⑯ わたしは 愛を伝え続ける
安楽椅子に座って休んでいるわたしに、ローガンが「おはな」と言って、小さな花を差し出してきた。
「わあ、ありがとう」
本当なら抱き上げて膝の上に乗せてあげてるところだけど、今は難しい。
ローガンも、乳母や世話人に言われた言葉を理解しているのか、我儘を言わずわたしの膝に顔を擦り付けて黙っている。
「とっても綺麗なお花だねえ、ママ、とっても嬉しい」
よしよしと頭を撫でると、こちらを見上げる可愛い顔が返ってきた。
「まま おはな すき?」
「うん、好きだよ。あとね、ママはローガンのことが大好き。お花より、もっともっとだーい好き」
「ろーも まま だいすき!」
ローガンとのやり取りにきゅんきゅんしていると、「シェリー、ローガン」と名前を呼ばれた。
「ぱぱ!」と、ローガンが駆け寄り、アラステアが「やっぱりここにいたか」と言って息子を抱き上げる。
「シェリー、体調はどうだ?」
ローガンの額に唇を落としたアラステアに、わたしは呆れ混じりに「大丈夫だよー」と返す。
「本当か?」
「もう、アラステアったら。日に何度聞くつもり?」
「……すまん。でも、心配なんだ」
彼は、相変わらず心配性だ。
「本当にわたしは大丈夫だよ」
そう言うと、アラステアが目を細めて「分かった」と言ってわたしの頭を撫でてきた。
そして、それを見たローガンが「ろーもする!」と、わたしの頭を撫でる。
──ああ、なんだか眠くなってきた……。
「……ごめんね、眠いから……少し、寝るね」
「ああ。おやすみ、シェリー」
夢現に「まま ねんね?」というローガンの可愛い声と、「そうだ、ねんねだよ」というアラステアの優しい声が聞こえた。
◇◇◇
はっと目が覚めた時、部屋には誰もいなかった。
窓の外からローガンの黄色い声と、アラステアの低い声を感じる。
安楽椅子から立ち上がって窓の外を見ると、アラステアがローガンと追いかけっこをして遊んでいた。
ローガンはとってもやんちゃな子で、毎日汗だくになって走り回っている。
ぽってこぽってこ、と走る後ろ姿は身悶えるほどの可愛さだ。
本の中の幼少期のローガンは大人しくて、声を押し殺して泣くような子供だったけど、わたしが産んだローガンは違う。
全力で遊んで、全力で甘えて、全力で笑って、全力で泣く。
わたしはその様子を見ると、とても安心する。
「奥様、起きられましたか?」
いつの間にか側に来ていたオリーブに「うん」と頷くと、彼女は「お茶を淹れますね」と微笑んだ。
ローガンを産んでから体調を崩して、なかなか調子が戻らなかったわたしだが、とっても良いお医者様と出会って、今現在は復調している。
いや、妊娠前より元気で健康になったと言っていい。
なので、今のわたしはとっても元気だ。
ただ、二人目妊娠中の為、ものすごく眠い──ローガンを妊娠した時は、甘い物が食べたい欲が爆発したわたしだけれど、二人目の妊娠では眠くて眠くて仕方がない。
つまり、早世するなあと思っていたわたしだが、どっこい生きている。
加えて、今は『長く生きられないだろうな』という不吉な予感も綺麗さっぱり消えている。
むしろ、あと七十二年くらいはピンピンしてそうだ。老衰で死ぬ気しかしない。
そんな命の恩人である名医を探しだしてブランシェットに連れてきたのは、なんと義妹のサファイア・メルビルだった──一度ローガンがお腹にいた頃に奇襲(?)されたわたしは、トラウマからサファイアと関わりたくなく、手紙も無視し、予定より一年遅れの結婚式にも呼ばなかった。
しかし、サファイアはめげずに謝罪の手紙をわたしとアラステアに送り続け、ついには名医と名高いお医者様をブランシェット家に引き連れてやってきた。
しかも、その際に『今までごめんなさい!』と、大真面目に土下座された。
当時のわたしは、父母が田舎に引っ込んだという話は風の噂で知っていたけれど、サファイアがメルビル家を女だてらに継いだとは知らなかった。
アラステアが口止めしてたということも、その時に知った。
あの時は吃驚したなあ。
アラステアなんて、ぽかんと口を半開きにしてたもん。まあ、そんな顔も可愛いんだけど。
わたしが絶不調でなければ、彼は義妹を門前払いしていたそうだ。
当時のアラステアは藁にもすがる思いで義妹を屋敷に通したんだろうなと思う。
そういえば、騎士達にかなり早い段階からメルビル家は要注意って喚起してたんだって。
わたしに悲しい想いをしてほしくないから。
そう真面目な顔で言われた。
そんな諸々の結果、わたしは元気になった──サファイアのおかげで。
だけど、
〈サファイアとわたしは、たくさん話し合い、仲直りをした〉
──なんて語学の教科書の一文のように、綺麗に事は収められなかった。
サファイアのおかげで今、わたしが生きていて、小説内には存在しなかった子供を宿すことができたのに、わたしはどうしてもサファイアを許すことができないのだ。
許したい気持ちは確かにあるのに、サファイアを前にすると、怖くて、憎くて、堪らない気持ちになってしまう。
謝られたところで、わたしがされたことは、わたしの記憶の中から消えてくれない。
創作物のヒロイン達は、どうしてあんなにも綺麗で広い心で、自分がされたことを許せるのだろう?
わたしには、それがとても難しい。
──許したくないのに、許したい。許したいのに、許したくない。
そんな風に矛盾している、わたし自身よく分からない気持ちが現状だ。
でも。
だけど。
いずれは。
時間はかかるだろうけど……いつかは、と。
お互い皺くちゃのおばあちゃんになる頃には、仲良くお茶でも飲めたらいいなと思っている。
兄弟が、姉妹が、啀み合う関係なんて、そんなことは悲しいから。
そう思うのは今、わたしが妊娠していることが影響しているのかも知れない。
ローガンと、生まれてくる子供には仲良くしてほしい。
……どうしたって、わたしとアラステアが先に天に召されて、彼らを残して逝ってしまうから。
何かあった時に、頼れることができる人間は多い方がいい。
「アラステア! そろそろお茶にしよー! ローガン! 冷たい桃があるよー! ママと食べよー!」
わたしが窓から身を乗り出して叫ぶと、アラステアは「あ、こらっ! 身を乗り出すな」と、脇にローガンを抱えて慌てた様子でこちらに向かって来るから呆れてしまう。
彼はわたしが落下防止の柵を飛び越えて落っこちるとでも思っているのだろうか?
「アラステアって、すっごい心配性だよね?」
わたしが振り向いて聞くと、お茶の用意をしていたオリーブは「ふふ」と楽しげに笑った。
「主様は奥様を愛しておりますからね。ご存知でしょう?」
「うん。……でもね、あの人、わたしにまだ『好き』も『愛してる』も直接言ってくれないんだあ」
「あら、そうなんですか? 意外です」
「そうなの。絶対、わたしのこと大好きなのに」
言ったら、わたしが死ぬと思っているのだろうか?
……大いにあり得る。
そう思ったら、なんだか言わないことがアラステアの『愛してる』な気がして、むず痒い気持ちになってきた。
「奥様は、言ってほしいのですか?」
「うーん、どうだろ……」
オリーブに問われ、わたしは真剣に考えてみた。
言われたいのだろうか、と。
「──アラステアが言わなくても、わたしはこれからも、たくさん言いたいな。アラステアとローガン、そしてこの子に、たっくさん『愛してる』って、『大好き』って。もう要らない、お腹いっぱいって言われても、しつこいくらい言うの。……だから、うん。アラステアの分まで言っちゃうから、わたしは、言われなくてもいいかなあ」
わたしがお腹を擦りながら言ったと同時に、きゃあきゃあ笑うローガンを抱いたアラステアが勢いよく部屋に入ってきた。
わたしは大好きな二人に駆け寄って、「愛してるよ!」と言って抱き付いた。
アラステアはやっぱり直接は言ってくれなくて、ローガンを通した拙い「あいしてるよー!」が返ってきた。
【完】
Husband says "I love you" while his wife is sleeping.




