51話 勧善ではない『懲悪』……正義でも悪でもなくとも、誰かの光になれるのです
「…………」
背中の上の少女は未だに目覚めない。故に、繋儀は一言も発する事無く包囲網の端に辿り着く。
「渉が何処へ向かおうとしているのか、いくら考えても答えが見つからない」
後ろを振り向き、暗い街並みを眺めながら少年を想う。
「今や殺人欲求を満たす事だけが目的ではないように感じる」
思い出すのは、渉の手を引いて今のような暗い夜の闇を走った時の事。ただ助けたくて、その一心で焦った。選択を急いだ。いち早く苦しみから解放してやりたかった──────が、その欲求は限りのあるモノではなかった。無尽蔵で終わりの無い道。榊渉は歩み続けている。
「あの日、私は渉と共に堕ちたのだと思っていた。だが……」
彼は堕ちた後の暗闇で何かを掴んだ。這い上がるのではなく、そこでの生活を充実させていく事を選択した。きっとそれは人道に反し、倫理を否定し、他者を害する手段だろう。
「……む」
ポケットに無造作に入れておいたスマートフォンが振動する。
「父様かな……」
刀は離さない。振動を感じながら、繋儀は水色の障壁を通り抜ける。
(……この子のことはどう説明しようか)
安全圏に入り、彼女は刀を置いて連絡を返そうとした。
……耳に入ってきた喧騒に手を止める。
「早く逃げてくださいっ!早く─────」
「きゃあああああああああ!?」
「なんで!なんでここに─────」
阿鼻叫喚。魑魅魍魎。
包囲網を抜けた先の景色は、大量出現した煉魔に人々が襲われるという─────さっきまでの繰り返しのような光景。
「どうして、包囲網は抜けたはずじゃあ……!」
煉魔に気を取られていた繋儀が、通常のオレンジ色の包囲網の中にいる事に遅れて気付く。街を覆う水色の包囲網の外に───また、煉魔の対応をするマゼンタ達がいた。
「……逃げ、なきゃ」
彼女からすれば、マゼンタはもう『自分たちを守ってくれる』組織ではなかった。たとえ渉の言う通りもう煉魔だと疑われることが無かったとしても、一度でも殺されかけた組織に自分の命を任せようとは思えない。
刀と少女を離さないまま、繋儀は走り始めた。
「はぁっ、はぁ……!」
運動は得意な者でも、自分と同じ体重の人間を一人抱えた状態での走行を経験したことがある者は少ない。そしてそれが得意である者はもっと少ない。膝と肺の痛みに耐えながら走り続ける事を覚悟し、繋儀は荒い呼吸を続ける。
──────そして、黒い羽が視界に入る。
(渉、繋儀さんに刀を持たせたのは何故です?)
「なぜって、普通に護身用」
生命体は実体にない首を傾げる。
(なら銃の方が良かったのでは?使いやすいでしょう)
「繋儀ちゃんがちゃんと狙って打てると思うー?他の武器でも一緒。君が守ろうとしてた時も、呑気にめそめそ泣いてたでしょ」
(酷い言いようですね。しかし、それでは刀も無意味なのでは?)
「……まだ、僕の記憶を完全に読み取っていないのかい?……いや、そうじゃないでしょ。相棒の理性やら常識やら、繋儀ちゃんへのイメージが思考を邪魔してるんじゃない?相棒、なんか言動がどんどん人間っぽくなってきてるし」
思わせぶりに渉は笑みを浮かべた。
「繋儀ちゃんは刀を持てば、繋儀ちゃんが思い描く『強い女の子』そのものになる。……仕方ないよ、これは実際に体験してみないと分からない。でもそこまでの心配はいらないとだけ。包囲網を出れば安全だろうし」
奥院仙次のような、卓越した領域の人間が『殺気』と呼ぶモノ。それは地域や民族、流派によって呼び方が異なる。仙次は独学で到達したため勝手に殺気と呼んでいたが、御愁家でもその呼び名は同じだった。異なる名前を例として挙げれば─────『魔力』、などと呼ぶ者達がいる。
「ッ!!!」
圧倒的な殺気。攻撃の意志。
攻撃はいたってシンプルな肉体によるもの。しかし人間がそれを行うものとは威力が異なる。黒い羽を散らしたその異形は、自身の鋭い爪を突き立てようとする────。
それを受け止めるのが、御愁繋儀という少女だった。
「!……ほう」
感心したように黒翼の男は息を呑み、次に自らの爪が削れ始めていることに気付く。すぐに後退し、黒髪の少女を『警戒すべき敵』として見る。
「異質な武器……魔剣の類か?いや、それはともかく……人の身で、しかもこの争いの少ない国の民で……ここまでの域に達するとは。どうやら簡単に人質になってくれなさそうじゃないか」
「……人質?」
自らを宇宙人と名乗る故人と接触済みの彼女は、その異形の姿に若干驚きつつも、慌てふため気はしない。冷静に言葉を飲み込み、人質という言葉から父を狙う政界の者かと考えたが────それは男の次の言葉に否定された。
「あの殺人鬼の少年だ。彼は一筋縄では排除しにくそうだが、親しい者を身近に置いてくれているから助かった」
「─────」
驚き、悲しみを通り越して……呆れた。榊渉はどこまでも進んでいく。彼が生きている限り、彼は自身の首を絞める方向へと歩み、同時に多くの人間の首を切り落としていく。最早、どうでもいいとすら考えた。その一瞬の激情が収まったわけではないが────呆れを超える、怒りという感情がそこにあった。
そしてちょうど、その感情をぶつけられる『悪』も存在していた。
「121回」
「……何?」
「121回だ。これは私が貴様をこれから切り刻む回数でも、私が貴様を殺害するに至る攻撃の回数でもない。くだらない世迷いの予言ではない」
最初から自分には両腕を失った少女を守る責任などない。それは渉の責任であり、自分は悪くないから。悪くないのにこうなっている。自分に危機が迫っている。その元凶を愛してしまっている……。
「それは────欲に負け、私を殺そうとした渉を今まで返り討ちにした回数だ」
怒りに身を任せた剣であろうと、彼女は負ける気で握っていない。御愁繋儀は既に、命のやり取りに染まりきってしまっているのだ。
煉魔であるはずなのに、煉器を生成することができるのは自身と『主人公』たる朝空蓮のみ。
参加者のうち、自らを煉魔であると自覚しているのは自身と『吸血鬼』たる殻町優のみ。
「……頭痛薬を飲んでおくんだったな」
夜公律の二つの認識が一瞬にして覆された。全ての計画を台無しにしてしまう可能性を孕む圧倒的なイレギュラー。
「レフォル、パル」
一体は二本のナイフを。もう一体は水流を生成し、それぞれの攻撃が兄妹へ向かう。
「離れていろ、世鶴」
「えっ……」
渦のようにうねり、水流はレフォルという獣人と共に接近する。
(水に毒が入っているか、呼吸を阻害するか。あの魚人の攻撃は直接本体を叩かなければいけないか)
まず、ナイフの獣人へと突進。目にも止まらぬ速さで、ナイフが振るわれるよりも早く頭部を掴む。声なき声を上げる獣人は彼の腕に刃を突き立てるが────通らない。
「ふん……っ」
掴んだ頭部をそのまま、魚人との距離を詰めた瞬間に武器がわりに殴りつける。世鶴まで届きそうだった水流は仙次の攻撃によって中断され、二体の異形はまとめて壁に叩きつけられる。
「『ブースト』」
攻撃を受けた二体を含め、八体の異形達が光に包まれる。夜公による支援を受けた残りの六体が一斉に仙次に傷をつけようと奮起した。
─────が。
(……見える)
レンズには彼の煉器が認識したモノの情報が表示されている。夜公律と八体の異形の筋肉量、内包するエネルギーの詳細。そして奥院仙次を脅かす攻撃反応も、見えるモノから見えないモノまで見通している。
それらは全て、強化された仙次の頭脳に入る情報を整理し直したものだ。
迫り来る矢も、風も、炎も、水も、刃も全て見切っている。異形の攻撃は『攻撃』の名を冠する事が相応しくないほど、仙次に一切の害を与えられていない。
防御をした後の一瞬。隙をついて一撃。隙をついて一撃────着実に、仙次は夜公の戦力を削っていく。
「……なるほど」
夜公は『アナライズ』という魔法を通して仙次の現在の状態を見た。先ほどまでは血を流していた仙次が、頭が良くなっただけで傷一つ受けなくなった理由を理解し、同時に冷や汗が垂れる。
「かわし切れない、かわす必要のない攻撃は『攻撃を受ける箇所』を瞬間的に筋肉を増幅させ、硬化させる事で鉄壁の防御を実現している……のか」
文字通り人間じゃない。人間という生物の身体のレベルを遥かに超越してしまっている。煉魔であろうと辿り着けない領域───脳筋という題名がただのレッテルである事を、神を嫌うはずの彼女は失念してしまっていた。
「どうした。もう終わりか」
異形の死体達は、身体中が欠損しようともなお目の前の敵を排除しようとする。既に死んでいるモノだからこそできる所業だが、いかんせん痛みを感じなくとも身体が足りないのだから動けない。
「兄、さん……?」
夜公を倒さなければ自分の命が危ない。夜公が嘘をついている可能性がある。仙次が自分を信じろと言った……世鶴がもう一度彼を兄として見れた原因だ。
彼女は再び揺らぎ始めた。自分を煉魔であると言った後に、仙次は豹変した。
「話が違くないかい?煉魔としての性質を否定するなら、君はなぜその身体能力を維持している?」
今の仙次が『脳筋』の『頭が悪い』、『何でも力だけで解決しようとする』部分を否定し、理知的になったとしたら。『力』の部分は『脳筋』に含まれないのだろうか?確かに仙次の身体が、ただの人間でも到達可能な領域であれば話は別だが、そうではない。
「決まっているだろう」
答えると同時に、仙次は足を動かした。一瞬にして夜公の眼前に移動する。
彼女の言葉が時間稼ぎのためだと、見抜いていた。
「そうなるよう、特訓しただけだ─────」
手加減のない拳という破壊兵器が轟音と共に魔王に直撃する。




