⑬ わたしは 変わった
イグノトフスキー夫人のコラムのおかげで、わたしのほっぺたは筋肉痛だ。
あっちこっちから注文が止まらない!
嬉しい悲鳴ってこういうことなんだなあ、と実感中だ。
だけど、言われるままに大量に作る気は全くない。
数量限定のほうが、価値は上がるってこともあるんだけど、ハーブルの加工は女性と子供にさせているから、彼女らに長時間労働をさせたくないのだ。
彼らには、心身共に健康であってほしい。
ブラックな労働環境にはさせない。
このことはアラステアも賛成してくれている。
というか、アラステアはわたしのやることなすこと何でもかんでも賛成してくれる。
なんなら、話す前に『いいよ』と言う。
何でも『いいよ』と言う。
心臓にとっても悪い綺麗な笑顔で『いいよ』と言う。
……でもたまに、わたしの言うことを聞いてくれないこともある。
その最たるが、結婚式である。
ある日、思いたったのだろう、急に『式を挙げよう』と言い出した。
アラステアが結婚式を挙げると切り出した時、わたしは反対した。
だって、王都のアブー=ルゴド教会で挙げるとか言うんだもん。
だめだよ、そんな無駄遣い。皆だって反対のはず。
そう思ったわたしは『反対ですよね! ねえ!』と言った。
だけど、オリーブも、ダンディズム執事さんも、使用人さん達も、騎士さん達も、みーんな反対しない。
なんで……?
「シェリー、結婚式の話だけど、」
「あーもう、だめですよ! そんな顔したって、だ、だめです!」
大型犬だと思ったら子犬にもなれちゃうとか、本当おかしいよ。
わたしは、可愛いに負けないようにぷいっとそっぽを向いて目を閉じた。
「分かった。……アブー=ルゴド教会は諦める」
がっかりした声のアラステアに、ちくりと胸がいたんだのも束の間。「だけど、式は挙げよう。公園で挙げるのはどうだ? 領民も見に来れるし、いい娯楽になる」と、別案のプレゼン攻撃が放たれた。
「嫌か?」
一生懸命話す彼は、わたしの目が開くのを待ってる。
も〜〜〜! 負け! わたしの負け!
「……いいえ。公園の結婚式、わたしも素敵だと思います」
「! そうか! じゃあ、それで進めよう!」
走って屋敷に戻る後ろ姿はまるで大型犬だ。「ボビー!」と叫んでるところがまた犬っぽい。
そして、これは絶対ダンディズム執事さんの案だなあ、と思った。
アラステアは変わった。
約一年前の彼とは、全くの別人と言われたら納得できるほどに。
でも、わたしは今の彼の方が好きだ。
わたしは、にまにましながらしゃがみ込み、ハーブルの水やりを再開する。
ハーブルの畑は別場所にも作ったから、しなくてもいいんだけど……わたしは土いじりが楽しいタイプだったようで、元気にうねうね動くみみずちゃんを見てときめきが止まらない。
もう少ししたら、庭師さんに教えてもらって苗からお花を育ててみたい。
◇◇◇
結婚式の日取りを決めた翌週、結婚式は延期になった。
なんと妊娠したのである。
……いや、『なんと』でも何でもない。
やることをやった、当然の結果だ。
ブランシェットに来てからきっかり正しく来ていた月のものが来なかったので、すぐに判明した。
アラステアは、喜んでくれたが、結婚式が延期になってしまったことを少し悔やんで、それから『もっと早く結婚式を挙げてればよかったな』としゅんとして、最後に『それでも嬉しい』と言ってわたしを抱き締めてくれた。
わたしがその時に思ったのは、お腹の中の子供が望まれていることの安堵だった。
ローガンちゃんに会える! って思うより早く、そう思った。
彼も変わったけれど、わたしも変わった。
……そりゃあ今でも、ローガンちゃんが生まれたらいいなあという想いはあるけれどね。
元気に生まれてくれるならそれでいい。
◇◇◇
「奥様ぁ、歩きまわっていいんすかー?」
チャーリーの言葉に、わたしは「いいのいいの」と返す。
動かない方が問題だ。
なんせ食欲が暴走し、食っちゃ寝食っちゃ寝してしまっているのでね、このままいけば……わたしは、おデブちゃんまっしぐら。
ゾッとする。
いや、お医者様にはもっと太りなさいって言われてたよ?
でも、それは妊娠前の話であって、妊娠中の過度な体重増加は良くない。
なのに、ご飯が美味しくて止まらないし、食べた後は眠くて堪らない。
そして、アラステアはわたしをとことん甘やかす。
いや、嬉しいんだけどね?
でもさー、過保護過ぎなんだよー!!
今日だって、アラステアが朝から出かけているから、訓練場に来ることができている。
「動かなさ過ぎて、わたし真ん丸になっちゃうよ」と言うと、「真ん丸〜!」とチャーリーが吹き出して、その頭をマックがぺしっと叩いた。
相変わらず、この二人はわたしを和ませる。なんだか犬っぽい。
二人に林檎の入った籠を差し出すと、他のわんこ達……ではなく、ブランシェットの騎士達もわんわん……ではなく、わらわらやって来る。
皆、「お体大丈夫ですか?」だとか「私の嫁はこうでした」だとか色々と話しかけてくれて、自然と笑顔になったその時だった。
もう二度と聞くことはないと思っていた声が、耳朶に響いた。
きいん、と耳鳴りがして、目眩がしてふらつく。
「シェリーお義姉様ぁ?」
ゆっくり振り向いたその先には──
王都で式を挙げたくないと思った理由の一人、義妹がいた。