46話 扉の奥には、何が『眠っている』……のでしょう
首の傷がズキズキと痛む中、俺は空中に浮遊している違和感にだんだんと慣れ、シェーラさんとの会話を続けていた。
「…………なるほど。確かに母さんの好きな食べ物は『特にない』し、嫌いな食べ物は『にんじん』で合ってます」
「な?言ったであろう?そろそろ信じるのだ。貴様の両親が崇高にして最強の完全無血の吸血鬼を友に持っているとな」
「分かりましたよ──────」
母さんに連絡を取ってみれば一発で分かる話ではあるが、今はそんな事をしている場合じゃないし、こんな戦いに巻き込まれている事を知られたくはない。
「で、あなたが俺の味方だという事を少しは信じれたところでお願いがあるのですが」
「ほう?」
シェーラさんは俺の顔を見ながら、徐々に表情を変化させていった。なんだろう、歯に何か詰まってるみたいな感じの顔だけど…………。
「んべっ!!」
「うおああああ!?」
突如彼女の口が膨れ上がり、『何か』がそこから飛び出る。
「こ、れは──────嘘だろ」
吸血鬼の腹の中から出てきたのは……胃液まみれの、焦げ茶色の本だった。
『…………』
「流石の扱いにあんなうるさい本の野郎が一言も喋らなくなっちゃってるじゃないですか」
「気にするでない!…………ほれ、見ろ」
シェーラさんがページをめくると同時に胃液が糸を引いているせいで彼女が見せたいページより気になってしまうのはさておき、指さされた箇所に俺は目を向けた。
「この戦いに貴様が参加していると聞いた時に、サインなら済ませている。頼み事とはこれの事なのだろう?」
確かにその四角にはチェックが書かれていて、異論を付ける必要は無い。
「でもお願いは二つあるんです」
「……大体想像できるが、言ってみろ」
「蓮の所へ行く」
冷ややかなようで、俺の次の言葉を待つ暖かさが感じられる眼差し。
「世界が滅ぶ以前に、あいつが心配なんです。俺達参加者は……言っちゃ悪いけど、恐らくまともな人間は一人もいない。そして……俺と秋土がマゼンタに煉魔だと認識されていたのは、理屈は分からないけど十中八九それが理由だ」
「余の家にも礼儀知らずの煉魔狩りが飛び込んできた。もちろん打ちのめしたのだが……その件については、落ち着いてから説明をしよう」
「……え、知ってるんですか!?」
俺達が煉魔だと見なされている理由。食い気味に反応すると、「落ち着いてからだ」とシェーラさんは俺の額を突いた。
「……じゃなくて、そんな俺達をマゼンタである蓮は追っているはずだ。マゼンタは常に仮面を付けてるから……参加者が反撃して蓮を殺す可能性は高い」
「ふむ……」
一呼吸置き、彼女は言った。
「────それは復讐の言い訳か?」
「…………まさか」
心臓を掴まれたかのような冷たい声。動じた様子を見せないように俺は平然を装う。
「俺にとって蓮は全てだ。何事にも優先する」
「……信じてもいいな?余が貴様の味方である事を理解するのだぞ。取り繕う必要は無い」
「もちろん。本心です」
そう、本心だ。復讐したところできっと俺の心は満たされないし、負の連鎖が生まれる。俺を恨む人間が増えたなら、それは蓮に危害が及ぶ可能性が高くなるという事。そんな事をわざわざする意味はない。
ない……はずだ。
「なら今すぐその、朝空蓮のもとへ向かっても良いのだが……その前に」
「?」
尖った爪を俺に突き付けてシェーラさんは言った。
「その首、どうした?」
「え……あ、あぁ!これの事ですか。確かに大きいけがに見えますよね、これ」
指先の方向は俺の首。包帯でぐるぐる巻きにされたままだったから、気になるのも仕方がない。
「大丈夫ですよ、ちょっと怪我しただけです。今も少し痛みますが、大分マシに……」
かなりの嘘だった。アクシデントが起きた傷でもないし、痛みはなぜかぶり返してきている。
「……スマホ、用意するのだ。持ってるだろう?」
「え?」
そう言ったシェーラさんは……するどい爪で俺の包帯を引き裂いた。傷口が外気に晒され、ひんやりとした感触が現れる。
「ちょ、え……スマホ?」
「カメラを起動しろ。内カメだ。理由は見れば分かる」
『吸血鬼』という存在が現代の技術の名称を普通に口にしていると、別におかしくは無いのだが少しだけ違和感という物があった。そんな考えを自分でもくだらないと思いながら、俺はカメラを起動した──────。
「──────なんだ、これ」
目を見開く。映された俺の首元を画面で何度も見返す。手で首を触りながら、確かに『かさぶたの一つも無い』状態であると視覚と触覚の両方で理解してしまう。
だが俺の視覚は、首の傷があったはずのその位置に、『黒い模様』が刻まれていたという現実をすんなりと受け入れてくれるほど利口では無かった。異様な治りの速さに加え、まるで魔法のような何かを施されたとしか思えない。
『鍵穴』の形をした漆黒の刻印は、不思議と触れるのを拒みたくなるような気味の悪さが滲み出ている。
「正直に言え、行人。何があった?この印からはただならぬ『力』を……というよりは『意志』を感じる。触れてはいけない、覗く事ですら害を被る底知れぬ闇の類だ」
「こ、れは、その……」
切迫したシェーラさんの表情から、俺は今すぐにその理由を伝えたかったのだが……いかんせん理由が理由なものだから、少しつっかえてしまった。
「言えないなら良い……余の予想というか、ほぼ確信しているが。これは『吸血』に近いものだ」
鋭い爪先が俺の首元をなぞる。
「元来、吸血鬼はどんな形であれ良品質の血液を飲めば生きていられる。最近は冷やした血じゃないと飲めないみたいな甘ったれた若造も増えているくらいに、人間の首筋に歯を突き立てて飲む者は少ない。だが……直接の吸血は、ただの血液補給以外の目的がある」
「……それは?」
「同時に自身の血を流し込み、その人間を眷属に……『吸血鬼』にする時。古来より儀式的な意味合いを持っているのに加え、眷属を作るならこの方法が最も安定すると言われている」
「でも俺は吸血鬼になった訳じゃ……」
「問題はそれだ。『吸血鬼以外』が『吸血』に近い行為をする意味。それが不明なのだ……『何か』を貴様の身体に流し込んだか、あるいは貴様の血を摂取する事が目的だったか、だ」
顎に手を当てるシェーラさんを見て、俺は恐る恐る口を開いた。
「その、理由なんですけど」
「言う気になったか?」
先が気になるという顔をされて、若干の圧というか、緊張を感じながら言う。
「秋土に……協力してもらっていた参加者の『霊能力者』に…………」
「……やはり、あの娘か」
「その、キスマークを…………」
「ん?」
「き、キスマークを付ける感じで、どさくさに紛れてガブリとやられちゃったっていうか」
拍子抜けしたシェーラさんの顔は、少しの間をあけた後、笑顔に変わった。
「ふはは!なるほど、そんな経緯があれば説明しにくいのも仕方ない。そうかそうか……『そういう』関係だったか」
「いや……そんなんじゃ」
自分でも今、顔が赤くなっているのが分かる。だが結局、俺と秋土の関係性はただの協力者に過ぎないはずだ。同居人ではあるが、友人というと微妙。恋人なんてもっと遠くなるが……でも、大切な人ではあった。
「なら、これから先の説明はあの霊共に任せた方が良さそうだな。が……一つ言っておかなければいけない事がある」
「!」
優しくも、諭すような厳しい目つきでシェーラさんは言った。
「貴様のさっきの様子からして、あの霊能力者の娘は死んだのだろう?」
「……はい」
「ふむ…………死んだと思ったらよく分からない置き土産を用意されていて、信用が揺らいでいるかもしれないが、余はそう悲観的に考えるものではないと思っている」
その言葉は俺にとって都合のいいものだった。…………あいつが残してくれたものなら何であれ、喜んで受け取りたかった。
「貴様には分からないだろうがな、さっきから感じるのだ」
「感じる?」
「あぁ……余に対する圧倒的なまでの、小娘の『敵意』を。ふはは、何度も向けられた覚えのある感情だ。余は美しいからな、既に恋人のいる男を魅了してしまう事など身に覚えしかない。貴様も分かるだろうがな」
「…………というと?」
「『これは私のモノだから手を出すな』だ。黒く、深く、しかし純粋な感情をこの模様から感じる」
「…………」
どんな顔をすればいいか、分からなかった。
「死した者の感情は『力』でしかない。貴様のそれは切り札であり、爆弾だ……下手したら、『他の女と仲良くする』だけで死んだりするかもしれないな!ふはは」
「だったらもう死んでてもおかしくないじゃないですか、あんたに抱き着いてる今の状況────────」
言ってから気付く。
「…………はは、なんだ。そうか」
さっきからずっと、痛みは続いていた。
ー ー ー ー ー ー ー
「参った参った。だが『吸血鬼』と対面する前に気付けて良かったと考えるかァ……」
霙はずっと気がかりだった。
彼は『次会ったらどちらかが死ぬまで殺し合い』というシェーラの言葉を覚えていた。ひれ伏す霧間行人に声をかけていたあの瞬間もだ。
だというのに彼と話した瞬間、それが脳内から吹き飛んだ。まるで脳に何らかの干渉、洗脳のようなものを受けたかのような認識の阻害。判断力の低下。
「『何か』がある…………だが、この答えには自力で辿りつきたい所だ」
はるか上空から、千里眼を発動する。
「……『イケメン』は『吸血鬼』と結束……『魔王』と『脳筋』が交戦中……『化け物』が『主人公』と対面……『殺人鬼』と『宇宙人』は楽しそうに人殺し……『未来人』は逃亡……『霊能力者』は死亡……そんでこのオレ、『人知を超越せし者』は優雅に空中散歩」
順番に指を折っていく。
「争奪戦参加者と朝空蓮を足して13人。それが物語の主要人物。…………『あと二人』は未だに姿を見せず」
ポケットから四角い物体を取り出す。スマホにしては分厚いその機械は、迎え撃ったマゼンタ達から盗んだ探知機だった。
「オレが見た参加者達の位置と照らし合わせると、朝空蓮以外の参加者達がここに表示されているのが分かる。だが点の数は11個。『二人』の内一人は包囲網の中にいるが、もう一人は外にいる……」
霙は探知機に表示された点の中の一点───────まだ姿を見せない参加者の一人を睨む。
「そしてそいつがいる場所がここ。いつまでもイモってた奴が勝ちって結果は、オレが負ける事より最悪だからなァ……!」
瞳を血走らせ、霙を周囲を見渡す。夜の闇は未だ明けない。黒い空が覆う中、彼の持つ探知機の表示が変わる。
超能力者を表す点と──────もう一つの点が、重なった。
「────────あァ?」
痛み。突如訪れたそれは思考を鈍化させ、背筋を凍り付かせる。
(それってもしかして……私の事かな?)
『霊』の右腕が、袖に通すように霙の胴体を貫いた。




