化想操術師の日常45
「私も、阿木之亥に居たんです。阿木之亥が運営する孤児院に」
「やっぱりそうか…」
リビングに集まり、話し始めたたま子の言葉に、志乃歩は溜め息を吐いて額に手を当てた。阿木之亥家の孤児院とは、表向きは普通の孤児院だが、中身は化想想術師の育成機関だ。身寄りのない子供達を、阿木之亥の傘下で働ける術師へと育てる為の場所。たま子は、幼い頃に化想を出してしまい、両親から恐れられ、阿木乃亥の孤児院に預けられたという。
「だから、野雪さんの事は知ってました。野雪さんは特別だから、野雪さんのようになれって、よく指導されていました」
「…良いもんじゃない」
目を伏せる野雪に、たま子は苦笑った。
「…でもあの孤児院に、化想操術以外の世界は無かったから。野雪さんみたくなれば、自由に生きていけると思ってました」
実際、野雪は化想操術師対策の牢に入れられ、手には何も描けないよう枷がはめられていた。
親から受け継いだ術師としてのセンスか天性のものか、野雪は術師として天才と崇められ、同時に恐れられていた。更に、幽閉される恐怖から野雪が暴走したものだから、それからはより強固な牢へ入れられたという。暴走する野雪を止めたのは、現阿木之亥の当主、秀斗の父親だ。
結果、野雪は自分でその枷を壊し、志乃歩の手を取って逃げ出した訳だが、野雪が幽閉され始めた頃は、野雪が逃げ出した頃よりも監視も厳しかったという。
志乃歩が野雪を連れ出せたのは、今思えば運が良かったのかもしれない。あの時は、手練れの術師を連れ立って、阿木之亥の当主も留守にしていたし、志乃歩は何度も通った屋敷だ、屋敷の構造は把握していた。それに、同じ術師なら、屋敷に欠けられた化想によるセキュリティは少し頭を使えば簡単に突破出来た。
きっと、阿木之亥という名前に驕りがあったのだろう、この家に忍び込もうなんて考える者なんて居ないと。
だがまさか、野雪が枷を付けられて幽閉され、感情を失うような訓練を受けていたとは、たま子達孤児院の子供達は思いもしなかったという。優遇されているとしか聞かされてこなかったからだ。
孤児院には、たま子やあの少年の術師など子供達が沢山いたが、教われば皆が化想を操れるかといえば、そうではない。適正に合わない子供もいる。そんな子供は、阿木之亥の血の通う様々な場所へ追い出され、働かされるという。外に化想の事や、孤児院での話を漏らされたくないからだ。だから皆、化想操術を習得しようとする、でなければ待っているのは、一生奴隷のような生活だと言われ続けていたからだ。
実際はそこまでの事にはならないのだが、孤児院の子供達がそれを知る術はなく、それが脅しだとも分からなかった。
だから、たま子も必死で化想操術を習得した。
だが、そこでの暮らしは突然終わりを告げる。
一人の術師が、成績の良い子供達を孤児院から連れ出したからだ。それが、たま子に怪我を負わせ操っていた男、名前は野間秋吉。
それが三年前、たま子が十三歳の頃だった。
真夜中に起こされ、訳も分からず連れて行かれたのは、狭いアパートだった。孤児院の外で暮らす事には高揚したが、そこでの暮らしは、孤児院よりも苦しかった。
「自分は優秀なのに、首を切られた事に腹を立て、野間先生は私達を連れ出したんです。それからは、ただ正確に、精密な化想を作り出す訓練をさせられました。神経をすり減らし、出来が悪いと食事も出来ない、倒れてようやく休む事が出来る。心をなくした方が楽だった」
たま子は無意識に右肩に触れた。あの火傷の跡は、野間からの体罰の跡だと梓は想像し、目元を手で覆った。
「逃げ出そうとは思わなかった?」
「あの狭い部屋は支配で満ちていましたから。無理ですよ」
分かるでしょ、そう言いたげなたま子の諦めたような視線に、志乃歩は何も言葉が出なかった。
阿木之亥の人間なら、分かる事だ。
上手く手綱を握られていた、少し考えれば簡単に逃げ出せた事、でもそれは、当事者には分からない。そうしてる内に、考える気力もなくなってしまうのだ。
阿木之亥に復讐する為には、子供達だけでは敵わない。阿木之亥を敵視するシンの傘下に入ろうとしたが、それも簡単にはいかない。その内に野雪を利用する事を思い立ち、野間は野雪の居場所を探し出し、そして志乃歩達の元へたま子を寄越したという。
「あの術師、見た事あるよ。阿木之亥の系列の病院で、医者をやってるよね」
志乃歩の言葉にたま子が頷くと、姫子は信じられないと怒りを顕にした。
「医者のくせに、人を傷つけて服従させんのかよ!」
「恐ろしいね、患者の前では優しい医者も、裏の顔は支配者だ」
やるせなさや怒りがこみ上げ、溜め息しか出ない。たま子は皆を見渡し、それから頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
「もう謝らないでよ。それに君も被害者だよ。今回の事は、たまちゃんが罪に問われる事はない、壱登もそう言ってたよ」
警察にはこれから出向く事になるが、壱登に前もって話を聞いていた。警察に行くのも、野間の事についての話をしにいく為だ。
だが、たま子は曖昧な表情を浮かべる。その様子に、姫子は不安そうに表情を歪めた。
「ねぇ、帰ってくるんだよな?」
志乃歩を押し退け、姫子が堪らず尋ねる。綺麗な瞳に、真っ直ぐ見つめられ、その瞳に映っているのが耐えられず、たま子は視線を床に向けた。
騙していたのに、それでも姫子は変わらず思ってくれている。たま子は、きゅっと唇を結ぶと、頭を下げた。姫子の思いには応えられなかった、そんな資格はなかった。
「…短い間でしたが、お世話になりました。ご迷惑おかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「ちょっと、たま!」
身を乗り出す姫子に、「やめなさい」と黒兎が制した。振り返ってすぐに噛みつこうとした姫子だが、黒兎の顔を見たら言葉が出てこなかった。皆、気持ちは同じだ。
「…警察に行って、解放されたら、それからどうするの?」
「…仲間に会いに行きます。それから、…先生にも」
さすがにそれには、姫子は黙っていられなかった。
「あんなの放っとけ。先ず面会謝絶だろ!」
「でも…私達だけ何もないなんて」
言いながら、たま子はぎゅっと拳を握る。その手は、震えていた。怖いのかもしれない。ずっと、鎖で繋がれているような生活だった、先生と呼ぶ野間の言う事を聞いて、彼の望む通りにしか生きてこなかった、生きられなかった。
そんな生活の中で築かされた主従関係は、簡単には割りきれないものに変化してしまっているのだろうか。
当事者達にしか、それは分からない。
「たま子の自由で良い、もう誰も縛りはしない」
野雪の言葉に、たま子は顔を上げた。
「だけど、この家の扉は、いつでも開いてる」
いつでも、来ていい。そう聞こえる言葉に、たま子は唇を噛みしめ、再び俯いた。握った拳に涙が落ち、梓の手が優しくたま子の背を撫でていた。




