37話 人間という種は一歩一歩着実に『進歩する』……ものです
「ささ、君の王の活躍をそこで見ておいてくれよ」
「はっ」
冗談交じりの夜公の言葉に、ルファスと呼ばれた黒翼の男が傅く。
暗い夜の森。幻想的かつ恐怖心を増幅させるその場所で───────彼女は長い棒状の物……杖を何処からともなく取り出した。
「まずは……召喚魔法からだね」
杖で地面を突いた瞬間、草花生い茂る大地に光る紋様が現れる。……魔法陣と呼ばれるものだ。
「我、魔界を統べる者。異界よ、我が願いを聞き届けよ。終の獣。人を冒涜せし神の爪。連鎖する魂をここに────────」
空気が震え、木々が揺れる。魔法陣の輝きがより一層強くなり、彼女は呟く。
「『サモン・マジス』」
それは彼女の言葉で『煉魔』を表していた。
光の柱が立つ。眩い輝きが周囲を包み、やがてそれが消えた先にあったのは────────
「グ、オオアアアァアア……!」
一体の、四足歩行の煉魔だった。
「マジスですか。……小さいですね。あまり強力な個体ではないようですが、なぜ?」
「この子にはちょーっとお使いを頼みたくてね」
夜公はその犬のような獅子のような獣の頭部を撫でながら、自分の子に小銭を渡して夕飯に足りないパーツを買ってきてもらう時のように言った。
点が表示された地図を見せながら。
「ここの地点……分かるかい?ここにおっきい箱があるんだ。棺桶みたいなね。それを君に開けてきてほしいんだ。中に私達のお友達がいてね。出来るかい?」
「グ……グオォ?」
「出来るかい?」
「グオオオォオオォオオ!!」
「良い子だ!」
獣は暗い夜の中を凄まじい速度で走り始めた。それを見て満足げに夜公は微笑む。
「……本当に大丈夫ですか?」
「安心しなよ。中に入ってるのは人型のくせして特大、特級の『煉魔』さ。私が命じなくとも……自然に吸い寄せられてしまうかもしれないほどの」
ー ー ー ー ー ー ー
奥院仙次。言わば、『落ちこぼれ』。
「仙次。これが煉器というものだ」
通常、煉器というのは煉魔と干渉する……『感応現象』を人間が起こす事によって、生成することができるようになるケースが多い。
奥院家はそれとは別で、そもそもの血筋が感応現象によって特殊なものになっているからだろうか、一族の一部を除いたほとんどが約10歳ほどで煉魔生成者となる。
言わずもがな、奥院仙次はその一部だった。
「12歳になってまでその体たらく……仙次、お前は本物だったな」
褒める時に『化け物じみている』等のマイナスの言葉を使う事があるのなら、彼の父はその反対に貶す時にプラスの言葉を使っていた。嘲笑するように、吐き捨てるように。
貶められながらも、14歳にして彼はようやく、自らの煉器を生成する事に成功した。
「なんだ、その小さな──────まさか、それがお前の煉器だとでも言うのか……?」
父はもはや彼にひと握りの期待すら抱いていなかった。仙次の煉器の姿は、そんな父に生まれた僅かな希望すらも打ち砕いたのだ。
赤い、小指程の大きさの小さな輪っか。形は歪で、綺麗な輪にもなっていない。
武器の形をしていないどころか、全くもって殺傷能力がない、何か。
「兄さん……大丈夫?」
妹である世鶴はいつも彼を気にかけていた。才能に恵まれていた彼女は周囲から優遇されるが、冷遇されている仙次に対して敬意を欠いた態度は取らなかった。
「仙次!一緒にゲームでもしないか?頭使うってのは意外と楽しいんだぜ?」
奥院家の長男であり、周囲からの重圧がかかっているはずの彼の兄も、普段から考えなしに行動する仙次のために何かできる事は無いかと模索していた。
だが、仙次は少しだけ……おかしくなってしまっていた。家庭内の立場による重圧、そのストレスのせいだろうか。そう考える事が一番楽な道であるのにも関わらず、仙次は『生まれつき』という解答を出し、それが正解だと信じている。
「稽古?でも…………分かった。仙次がどうしてもって言うなら───────」
その日、彼は勝ってしまった。圧倒的に完膚なきまでに。
兄としてのプライドがへし折れるほどに、奥院家長男は敗北してしまった。煉器を生成できない、一般人と変わらない年下に。
その稽古は二人の間だけで行われたため、仙次の実力が家族に露見する事は無く、仙次の隠してほしいという希望を聞き、兄も自分から言う事は無かった。
だが。仙次は自然と目を付けてしまった。
『特別才能がある妹なら、もっと骨のある戦いができるのではないか』
その思考が芽生え、身体が勝手に動き、世鶴に話しかける一歩手前で、彼はようやく『考えた』。なけなしの頭を使った。
『仙次……お前───────』
思い浮かんだのは、自分に負けた瞬間の兄の言葉。
『すごいじゃないか!煉器も無しに俺に勝つなんて…………一体どれだけ努力したんだ!?』
嫉妬、憐憫、憎悪と言ったものが一切感じられない、心からの賞賛。産声を上げた時と、その言葉を伝えられた時と、その言葉を世鶴の前で思い出した時の三回のみが、彼がこの世に生を受けてから涙を流した回数だ。
心の底から、彼は彼自身に失望した。自分は『兄』として失格であり、この家にいるべきではないと判断した。
それが分からないほど自分の脳が死んでいない事に僅かな希望を持ち、彼は外の世界を知りに家を出た。
考える事が苦手で本能で動いてしまう、闘争を求める自分を上手くコントロールしていくためにはどうすれば良いのか───────────
「ようやくお前とっ!躊躇いなく戦えるなァ!」
彼の身に宿っているのは『正当防衛』という免罪符と、世鶴の『成長』という安心、期待。だからと言って過去の誓いをこうも無下にして良いものだろうか?普通ならば立ち止まって考える。だが……彼は先ほど、世鶴が現れた時に一瞬だけ『頭を使った』。その刹那の時でさえ、彼の脳には過度な負担がかかる。
端的に言えば、今の奥院仙次は難しい事が考えられない。
「フッハハハァ!」
巨躯が両手を広げて突進する。トラックが迫ってきているような危機感、圧迫感。
世鶴は冷静にその突進を捌き、回避。すかさず弦を弾き絞り、頭部めがけて矢を発射する。
「フハハ!」
流れるような最小限の動きで、彼は首の角度を調節し矢を躱す────────などという戦法はとらない。
仙次は迫りくる矢を、頭突きで無理矢理叩き落した。
「っ!?」
「どうした世鶴ゥ!」
世鶴は再び突進する仙次をかわし、矢を放つ。
「脳無しめ……!」
精一杯の憎しみと理不尽への怒りを込めながら、彼女は同時に複数本の矢を発射する。先に放った一本と、曲がりくねりあらゆる方向、角度から遅いかかる4本。
「フンッ!」
その全てを、仙次は振り払った。ただ両腕を振り回すだけ。彼の身体に傷はつかず、世鶴の攻撃のみが一方的に破壊される。
「なっ──────」
「どうした?これで終わりか?」
ゆっくりと歩み寄る。彼女を殴るため。妹に制裁を与えるため。
そして、踏みしめたその右足が爆発する。
「ッ!?」
「本当にあなたは……愚か、としか言いようがない」
これは武芸者同士の神聖な戦いではない。
正義の味方による、悪の抹殺だ。当然世鶴はマゼンタとしての煉器以外の兵装も当然使用する。簡易地雷を踏みしめた仙次に、すかさず世鶴は攻撃を仕掛ける。
「あなたは何も成長していない」
退路を塞ぐように手榴弾を投擲。仙次の周囲に重々しい物が落ちる音が聞こえた頃には、世鶴は既に弦を引き絞っている。ギリギリと指が痛くなるほど張られる弦。憐憫と軽蔑の裏に潜む怒りが顔を見せ──────矢は放たれた。
「っ!」
まるで未来の兵器かのような、極太の光。周囲の煉魔という存在を一切許さないその一矢が彼を貫く。
「……全く」
もはや、かつての家族に対する愛は残っていなかった。仙次が離れた事により、彼女の仙次に対する印象は周囲の人間に操作され始める。と言っても……その周囲の人間は仙次はろくに働かず喧嘩ばかりの落ちこぼれという事実を言っていただけだったが。
しかし、それでも残っている物があるとすれば。
「良い一撃……とは言えないな。まぁまぁぐらいの一撃だったぞ」
「……え」
彼自身だ。あれだけの攻撃を受けても尚そこに仁王立ちしていた奥院仙次だ。世鶴は目を見開いて五体満足の仙次を見つめる。彼女自身、今の攻撃で殺せたとは思っていなかったが、ほとんどの煉魔なら無力化し、再起不能の状態に持ち込めたはずだった。
目の前に立つ悪魔は傷一つ付いていない。
「後、そろそろ飽きてきた」
「……は?」
「お前とはもう少し早く戦っておくべきだった。今の俺では、今のお前はつまらなすぎる」
世鶴はまだ理解が出来ていなかった。仙次の事を頑丈なだけの煉魔だと、いまだに思い込んでいる。この状況において、自分が絶対的勝者であると信じている。
彼女は奥院家長男が仙次に負けた事を知らないため……それも仕方のない事なのかもしれない。
「じゃあな」
その言葉が発せられた瞬間──────────
「え」
彼女の視界は赤に染まった。
「え、あ……がはっ」
「加減が難しいな。気絶程度で済ませる調整が分からん」
世鶴は段々と今の状況を理解していく。
まず、仙次が急速に接近した。ありえないスピードだった為受け入れ難かったが、ここを飲み込まない事には整理が追いつかない。
そして次は至ってシンプル。頭を掴まれて壁に叩きつけられた。
(……瓦礫。壁が、割れてる)
理解はしていたはずだった。目の前の存在が煉魔であると。しかし、生身の人間では到底不可能な力を目の当たりにし、改めて本当の理解と『恐怖』が同時にやってくる。
(兄さんは……この怪物はどうやって、どうして生まれた?私達と同じ人間だったなら……いつから煉魔に……?)
「よし。我慢しろよ世鶴」
奥院世鶴という人間のトップスピードの火力を受け、そしてそれが自分を楽しませるに至らない物だと悟ってしまった彼には、世鶴に対する戦闘的興味はもうない。その熱はすっかり冷え切ってしまった。ただ、事務処理のように拳を振り上げる。
「じゃあな」
握った右拳が躊躇なく自らの妹に振り下ろされる。空を切り、肉を潰し、その奥の石すら破壊するであろうその攻撃は──────────
「グルルルルル……!」
「…………」
一匹の小さな獣型煉魔の唸り声と、一匹の虚ろな瞳の人型煉魔の手によって止められた。




