三章 流れる日常、その平和に耽溺す その2
華の日曜日である。勉学という苦行から解放される日。
美紀は下谷川駅東口の改札辺りの柱に背中を預けて、人を待っていた。先日の約束どおり、愛にクレープをおごる為だ。約束の時間は十二時の予定だ。駅前の閑散としたロータリー――バスは一時間に二本程度――の真中に立つ黒塗りの時計は正午十五分過ぎを指していた。
何となく遅い気がして、見上げると丁度黒塗り時計が視界ひ入った。「遅刻かよ……」足元の石っころを蹴って、美紀は毒づいた。
蹴られた石はアスファルトをバウンドして遠方へどんどん転がって行った。そして、戻ってきた。蹴り返されたのだ。その方向に視線を向けると、愛が立っていた。真白のワイシャツに首からタータン柄のタイを垂らし、同じ柄で色違いのミニを履いている。サイドアップのおさげを括るリボンはチェック柄(市松模様)だ。最後にアクセントとして、パンクっぽいアクセを手首と首にさげている。
「やっほー、愛――って……」声をかけようとし、愛だけではないことに気付く。彼女の後に人翳が三つ連なっているのだ。全員の顔を美紀は識っていた。
「あはは、輝樹くんも連れてきちゃった」ぺろりと、舌を出す愛。
「……松本さんと、永井先輩の姿も見えるけど……気の所為かな……」
口の端を攣りながら美紀は愛に肉薄する。こめかみに指間接でウリウリをかます。
愛の背後に潜伏していたのは、勿論輝樹だけではない。ひろこと松本も、だ。このメンツに石森が含まれていないのは、さすがの愛も空気を読んだのだと思われた。彼が来たまら、美紀はこの場で帰ったかもしれない。
輝樹はジーンズにTシャツとラフな格好だった。Tシャツは普通のプリントモノで、無意味な英単語が列記されていた。
春とはいえ、まだ下谷川市に於いては膚寒い時期である。寒がりなのだろう、ひろこは丈の長いスカートに、上にはカーディガンを引っ掛けて、日焼け対策か鍔の広い帽子を被っている。色は清楚な白だ。
松本は、まんま制服だった。この格好で休日に、部活動など以外の目的で外出するとは中々の勇者である。あからさまに、浮いていた。私立のような凝ったデザインの制服ではないから、高校の制服を着たがる女子などいないだろう。
「ははは。多いに越したことないじゃない?」
「微妙」
そもそもである。美紀は愛と二人の予定で待っていた。つまり、全くおめかししていない。これが現状の問題なのである。勝負服なんて一着も持っていないが、事前に輝樹が来ると解っていれば購入も検討しておくというモノ。
美紀は愛をジト目で見た。それから睨んだ。言葉なく睨み続けると、愛は屈した。諸手をあげて降参する。「なら、クレープ一枚で勘弁したげるからぁ!」
「よし、乗った」美紀は指ぱっちんで承諾した。この条件なら、チャラだ。
二人のやり取りが終わってから、お邪魔な二人と輝樹が美紀にあいさつする。
「よう。手塚」「こんにちは」「お邪魔する」
「あ、うん。こんにちは」
五人は当初の予定通りに、クレープ屋へ向かう。駅前からそう遠くない場所だ。五分も歩けばつく。商店街の並びを進む。すると見えてくるパステルカラーの外装の店舗。二年くらい前に開店した個人営業の店なのだがトッピングが充実し、かつ比較的リーズナブルと、女子連中の間では結構な評判だ。毎週終末に訪れる女子も多いという。
五人は自動ドアをくぐった。
入店するなり、ピンクのフリルエプロン姿の店員数名が、まるで寿司屋に入ったのではないかと勘違いしそうなほどの気合で「いらっしゃいませ」のハーモニーを奏でた。ちなみに、これも売りの一つである。噂によれば、店長は元板前だそうである。そう考えるとなるほど納得だ。
「高いな」カウンター上のメニュー表を見るなり、輝樹が言った。確かに、クレープ一枚がブタメシ一杯よりもやや高いというのは、食べ盛りの男子にとっては信じられない価格設定であろう。
即座に愛が駁す。「食をケチってはいけないのだよ? 輝樹くん」
美紀も便乗した。「そう。店の品っていうのは、ちょっと違うんだよ。お手製とは。それに、安い方だよ?」
「おいおい、手塚まで……。それに、食ってクレープはお菓子だろう」何とか反撃を試みつつ輝樹は、悔しそうに指の間接を鳴らした。指の接合部がボキボキ鳴る。
「次は、量がすくねーと喚くに、あたしは一票」したり顔で愛が言った。
「私も」
「うぐぅ……」輝樹は先手を打たれて、押し黙った。次の口撃に使う予定だったのだ。
ひろこはまじまじと厨房を見ていた。
厨房では、熱されたプレートの上にとろんと滴らせた生地が、あっと言う間に火を受けてパリっと焼きあがっている。火を通すのはそう長い時間ではない。すぐに焼きあがってしまうので、焼きあがる前にうまくオタマで円形に生地を伸ばせるかが腕の見せ所であり、勝負だ。また、逆にもたもたしていると分厚く焼けてしまう。
「凄いですね。手で焼くんですね」
ひろこは慨嘆して、目を輝かせた。厨房で生地をオタマでぐりぐりする店員に羨望の眼差しを注ぐ。まじまじと見詰められ、店員は少し引いていた。
「はい?」当たり前のことなのに、至極感心しているひろこに美紀は疑問符を飛ばす。
美紀の言葉に彼女は、はっと我に返った。顔を赤らめ、恥ずかしそうにわたわたと両手を振った。
「あ、ははは。こういうのって、マシンのほうが上手いんじゃないかなぁって思っただけですよ。あはは」乾いた笑い。笑ってごまかす気満々である。
「あ。でも、先輩知ってます? フランスじゃ薄いクレープ焼けるのがいい花嫁さんなんですよ?」美紀はそこはかとないフォローを入れることにした。
「にくじゃがみたいなものですか? やっぱり、難しいんですね。薄く焼くのって」
にくじゃがはちょっと違うんじゃないかなと思いつつ、「ピザ生地もクリスピーがおいしいですもんね。サクサクしてて。クレープの場合、分厚いとモフモフしすぎるのが問題なわけですけど」
「……ですね」
「先輩は、料理とかします? 上手かったりします?」
「そうですね……昔は結構やりました。大変でしたから」
「大変だったんですか?」
「はい」強い調子でひろこは頷いた。大変――とは、一体何があったのだろう?
松本クヌギは厨房ではなく、カウンターの上にあるメニュー欄の文字列を見ていた。じーと凝視している。目で殺すかのような眼光が注がれているのは一つのメニュー。
「気になる」しみじみと言う。
「なになに、クーにゃん。あれ、気になるかにゃ?」
「うむ。納豆だ」
彼女がびしっと指差す先にあるのは、『納豆クレープ小豆和え』の文字。字面を見るだけでおどろおどろしい名前だ。常人の神経を持っているなら、頼むはずがないメニュー名。名前からしてゲテモノである。
「待て。悪魔の囁きだと俺は思うぞ」輝樹が口を挟む。常識人ならば当然過ぎる制止だ。
「なに、そのKY発言」
「いや、だってよ――」
「いいかい。輝樹くん」
愛は輝樹に相対する。
「なんだよ……柳瀬」
愛は人差し指を立てながら説明を始めた。
「文化は“コウハイ”してこそなのだよ。解るかい? マヨと明太子のコラボレーションがきみに解るかいっ! あれと同じことなのだよ。やってみなくちゃ解らないこともある。小さな豆とでかい豆の融合も見てみたくないかね?」
「いや……明太子ってなんだよ。それにあれ、小さな豆と書いて、あずきだろうが……」
「ったく。これだから、最近の若いモンはなってねぇ!」輝樹の常識人的解釈に、けっ、と愛はわざとらしく吐き捨てる。
「おまえだって若いもんだろうがよ」
「ふふふ。本当にそうなら、いいねぇ」
「は? なんだそれ」
「“引っ張られている”かにゃ? って話さね。それに、人を見た目で判断するなんてよくないにゃぁ」
「意味が解らん」
「解らないなら、いいさね。ふふ」愛は意味深に笑った。
一行は、クレープをテイクアウトにして店を後にする。別に店内で食べてもよかったのだが、折角晴れた日曜だ。屋外で食べるのも悪くないだろう。そこで、近場の公園で食べることに決定したのである。
駅からやや離れた場所にある市立の公立公園は、込み入った道順も手伝い、たとえ休日であっても人が少ない。落ち着いて食すにはもってこいのスポットだ。穴場の割に、アベックがちっともいないというオマケつき。理由はおそらく卑劣なほどに鄙びているからだろう。まさに、大してお金のない学生のたまり場としては、いたれりつくせりなのだ。
公園へと向かう。駅前の商店街並びから路地へと入り、その細い道を抜けて行く。
路地に曲がった瞬間、ふと輝樹は敵愾心のこもった視線を覚えた。発した人間を捜して素早く、振り返る。けれども、背後にも頭上にも誰もいなかった。勘違いだったかと、かぶりを振ると視線はなくなった。撤収したのだろうか? 本当に勘違いならば、問題ないのだが。「軍部め……」美紀たちに聞こえないように呟く。
路地をいくらか進んだところで、「ちょっち、トイレ行ってくるさね」突然、愛がもじもじしながら言った。
「へ? 公園まであとちょっとだよ?」
公園はもう近くに見えている。公園を周回する緑の葉翳からは、ボロい青色のベンチが覗いている。急いで向かえば、商店街の方へ戻らなくても済む。公園にだって敷設のトイレくらいある。しかし、「漏れる。漏れる」と切羽詰った顔で愛は言いつのる。これでもかと、連呼する。しかも頬がほんのりと赤らんでいる。かなり限界のようだった。アイス入りのクレープを食べた所為で腹でも壊したのだろうか。
道端で漏らされては敵わんので、「解った。解った。いってらっしゃい!」美紀は早口に捲くして、愛の背中を押す。愛は美紀に押された勢いそのまま、一目散に駅前商店街の方へ突っ走った。脇目も振らなかった。
愛を除く一行は公園に至る。先客の姿はなかった。ただでさえ閑散としているのに、人が全くいないと侘しさが二割り増しに感じる。
公園の敷地に足を踏み入れる。踏み入れた途端、注がれる敵意ある視線。輝樹だけが鋭敏に反応した。「どうましました?」と心配そうにひろこが輝樹を覗き込んだ。
「何でもない」輝樹は取り繕う。応対しながら、眼差しを公園中に這わせた。監視するような気配はするが、人翳は見当たらない。どこかに潜伏しているのだろう。相手はプロだ。用心せねばなるまい。
一行は公園中央のベンチにかけた。五人がけなので、人数的にもマッチして丁度よい塩梅だった。
「お先に、どうぞ」輝樹は女子を優先的に座らせた。レディーファーストのつもりではない。この行為には思惑がある。
「あ、うん」「すいません」
美紀とひろこと松本の三者が腰をおろしたのを確認すると、輝樹は彼女らの背後――ベンチの後側に回った。
彼女たちの背に立つ。そこで、深呼吸。両手を振り上げる。そして、美紀とひろこの首筋へとスナップを利かせ、容赦のない手刀を叩き込んだ。首ががくんと跳ね、「ぐふ」と両者は呻く。そして、ほぼ同時に上半身がくず折れた。彼女たちが頭から地面に接触しないよう、手を胸の辺りに回すことで、姿勢を保持するのも忘れない。上手く支えることはできた。しかし、彼女たちが握っていたクレープは、落ちて爆ぜた。ホイップクリーム色に染まる沙。
「何?」一人残された松本が驚きの声をあげた。輝樹にことの狂態について、問うような眼差しを寄越す。
彼女はベンチからすぐさま、立つと身をひるがえす。警戒するように左足をやや引いて、右手を手前に押し出した。輝樹とベンチを挟んで正面から対峙。武道の構えには見えないが、何かをする気ではあるようだった。
輝樹の予定では、松本も気絶させるつもりだった。しかし、三人同時はさすがに無理があったようだ。
松本がいかに小柄な女生徒とはいえ、正面から向き合った状態で全く苦慮することなく、気絶させるのは相当困難である。そこで、輝樹は懐から最終兵器を取り出す。非殺傷兵器スタンガンだ。これならば、相手の膚にさえ触れられればいい。余計なダメージを与えないのが彼のモットーであるし、無駄な抵抗をされて手間取るのも御免だ。
スタンガンのスイッチをオンにする。輝樹は踏み込み勢いをつけ、脚をバネにしてベンチの背もたれを飛び越える。躍り出る輝樹。とっさに、松本は守りに入った。
視界を上方に向ける松本に、輝樹は滑空しながら一撃を与える。松本は防御したつもりなのだろう、クロス字に組んだ腕部にモロに電撃を受けた。電圧量をあげすぎていた為か、火花が近辺に散った。こげ臭さも瀰漫する。
スタンガンを食らい、「うっ」と松本は背筋を震るわせた。びくっと大きく一回反るように痙攣。そして、輝樹の思惑通り倒れ――なかった。彼女は酔拳使いのように前後にゆらゆらと動き、体勢を立て直す。暴走前の初号機のように前腕を垂らし左右に身を揺らしながら、彼女は跳ね飛んだ。「ぬあっ!」
輝樹は動揺していた。スタンガンが利かなかった。そればかりか、松本が声をあげて突っ込んできたので最早対処のしようがなかった。おどおどしている間に、彼女のバックブロウを手首に強かに浴びて、スタンガンを取り落としす。落下したスタンガンは地を滑って、拾おうにも拾えない位置まで遠のいた。
「おまえ……」輝樹は奥歯を噛んだ。一発食らった手首がじんじんと痛む。
松本が顔をあげた。平然としている。何ごともなかったかのようだ。
「どうして、スタンガンが利かないか? かな?」不敵に松本は哂った。輝樹の動揺をあざわらうかのようだ。
「……」
「答えは、すでに松本クヌギは気を失っているから、としか言えない」
ワケの解らないことをつらつらと松本は言った。舐めるように公園中を見回して得心したように小さく頷く。そして、僅かに「ふふふ」と声を出して笑った。
「まあいい。疑念は後に回すといい。協力はしてやる。敵がいるんだろう」
「は?」輝樹は松本の弁も論理の帰結も全く解らず、とまどった。
とまどう輝樹に一瞥くれて、松本は言う。「見てろ」
松本は右手を大空に向けて垂直方向に掲げ、告げた。「ダウンロード!」
言霊を受け、彼女の指先が煌々と灯を放ち始める。目が眩みそうなほどの光量にも関わらず、少しも眩しさはない不思議な光。一通り輝き明滅を繰り返すと、雲間を縫って天空から細い光の筋が落ちてきた。これは真直ぐに松本の人差し指の先に注がれた。
輝樹は呆気にとられて、食い入るように見入った。
光が空気をかき乱すはずはないのだが、輝く光たちに揺らされているかのように、松本のセーラーカラーがはためいている。まるで、光が風を起こしているかのようだ。松本は閉目して、身じろぎもせず、降り注ぐ光に浴していた。最後に光は彼女の指先に収斂して、消え去った。後には静けさだけが残ったかのように思われた。
「ライトセイバー? ビームサーベル?」
彼女の手には、さっきまでそこに存在しなかったものが握られている。白い二十センチほどの流線型の棒。加えて、その先端部から伸びる八十センチ弱の渡り(ながさ)を持つ薄緑色の光の刃。絵に描いたようなSF兵器だった。ジョーダンかと思った。
「旧い映画を識ってるものだ。それとも、“引っ張られた”か?」
「は? “引っ張る”ってなんだよ!」
松本は愛と同じ科白をのたまう。輝樹は柳眉をひそめた。難詰するように問うが、彼女は輝樹の咆哮を無視した。その代わり、握られたものの説明に入った。光の剣の石突を叩きながら、言う。「これの正式名称はクニュラ=プロマイコイという。横山輝樹。おまえ、スローガラスというものを知っているか? 原理としてはあれと似たようなものだ。フォトンを限りなく低速にして密集させ――」普段の無口が嘘のように、松本はべらべらとしゃべった。が、急に顔を引き締めると言った。「やっこさん、来るぞ」
「解ってる」
二人は息もぴったりに、申し合わせたように背中を合わせた。
瞬間、公園中の物陰から漆黒スーツ姿の男たちが現れた。遊具の中、草木の狭間など様々な場所から。彼らは一様に黒のサングラスをかけ、素顔を隠している。総勢五名。姿を見せた瞬間に公園一体に殺気じみた気配が充満し始める。
彼らはほぼ公園の中央部にいる二人を囲むように、にじり寄る始めた。リーダーらしい一人が口笛を吹いた。すると、残りの四人が懐に手を入れる。
輝樹と松本は身構えた。銃器の類でも抜き出すものと思ったのだ。しかし、彼らが取り出したのは、長めの刃を持ったシーズナイフだった。一名、何故か果物ナイフである。どうやら、最初から武器がロクに支給されておらず、なおかつ現地での武器の調達に失敗したようだ。格好が格好だけに滑稽だった。
松本は首を傾げた。「なぜ、あいつらは銃器をもっていない?」
「知るかよ……。こっちが聞きたいくらいだ」輝樹は肩掛け鞄からハンドガンを出した。
「おまえは持っているんだな。しかし、古いシロモノだな」横目で輝樹の銃を見つつ、松本。
リボルバーそのものは十九世紀に完成され、オートマチック拳銃も二十世紀に完成した。ほとんど、ジャムることがなくなったのだ。二十世紀後半のハンドガンの発展は付加価値の時代といえる。そして、輝樹の持っている銃は二十世紀後半、もしくは二十一世紀初頭のモノと思われた。余計な機構は何一つついていない。人間工学の成果に基づく珍妙な形態もしておらず、普通の丁字型だ。
「支給されたんだよ。オートエイミングがないから、使いづらくて困るんだよな……」
「贅沢言うな」
松本が地を蹴った。距離そのものを縮めてしまうかのような一足跳びで、数メートルを踏み越えた。ものの一秒で黒スーツの前に躍り出る。人間離れした挙動に黒スーツの顔が驚愕に染まっった。吃驚しながらも黒スーツはナイフを繰り出す。その所作、無駄な動きのない手馴れたナイフ使いだった。
松本は着地と同時に剣を縦に振り降ろした。黒スーツは身体を傾げて回避する。回避しながら、繰り出される殺意を秘めた刺突が松本の頬に迫った。松本は身をよじった。切先が彼女の頬の薄皮を削る。赤が視界の隅に飛ぶ。寸でのところで、躱したものの着地によるディレイ(隙)は大きかった。うまく反撃できなかった。
松本はバックステップで距離を取る。そして、剣を両手に持ち替えた。
彼女の構え直しを見て、黒スーツは警戒する。距離を詰めもせずに、弧を描くように左右に移動している。男のびびり具合を見、松本は柄を握る手を絞った。光の刃の色が薄くなる。
「出力は一パーセントだ。死なん」言うと、両手もちのまま光の剣を横へ薙いだ。湾曲しながら刃が伸張する。八十センチ程度しかなかった刃渡りは、一振りの間に一メートルを超える長さになる。予想外の事態に相手は対応できなかった。目前の薄緑の刃が伸びるさまを見届けるだけだ。
男の身体を光が透けるようにして、貫通した。ただそれだけのことで、何の変化もないように思われた。血の一滴も出ていないばかりか、スーツが破れてさえもいない。全くの無傷。携帯ライトの光を照射されただけのようだった。
松本は再び剣を片手に持ち替える。何歩か無防備の状態で前へ進み、空いた方の手で軽く黒スーツの胸部を押す。すると、男は容易に後に仰け反り背中から崩れた。どたんと音と土ぼこりをあげて地面に仰臥した。仰向けになったまま、全く動かない。起き上がろうともしない。完全に気絶しているか、死んでいるのか解らないが戦闘不能になってしまっていた。
「なんだ……今の……」松本の手品のような戦いっぷりに、輝樹は驚いた。しかし、驚いている場合ではない。輝樹は輝樹で他の黒スーツの相手をしなくてはいけない。
銃のトリガーを引いた。しかし、スーツとの距離は結構離れている。しかも敵はジグザグに動くので中々命中しない。弾丸だけが無慈悲に減って行く。拳銃の射程というのは案外短い。競技用のアーチェリーボウの方がずっと射程が長い。普通、二三メートルを超えると著しく命中率が下がる。
一方、松本は二人目に取り掛かっていた。光の刃を防ごうとしてナイフを防壁にせんと、黒スーツがナイフを前面にして構える。緊張したような面持ちでスーツは松本に飛びかかった。
「意味、ないぞ」短く告げる。
敵のナイフなど、お構いなしに彼女は剣を横に薙ぐ。当然のように光の刃はナイフを貫通し、そのまま男の身体も透過する。刃が通過した彼は、一人目同様力なく地面へ倒れこむ。そして、動かなくなる。
「くっそ。あたらねぇ」
輝樹は焦っていた。前回の戦闘が存外うまくいったのは、室内戦だった所為だろうか、三人も同時に相手にできてしまったのは。あのときの成功体験によって、どうやら己の力を過信しすぎたようだった。今回もなんとかなると思い込んでいた。焦れば焦るほど、グリップを把握する手がブレて、照準が逸れる。有利なのは自分の側であるはずなのに。そう思えば、思うほど、焦燥感は増幅してしまう。悪循環だ。
「はい。三人目」
松本は男スーツを張り倒し、輝樹へと視線を向けた。輝樹が苦戦している姿が目に入った。しかしながら、ナイフ対銃器では銃器に分があるのはいうまでもなく、敵も近づきあぐねている。相手の出方の読み合いが続く。半ば膠着状態といえた。
松本は後ろ向きに跳んだ。十メートルの距離をひとっ飛びする。そして、輝樹の隣に降り立つ。「大丈夫か?」
「当たり前だ」強い語気で輝樹は答えた。
「そうか。こっちは終わったが」
とっくに、松本の前面にいたスーツ三人は片付いている。地に伏して動かない。
「ちくしょうが」輝樹は叫んだ。そのまま、眼前の黒スーツに吶喊した。全力疾走だ。
「おいっ!」呼び止める松本。自暴自棄の特攻にしか見えなかった。
「いいんだよ!」
姿勢を低くしながら、輝樹は黒スーツにタックルを決めた。大きな運動エネルギーに、男はバランスを崩す。倒れこむ。その上にのしかかり、マウントポジションを決めた。そして、ゼロ距離から銃撃。スーツに銃口を押し付けて、何発も何発も撃ち込んで黙らせる。幾つも空いた穴から血の噴水があがった。返り血に、輝樹のシャツが赤に染まる。鼻腔にはこれでもかといわんばかりの濃厚な硝煙臭がやってきた。
「終わった」輝樹が一人ともみ合っている隙に松本は四人目を仕留めていた。
松本は目を閉じた。聴覚神経を研ぎ澄まして、辺り一体を索敵する。押し殺すような足音はしない。どうやら、敵はもういないようだった。そうなると、武器は不要だ。彼女は光の剣を上空へ放る。空高く剣は数メートル上方へ昇り、最高点から落下を始める。落下ながら無数のフォトンになって、地に落ちることなく、その物質性を失った。
輝樹はマウントポジションを解いて、立ち上がる。
「おまえ、何者だよ」語気荒く輝樹は松本に詰め寄った。
般若のような表情の輝樹。松本は柳に風に受け流す。「まず、感謝の言葉を欲しい。独りでやれた、かな?」
「……勿論だ」
輝樹は強がった。実質、五人の敵のうち四人を片付けたのは松本だ。松本なくして、勝てる道理などなかった。
「やはり、偽物はオツムのデキが悪い」
「なんだと……!」いきりたって、輝樹は松本の襟首を掴む。
「仮におまえが独りで殲滅できたとしよう。しかし、問題は事後処理にある。ここで、質問。街中でドンパチして、衆人が集まらない理由は?」物分りの悪い生徒にやんわり設問を与える教師のように松本は訊く。
「え?」輝樹は鳩豆な顔で松本を見た。襟首を掴む膂力がわずかに緩む。
いくら閑静な場所にある公園とはいっても全く人通りがないわけではないし、辺りには民家もある。それに、却って静かである方が音は目立つ。
「大気の振動及び、光の屈折をちょっといじらせてもらった。できるなら、バレたくないだろう? ここが、まがいものだとしても」
松本の言葉に輝樹の腕から力が完全に抜けた。その隙に松本は束縛から脱出した。
「ふん……一応、感謝しとくよ」
「それでいい。さて、手塚美紀と永井ひろこを運ぶぞ。第二陣がこないとも言えない。こんな目立つ場所にいても――」
松本はしゃがみながら、ひろこを肩に乗せる。小柄な身体とは思えないほど軽々と担いだ。
一方、輝樹は米俵を扱うようにして、美紀をぞんざいに担ごうとする。そこに松本のクレームが飛んだ。「女性は大切に扱うものだ。して、柳瀬愛は遅い」
「後で聞かせてもらうからな。おまえのこと」
「構わない。本当は見るだけに留めておく予定だったが、こうなっては加担しよう。そもそも今の行為によって、潜在意識下で眠り姫が私という存在のおかしさに気付いたかもしれないし。それに、一度檻を開けてしまったなら、始終を見届けなくてはね。物見銭がもったいない。それと、どうする? この死体一つ」松本は血だるまになった黒スーツへと顎をしゃくった。
「一つ?」
「私は殺してないぞ。やったのはおまえがめちゃくちゃに蜂の巣にした、あれだけだ」
「どうするか……」輝樹は眉をひそめた。
目の前にある死体。血だらけの骸。
「考えてなかったのか? 呆れる。眠り姫に見られたら、ことだぞ」
「松本。おまえ、どうにかできないのか?」
「できるわけないだろう。死者を生き返らせるのは無理であるし、光の屈折を使っても腐臭は隠せない。臭いっていうのは難しい。数値情報に変換しづらいのだ」
「さっきの力は? どこかへ転送とかできないのか?」
「できない。ほら、さっさと遺棄してこい。一般人の目につきにくければいいだろう。どう転ぼうとも、軍部が回収するだろう? 軍部だって、ことを荒げたくはないはずだから。一応、私は彼女らを運ぶ」松本は急かすように言った。輝樹から美紀を受け取ると、片方の肩に乗せる。
「解った」渋面をつくりつつ、輝樹は頷いた。




