ぎよう、会敵
魔物たちが去り、盆地に残されたのはぎようと一体のヤタガラスだけになった。魔物たちは各々が事前に指定された場所に向かっている。
「ヤタガラスよ、首尾はどうだ?」
ぎようの質問に対し、ヤタガラスは目を閉じて答える。ヤタガラスは別の個体の認識情報を得ることができた。
「あと一刻もすれば突撃の準備は整うかと」
ヤタガラスの答えに、ぎようは満足げに頷いた。そして、少し弾んだ声で言った。
「では、我らも行くとしよう」
「行先はお決まりで?」
「異能大戦の参加者は、おのずと互いの場所へ導かれるさだめだ。私が行く先には必ずかの剣士がいるだろう」
そして、ぎようは深く脚をたわめた。
「出発だ。遅れずついてこい」
「承知」
ヤタガラスの返事を待たずに、ぎようは跳躍した。ぎようの体が上へ上へと上昇していき、盆地の壁を越え、なおも上昇していく。そして放物線の頂点に達し、その体は下降していく。豪速で落ちていったぎようの体は、そのままの速度で地面に衝突した。爆音と砂煙が生じ、地面にクレーターができたが、ぎようがダメージを負った様子はない。ぎようはそのまま、魔窟の森を目指して走りだした。四足歩行で駆けるその姿はまさに獣だ。
ぎようの頭上では、ヤタガラスが翼を広げて飛んでいる。大きな翼と胴体の奇怪さが不気味だ。ヤタガラスは人を襲うことは稀だが、偵察のために人里を訪れることがあり、目撃者に恐怖を与えていた。
ぎようは巨体に似合わない速度で地面を駆けていた。遠くで魔物たちが群をなして人里へ向かっているのを確認する。不敵な笑みを浮かべ、ぎようは魔物たちも追い抜き、さらに速く走った。
そしてとうとう、ぎようの目が魔窟の森を捉えた。魔窟の森に向けて走るぎようであったが、ふと思いついたように、行先を左に変更した。西域へと四肢を動かす。
駆けるぎようの背後で、ヤタガラスが下降してきた。
「ぎよう様、人里の偵察に放っておいた百口が死んだようです。烏からの報告がありました」
ヤタガラスの報告に、ぎようは盛大に舌打ちをした。
「さしづめ、天使の臨界の際にでも利用されたのだろう。百百目鬼は生きているのだな?」
「ええ。しかし妙ですね。我らの元へ天使が現れた時と時間差があるようですが」
「天使どもにも都合があるのだろう。我らが気にしても仕方あるまい」
そう言って、ぎようはまたスピードを上げた。何者かに引き寄せられる感覚を、ぎようははっきりと感じていた。
西域と南域とを隔てる石壁は今、ぎようにははっきりと見えていた。雨の腐食後も壁の繋ぎ目も、ぎようにはその全てが見えている。そして当然、壁の上で慌てふためく兵士たちも見えていた。
「行くぞヤタガラス!!!」
一声叫び、ぎようは再び天高く飛んだ。その体が壁の高さを優に越える。壁を見下ろし、ぎようは笑った。兵士たちは皆呆然としている。誰一人、ぎように対応できていない。
「人間も落ちぶれたものだな」
そしてぎようは前を見た。そこには、人間の街が広がっている。木や瓦の屋根が整然と並んでいた。これから起こる惨劇など、まるで感じられない。
ぎようの体が最高点に達し、そして降下を始めた。家々がぎように迫る。ぎようは敢えて勢いを減じず、前へ前へと飛んだ。
そして遂に、ぎようが人里に着弾した。
ぎようは家を一つ潰し、地面に小さなクレーターを作って着地した。しかしそれだけでは落下の勢いは無くならず、ぎようの体は前へと滑っていく。ぎようの巨体が家を破壊し、すり潰し、なおも前進した。
ぎようが動きを止めた時、ぎようの後ろには十軒以上の家の残骸が散らばっていた。家の中にいた人間たちがどうなったかなど、語るまでもない。自分のものではない血と木片を払い落とし、ぎようは背筋を伸ばした。
「……来ているな」
ぎようがぽつりと呟く。同時に、周囲の人間が今起きている事態をようやく理解した。
「いやあああああああ」
女の悲鳴が聞こえた。ぎようが目前の家を掴む。ばりばりと音を立てて、家が地面から剥がれていく。家を担ぎ上げ、ぎようは悲鳴の方向へ投げた。家がどこかに着弾し、轟音とともに爆散した。
辺りは阿鼻叫喚に包まれた。突如魔物が町中に現れたのだ。尋常ならざる混乱が住民を襲う。
「ぎよう様」
静かで落ち着いた女の声が聞こえた。ぎようが声の方を向くと、長身の女性が一人立っていた。
「百百目鬼か」
「はい」
返事とともに、百百目鬼が正体を表す。白かった肌はより白くなり、体の至るとこに線が現れた。その線がすべて開かれ、無数の目が露わになった。
「申し訳ありません、百口ですが突然私の支配を逃れてしまい……」
「構わない。手に負えぬ強者が現れたら教えよ。我が相手する」
「かしこまりました」
そう言い残し、百百目鬼が町中へと消えていった。その動きは浮いているかのように滑らかであった。
「さて、どうしたものか」
勢いいさんで来たものの、ぎようはやることを無くしてしまった。ぎようの目的はある剣士との闘いにあり、街の破壊ではない。人里の破壊はぎようの配下たちがやる。
ぎようの目的である剣士が近づいてきているのは、はっきりと感じていた。もう間もなくここに来るだろう。だがそれまで突っ立っているのも味気ない。
「折角だ。あやつが守ろうとしているこの場所を我自ら壊すというのも悪くなかろう」
そして、ぎようは地面に転がっている柱を担ぎ上げた。
「ぬうっ」
一声上げて、ぎようは持った柱で周囲の家を振り払った。爆風が起こり、屋根が吹き飛ぶ。柱が直撃した家は全壊し、地面に崩れ落ちた。
折れた柱を見て、ぎようは凶悪な笑顔を浮かべた。
「これはいいな」
そして、折れたままの柱を再び振った。轟音とともに家が崩れていく。生じた風は近くにいた人々をも吹き飛ばした。ぎようは高笑いをし、柱を振り続ける。ぎようの後には、がらくたの山ができた。
そんなことを繰り返すうちに、とうとう柱が木っ端みじんになった。つまらなさそうに柱の残骸を手放すぎよう。その目が、目の前の家を捉えた。その家は、ぎようの攻撃によって半壊し、中が丸見えになっていた。そして、家の中には子供が二人。少年と少女である。どうやら兄弟のようだ。
「ふむ」
ぎようが興味深く二人を観察する。少年、おそらく年上の方が、妹の前に立った。
「あ、あっち行けばけもの!!!」
今にも泣きだしそうな少年の眼にはしかし、確かな勇気が宿っていた。ぎようがふ、と笑う。
「貴様の勇気は認めよう、少年。だが、我に情けはない。せめてひと思いに死ぬことだな」
そう言って、ぎようは拳を振り上げた。子供もろとも家を壊すつもりだった。
「そこまでにしてもらおうか」
ぎようの背中に、低い男の声がかかった。懐かしい気配だった。ぎようは笑みを浮かべ、ゆっくりと振り返った。
そこには、深紅の剣を携えた黒装束の男――クニタケアコツが立っていた。




