マグロのカツ
「うー…さぶさぶ…」
粉雪が舞う夜の街中を、体を縮こめるように丸めながら歩く、1人のサラリーマン。時折、空を行き交う船を見上げながら、白い息をふぅっと吐き出す。
地球も異星間とのグローバル化が進み、いろんな星の人やモノが行き来するようになったとはいえ、地球での生活にあまり変化はない。この男ーーー御殿場 杏平も、中小企業の社員として代わり映えのない毎日を送っている。
「ん?」
杏平は鼻をくすぐる良い香りに思わず立ち止まった。どうやら、路地裏の方から漂ってきているようだ。
(最近働き詰めだったし、いい店があったら一杯飲んでいこうかな。)
彼の足は自然と路地裏に向かっていた。静かな路地裏を進むと、ぽつんと趣きのある看板と、木製のドアが見えてきた。
「ダイニングバー ほたるいし?」
看板に書かれた店の名前を読み上げる。急にぴゅう、と冷たい風が吹いて、体がぶるりと震えた。
「とにかく入っちゃおう。」
ドアノブを引いて、カランカランと軽い鐘の音と共に店の中に入った。
★
「いらっしゃいませ!」
元気な挨拶で迎えられる。店はカウンターと、テーブル席が2つ、それに大きなグランドピアノが1台。こじんまりとしているが、暖かい灯りと、木の温もりが感じられる店内を見て、(当たりだな。)と、杏平は嬉しそうな顔をして考える。
「おひとりですか? こちらのカウンターへどうぞ!」
ポニーテールの明るい女性店員が案内してくれた。名札には「春野」と書かれている。ふと店の厨房を見ると、グレーの猫の顔をした男が鍋をかき混ぜていてぎょっとした。杏平の表情に気づいたのか、猫男はこちらを見て、にこりと笑って会釈した。思わず、杏平も会釈を返す。
(異星人の店員もいるのか。 実感なかったけど、世間ではグローバル化も進んでるんだな。)
そんなことを考えながら、黒板に書かれたおすすめメニューに目を通す。
「外は寒かったでしょう? こちら、お通しのコンソメスープね!」
ポニーテールの店員がフレンドリーに小さめのカップを置く。具の入っていない、黄金色のスープだ。
(いい匂いの正体はこれだったか…)
ズズ…と一口すする。野菜と肉の旨味が溶け込んだスープが、体の芯から温めてくれる。思わず声が出た。
「うまい…」
「ありがとうございます! お飲み物は何にしましょう?」
「そうだなぁ、とりあえずビールをグラスで!」
「かしこまりました!」
店員はビールサーバーからグラスにビールを注いでくれる。きめ細かい泡がこんもりとしたビールが運ばれてきた。杏平は喉を鳴らしてビールを飲む。
「んー、小麦の香りが華やかでうまいな…。料理の注文いいですか?」
「はい!」
「おすすめの、プチトマトのピクルスと、マグロのカツください。」
「はーい、おまちくださいね!」
店員は猫男に注文を通しに行く。どうやら彼が店主のようだ。店員がカウンターに戻ってきて、グラスを洗いながら話しかけてきた。
「お客さん、お仕事帰りですか?」
「えぇ、最近働き詰めで今日も残業してたんですけど、やっと仕事がひと段落したから、せっかくだしどこかで一杯飲もうと思って。 」
「あらら、それは大変でしたね。」
「いい匂いがしたからここに入ってみたんですけど、当たりでした。はは。」
「ありがとうございます。ウチのマスターは猫の星で料理人をしていたんですよ。」
「へぇ、猫の星は魚料理がウマいって聞くし、マグロのカツ楽しみだな…」
「ふふふ…今日のマグロは猫の星で獲れた星マグロって種類で、赤身の旨味が強いんですよ。 楽しみにしていてくださいね。」
店員は嬉しそうに笑う。厨房で、店主がマグロのカツを揚げているのが見えた。
パチパチと油のはじける音。
棚に飾られた、瓶入りの蛍石。
あたたかいランプ。
「落ち着くなぁ…」
やがて、赤と黄色の鮮やかなプチトマトのピクルスと、揚げたてのマグロのカツが運ばれてきた。
「んっ、このトマトのピクルスウマイな! プチッと弾けて、甘酸っぱくていい! それにこのマグロカツ…」
辛子をちょんちょんとつけて、口にほおばる。レアなマグロの身の旨味と、それを包み込む衣のサクサクとした歯ざわり。
「ビールが進んじゃうね。」
おかわりしたビールを流し込む。先程まで冷たく疲れ切っていた身体は、いい具合に温まっていた。
★
「ありがとうございました〜!」
「ごちそうさまでした。 また来ます。」
カランカランと音を立てて、杏平は店を出た。相変わらず空気は冷たいが、雪はすっかりやんで星空が見えた。
(いい店見つけたな。これから仕事帰りにちょくちょく寄ろう。)
杏平は軽くなった足取りで、家路につくのであった。