この幸せな世界で
この世界は不公平だ。
金持ちの子供は一生遊んで暮らせる。
一般家庭に生まれた人は、くたびれた社畜となる。
優しい人は利用される。
利用する人は出世する。
真面目に生きていても、孤立するだけ。
なんてことを考えながら、眼下の人混みを見ている僕。
とあるファストフード店で友人達とハンバーガーを食べていた。
2階の窓際のテーブル席。
「たそがれてないで話を聞けよ瑠衣ー!」
隣に居た潤が僕の名前を呼ぶ。
聞いていないのがバレたらしい。
「黄昏くらい漢字で…ってまぁいいわ。聞いてる聞いてる。あれだろ?今日のコーラ炭酸きついなって話だろ?」
「全然ちげぇしー!」
全然違ったか。わかってたけど。
「上戸さんが居るんだよ。」
前に座っていた恭介が教えてくれる。
「上戸さん?」
僕が聞くと、恭介は「あそこ。」と後ろを指さした。
確かに少し離れた所に上戸さんらしき人が座っていた。
「1人で何してんだろうねー?」
潤が僕に聞いてくる。
「聞いてくれば?」
面倒臭いので適当に返す。
「瑠衣が聞いてきてよー!」
と立たされてしまった。
「なんで僕が…。」
「よろしくー!」
にこやかに手を振る2人。
行ってこないと戻れないと悟り、仕方なく上戸さんのもとへ向かう。
後ろまで近づいたが気付く素振りはない。
手にはスマホ。
なにやら文章が書き連ねてある。
「上戸さん?」
声を掛けると、ビクッとしてスマホを伏せてこちらを向いた。
「ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど。画面も見てません。」
何か言われる前に無罪を訴えた。両手はホールドアップ。
「ううん。大丈夫。こんな所で何してるの?」
こっちが聞きたかったことだ。
「僕はあいつらと食べに来た。上戸さんは1人?」
あいつらの方を指さして答える。
「うん。私は1人。こういう所の方がはかどるから。」
「勉強?」
「うーん。まぁそんなとこ。」
はぐらかされた。潮時かな。
「じゃあ、そろそろ戻るわ。」
「うん。またね。」
手を振って別れる。
友人達の所へ戻ると、すんなり席に座らせてくれた。
「で、どうだった?」
潤が興味津々という顔で聞いてくる。
「勉強してたんだって。お前も見習えば?」
多分違うけど、無難に答えておいた。
上戸さんとはあまり接点がないし、もう学校以外で話す事は無いだろうと思っていた。
しかし、それから約1ヶ月後、漫画を買おうと書店に入ると彼女が居た。
彼女は文庫本の新刊コーナー、つまり入ってすぐの所に居た。
素通りするのも気が引けるので僕は声を掛けた。
「上戸さん?偶然だね。本買いに来たの?」
すると彼女はこっちを見た。
なんとなく嬉しそうな顔をしている。
欲しい本があったのだろうか。
「あぁ、君か。私は見に来ただけだよ。」
買う気は無いらしい。
そう言う彼女の手には一冊の本が握られていた。
【女子高生作家デビュー作!】
「凄いね。僕らと同世代の人が小説家してるだなんて。」
僕とは全く違う世界を生きている人がいるのだと思うと、口に出てしまった。
「凄い?」
彼女は何故か嬉しそうだ。
知り合いなのかと思い、聞いてみたが、
「違うよ。知り合いっていうか…。」
言いにくそうと言うか、恥ずかしそうに言うので深くは聞かず話を変える。
「こういう人にはこの世界がどういう風に見えてるんだろうね。」
「読んだらわかるよ。」
確かに。読んでみるか。
「まいどありー!」
この子はいい商売人だ。
本屋から出る僕の手には漫画ではなく、彼女に勧められた本が収まっていた。
家に帰って早速読んでみることにした。
【この幸せな世界で】
というタイトル。
表紙のイラストは綺麗な夕焼けが描かれている。
表紙を捲る。
私は幸せものだ。
3人も兄弟がいる。
母親がいる。
屋根のある家がある。
昨日はご飯を食べれた。
一昨日は雨が降った。
先週はお医者さんが来た。
1ページ目にこう綴られており、次のページから物語は始まった。
気付けば最後まで読み終えていた。
本から顔を上げると、視界に入ってきたものが今までと違う風に見える気がした。
今まで何とも思っていなかった自分の部屋が、
無意識に付けていた電気が、
窓から見える街並みが、
全て大事なものに見えた。
視線を本に戻す。
作者の欄には【さくら】と書いてあった。
さくらという子には世界がこんな風に見えているのだろうか。
僕がつまらないと思い続けていたこの世界は見る人が変わるとこんなにも違うのか。
翌日、本の感想を伝えたくて学校へ行くと、すぐに上戸さんの所へ向かった。
「昨日の本、凄かった。」
語彙力のない感想だったが、上戸さんはとても喜んだ。
彼女は今日もスマホをいじっていた。
「スマホで何をしているの?」
SNSでもゲームでもなさそうなので気になって聞いてみた。
すると、
「まだ見ちゃダメ。」
と画面を伏せてしまった。
「まだ?」
と聞こうとしたところで、彼女は友人に呼ばれてしまった。
「さくら〜!」
それは、僕が初めてファンになった小説家の名前。
「君にはこの世界がどう見えているの?」
「綺麗で、優しくて、素晴らしい世界に見えるよ。」
「つまらないと思ったことはないの?」
「こんな面白さで溢れてるのに?」
「そう?」
「よく見てみて。色んな角度から隅々まで。そうしたらどんな物もキラキラしてるから。」
僕は彼女から視線を外し、世界に目を向けた。
いつもの街並みが、綺麗な夕焼けに染まっていた。
つまらないと感じていたものが、今は美しいと感じた。
もう少し生きていても良いと思った。
この幸せな世界で。