化想操術師の日常48
俊哉の車を山の麓で降りて礼を言い、颯には勇気を貰って、たま子は山の上にある九頭見邸に向かった。
山の中は、数日前の騒動の痕跡が所々に見えた。火が移ってしまい、焼け跡が残る木の肌を見ると、胸が苦しくなる。街も大きな火災はなかったが、火の被害がなかった訳ではない。偽物の火を消す振りをする為に、水を浴びた家もある。何より、街の人達を混乱に陥れ不安な時間を過ごさせてしまった。
自分が直接手を下した訳ではないが、取り返しのつかない事をしようとしていたのだと、たま子は改めて思い知らされていた。
それでも、その思いごとしっかりと抱えながら、たま子は山道を進んだ。痛みを認め、向き合うのは難しい。自分だけ罰も受けないで、という思いもある。こんな自分が、何かを選ぼうとか、得ようとか、そんな事おこがましいとすら思う。
でも、どうしても失いたくない、大事なものが出来てしまった。
これは、たま子が初めて自ら決めた事だ、自分一人の決断は重く、恐怖が胸を過ったが、きっと、選らばなかった方が後悔する。それを得る為なら、どんな罰でも受けられる、そんな強い決意が生まれていた。
歩いて歩いて、門の前に着くと、俊哉から連絡があったのだろう、黒い門は開け放たれ、皆が玄関の前で待っていてくれた。たま子はその様子に躊躇いを見せながら、それでも勇気を持って一歩踏み出した。
「もう、裏切るような真似はしません!何でもします!私をもう一度ここに置いて下さい!」
たま子は開口一番、勢い良く皆の前で頭を下げた。ドッドッと、胸が痛い位に鳴っている。もし、この手を払われたら、心変わりして受け入れて貰えなかったら。ここに、居られなかったら。
そう思うと、恐怖が込み上げ、じわ、と汗が吹き出すのを感じて、たま子は服の裾をぎゅっと握った。
たま子の必死なその姿に、皆はどこかぽかんとしていたが、やがてふわりと空気が柔らかくなり、たま子は温かな笑い声に包まれた。
「置くも何も、家族じゃない」
歩み寄る志乃歩に、ぽんと頭を撫でられ、たま子は顔を上げた。
皆が、受け入れてくれる。一度は否定したのに、騙したのに、そんな自分を家族にしてくれる。途端に胸が詰まり、泣き出しそうなたま子を笑って、姫子が背を撫でてくれた。
「い、良いんですか?もっとよく考えた方が、」
「何泣きながら言ってんだよ!もう十分たまの事は知ってるしな!」
「それに、戦力は多いに越した事ないし」
「えぇ、離れの書庫の修繕費もかかりますし」
「あれは、建て替えるしかないんじゃねぇのか?」
いつもの賑やかな声の中、ふと野雪がたま子を見つめた。
「おかえり」
そっと頬を緩めた野雪の前髪を、優しい風が浚う。初めて見る野雪の微笑みに、その包み込む穏やかな声に、たま子は耐えきれず涙を溢れさせた。
おかえりと、言ってくれる人がいる。
当たり前の日常がここにある。失った日常が、優しくたま子を包み込んで、確かに見える絆が、夢ではないと教えてくれる。
ここは、たま子の帰るべき場所だ。
笑って泣いて、姫子と黒兎の口喧嘩が始まれば、そこはもう、たま子が慣れ親しんだ日常の風景だ。さあ、中に入ろうと皆が家へと歩を進めた所で、野雪がふと立ち止まった。
「そういえば、本当の名前」
野雪の一言に、皆が「あ」と声を上げ、たま子を見つめる。たま子は慌てて涙を拭い、顔を上げた。
「私の名前は、たま子です」
皆がくれた、未来の名前。たま子として、生きていく。
たま子の化想操術師の日々は、ここから始まるのだ。
それからたま子は、化想操術師としての仕事の傍ら、学校に通わせて貰えたりと、忙しくも充実した日々を送っていた。志乃歩はいらないと言うが、学費等も返せるように仕事も頑張るつもりだ。
リビングにて、改めてそんな思いを口にすれば、張り切るたま子に志乃歩は、「そんなに焦る必要はないよ」と、困ったように笑った。
「何年もさ、犠牲にしてきたんだ。将来やりたい事とかさ、これからゆっくり考えればいいよ」
「でも、」
「休息は必要だよ。それに、野雪の話相手も出来て、こっちは安心だし」
その言葉に、中庭でシロと戯れる野雪を見つめた。
「…私、役に立ててますか?」
「まーた、そう言う。役に立つとかそんなんじゃないんだって、いるだけで良いんだよ」
ぽんと肩を叩かれ、その温かさに、たま子は嬉しくなる。
「…って、そういや今日は、どうしてメイド服なの?」
実は、リビングにやって来た時から気になっていたのだが、志乃歩は聞いてもいいものか迷っていたようだ。
「はい。今日は、施設にいる兄弟達に会いに行けるというので、ちょっとおめかしを…」
照れくさそうにたま子が言う。たま子が以前、メイド服を汚したくないから外で着ないと言っていたが、それは着ない為の口実ではなく、本心だったのかと、志乃歩は愕然とする。そして、たま子の肩を掴んだ。
「良いかい、たまちゃん。今すぐ梓に買って貰ったワンピースに着替えなさい!」
「え、」
「は!?何で着替えるんだよ!」と、リビングの埃を取っていた姫子が不満たっぷりに掃除を投げ出して飛んできた。
「この網タイツは無いだろ!姉さんがいきなりこんな格好したら、弟も妹も驚くよ!ね、黒兎!」
たまたま通りかかった黒兎は、すぐに話の流れを理解したのか、勿論、志乃歩の意見に賛成だ。
「たま子さん、そんなに気を遣わなくて良いんですよ」
「え、でも、」
「気を遣えない奴が何言ってるんだよ!」
「おや、ご自身の事ですか?」
「何だと!」
「あー、もう、何でそうすぐ喧嘩すんのよ、お前達は」
いつもの言い合いに、大きな溜め息、そこに新たに加わる転がるような笑い声。
庭では、開いた窓から聞こえる声に耳を傾け、野雪はシロのモフモフの体にうずくまり、目を閉じた。
「…あったかい」
背中でシロが、おん、と鳴く。優しい春風が、野雪の頬をそっと撫でていった。
化想操術師として生きていくなら、また、いつ危険な目に合うか分からない。でも、ここは優しさで満ちていて。
助けてくれた分、今度は誰かのSOSに手を差しのべられたら。
世界は自由で、優しくて、苦しいばかりじゃない。
きっと、何度でも、そう思い伝える事が出来る。
それが、たま子が選んだ未来だ。
たま子は、賑やかなリビングの窓から、笑顔で空を見上げた。
飛行機雲が一つ、空に線を描いた。
世界が変わる、ここがたま子の新しい世界だ。
了
 




