⑤ わたしは 庭をいじる
そういえば、わたしがブランシェットの土を踏んで、もう四ヶ月が経った。
ブランシェットの地は夏が長い。
今は、夏の季節に片足を突っ込んだというところだろうか。
カラッとして過ごしやすいが、暑いものは暑い。
屋敷の者達は『こんなのまだまだですよ〜』などと言うが……王都で生まれ育った自分としては今後暮らしていく南部の気候に不安が募る。
あっついんだよね〜〜〜。
特に今! 外で作業中だから特にね!
え? 何してるかって?
わたしは今、庭いじりをしている。
待て待て。ただの庭いじりではない。
わたしが庭の隅のそのまた隅っこの小さな花壇で育てているのは、ブランシェットの地ではそこら中に生えている雑草だ。
ちっちっち! 侮るなかれ、これはただの雑草ではない。
なんと、乾燥させたものを飲めば痛み止めになり、擦り潰したものを塗れば傷薬になる万能薬なのである。しかもそれだけではなく、なんやかんやすると化粧品にもなるらしい。
ここらへんの『なんやかんや』はわたしには全く分からないので、その道のプロに相談しようと考えている。
これぞ転生チート。
ヒロインちゃんの功績、万々歳である。
まだ小戦争が終わって一年も経っていないブランシェットには金がない。
だって、ほら、報奨がわたしだし。持参金も少なめだしね。
だからわたしはこの薬草『ハーブル』(ヒロインちゃん命名)で、ブランシェットを豊かにしたい。いや、する!
小説にもさ、ヒロインちゃんがハーブルでブランシェットを豊かにしていくシーンがあるんだけど、その時に推しの父であるアラステアが言うんだよね、『もっと早く気付いていたら……』って。『……』の部分にはそりゃあもう色々な重い想いが詰まっているわけで……つまりはお金がないって本当に辛いんだよね、ってこと。
だから、やっぱりわたしの誕生日プレゼントはお金のかからないもの……つまり『愛』が欲しい(笑)みたいな?
まあベッドインは拒否されちゃったんで、デートすることになったんだけど、アラステアは頑なに『街歩き』と言って譲らない。頑固者〜。
というわけで、来週のわたしの誕生日にアラステアと街デートに行ってくる。
四ヶ月も外に出なかったんですか? と、チャーリーとマックに驚かれたけど、わたしってば『引きこもり令嬢』って渾名持ちだからね。外に行けなくても発狂とかはしないのよ。
でも街に遊びに行けるのはシェリーの人生では初めてのことだし、純粋に嬉しい。
楽しみだ。
「暑い、暑い」
ぱたぱたと顔を手で扇いで立ち上がろうとしたところで目眩がして、ぺたんと座り込んでしまった。
面倒なのでそのまま座り込んで空を眺めることにする。
雲がゆっくりゆっくり移動していくのを見て、口をぱかりと開けてしまう。
そよぐ風が汗をかいた頬を撫でていき、目を瞑ると土と緑の匂いがした。
気持ちがいいとはこういうことだ、と思った。
実家……と言うに憚られるメルビル伯爵家では、こうして目を閉じて深呼吸した時に感じられるのは黴臭さと埃っぽさだった。
そして、自分はずっとこのままなのかという不安と、諦め。
だから、ブランシェットでの今の暮らしは天国のようだと思う。
前世の自分の暮らしを、まるでかの昔に文献で読んだかのようにしか感じられていないわたしは、前世の『私』について何も覚えていない。
なのに小説の内容は覚えているのだから、わたしのオタク度は高めである。あっぱれ、あっぱれ。
多分、今のわたしみたいに適当でアッパラパーな性格だったのだと思う。
わたしの『思い出した』タイミングも良かったのだろう。
タイミングがズレていれば、性格が変わったわたしはメルビル伯爵家でどうなっていたか分からない。
ここでふと、小説の中のシェリーは、どんな気持ちでいたのかが気になった。
わたしという人間は推しという原動力があり、楽しく過ごしているけれど小説の中の自分が、『楽しい』と思ったことはあるのだろうか。
急に、胸が苦しくなって頭を振って苦しい気持ちを振り払う。
だめだめ。不安になることを考えるなんて、やめやめ。
ころんと寝っ転がって、「ふい〜〜」と漏れ出た声はまるでお風呂に浸かったおじさんのようだ。
そう思った途端、なんだか眠くなってきた。
「シェリー」
誰かがわたしを呼んでいた。
夢だ、と思った。
普段は全く夢を見ないのに、これが夢だと分かったのは名前を呼ばれたからだった。
だって、わたしの名前を呼ぶ人は今までいなかったから。
メルビル伯爵家では蔑称で、ブランシェット侯爵家では『夫人』『奥様』だ。
そして推しもきっとわたしの名前を呼ばない。
「シェリー!」
かくん、と首が後ろに落ちた感覚がして、目が覚めた。
「……んえ? え? だ、旦那様?」
「大丈夫か!?」
ほっとした表情のアラステアにも、なんだかいつもより目線の位置が高く、地に足が着いてない感じにも違和感を感じた。
そして目線をあっちこっちに動かしてようやく、本当に地に足が着いてない(物理)ということに気が付いた。
「気持ち悪くないか?」
「どっ……え?」
どういう状況なんですか? という言葉は発せられなかった。
だって、最高のビジュが目の前にあるんだよ? これは無理でしょ。
「花壇の前で倒れてたんだ。熱中症かも知れないな」
気持ち悪くなったら言うんだぞ、少し揺れる、と言ったアラステアは本当に心配してくれているようで、わたしはまさか『お昼寝してました』などと言えるわけもなく……その日の残り一日と翌日をベッドの上で過ごすことになりましたとさ。えーん。