10話 『ほのぼのボーイミーツガール』……とかどうでしょう。合ってない?
────────それは、追憶の彼方。生命体が解析出来なかった榊渉の記憶の一部。
忘却の果てに閉じ込めているようで、頭の中に無かった瞬間はひと時もない。
「い、いや……やめ……っ!」
手は縛られていた。
「やだ……むぐっ、うむぅ……!」
見ている事しか出来なかった。
「あ、や、あ……いっ、あ……!」
聞いている事しか出来なかった。
「あ…………う……」
縄がほどけた時にはもう手遅れだった。
それでも────────少年は、それを手に取った。
その日、彼の運命と彼の物語の題名は決定したのだ。
御愁という字の刻まれた門がある、巨大な屋敷。樹愁町に住むものなら誰でも知っていると言っていいほどの大きさと豪勢さを持っている。面倒なのが『綺麗な人が住んでいるデカい屋敷あるよね』という質問に対して『どっち?』と言わざるを得ない事。第三中学校裏の屋敷と御愁家の屋敷と答えが確定しないのである。御愁家の屋敷は『和風の方』とよく答えられる。
そして土曜日の昼頃。その屋敷に向かって、美しさをよく褒めたたえられるその顔を俯かせながら、少女が歩いていた。対煉魔組織の包囲網が張っていて、普段とは異なる帰り道になってしまった事が原因ではない。背中に背負っている竹刀が重いからではない。
ここ数日、彼女の幼馴染が帰ってこないのだ。
「……本当にしてしまったのか?」
何をしたかは、言わない。
それが事実である事。それを止められなかった自分を受け入れられず、ずっと雨の日のようなテンションが続いている。
…………そしてそれは例えるなら、雨雲を裂く一筋の光。
「ここにいたんだ、探したよ!」
「……え」
背後から聞こえてきたその声こそ、彼女がずっと求めていたものだった。不安げに揺らめいていたポニーテールが勢いよく回る。
「……渉、なのか?」
「そう。僕こそが榊わた」
「渉っ!」
言い終える前に、御愁繋儀はそのボロッボロの学ランを着た少年に抱きついた。
「貴様っ!探したはこっちの台詞だ!!」
「いた!痛いよ」
そしてすぐさま彼の頭頂部を殴りつけた。何度も何度も、ここ数日間募っていた不安を込めて。
「どうしたんだ、この制服は。誰かにやられたのか?それともまさか…………いや、身体に傷は無いみたいだな」
「うん。傷の方は直しておいたからね」
(体は修復できましたが、制服は厳しかったですね)
「とにかく、今日は私の家でゆっくり休んでいけ。そうだ、父様が昔着ていた制服があったはず。それを貸そう」
微笑みながら、繋儀は言った。まるでさっきまでの沈んだ顔が嘘みたいな眩しさで。
「あぁ、申し訳ないけど今は用があるんだ。恋人と過ごすのはとても重要な事だと思うけど」
「……そうか、なら……ん?」
「え?」
「こ、こここ恋人、だとっ!?」
まるでさっきまでの眩しい笑顔が嘘みたいな真っ赤一色に顔を染めた。
「え」
「き、貴様っ……一体どういう冗談だ……!?」
「あれ、僕何かおかしい事言ったかな?」
「き……き貴様がそう望むなら、私は……でもこんな形で……」
「あぁ、そっか!忘れてた、僕と君の関係を的確に言い表す言葉、それは幼馴染だ!」
「え、あ、まぁ、そう……だが…………」
「ごめんね、少し頭を打ったみたいで記憶があいまいなんだ」
「そ…………そうか…………」
なぜか悲しそうな表情をしながら、繋儀は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、僕はこれで───────」
「……待って」
穴の開いた学ランをギュッと掴む。ちぎれて裂けても構わないと言わんばかりの強さで、彼女は自分と屋敷の方向へ渉を引き寄せる。
「どうかした?」
「やっぱり、今日は私と一緒にいてくれないか」
彼女は再び顔を俯かせる。
「頼む」
「分かった。いいよ」
「……感謝する」
学校ではその優秀さと美しさから周囲から尊敬や畏怖の目を向けられている彼女が、信じられないほど弱弱しく微笑んだ。
そして──────生命体は理解に苦しんでいた。
(どうしてこうも地球人は難解なのでしょうか)
榊渉の記憶の解読はまだ終わっていなかった。彼の故郷の惑星に文明を築いていた生命体と、地球人の思考や生活がかなり異なっていたのだろう。
……最も、普通の地球人にとっても榊渉の人生は理解に苦しむものになったであろうが。
「久しぶりだね、君の部屋にお邪魔するのは」
なんとか記憶をほじくり出し、防虫剤の匂いのする制服に身を包んだ生命体は発言する。できるだけボロを出さないように、できるだけ自然に。
「そうだな……昔はよくここで二人で勉強をした」
「懐かしいね」
「あぁ……」
和室の連続するこの屋敷において、唯一ぬいぐるみや華々しい色に包まれた一室。掃除も繋儀自身が率先して行うため、この部屋に入った事があるのは繋儀と彼女の家族と渉のみだ。
生命体は自然と、「心地いい」という感想を得たが、それが榊渉による影響である可能性は高かった。
(恐らく、死んだはずの渉に私が入り込んだ事で、渉の脳が蘇生のような反応を起こし、私の思考に影響を及ぼしているのでしょう)
不思議な感覚ではあったが、不快では無かった。
(もし渉が完全に蘇生するような事があれば、全力で償いをしたいです)
むしろこのまま順調に回復してほしいとまで思っていた。治療する前の無残な死体を見ている彼にとっては、単なる縋り、淡い希望でしかなかったが。
「本当は今日、どうしてそんな傷をつけて帰ってきたのか聞こうと思っていたのだ」
「?」
繋儀は正座しながら、渉を真っ直ぐと見つめていた。
「でも、やめた」
「じゃあ、何をすることにしたの?」
きょとんとした顔で少年は尋ねる。
「それはな……」
繋儀は背後に隠していた右手を前に運び────────。
「え」
────────その錆びついた包丁を、彼の首筋に突き付けた。
ひんやりとした感触がまるで首筋から身体中へと伝染していくように、触れていない箇所まで凍える感覚。
彼にとって慣れない機能である鳥肌が全身を覆うのは二回目だった。一回目は森の中で大量の虫に覆われた時。
生命体の本能が危険と恐怖を叫んでいる。
(異常発生。緊急事態。理解不明。なぜ私は今武器を突き付けられている?)
生命体の思考が追いつかないまま、繋儀はさっきまでと同じトーンで話すのを続ける。
「勘違いしないでほしいのは……」
右手を固定したまま、繋儀は渉の首の裏を左手で掴む。
「よくあるサイコパス診断?の回答にあるだろう。殺したい相手に使うのは新品の良く切れるナイフか、古びたナイフか。サイコパスは相手を長く苦しめる為に古いナイフを使うという、なんとも分かりやすい上に広まってしまって効果が失われたものだ。私は別に、あれのように自分がサイコパスだと主張したいわけではない」
「は、は。はい」
生命体は震える口でなんとか返事を紡ぐ。
「──────これは、貴様……いや、渉が私の兄をめった刺しにして殺した時に使った包丁だ。……ふふ、知っているか?」
「知ら、なかったで、す」
その身に起きている状況が、奥深くに閉じ込められていた記憶の扉を開ける。
(あぁ渉。酷いじゃないですか、こんな大事な事を隠していたなんて)
急いで記憶の解読を始めようとするが──────上手く行かない。榊渉の肉体が思い出す事を阻んでいるのか。生命体が感じた『恐怖』という感情に阻まれているのか。
どちらにせよ、そんな余裕はなかった。
「答えろ。渉を何処へやった。貴様は……何者だ?」




