ランジ、邂逅
ランジの名が何百年かぶりに世に知られるようになったのは、ランジが復活してからわずか一週間後のことだった。
四年に一度、東域で行われる闘技大会。この大会の前回準優勝者が、何者かと闘い殺されたのだ。殺した何者かは自らをランジと名乗った。準優勝者が知名人であったために調査が始まったが、しばらく情報が錯綜し、ランジが人外の存在であることはあくまで噂の一つとされた。ましてランジがかつてダルフォルニアで最強を誇った剣士その人であるとは誰も考えなかった。
ランジの存在を広く世に知らしめたのは、東域一の大国ウォーリストで行われた御前試合での出来ことだった。
ウォーリストの一大イベントであるため、御前試合には多くの人間が観戦に来た。要人も多く、ウォーリスト中から集まった強者たちの興奮は極限まで高まっていた。
そして、事件は決勝戦で起きた。試合場に現れるはずの二人のうち、一人が姿を消したのだ。代わりに試合場に立ったのは、軍服に身を包んだ全身骸骨の異形の男――ランジだった。
何が起きているか理解できない周りをよそに、ランジは彼の長い刀を構えた。ランジと向かい合った決勝進出者だけが、ランジの殺気に気づいた。そして、ランジの殺気に耐え、剣を構えることができた。そのくらいの力量はあった。
しかし、それまでであった。
ランジの姿が風とともに消え、決勝進出者の背後に現れた。会場全体が、静寂に包まれた。剣を構えたままの決勝進出者。その首が、ごろんと地面に落ちた。
なおも沈黙が続いた。初めに声を上げたのは誰であろうか。女性の悲鳴がどこかで上がった。それを皮切りに、喧噪が会場中に一気に広がった。
「奴を捕らえろ!!!」
近衛隊長が警備兵たちに指示を出した。このまま骸骨男を取り逃しては、面目丸つぶれであった。だが、警備兵たちは一人として動くことができなかった。ランジがあえて発した威圧感を肌で感じ、彼我の戦力差を悟ったゆえだ。
いまだ喧噪やまぬ会場の中心で、ランジは叫んだ。
「拙者の名はランジ! ダルフォルニアのランジなり!!! 拙者の望みはただ一つ、最強の称号!!! 腕に自信のある者よ、拙者と闘おうではないか!!!」
ランジの声は会場によく響いた。会場中が静まり返る。ランジは買い物帰りかのような自然さで歩き去っていった。
この事件によって、ランジの復活は世間に広く知られるようになった。この後もランジはたびたび強者の前に現れては、自分の無敗記録を増やしていった。
そしてとうとう、東域にはランジの目にかなう人間がいなくなってしまった。次に、ランジは西域に行くことを考えた。西域にも強者は多く存在する。千人斬りのアコツの噂はランジの耳にも届いていた。噂を聞く限り、アコツはランジにとって闘う甲斐のある人間であり、斬り殺す甲斐のある人間であった。
しかし、東域から西域へ最短で行くには、その間に広がる森を通らなければならなかった。その森は、人を喰らう獣たちが住まう、魔窟と呼ばれる場所だった。奥までいかなければ危険は少ない。だが、通り抜けることは自殺行為だ。そもそもこれまで通り抜けられた人間は数えるほどしかいない。
この問題について、ランジは深刻に考えていなかった。理由は三つ。一つは、魔窟の獣が魔窟の外から来た獣を襲うことは滅多にないということ。伝書鳩を使って東域と西域が情報を交換できるのはこれが理由だ。そしてランジは人の形をしてはいるが、人間ではない。これが理由で襲われないのではないかと考えていた。
第二に、魔窟の獣にはある程度の知恵がある。ランジが強敵であることはすぐに察知できるし、わざわざ戦おうとはしないはずだ。
第三に、獣たちに襲われたところで負けることはないとランジは考えていた。複数体に襲われては倒すのは難しいかもしれないが、逃げ切ることなど造作もない。
こう考えたがために、ランジは至極あっさりと魔窟の森に行くことを決めた。ランジはアンデッドであるがゆえに疲労を感じず、睡眠も食事も必要ない。特に苦労することもなく、魔窟の森にはあっさりと到着した。
「これが魔窟の森。なるほどなるほど」
ランジは、自分の目の前に広がる広大な森に圧倒されていた。森は、あたかも境界線のようにまっすぐ、街の横に広がっていた。人が住まう街のすぐ傍にあるのが不自然に感じられる。
横に立ち並ぶ深緑の木々を見渡す。しかし、森の中に繋がる道は見当たらない。とりあえず森に入るかと、ランジは一歩踏み出し、そして動きを止めた。木陰から一人、十七歳くらいの少年が姿を現したのだ。
「ほう……」
ランジが、感心したように息をついた。少年は、人畜無害な笑顔でランジの方へ歩み寄ってくる。その風貌はどこにでもいる田舎坊主。しかし、ランジに気配を感じさせずにここまで近づけたことこそ、少年が只者ではないことの証明だった。
少年は、ランジからかなり距離を置いて立ち止まった。明らかにランジの刀を警戒していた。笑顔を絶やさない少年に、ランジが話しかける。
「坊主、拙者の姿を見て怖じぬとは勇気があるな。ぼんはこの森の管理者か?」
「まあ、そんなとこかな。僕はクゥレス。森の案内人です」
クゥレスと名乗る少年の声は朗らかだ。ランジも明るい声で言う。
「名乗り遅れた、かたじけない。拙者の名はランジ。最近では死にぞこないのランジなどと呼ばれている」
「お噂はかねがね。ウォーリストの大会をぶち壊したらしいですね」
「大したことではない。拙者と張り合える者はいなかった」
「さすがだ」
クゥレスが軽快に笑い声を上げる。聞いていて心地よくなる声だ。その声が、突如ぴたりと止まった。クゥレスが笑みを消して、ランジを見た。
「で、そのランジ様がここになんのようで?」
「いやなに、東域の強者とはあらかた戦いつくしたのでな。西域にでも行こうかと」
「殺し尽くしたの間違いでしょう」
クゥレスが嫌味たっぷりに言う。ランジは怒るでもなく、ただ肩をすくめた。
ランジを睨みつけ、しばらく黙っていたクゥレスであったが、ため息の後に話を続けた。
「このまま森に入って、一切横にそれることなくまっすぐ歩けば西域に着きます。獣に襲われることもありません。あなたの体なら二日とかからないでしょう」
「かたじけない。感謝する」
ランジが頷いたのを見て、クゥレスは森に戻ろうとした。その背中にランジが再び声をかける。
「ぼん、待たれよ」
「まだ何か?」
クゥレスが怪訝そうな顔をランジに向けた。ランジが嬉々とした声で言う。
「拙者は剣士。ゆえに魔法の類を使うのは恥としている。だが魔法の才がない訳でもない。して、拙者が思うに、ぼんは武術の才はない。だが、並外れた魔力をぼんから感じる。どうだぼん、拙者と闘ってみぬか?」
この時初めて、クゥレスがはっきりと怒りの表情を見せた。低い声でクゥレスが言葉を返す。
「あなたとて、この無数の気配を感じてはいるでしょう。私は今あなたの間合いの中にいない。しかし私はいつでもあなたを攻撃することができる。あとね、仮に僕があなたに殺されたとして、あなたはこの森を守ってくれますか? この森を放置してどこかに行くでしょう。それは困るんですよ」
ランジはクゥレスの返事を聞いてなお、クゥレスから目線を外さなかった。しかし、突如ふっと笑みをこぼし、緊張を解いた。
「確かに、森の案内人の責を押し付けられるのはごめんこうむりたい。ここはおとなしく、西域へ行かせていただこう」
「そうしてください」
そう言って、今度こそクゥレスは森の中へ消えていった。同時に、クゥレスが現れてからランジに向けられていた無数の視線が感じられなくなった。その視線は明らかに森の獣たちのものであった。
「なるほどなるほど、こういう強者もいるのだな」
そう言い残し、ランジは森の中へと脚を動かしていった。