カニの甲羅酒
雪がしんしんと降り積もる中、行き交う人々の中に、一際大きなシルエットがひとつ。オオカミの顔をした男が黒いコートに身を包み、うつむき気味に歩いていた。彼の名はロウという。出向でオオカミの星からやって来たエンジニアだ。
「はぁ…」
ロウは大きくため息をつくと、白い息が空に向かって舞い上がり消えた。
(正月か…。この星に来て1年近く経つのに、俺みたいな他の星の動物少ないから、行く先々で怖がられて…。 仕事でもビビられてうまくコミュニケーション取れないし…落ち込むなぁ。)
ふと、路地裏から美味しそうな香りが漂ってきて、ロウは足を止めた。香りの先には、店の看板が見える。
(お腹空いたし、何か食べて元気出そう…)
カランカランと音を立てて中に入る。店員のハルがロウに声をかけた。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
「あ…1人です。 カウンターでいいですか?」
「かしこまりました! こちらへどうぞ!」
にこやかにカウンターへ案内してくれる。少しだけ小さい椅子にかけて、黒板のメニューを見る。今日は和風メニューが豊富なようだ。
「すいません。 日本酒を熱燗で。 それから…ホッケの塩焼きと、大根サラダください。」
「はーい!」
元気な返事が返ってきて、ハルは厨房に注文わ伝えに行く。 マスターが猫だったので、ロウは少し驚いた。
「お待たせしました。 熱燗です!」
温められた酒がとっくりに入れられ、おちょこと一緒に出てくる。ロウはトクトクとおちょこに酒を注ぐと、クイッと飲み込んだ。
「あぁ…」
思わず声が出る。 フルーティーさを感じる甘やかな酒が、喉を通って腹の底から温めてくれる。追加でやってきたホッケの塩焼きに醤油を垂らし、ホクホクの身を頬張りながら、ロウは考える。
(この星は本当に酒と料理がウマイんだよな。 この店は特に味がいい…。)
大根サラダで口をさっぱりさせ、ホッケと酒を交互に口に運んでいると、マスターがカウンター越しに声をかけてきた。
「お客さん、お仕事帰りですか?」
「えぇ、今日で仕事納めなんです。」
「それはそれは…1年お疲れ様でした。」
「ありがとうございます。…失礼ですが、マスターは他の星から来た方ですよね?」
「はい、この星にやって来て10年になります。」
「10年、ですか…」
ロウは目を丸くすると、少し自嘲気味に笑いながら話し始めた。
「この星にも慣れているのですね。 僕はこの星に仕事で来て1年ほど経つのですが、こんな見た目と図体ですから、怖がられてしまって…。 故郷にいた頃は、こんなに孤独を感じたことはなかったんですけどね…」
「この星の方々は、あまり他の星の方々を見慣れておりませんからね。 私も買い物をする時は視線をよく感じますよ。」
マスターもふふっと笑う。
「他の星の方と出会えたのも何かの縁です。 一杯サービスいたしますよ。」
「いいんですか? それじゃあ、何にしようかな…」
「少し変わってますが…カニの甲羅酒なんていかがですか? 新年なので、いいカニを仕入れたんです。」
「カニか! 大好物です! ぜひ甲羅酒で…」
「かしこまりました。」
「あと、カニの足を焼きにできますか?」
「もちろんですよ、お待ちくださいね。」
マスターは網の上にカニの甲羅と、殻を削いだカニの足を乗せ、火にかけた。カニの焼ける香ばしい香りが店内に広がる。
(あぁ…この香ばしい潮の香り…たまらないな。)
「お待たせしました。 カニの甲羅酒と焼きになります。」
熱い湯気の立つ甲羅酒と焼き。甲羅酒をふぅふぅと息を吹きかけながら、ズズ…とすする。カニ味噌の溶け込んだ日本酒が、香ばしさを纏って口の中を踊る。
「うまい…」
ロウは軽く目を閉じて、甲羅酒の余韻に浸る。二口目をすすっていると、ドアの方から音がした。
カランカラン
「どうもー…って、うわ! めちゃくちゃカニのいい匂いする!」
「あら、杏平さんいらっしゃーい!」
「ハルちゃん、こんばんはー。 ん? そこにいるのは…」
店に入ってきた杏平は、ロウを見つけて声を上げた。
「ロウさんじゃないですか!」
「あ、営業の御殿場くん。」
「偶然ですね! この店が気に入っててよく来るんですよ! ロウさんも?」
「いや、僕は今日初めて入ったんだ…」
「そうですか、カニ、いいですね! マスター! ビールと黒板のカニグラタンくださーい!」
会社ではほとんど話したことのなかった御殿場だが、ずいぶん気さくな男だったようだ。話がよく弾む。
(怖がられていると思い込んで、こちらから歩み寄ることはなかったが…、少し積極性を持つのもいいかもしれない…)
ロウの表情がほころぶ。彼の新年は、去年より少し明るい年になりそうだ。