻』に短剣を贈るという習わしがあるんだって。
ぽそりと話すアラステアにそれを聞いた時はさすがにうるっときちゃったな。えへへ。
朝食夕食は一緒の席で取るようになったし、それが難しい日は昼食か散歩に付き合ってくれるようになった。
そしてある日、彼は『噂を信じて良くない態度を取ってしまった、申し訳ない』と言って腰を折ってわたしに謝罪をしてくれた。
とはいえまだ真の夫婦となってはいないけど──『一緒に寝ましょー』って夜這いは三回ほど、失敗している。
いつか成功させるけどね! 絶対に!
アラステアはあんなモテそうな見た目をしておいて、とっても真面目だ。
ダンディズム執事さんに聞いたんだけど、アラステアは士官学校卒業後に家を継いで、その直後に小戦争が始まってしまって、異性との距離の取り方が分からないんだって。
それなのに、いきなり嫁(わたしだ!)が来ちゃったものだから、戸惑い+慣れてない=今までのわたしに対しての失礼な態度なんだろうね。
もうさ、こんなん聞いちゃったら許すでしょう。うん、許す。
それに、遊び慣れている男よりずっといいもん。
つまりわたし達は、超順調ってこと!
いつか夜這いも成功させちゃうよ!
るんるんるーんとスキップでアラステアのいる執務室で向かうわたしを微笑ましそうに見る使用人の顔を見てほしい。
半年前には考えられないほど、温かい。
いや、夏だからめっちゃ暑いんですけどね!
うん、浮かれてるよね。でも、分かってほしい。
そして許してほしい、わたしの浮かれっぷりを。
だって、喜ぶ顔が早く見たいんだもん。
とんとととん。
──浮かれっぷりの分かる、あほっぽいリズムのノックである。
「旦那様、シェリーです。入っていいですか?」
あれ? いつもなら『入れ』と聞こえる声は聞こえてこない。
代わりに、ガタガタガッタンという大きな物音と「待てっ、ちょっと、っ」というアラステアの慌てた声と、「きゃっ」という女性の声が聞こえてきた。
……女の人がいる?
がちゃ。
気付いた時にはわたしは執務室の扉を開けていた。
そこにいたのは、若草色の涼し気なワンピースと結い上げている髪が崩れた妙齢の女性と、『しまった』という顔で、女性の両腕を拘束しているわたしの夫。
「……入っていいって言ってないのに入ってくるなんて、あなた新人さん?」
固まっているわたしに向けて、若草色のワンピースの女性は続けて「空気読んで、さっさと出ていきなさいな」と言った。
空気を読んで、か。
「申し訳ありませんでした。失礼します」
わたしはぺこりと頭を下げて、扉を閉めた。
「シェリー」と、名前を呼ばれた気がしたが、無視した。
◇◇◇
ダンディズム執事さん曰く、若草色のワンピースの女性はマーガレット・コリンズといって、アラステアの幼馴染の男爵令嬢だそうだ。
は?
幼馴染って、あれでしょ?
将来結婚しようね、って言い合ってシロツメクサの王冠と指輪を作り合いっこして、ほっぺたにチュウなんかしちゃう疑似結婚式する関係のことでしょ?
そんな恋愛小説をブランシェット家の図書館でつい最近読んだから分かる。
はいはい、理解理解。ですよねー。
結婚を約束していた幼馴染がいたのに、わたしみたいな欲しくもない嫁のせいで彼女と添い遂げられなくてごめんなさいねー。
「そっか、だから……」
子供を欲しがらなかったのか。
「奥様、マーガレットお嬢様は、」
「待って! 待ってください、ダンディさん! ストップです!」
「奥様、マーガレッ、」
「わ、わたし! 少し疲れたので今日はもう休みます。……せっかく夕食に呼びに来てくれたのに、ごめんなさい」
わたしは、思わずダンディズム執事さんの言葉を遮ってしまった。
でも知りたくない。『シロツメクサの約束〜恋のメロディ〜』の詳細なんて、聞きたくない。
「分かりました。……それと、私めはボビーとお呼びくださいね」
ダンディさんが部屋を閉めた瞬間、わたしはベッドにダイブした。
マーガレットって人、可愛かったなー。金髪、いいなー。
義妹と同じ系統の、男の人が好きそうな、喋る時に『きゅるん』って効果音が鳴りそうな感じの女だった。
「どうせね、わたしの髪はきったない灰色ですよ」
あーあ、って声が漏れる。
なんか、わたし、すっごく惨めだ……。
「ふん。不貞寝してやる。ふんっだ」
しかし目を瞑っても嫌な映像ばかりが瞼裏に映る。
嫌な想像だ。
でも、とってもありそうな未来だ──マーガレットが後妻となり、実質の妻になる。そして、わたしはローガンちゃんにも会えずに、生涯を女中として過ごすのだ。
うわー、すっごくありそう。
ていうか、なんでわたしは泣いてるんだろう。
……違う。
違う。
この涙は推しに会えない涙であって、それ以外に何一つとして理由はない。