58話 例え『肉塊』……になろうとも、愛せますか?
その日は何の変哲もない冬の日曜日だった。
ひとついつも通りじゃないところがあったとすれば────ボクは妹に、ある事を言った。
「ごめん、つぼみ。今日はプリ●ュアじゃなくて仮面ラ●ダー見ない……?」
毎週日曜日はつぼみと早起きし、女児向けアニメを一緒に鑑賞するというのが我が家の習慣だった。ボクがその習慣を崩してまで別の番組を見ようと提案したのには特に大きな理由があったわけではない。放送時間が被っているとはいえ、見たいのなら録画すればいい話だ。少し────気になっただけ。
でも録画したとてどうせ見ない。習慣であるこの時間でしか見ないとボクは考えた。受験生だから罪悪感に押しつぶされて純粋に楽しめないんだ。
「いいよー!」
意外なことにつぼみは快く承諾してくれた。少しでも駄々を捏ねたら父さんと母さんを起こしてしまうからすぐに諦めようと思っていたから……だいぶ嬉しかったのを覚えている。
結論から言うと、話の内容はまるで理解できなかった。放送時期からして序盤よりの中盤ぐらいのところだったのだが、1話から続けて見ていなかったため繋がりが全くの意味不明。
そして、その事実が足を引っ張っていようとも圧倒的にかっこよかった!
「意外と面白いもんだねー!」
「そ、そうだね……!」
再確認出来た。自分の中に少年の心は生きている。そして同時に自分はそれを確認したくて今日、いつもとは違うものを見ようと思ったのだと明確に理解した。
やはりボクは……ヒーローに憧れている。こんな見た目だからこそ人一倍に渇望している。
だから、浮かれていたとは少し違うけど。その日はいつも通り図書室に向かって華邑と勉強していたのだが、どうにも集中できなかった。
「……外の空気吸ってきなさいよ。鬱陶しい」
「あはは……そうする」
問題を解こうと頭を悩ませるも、悩むだけ悩んで何も進まない。別の問題を解こうとページを捲るけど良い問題が見つからない。この問題もきっと解けないだろう、この問題も─────。明らかにいつも通りじゃないボクを察したのだろう、華邑の提案はごもっともだった。言い方はキツイけど。
「あら、うふふ。昼咲君?どうしたの、寒いでしょ」
「……華邑さん」
と言っても、昇降口でしばらく黄昏ていたボクに話しかけてきたのは姉である華邑愛歌の方だ。妹とは対照的で愛想が良く、めちゃくちゃモテる。
……ボクは少し苦手な人だ。
「何かあったの?いつも図書室で勉強してたと思うんだけど……」
「いや、別に……」
「もしかして涼花に追い出されちゃった?」
「え」
「一緒に勉強してるんでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
本当の表情なんて誰にも見せたことのないような、作り物みたいな笑顔が気味が悪い。一方的だけど苦手な理由はそれだった。
「あの子無愛想だから……ごめんね、迷惑かけるようなこといっぱいあるだろうけど」
「……いや、全然無いけど」
決めつけるような彼女の口調が少し、不快だった。でも俺の拒絶の感情は華邑愛歌には届かなかったようで。
「うふふ、もし気に食わないのであれば─────」
胸元を強調させながら、彼女は屈んでボクに顔を近づける。
「私に乗り換えちゃう?」
『姉さんはおねだりすればなんでも買ってもらえる』
『私はそれが気に食わなかったから、そうしないように成長した』
『だから姉妹別々の道を歩む。そうなると私は私で別のものを手に入れるようになる』
『それすらも姉さんは────いつも通りのおねだりで奪っていく。だから嫌い。嫌いよ……』
─────恐ろしかった。何がヒーローだ、と自分を殴りたくなったが、冷や汗が垂れるだけだった。
華邑愛歌の表情が。瞳の奥に隠しきれない嫉妬の渦が見えてしまう、人形のような綺麗さと相まって生まれた歪さ。
「あ、はは……」
その場で強く否定できていれば、どんなによかったことか。でも……他人に合わせるだけの人生を送ってきたボクにそれはハードルが高すぎた。
「んむッ!?」
妹に無理やりされた涎まみれの唇合わせをカウントしないのなら、それがファーストキスだった。
ゴトン、という音。
「──────またか」
転がってくるお汁粉の缶は、彼女が裏門の近くの自販機で買ってきたものだとバカでも理解できる。
「また……っ!」
そして地球人バカ代表のボクは──────走り去る華邑涼花に絶句した。
「まっ、待って───待ってッ!!」
今ここで追いかけなければ何もかもが終わる。その確信がボクの心臓を掴む氷の手となって鼓動を加速させていた。
「ちょ、ちょっと〜。大丈夫よ、あの子は強い子だから!それより今はその……ほら、ムードって奴があるでしょ?」
「黙れブス!!そんなんだからあのイケメン君に一瞬でフラれたんじゃないのかよっ!!」
「え」
握られた手を強引に振り解く。超イケメンで名の通っている霧間行人と付き合い、地獄のようなデート(噂だと霧間の家で対戦ゲームをしてボッコボコにされたらしいけど、流石に誇張だと思ってる)をかまされ直後に一方的に別れようと言われたエピソードは、華邑愛歌本人が『触れるな』と言うオーラを放っているため誰も話さないがほとんどの生徒に知れ渡っているおもしろニュースだ。
恐らく石のように固まった顔をしてるのだろうけど、ボクには振り返っている時間はなかった。
なぜならボクの運動神経が華邑より悪いから。
「待って!!はぁ、待ってって……!!」
「……」
焼き切れそうな肺を抑えて過呼吸状態のボクを見かねたのか、華邑は足を止めてくれた。
「別に気なんて使わなくていいから」
「は……?」
「ひとつだけ教えてほしい」
息切れがしんどすぎて、それは幻覚だったのかもしれないが。
泣いていたように見えた。
「もっと速く私が告白してたら、昼咲は…………一瞬でも私のモノになってくれてた?」
強がったように笑う少女を。
ボクが心の底から─────否定したくなった。
「違うッ!!」
ボロボロの喉が更に荒れる。
「華邑も、ボクも……ボク達は誰のモノでもない。それぞれが生きて、それぞれに想いがあるんだ」
「それがすれ違うこともある。仕方ないよ、みんな別の生き物なんだから」
「だからこそ、ボクは華邑と……他でもない華邑涼花と、一緒にいたいと思ってるんだ!」
言葉は止まらない。冬の寒さも、この激情に晒されてちょうどいい涼しさだ。
言おう。今。今言わなければいつ言うんだって話だ。
乾燥した唇を舐め、ボクは……決意を固めた。
「ボクは、キミの事が──────」
その時だった。
……終わりを知らせる警鐘が鳴ったのは。
『緊急煉獄速報。緊急煉獄速報』
サイレンという不協和音が町中に響く。ボクの言葉はかき消され、絶望の象徴たる獣が降り立つ。
『樹愁町を中心に、煉獄が発生します。住民の方は、速やかに避難を─────』
「──────!!」
一瞬だった。警報が鳴ってから数秒。
ボクの華邑の目の前に……巨大な赤いカマキリが出現した。
「───、───!!」
耳が拒絶する不快な鳴き声がつんざく。
「華邑っっ!!」
「っ!」
恐怖心で動けないというが、殺されたくないと言う生存本能が勝った。ボクは硬直していた華邑の手を握り、一目散に走り去る。
……が、相手は煉魔。数多の人間の命を奪ってきた生命なのかも怪しい存在。
高速でこちらを追ってきたのだ。
その時のボクは確かに生存本能に支配されていたはずだった。でも、恐怖心にすら打ち勝つその本能を────さらに負かした『想い』があったらしい。
「逃げて、華邑」
「……は?」
ボクは運動神経が悪い。全力疾走後の体力では華邑についていけない。華邑がボクに気を使いでもしたら仲良く二人で捕食される。
どうせ死ぬと分かっているのなら─────今、最初から時間稼ぎのために死ぬほうがいい。
「逃げるんだッ!!」
「え、あ、でも……」
「速くしろ馬鹿!!死にたいのかよっ!!」
華邑を強引に走らせ、ボクは振り向く。後ろから聞こえるのはハイテンポな足音。普通の人間ならこの圧倒的『恐怖』の前では友人くらいなら置いていくだろう。ボクも普段ならそうしている自信がある。
でも今はどうやら違うらしい。
……多分、朝に見た特撮番組のせいだ。
震えの止まらない足をなんとか安定させた瞬間────案外早くに、真紅の鎌は振り下ろされた。
「ひるさ、き─────」
最高の死に方だった。女の子を守って死ぬ。まさにヒーロー……そう、ヒーローになれたんじゃ無いだろうか。
唯一不満があるとするのなら……いざ死の直前となって、恐怖心が復活してしまったことだ。
やっぱりボクは、ただの死にたくない人間だった─────。
「おはよう」
その女の笑顔の不気味さで、ボクは一瞬でここが天国では無いことを悟った。
「ここ、は─────?」
「マゼンタ樹愁支部研究所、の奥深くさ」
だがボクはマゼンタ、と言う言葉ひとつで安心してしまった。自分は一命を取り留め、助かったのだと……体に巻きつけられた縄に気づくまでの一瞬の時間、心から喜んでいた。
「いやぁ、素晴らしい!一般人であるのにも関わらず女を守るために身を挺して!まさに勇者じゃないか!素敵すぎて頭が痛くなるよ。あ、安心して。華邑涼花はちゃんと生きてる。君のおかげでね」
帯刀したその女性は椅子に縛り付けられているボクの周囲をゆっくりと歩き出した。
「申し遅れた。私はしがないマゼンタ隊員の夜公律。どうぞよろしく」
コツン、コツン、と床を歩く音がわざとらしいほどに響く。
「さて、まずは君の今の状態を説明しよう。昼咲花威、君は蟷螂型煉魔に無惨に斬り殺されたかと思いきや思いきや……その逆。君はあのカマキリを捕食した」
「…………?」
「本当だよ。嘘じゃないよ。その証拠に……ほらっ」
「え」
ドサッ、と何かが落ちる音がした。
─────ボクの左手だった。
「あっ、あ、あぁああああぁあああ!!??」
「落ち着いて落ち着いて。えーと……『マインド』」
夜公と名乗る女の手がボクの目の前にかざされる。すると不思議なことに……だんだん思考が落ち着いてくるのだ。たった今、左手を切り落とされたと言うのに。
「見てごらん、手を」
「…………どういう事だよ」
ボクの左手は『あった』。否……恐らく、『再生』した。
「結論から言うと、実は君は煉魔だったんだ。人間の姿に擬態した煉魔。人型煉魔とでも呼ぼうかな」
「そんな、わけ……!!」
「あーそうだよね。家族は普通の人間だよね、信じられないのも仕方ない。でもね昼咲君。『煉魔というのは完成された魂を目指す存在で、一般的に煉魔と呼ばれているのは実は失敗作』なんだ」
そんな事は生まれてから今まで一度も聞いた事がなかった、が……女の話は耳にするすると入り込んでいく。まるでボクの価値観を侵食していくように。
「『完成品の煉魔……魂は他の生物としてこの世に産まれる。失敗作の煉魔は様々な種族の生物などが入り混じった歪な形で、足りない自分を満たすために地球上の生物を襲う』んだよ。例を挙げるなら『吸血鬼』を目指して完成した魂は、本当に吸血鬼として産まれる」
彼女が先ほど行った『何か』は催眠術のようなものだったのだろうか。難解で理解したくない内容のはずが、脳はどんどん話を飲み込んでいく。
「君の場合は恐らく『煉魔』を目指して完成された魂だったんだろうね。元々『他の生物を目指す』存在だから、煉魔の肉体に入り込まずに……『煉魔が最も憧れを抱く生物である人間』として産まれた。だから君は人間なのに煉魔になれる。ややこしいけど、実際の君は人に擬態した煉魔ではなく、煉魔の魂を持った人間だったんだ」
「……」
呆然としているボクに、ニカっと笑った夜公は小さく呟くと……空間に穴のようなものを開けた。
「安心して。私は地頭がそんなによくない分、下調べを入念に行うんだ。君が人間の子である根拠もしっかり取ってきたよ、と」
バスケットボールほどの大きさのものを、彼女は黒い紐か何かに吊るして持っていた。
その黒い紐が『髪』である事に気づくまで、そう時間はかからなかった。夜公にされた『冷静になる』暗示のようなものがなければ──────
このまま、ボクは気付かないままでいられたのかもしれない。
「とうさん?」
見慣れた顔があった。
顔だけがあった。
「なん、で、とう───」
「よいしょ、もう一個もあるよ」
長い黒い紐がぶらんと垂れていた。二つの物体を片手に吊るす夜公は首から滴る血液を何食わぬ顔でスルーしている。
「かあ、さん」
「正解。大変だったよーほんと。君の半不死の能力が親御さんにも無いか、手足を切っては切って再生しないか待ってみて、傷口を焼いたり色々してみたけど……結局再生しなかった!これで君が『人間から生まれた、完全なる煉魔』である事は理解できたかな?」
「……」
今のボクの脳に、狂うことは許されていなかった。
「う……おぅ……が、げぇえええええ……っ!」
「あーあーあー、汚いな……これだから人間は困っちゃうね」
涙と胃液を垂れ流しながら、焼かれたほど痛む喉で声を絞り出す。
「つぼみ、は……」
「あぁ、妹さん?あの子は特別にね……」
一拍置いてから、夜公は満面の笑みを浮かべる訳でもなく、憎悪に顔を歪める訳でもなく、無表情で淡々と言った。
「もし、『人間の子から突然変異で不死身の兄妹が生まれた』みたいなケースだとしたら君は完成体煉魔じゃないかもしれない、ってなるだろ?だからご両親よりもっと入念に検査したんだけど─────丁寧にやりすぎて、肉片の一つも残らなかったっぽい!」
「………………」
何も見えなくなったのかと思うほど、目の前が真っ暗に感じた。
「……唐突だけど、私は人間が嫌いなんだ。大嫌いだね。滅べばいいと思ってる。でも─────君は煉魔でもある」
刀を床にコン、と打ち付け、彼女は囁いた。
「君なら勝てる。この絶望的な状況にだ……!家族全員死んで辛い、辛い……でも諦めちゃダメだ。私が見限った人間という種族に希望を見せてくれないか?ほら、頑張れ、がんば──────」
「殺す」
勢いよく上半身を前方向に飛ばす。ヤケクソに。自暴自棄に。
「殺す。お前だけは、絶対に殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……っ!!」
「おっと……危ない危ない。君、自分でも気づいてないだろうけど……頭部を蛇に変形させてるよ?殺意マシマシだ!」
再び夜公の白い手が近づく。
─────────意識が、薄れ、て……い…………。
「しばらくは駒として働いてもらう。でも君が目を覚ました時には……せいぜい私を殺しに来ればいいさ。その方が動かしやすい。『神の眼球』を呼びやすい。でも一つ言っておくと、無駄だと思うよ。確かに君は煉魔の王となる存在だ。全ての煉魔を創り、壊し、統べる力さ────だが、私は魔王だ、勇者のような輩には勝てなくとも……」
「『化け物』には負けない」




