② わたしは 夫に会う
てなわけでやってきました、彼の執務室。
六日も放置されればね、突撃しちゃうよねって話ですよ。
ノックをして、即入室。失礼だとは重々承知。
しかし、ここで追い返されては堪らない。
とりあえず「御機嫌よう、旦那様」とご挨拶。
そんなわたしに、王国を初期から支え、国境を守ってきたブランシェット家二十一代目アラステア・ブランシェットは柳のような眉を顰めて固まっていた。
分かる。
その気持ち、理解しても余りあるほどに分かりますとも。
そうだよね、こんな栄養失調みたいな女なんて嫌だよね。要らないし迷惑だよね。ごめんね。
食指も動かないよね。本当に申し訳ありません!
でもね、ブランシェット家到着前には、署名をした書類が受理されていたわたしは正真正銘、あなたの妻なんです。
ということで、放置プレイは即刻やめてください!
──まあこんなこと言えるわけもないのでね、さて、自己紹介でもしましょうか。
意気込んで「シェリーと申します」と言って初披露のカーテシー。
習ったわけではない見様見真似の所作なので、間違っていないか不安で心臓がばくばくしているけれど、息を吸って顔を上げて真っ直ぐわたしの旦那様を見る。
『視線を外したら負け』とは、前世のヤンキー喧嘩上等漫画での教えだ。
……わたしは負けない!
いや、フィジカルでは100パー負けるだろうが、これはメンタルの話だ。
負けてたまるか! という気概と気合と負けん気が勝利の一本に繋がるのだと、たまたまテレビで見た剣道の達人っぽいおじいちゃん師範も仰っていた。
どうせ負ける……なんて弱い気持ちで試合に挑んで勝てることはあっても、勝ち続けることはできない。
わたしは、勝ち続けたい。
愛するローガンちゃんの為に!
「まずは謝罪させてください。義妹が病に伏せったとはいえ、わたしのようなものを妻にしなければならなかったこと、大変申し訳ありませんでした」
そして深く深く頭を下げる。
体勢はかなりきつい。だけど、誠意を伝える為にはこれくらいしないと。
「顔を上げろ」
……なんてイケボだろうか。
もちろんこの声の主はアラステアである。
この男、顔も声もいいなんて、さすが推しのパパだ。
さらさらの短い黒髪に、きりりと切れ長で冷たそうな青い瞳。そして高過ぎない完璧な角度と大きさの鼻に、酷薄そうな薄い唇を持つ彼は万人が認める美形だろう。
そして何より、座っていても彼が偉丈夫だということが見て取れる上半身!
その完成された造形は神が造りたもう最高傑作その二(その一はローガンちゃん)。
頬にうっすらある、一線の傷は先の小戦争で負ったものだろうか?
それさえも、彼の美貌を曇らせることはできない。
一言で表すとシリアス耽美系。
もしくは鋭利な美青年、あるいは公式の美男子……って、この美貌を一言で言うとか無理だわ、はい、省略。
対して、わたしはといえば、薄い灰色の髪に薄鼠色の瞳を持つ、貧相な身体のドアマット系女子である。一言で言うと灰鼠。
義妹は輝く金髪に朱華色の瞳を持ち、細いのに胸は大きいという耐震強度違反を疑う我儘な身体付きをしているというのに……なんという格差だろう。
「夫人」
「……はい」
え、夫人ってわたしのこと? 名前を言ったのに、なぜに夫人呼び? という疑問が『……』の部分でわたしが思っていたことだ。
人見知りなのだろうか?
わたしは推しのことなら、それはもう詳しいが推しの父のことはよく分からない。
そんでもって、「謝る必要はない」と言いつつ、アラステアの声色はひんやりと冷たい。
温度のない声で彼は続ける。
「何も気にせず、健やかに過ごすといい」
はて、『好きなように、健やかに過ごすといい』とはどういう意味だろう。
……好きなように、というのならこの六日間わたしはずっと彼とコンタクトを取ろうとしていた。自分の意思で、好きなように過ごしていた。
だけど、アラステアはわたしのご挨拶させてくださいという伝言も手紙も断った。
ということはだ、彼は自分に関わってくれるなと言っているのだ。
一人で好きなように、健やかに過ごすといいということだ。
うーん、手強い。
でも、負けない!
「ありがとうございます! では、明日から毎日挨拶をさせていただきますね! あと、できたらお手紙のお返事も欲しいです!」
空気読めてないって?
ノンノン、わざとですよ。
わたしが思うに、アラステアってそんなに冷たい人間でもない気がするんだよねー。
攻撃してこない女子供には優しくしてくれてたらいいなあ……というわたしの希望なんだけど、物語の中でも自分の子供(推しのことね!)に冷たいって感じでもなかったし。
要は、徐々に仲良くなって、最終的にベッドインしたいってことなんだけど……。この表情筋が動いてない彼が、今の段階で、わたしの最終的な要望に『いいよ』なんて笑って言うわけがない。
物事には順序ってものがあるからね。
加えて、もう六日も放置されてるし、今も「……いや、それは」と小さい声で言ったきり黙っちゃってるしさ?
でもね、その続きは言わせないよ。
余計なことを言わせないように「では、失礼します」と言って退散するのである!