⑩ アラステア・ブランシェットⅡ
マーガレット・コリンズとアラステアの関係は、婦女子に人気の恋物語のような幼馴染の関係ではない。
アラステアより三つ年上のマーガレットは、物心付く頃からブランシェット侯爵家に出入りしていて……アラステアを子分のように扱っていた。
あの頃のアラステアは、とっても可愛い女の子だった──見た目が。
雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀の木のように黒い髪を持つアラステアはお伽噺の姫のような見た目をしていた。
コリンズ家の三女として生まれ、蝶よ花よ女王様よと育てられたマーガレットは、癇癪持ちで我儘で自分が一番のトンデモ幼女だった。
だから、自分より可愛いアラステアを許せなかったのだろう。
アラステアが軽度の女嫌いになったのは、間違いなくマーガレットのせいだ。
思い出したくないトラウマなので、詳細は語りたくないが、中でも『女王様とメイドごっこ』は最悪だった。……どちらが女王様で、どちらがメイドかは言わずもがな。
悪逆非道な女王を、何度暗殺しようと思ったか分からないアラステアである。
そんなマーガレットが、流れの楽師と恋に落ちたのはアラステアの父が儚くなって間もない時だ。
この頃には、マーガレットの女王様っぷりは随分と鳴りを潜めていた──子分……ではなく弟分のアラステアに発破をかけ、励ましのげんこつを与える程度には収まっていた。
ちなみに楽師の優男の前では頬を染め、可憐に笑っていた。女というものは実に恐ろしい。
そして、小戦争が始まってすぐに楽師の優男と駆け落ちした。
「ねっ、いいでしょ? お父様がまだシェルデンのこと許してくれないの。だからぁ、アー君からも説得してくれない?」
シェルデンとは、マーガレットが駆け落ちした楽師であり、彼女の夫の名だ。
「……アー君言うな」
「お母様もお兄様もお姉様達も許してくれてるの。あとはお父様だけなのよぉ。ついでに、ちょーっとだけお金貸してぇ?」
コリンズ男爵がマーガレットを許さないのは、本当のことを言っていないからだ、とアラステアは思う。
腹の中に子供がいると言えば、男爵はマーガレットを無下にしない。というよりも、そもそもマーガレットは彼の四人の子供の中で一番のお気に入りなのだ。許さないわけがない。
しかし、それを言ってやれば「そんなこと言ったらシェルデンが殺されちゃう」だそうだ。
……面倒くさい。
「ねーえ、アー君、いいでしょう? 私とアー君の仲じゃなぁい? ね? ね?」
「近付くな。そして、アー君はやめろ」
迫りくるマーガレットに、アラステアは慄いた。
だから、動きを封じる為に彼女の両腕を掴んだ。
何なのぉ! と文句を言って頭を振るマーガレットは髪を振り乱しており、ますます怖い。背中がぞわっとする。
──とんとととん。
軽快なノックの音は、そんな場面で部屋に鳴り響いた。
「旦那様、シェリーです。入っていいですか?」
「……っ!」
アラステアは焦った。とても焦った。
そして、なぜか誤解されたくないと思った。
だから、まず、マーガレットの腕を離さなければいけなかった。
なのに、焦っていた為にそれができなかった。
「待てっ、ちょっと、っ」
「きゃっ」
がちゃ、という扉を開く音。
そんなこんなしている内に、ぽんぽんと上記のことが起こった。
「……入っていいって言ってないのに入ってくるなんて、あなた新人さん?」
機嫌の悪いマーガレットに「空気読んで、さっさと出ていきなさいな」と言われたシェリーは「申し訳ありませんでした。失礼します」と頭を下げて、静かに扉を閉めた。
「……シェリー」
アラステアの声に、彼女は振り向かなかった。
◆◆◆
「……シェリーは?」
「すでにお部屋でお召し上がりになったそうです」
ボビーの言葉にアラステアは、眉間に皺を寄せた。
──あの後、急用ができたアラステアは、ボビーに自分とマーガレットの関係を説明しておくよう命じた。
そして、ボビーの説明で、誤解は解けた(一回目と二回目は失敗。三回目にしてようやく成功)。
……解けたはずなのに、なぜ、シェリーは自分に会いに来ないのだろう。
そもそも、マーガレットは『ちゃんと謝ってきたってばぁ、うるさいなぁ』と言っていたが、本当だろうか。
つい二週間前に三度目の夜這いをしにやって来た女が、マーガレットの存在ごときで会いに来なくなるなんて、想像していなかった。
誤解が解けたらぴゅーんと飛んできて、にこにこと楽しそうな顔で自分の周りをちょこまかすると思っていたのに。
「主様、そんなに気になるのならお食事にお誘いになっては?」
「誰をだ」
「奥様です」
「……」
「私共は、奥様の噂に惑わされ、大変失礼な態度を取りましたね。噂に信ぴょう性がないことは知っていたのに……」
ボビーの言葉に、何人かの使用人が顔を俯かせる。
だけど、自分の態度を見た使用人達の態度が原因なので、アラステアは彼らを責められない。
「それは、そうだが……俺は、謝った」
「そうですね、笑顔で許していただきましたね。お心の広い素晴らしい奥様です」
「……」
「奥様はブランシェットの金策に一生懸命取り組んでくださってます」
「……」
「あの万能草は、いずれ戦争で親兄弟をなくした者達に職を与えるでしょう。本当に、奥様は素晴らしい女人です」
アラステアがちらりと顔を上げると、使用人達が何とも言えない顔をこちらに向けていた。
「そういえば、料理長が良い桃を仕入れたと言っておりましたなあ」
ボビーの言葉に、アラステアは静かに席を立ち、「奥様はお庭にいらっしゃいます」と言うメイドに、小さく「分かった」と頷いた。