⑮ わたしは 祈り、願う
真上に落ちていきそうなほどに青い空が眩しい日、わたしは青灰色の瞳の男の子を産んだ。
この瞳がいずれ、アラステアと同じ夏の空のような青色になることを、わたしは知っている。
ローガン・ブランシェット。
かつてのわたしの推しの名前で、わたしの可愛い息子の名前だ。
◇◇◇
「はあ、可愛い……」
ローガンちゃんが、もう可愛くって堪らない!
喜怒哀楽が出るのはまだ先だけど、早く笑った顔が見たい。
そうしたら更に可愛いんだろうな。想像するだけで口元がふよふよと動く。
推しだから可愛いのか、我が子だから可愛いのか、もしくはそのどちらもなのか、ローガンちゃんが可愛くって堪らない(二回目)!
夜中に怪獣のように泣いても、だらーっと母乳を吐いても、おむつを何回汚しても、もう何をしても愛おしい。
生きているだけで、大感謝! ありがとう!
小さな手を口の中に入れたくなって、甘いミルクの匂いに口角が上がって、欠伸をしているお口に胸がきゅんと鳴って、とにかくわたしは忙しい。
瞬きをする度に、この可愛さが保存できたらいいのにと溜め息を吐いた時、腕の中からローガンちゃんが攫われた。
「わっ」
──犯人は、アラステアだ。
「シェリー、まだ体調が万全でないんだから……無理はしないようにと言っただろう?」
「無理なんて、」
「頼むから、休んでくれ」
あまりにも心配そうに言うものだから、わたしは強く出られない。
それに、体調が万全でないことは本当だ……。
わたしはローガンちゃんを産んでから、しばらく枕が上がらなかった。
今もましになった程度で、一日の中で横になっている時間が一番多い。
というか一日の大半を占めている。
お医者様によると、わたしの体はあまり丈夫ではないそうなのだ。
何を食べてもお腹を壊したことは……十四歳以降なかったので、わたしは自分のことを健康体だと思っていたのだけれど……うん、そんなわけないよね。
あんな食生活じゃあさ。健康っていうよりも、適応力か何かで生きてこれたんじゃないかな?
小説の中の『シェリー』も、体が弱かったのだと思う。
加えて、『シェリー』は内向的でかなり後ろ向きな性格をしていた。
病は気から、というのとはちょっと違うけど、その性格が病を加速させていたってことはあったかも。
わたしは、小説の中の自分がどのように死んだのかを知らない。
『シェリー』については、そこまで詳細な記載がなかったからだ。あったとしても、記憶に何やら靄のようなものがかかってしまって思い出せない
ただ、ローガンちゃんが幼い頃に亡くなったことだけは事実だ。
「さあ、シェリー。寝る時間だ」
「……はあい」
ローガンちゃんを乳母に預けたアラステアに腕を引かれ、向かうは夫婦の寝室だ。
『旦那様ー! 一緒に寝ましょー!』
『……シェリー、君に恥じらいというものはないのか? 部屋に戻れ』
『えー、いいじゃないですか! 何もしないです! ちょーっと一緒に寝るだけですから!』
『若い娘を誑かす詐欺師のような台詞はやめろ。……ほら、部屋まで送るから』
わたしの目の下の隈をなぞるアラステアを見ながら、記念すべき第一回目の夜這いのやり取りを思い出し、思わず笑みが溢れる。
あんなにつれなかった男が、今やもう別人である。
「シェリー、乳母も世話人もいるんだ。だから君が付きっきりであの子を見る必要はないんだ」
「それは、そうですけど……」
言い淀んでいると、「俺にも構え」と拗ねた様子で言われた。
なんかもう彼を『シリアス耽美系』には到底見れない。
彼は可愛い大型犬だ。
やることやって、子供まで作っておいて、わたし達夫婦の間には『好き』も『愛している』もない。
言ったことも、言われたこともないのだ。
でも、これもう好きだよなあ……と思う。
わたしも、アラステアも。
思わず、「ふふ」と笑ってしまう。
「わたし、あなたのことが好きです、大好きです。愛してます」
──ついでに心の声も漏れた。
驚いた顔で、目を丸くしているアラステアが可愛い。
多分、わたしは長生きできない。
きっと、ローガンちゃんが大人になる姿を見ることは叶わないだろう──こういうことは何となく分かるのだ。
所謂、予感というやつだ。
だから、生きているうちに、いっぱいいっぱい言っておきたい。
ローガンちゃんのことも、たくさん抱き締めて『愛してるよ』といっぱい言ってあげたい。
そして、わたしがいなくなっても、愛された記憶を持っていてほしい。
心の中に笑顔のわたしを置いてほしい。
アラステアにも、そうあってほしいと思う。
「旦那様、ローガンをくれぐれも頼みますね」
つい先日、わたしはアラステアが再婚する夢を見た。
妙に生々しくて、あれはもしや本の内容なのでは……? と、疑っている。
「……なぜ、そんなことを言うんだ?」
「ええと、その、わたしがぽっくり逝っちゃっても、」
「やめろ。……酷い冗談だ。……聞きたくない」
わたしの言葉を遮る、アラステアの声色は明らかに怒気を孕んでいた。
そして、美貌の彼が眉を顰めた様子はちょっと怖い。
でも、そんな怖い表情はすぐに優しいものに変わった。
「シェリーの体調はすぐに良くなる。……大丈夫だ、王都から医者も呼んでいる。だから、大丈夫なんだ。全部、上手くいく。来年、延期していた結婚式をしよう。公園にもピクニックに行こう。乗馬もしよう。馬に乗りたいと言ってたろう? シェリーの為に白馬を買ったんだ。穏やかで綺麗な子だから、君はきっと気にいると思う」
珍しく長く話すアラステアを見て、わたしは夢で見た彼の再婚が成ればいいなと思った。
わたしがいなくなった後に、この可愛い人を癒やしてくれる存在は絶対に必要だから。
「旦那様? 生きてる中で一度くらい、わたしに『愛してる』って言ってくださいねー? あ、『大好き』でも可ですよ!」
「嫌だ」
「え、ひどっ」
「……言ったらシェリーは満足して、俺達を置いて死んでしまう気がする」
「本当に頑固者ですね、旦那様って! そういうところも好きですけど!」
「言わない。……一生言わない」
綺麗な青色の瞳が潤んでいて、この瞬間、わたしはとても満たされた気持ちになった。
彼の目が雄弁にそれを語っていたからだ。
……ああ、この人も、息子も、誰よりも幸せに暮らせますように。
めでたしめでたしが似合うハッピーエンドを迎えられますように。
──残りの限られた人生を、愛する夫と息子に捧げよう。
そう決意して、わたしは静かに目を閉じた。