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現代病床雨月物語    第四十八話  「民とマリア観音(その九) ガラシャと日本女性」

作者: 秋山 雪舟

明智光秀の三女である明智玉(玉子とも)は、大阪でキリスト教徒になりガラシャ(ラテン語で「ありがとう」)という洗礼名を授かりました。彼女の生きた戦国時代は男女を問わず人生が激変する時代でありました。このガラシャの名が世間に広がったのは長きにわたりキリスト教徒への迫害が終わった明治時代でした。明治になり公認されたキリスト教徒達が彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになり現在に至っています。大阪カトリック玉造教会の大阪カテドラル聖マリア大聖堂にはガラシャを描いた画が掲げられています。またこの大聖堂の前にはガラシャの像と高山右近の像があります。教会の敷地も細川家の屋敷跡でもありました。

 ガラシャの足跡は、当時の畿内の歴史と深く結びついています。ガラシャの墓も大阪市東淀川区の崇禅寺にあります。この墓の由来は、石田三成の軍勢に攻められ焼け落ちた細川屋敷からザビエルの弟子のオルガンチノがガラシャとその殉死者の遺骨を拾い細川家ゆかりのこの崇禅寺に埋葬したのでした。

 ガラシャの辞世の歌と言われるものが「散りぬべき時を知りてこそ 世の中の花も花なれ人も人なれ」です。これについては私は疑問に思っています。しかしガラシャの生きた時代も今のコロナ禍と同じく世界と日本が変化する時代でも同じく女性が社会の犠牲を強いられる時代でもあると感じてしまうのです。

 ガラシャの事を考えるとき私は時代における女性の社会的地位をどうしても関連づけてしまうのです。よく言われる日本三大悪女は、北条政子・日野富子・淀殿(淀君)でありますが政子は嫉妬で富子はお金で淀殿(淀君)は意固地であるとしています。また日本三大女傑は、神功皇后・北条政子・日野富子だと言われています。私には「悪」が付くと力のある人の象徴であると思い悪いイメージはありません。それは楠正成公が「河内の悪党」と言われていたことから私の価値観からは悪いイメージは払拭されています。それよりも興味を引き付けるのが今風である夫婦別姓の代表でもあると思うからなのです。北条政子は源政子ではなく、日野富子も足利富子ではなく淀殿(淀君)も豊臣淀ではありません。

 しかし彼女達は、個の個性・独立のために夫の権力の利用や夫を操縦して地位の向上に努めていました。鎌倉幕府の北条政子にいたっては、純粋な源氏は初代の源頼朝だけであり以後は北条色が強くなり平氏系の北条将軍になっていくのです。政子自身も「尼将軍」と言われるようになります。私は思うのですが明治維新までは女性の地位は現代よりも高く夫婦別姓の価値観があったと思っています。この考え方のほうが歴史の理解がしっくりいくからです。男尊女卑の考え方は昔の女性達が妊娠や子育てでどうしても前に出れないために能力のない男性を表むきに立てたのが始まりではないかと思います。日本の歴史に登場する女性は妊娠や子育ての終わった女性ばかりが登場します。卑弥呼・天照大神・推古天皇・皇極(斉明)天皇です。しかしこれにも例外の女性が日本三大女傑の神功皇后です。新羅親征伝説では彼女は身ごもりながら戦争中に病没した夫である仲哀天皇を引継ぎ戦争の指揮をとるのです。彼女は九州で子の応神天皇を産むのです。

 日本の仏教史においても最初は女性が頼りにされていました。それが『日本書紀』に記されています。「曾我馬子そがのうまこ高句麗こうくり出身の還俗げんぞく僧恵便えべんを見つけ出し、彼を師として司馬達等しまのたちと娘島しま【法名を善信尼ぜんしんにという】ら三人の女性を得度とくどさせ(日本としては最初の出家者)彼女たちを招いて弥勒像を安置する仏殿で法会ほうえを行った。このとき、仏舎利ぶつしゃりが出現するという霊験れいげんがあらわれたという。【『日本書紀に秘められた古社寺の謎』曾我氏のシンボル飛鳥寺より 三橋健著 二〇二〇年七月二〇日初版第一刷発行】このように尼僧誕生が日本人による日本仏教の始まりです。尼僧について私が面白いと興味を持ったのがあるテレビのニュースで奈良の尼寺の尼僧の発言です。「男性の僧侶は、現在では髪を伸ばし妻帯しています。尼僧は今でも戒律を護り尼寺で仏の教えを忠実に護り続けています。」この話を聞いたとき飛鳥寺も同じ奈良なので千四百年以上も護り続けている女性の凄さにビックリしました。

話は戻りますがガラシャが細川ガラシャではなく明智玉(玉子)は明智ガラシャで有名になっていたらと想うことがあります。そうするともっと歴史のもう一方(敗者側)に光があたり歴史観が重層的になるからです。いずれにしても現在のコロナ禍でも国家代表が女性の国のほうが先を進んでいます。仏教もキリスト教徒のマリア信仰も女性の信念の強さが歴史を変えてきたと思うようになりました。


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