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19話 『母の愛が美しいのではなく、その人の愛が美しい』……のです

「染みる……っ」


 鏡を見ながら、消毒液を含んだティッシュを当てる。首筋に生まれた赤い領域。歯形もきっちり残ってるし、周りは安心と信頼のただ一つの変わらない吸引力によって内出血していた。


 隠すように、ガーゼを押し当てる。


「おい!巻け、包帯」


「はいはい」


 隣でスマホをいじっていた秋土に呼びかける。その手に持った包帯がぐるぐると俺の首に巻き付いていく。


「行人クンを殺せば、行人クンはあたしの心の中で永遠に生き続けて、一つになるの…………」


「二度と言うなその冗談。普通にビビる」


「へいへい」


 一瞬きつくなった包帯は苦しくない程度の巻き具合に収まり、秋土の手によって固定された。


「あーあ。お前のせいで学校の連中への説明がめんどくさい」


「そう言うなって!あたしの腕とお腹の刻印も、彫った時はめちゃくちゃ痛かったけど時間が解決してくれんだよ」


 ソファをベッドだと思い込んでいるのか、この女は俺が座っている所まで足を伸ばしてきた。


「足どけろ。うざったい」


「お風呂入ったから臭くないよ?」


 俺の太ももの上に、二つの足が乗っかる。


「……行人クン、見てこれ」


「あ?」


 上体を起こした秋土が見せてきたスマホの画面は、ニュースサイトを表示していて──────。


「…………煉獄の、発生予兆」


「だってさ。今日のお昼くらいに発表されてたみたい。早くて約二か月後…………樹愁町を中心に発生、って」


「……煉獄、か。あぁ、蓮が心配だ」


 周期的に起きる煉魔の大量発生。多くの被害が出ると想定され、今回こそ予兆が確認出来たが、一昔前はいつ起きるかなど全くの不明で、まさに天災そのものだ。


「樹愁町を中心にかぁ……あ、避難所の情報とかも出てるよ。明日から入れるっぽい」


「争奪戦参加者はどうするんだ?避難するのか、この町に残るのか……」


「あたしだったら避難するよ。……参加者を全員殺してから」


 秋土は再びソファに後頭部を付ける。


「参加者がバラバラになれば、見つけるのはどんどん難しくなる。焦って勝負を仕掛ける……そういうヤツが増えるだろうね」


「……」


「行人クン、あたし達も仕掛けるよ」


「……仕掛ける?」


 勝負に出る、という事か?秋土の戦闘力を信じていない訳じゃないが、それより上がいる可能性だってある。例えば吸血鬼なんて、霊能力者よりよっぽど得体が知れない。


「一番まずいのは『煉獄の中でも生き残れる』奴がいた場合。ほら、朝空クンはマゼンタだから煉獄でもきっとこの町に残って戦うでしょ」


「…………そうか」


「うん。もし世界を終わらせようとしている奴がいるなら、あたし達がこの町を離れると朝空クンを守れなくなる。未来人ちゃんの言ってた最悪の結末が、早まるかもしれない」


「そうなる前に、二か月が経つ前に、この争奪戦を終わらせる……」


「で、危険そうな参加者は殺しておく。大丈夫、あたしがやるから」


 ……争奪戦終了後、主人公に成れない事が分かって蓮を殺す参加者がいる。薪ちゃんの言葉を信じるなら、本にチェックを入れただけでは安心できない───────。


「という訳で。早速明日の放課後────────」


 部屋中に高音が鳴り響く。

 ピンポーンと、インターホンが鳴った。


 飛び跳ねるように、当然な顔をしながら秋土がドアへと向かう。


「あたしが出るよ」


 これも、万が一のことを考えた行動なのは分かってる。

 ただ、俺の知り合いが来訪してきた場合、とても面倒な事になってしまうが……。


「よっと」


 秋土がドアへ向かうなら、俺はモニターを確認しよう。

 重い腰を上げる。そして、画面の奥、ドアの前に立っている人物を、俺は確認した────────。


「…………あ」


 全ての肌が、鳥肌になった。考えうる限り最悪の事態。恐らくどの参加者よりも来てほしくない人物。


(駄目だ、秋土と会わせたら……!)


「おい、止ま」


「どちらさまー?」


 時はすでに遅し。ドアは開かれ、秋土はその女性と目を合わせていた。


「えーと、それはこっちの台詞なのですが……」


「え?」


「あ、もしかして!」


 あぁ……最悪だ。


「行人の彼女さん!だったりする?」


 その女性…………俺の母である霧間(きりま)(あや)は目を輝かせながら、秋土の肩をガシッと掴んだ。


「ちょ、母さん!」


「え?なんで分かったんですか!?どうも、秋土一鳴と申します」


「お前は平然と噓を吐くな。クソ、よりにもよってなんでこんなタイミングに……!」


「心配になって来ちゃったの。ほら、アレが来るって言うし」


 煉獄の事だというのはすぐに分かった。


「って、首!どうしたのそれ!怪我?」


「あぁ、軽く切っちゃってね」


「ごめんなさい、息子さんの首はあたしが噛んじゃって……」


「なんでそれをわざわざ言うんだお前はァ!!」


 俺は今すぐこのクソ吸血鬼もどき女をぶっ飛ばしてやりたくなったが、単純に戦ったら俺が負ける上に母さんの前だからやめておく。


「あらそうなの」


「お義母さんすごい!行人クンと似て反応が淡泊!」


「あ、ほらこれ。炊き込みご飯と煮物と、冷凍のパスタね」


「あぁ、うん。ありがと」


 大量のビニール袋に入った食品を受け取る。


「じゃお母さん帰るから!さっさと避難しなよ二人とも!」


「え、お義母さん、ちょ……」


 パタン、とドアは閉まる。

 稲妻のようなスピードで、母さんは訪ねてきて、そして去って行った。


「一瞬で出て行っちゃったね。気ぃ使わせちゃったかな?」


「…………いや、それもあるけど」


「?」


 大きな理由じゃない。本当の理由は別にある。


「この町と煉獄が、母さんは嫌いなんだよ」


「……煉獄が嫌いなのは分かるけど、樹愁町が?」


「あぁ」


 渡された食品を闇雲に冷蔵庫に詰め込む。あぁ、数が多い。助かるけど。


「父さんは煉獄で死んだ」


「……なるほど」


「俺を庇ったとか、クソデカい煉魔に襲われたとか、そんな大層な感じじゃなくて。単に逃げ遅れて死んだ」


 この世は非凡で満ちていない。非凡は確かにあるが、それをはるかに上回る平凡で形作られている。


 俺の父は、普通に煉魔に殺されて死んだ。


「母さんは父さんにぞっこんだったから、そりゃ辛い。ついこの間、俺が高校生になったのを機にこの町を出た。……樹愁を歩くたびに父さんとの思い出やらがフラッシュバックしたりするんだろうな」


 遠也が死んですぐの頃なんかは、俺も良くそうなった。


「でもそれ以上に──────父さんによく似ている俺の顔を見たくないんだと思う」


「……それは流石にネガティブすぎない?」


「いや、冗談抜きで似てるんだよ。……ほら、写真」


 スマホのギャラリーを遡り、見つけた写真を秋土に見せる。幼い頃に撮った家族写真だ。


「うわめっちゃ似てる!イケメンだねぇ~!」


「俺の方がイケメンだけどな」


「いや、そうだけども。てか、ちっちゃい行人クン可愛い~!これ後で送っといて!」


 そう、俺の方がイケメンなのだ。父さんの顔に特に欠点がある訳ではないが、例えるなら100点が120点になったような感じ。


「親御さんに会っちゃったし、これはもう公認って事じゃね?」


「黙れ。………そういえばさっき何か言いかけてたけど、あれは?」


「あー、次の協力者を探しに行こうって話」


 母さんが持ってきた袋に入っていたチョコレートを勝手に喰い始めた秋土は再びソファに座る。


「もちろん、協力してもらえそうになかったら殺すけど」


「……で、誰にするんだ?」


「もちろん、『一番マシそうな奴』だよ」


 ……大方察してはいた。

 未来人の次にマシな奴。と言えば一人だ。


「────『脳筋』、か」


「正解。未来人よりは攻撃性はありそうな題名だし、脳筋っていう……意味不明だしふざけてんのかって感じだけど他よりはマシって事で」


 脳筋。もはや○○人とか、そういうのではなくなってしまった。本当に題名にそう書いてあったのか???いやでも、系統としては俺の『イケメン』の方が近いし、イケメンの方が戦いに向かな過ぎてるな。まぁ、秋土が情報をまとめた紙に書いてあった一人で、もしそこの情報が間違ってるのならその時はその時だ。


「えーと、名前はなんだっけーっと。あった!」


 秋土が取り出したくしゃくしゃの紙を覗き込む。


奥院(おういん)仙次(せんじ)

 漢字も読み仮名も、丁寧に記されていた。


「こいつが、『脳筋』───────」


「ぶふっ!」


「……くくっ」


 我慢してたのに、秋土が噴き出した直後に俺も笑いを漏らしてしまった。


 いや、なんだよ脳筋って!!































 その日の夜。

 曖昧な夢を見た。


 状況は現実と変わらない、自分の部屋で俺が寝ているというものだったのだが、起こった現象と覚えている部分が少ない事から、多分……夢だと思う。


 暗闇の部屋の中、俺の顔の真横に少女がいた。部屋に立っていた。俺を覗き込んでいた。


 俺は一言も発さず、1ミリも動かない。

 夢の中でも例の首筋の傷は疼いていた。


 少女の顔は、どこか見覚えのあるようで、初めて見る。


 掠れた声の、囁きが聞こえた。

 ただ一言だけ。


「お姉ちゃんは噓を吐いてる」


 そして、少女の姿と俺の意識は月光に消える。
















 ー ー ー ー ー ー ー


















「どうしたの、律」


 マゼンタ正式隊員である奥院世鶴も、この土日は家に帰っていた。最も、実家は遠くにあるため、樹愁町に住んでいた肉親の家に泊めさせてもらっている。


『ごめんね、夜分遅くに』


「大丈夫」


 同級生、同期で仲が良い夜公との会話でも、彼女は常に最小限の言葉で喋る。


『実は、一週間後に……煉獄の前哨戦みたいな?煉獄に比べれば小規模だけど、普段よりかなり大掛かりな作戦を計画してるんだけど』


「うん」


『その作戦の名前が決まらないんだ』


「…………そう」


 またどうでもいい事を考えている、と頭の中で呆れる。


『一緒に考えてくれない!?明日皆に言うからさ、もう時間がない。焦って頭が痛くなりそうだ』


「めんどくさい」


『そんなぁ!』


 電話越しでも、世鶴には悲壮感漂う夜公の顔が想像できた。


「そもそも、どういう作戦か教えてくれないと」


『あぁ、そうだったね』


 しかし──────この瞬間、夜公律が不気味な笑み浮かべていた事は、付き合いの長い世鶴にも分からなかった。


『樹愁町に潜む、例の人型の煉魔を殲滅する作戦なんだ』

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