二章 自販機に、かざすタスポの物悲し その2
翌日。
前日の愛の予言どおり、登校は三人一緒だった。美紀が玄関から出ると輝樹と愛が当然のように待っていた。願ったり叶ったりである半面、少々驚きもした。本当だったのか、と。
「一緒に弁当でも食べよう」
昼休みになるなり、輝樹が美紀の席へきて、告げた。手には購買部の茶色の紙袋が握られている。その口から、菓子パンの翳がはみ出している。結構な分量がつまっていて、紙袋はパンパンだ。高校生男子となれば、かなりの量を食べるのだろう。
美紀としては教室で、長時間一緒にいることは御免こうむりたかった。そこで、即座に訊ね返した。「えっと……教室で?」
輝樹はそこそこイケメンである。上背もあって一八〇はないだろうが、近くはある。勉強もできれば、運動神経も決して悪くはない。格闘技関係は苦手なようだったが、球技は得意だ。球技の得意な男子はかっこよく映るもの。
ようするに、女生徒連にそれなりの人気を誇っている。つまり、美紀が輝樹と一緒にいたなら、とりもなおさず他の女生徒たちから、あらぬ嫌疑をかけられる可能性が発生するということ。そうなってしまえば後々困るので、提案そのものは嬉しいものの、素直に首を縦に振ることができない。
「そう言うと思って、事前準備はオールオッケーさね。愛様のエンサイクロペディアにぬかりの文字はないのだよ。空き部室を占拠しておいたんだよん」輝樹の背中から、今こそ出番とばかりに愛が飛び出す。
「空き部室?」
「部室棟って意外と、空いてるんだよ。休部中って案外、多いんだ」
「……そうなんだ」
「それなら、問題ないよにゃ?」不承気味の美紀に、畳み掛けるように愛は言った。
「そうだね……」美紀は頷いた。拒否る理由は、もうなかった。取り合えず教室以外でクラスメイトの目につかなければ、いいだろう。女子たちも実際目にしなくば、憶測で語るしかないのだから。そうなれば、「知らない」の一点張りで好機の質問の数々を回避できる。
「では、いこうにゃ?」
「はいはい」美紀は立ち上がって、先導する愛に続いた。
四組を出て、二年生の教室並びを抜ける。階下の渡り廊下を経由して、教室棟とは独立している。部室棟へと向かう。
途中、美紀は渡り廊下の脇にあるパック飲料の自販機で牛乳を買った。二五〇ミリリットルの容器、一〇五円。安いか高いか微妙なデイリー牛乳である。かがみこんで、取り出し口からパックを掴む。その背に、輝樹が尋ねた。「手塚って、ミルクすきなのか?」
「……あ、うん」
「柳瀬も飲んだらどうだ?」愛の胸元を見つつ、輝樹が茶化した。
「同感」うんうんと、尻馬に乗って美紀も頷く。
パックを取り終えて愛を見る。「ちょっ! をい!」愛は両手を扇のように拡げた。翼状にダブルつっこみが炸裂。美紀と輝樹はそれぞれのみぞおちと肝臓に痛手を受けた。同時にむせる。そして、愛の言い訳が続く。「せ、成長期!」
「……本当かよ」「嘘だね」二人は愛の言い訳を一蹴した。女子の成長期は大方中学までだ。
空き部室へ向かう際、部室や屋外で食事しようとする生徒たちの姿がちらほら見受けられた。わいわいと雑談を交わす彼らと、何度かすれ交った。
三階建ての木造校舎である部室棟。その三階の角部屋へと愛は二人は導いた。階段を昇る際、古い木造なのでぎしぎしと床板が唸った。そろそろ建てかえ時と思われる。
角部屋のドア前には、銀板で出来たプレートがかかっていた。表面に『文学部』と彫ってある。プレートを見ながら愛。「ここだにゃ」
「文学部?」
ふつう、文芸部ではないだろうか? 文学っていうのは学問の名前のような……。文学部とは学部の名前であるわけだし。美紀の疑念を察したようで、愛は得意げに言う。「そうそう。文芸部じゃないんだよにゃ」
「何で?」
「野球研究会と、野球部の違いじゃないかにゃぁ」
「どう、違うわけ?」
「野球を研究対象とするか、野球そのものをプレイするか。ようするに、文芸部は小説書くところで、文学部は文学議論するところ、かにゃ? 詳しくは解らないけれど」
「廃部してるの?」
「いやぁ、休部じゃないかにゃぁ。去年の生徒総会だとどうだった?」愛は輝樹に尋ねた。彼は、生徒会長なので知っていると踏んだのだろう。部活動の承認や予算配分は生徒会の領分である。しかし、彼女の当ては外れた。「どうだったかな……」とはっきりしない答えが返された。申し訳なさそうにする輝樹。本当に識らないように、見える。
「んじゃ、GO!」
愛は勢いよく、文学部室のドアノブをひねった。扉が勢いよく開く。
愛、輝樹に続いて、美紀は入室しようとした。框に上履きがかかったところで、彼女は踏み止まった。「ちょっと待ってよ……先客いるんだけど」
空き部室の戸が開いた瞬間を契機に、使用されていない部屋らしい饐えた臭いが鼻腔へとやってきた。けれども、部屋はちっとも無人ではなかった。考えれば、空き部室だからといって誰もいないとは限らないではないか。美紀たちのように、教室外で昼食を摂る生徒がいたっておかしくない。
部屋の壁伝いを廻って居並ぶ書架の列。それらの谷間に、一つ長机がある。それから、机の周りを囲うように置かれたパイプ椅子が六つ。空き部室であることは確からしく、机の上は白く、ほこりが浮いている。書架に詰まった本も陽光に煤けて、黄色味を帯びてしまっている。休部期間は一年や二年ではない。
先客は女生徒で、パイプ椅子の一つに座っていた。窓の方をアンニュイなオーラをきわ立たせて、眺めている。カラーからぶらさがっているのタイの色は白。つまり、一年生だ。薄めの髪は短く肩口までしかない。毛先は切り揃えられておらず、左右がつりあっていない為に右側だけがぼさぼさにカールしている。自前でカットしているのかもしれない。
闖入者三人の方を女生徒は向く。覇気のない顔色だ。物憂げな双眸が浮く。
振り返った瞬間、胸元からドッグタグのような銀板が見えた。何だろうかと美紀は目を凝らす。ドッグタグらしきものには、チェーンは連なっておらず、まるで鎖骨の下あたりに引っ付いているように見える。すさまじく気になった。しかし、初対面で訊くほど不躾ではない。新しいタイプのアクセか何かだろうと思うことにした。
愛と輝樹は、彼女に構わず、席についた。
彼女に一瞥だけくれて、「置物とでも思ってくれ」と、さらりとひどいことを輝樹は言った。本当にそこにいないかのように振舞い、パイプ椅子にかけた。ただ、目だけは先客を横目にしていた。警戒しているように見受けられた。
おここぞとばかりに、すかさず愛が割って入った。身を乗り出して、挙手をする。
「ちょっちタンマ。輝樹くん、そいつぁひどくないかい? 一緒に食べようにゃ」
愛は場を和ませつつ、女生徒にウインクしてみせる。が、当の先客は大して反応を返さなかった。ただ、小さな声で「構わないが」と言った。
「まあ……」なんとなく、気まずい空気。輝樹は、渋い顔をした。
「誰もいないなんて誤算したのは、こっちだしさぁ?」
「そうだね」不承々々といったようすで、輝樹は頷いた。
それを見、愛は満足そうに首を縦に振る。
「ほら、みーにゃんも突っ立ってないで、おいで」愛が振り返り、美紀へと手招きする。
「あ……うん」
美紀がパイプ椅子に腰を落ち着けると、合コンの幹事のような手際で、愛は昼食を仕切り始めた。
くだんの一年生を自分の対面に座らせて、「名前、なんてーの?」とさっそく訊ねた。
「松本クヌギ。一年」ぼそぼそと、蚊の鳴くような声量で答える一年生。かなり、構ってほしくなさそうである。しかし、構ってほしくなさそうなオーラに対し愛は全く構わない。空気が読めないのだ。
「了承。クーにゃんね。あたしは柳瀬、柳瀬愛。愛ちゃんと呼んでいいにゃ。んで、こっちのつまんなそーな顔してる美人が手塚美紀。そして、隣の口の悪い色男が、横山輝樹」
愛は勝手に、美紀らを自己紹介。ほんのりと、貶しを加えて。
松本は愛の紹介を瞬きすらもせず、硬直したように聞いている。
愛の話の区切りがついたところで、「よろしく、地球人」松本は杓子定規な正確さで、軽く一礼した。
「地球人?」「……地球人?」「地球人かにゃ?」三者三様にオウム返し。
「おもしろいこというねぇ。まさか、この中に地球人でないモノもいるかもしれないけどにゃぁ?」自分はエイリアンかもしれない示唆に富む発言を一発かまして、ケラケラとおかしそうに愛は笑った。
このままでは、愛の独演会になってしまいそうだったので、輝樹は宣言する。「食おうか」
「うん」「あいよ」「了解」
またしても、愛が音頭を取り、皆でいただきますをする。手を合わせて、なんてのは久々だった。案外アイは育ちが良いのかもしれない。
美紀は弁当包みを解こうとして、結び目に手をかける。そのとき、どたどたという足音が戸外から聞こえてきた。音は段々と大きくなる。つまり、近づいている。
きゅきゅきゅ! っと上履きのラバーが床を擦る音色が響く。続いて部室のドアが乱暴に開いた。蝶番が悲鳴をあげる。
開かれたドアの前に立つ、肩でハァハァと荒い呼吸する女生徒。タイの色は三年生を示していて、しかも、昨日目撃したばかりの人物だった。自販機の前でタスポをかざしていた童顔の上級生だ。走った所為だろう、髪が風圧で爆発している。手には紐付巾着袋。
「あのぉ……私もいいですか? ちゃんと、お弁当ありますから」
乱暴にドアを開け放っておきながら、やけに腰が低く彼女は言った。
少しどころではなく、かなり、おどおどしている様子。自分の髪の毛の暴発具合にも気付き、必死に手櫛する。片一方の手では弁当包みを掲げてみせる。
「おっ、きのうの未来人じゃないかにゃ!」
嬉々として愛は、彼女を出迎えた。第一声から、それはないだろうと、美紀は肘つっこみ。
「え……」彼女は意味が解らないと、目を白黒させた。よもや自分が言われているとは思うまい。
「愛……困ってるって……」肘つっこみ二回目。
「あはは。ごめん、ごめん。ジョーダンだってば。えっと、先輩。自己紹介してにゃ」
「あ、えっと……永井ひろこです。三年生です。それから……とりあえず、よろしくです」
雷に撃たれたように、直立後、上司へのゴマ(ごま)摩りにご執心の揉手リーマンもびっくりの、深いおじき。
「ひろにゃんね――」
ひろこが愛の隣の椅子にかけると、彼女はまたしても全員分の自己紹介を買って出るのだった。松本のことは、「さっきあった一年生」とそのまんまな紹介をした。
当初三人での予定であった昼食が、あっと言う間に五人になってしまった。
にぎやかなのが好きらしく、愛のテンションは右肩上がり。が一方、美紀は不服だ。愛はこれでいいとしても、美紀にしてみれば松本とひろこは完全に邪魔者である。もちろん、愛も含めてもいいのだが。
ジト目で、自分の憤懣をそこはかとなく当の二人へ送ってみるも、彼女らは少しも気付かない。ひろこは愛の相手をしているし、松本はずっと日の丸弁当の日の丸を舐めている。種の中の胚を取り出す気だ。
ここで、すかさず輝樹に話しかけるという選択はある。けれど、無理だった。話題は何がいいのだろう? とそこからして挫折した。
しかたなく、美紀は白米を摘んで、牛乳で流し込んだ。インディカ米はパサパサした。
「なんで、永井先輩はここに?」輝樹が訊いた。
「えっと……その」応えづらそうにひろこは身を縮める。彼の問い掛けがちょっときつく聞こえたのかもしれない。
「まあいいじゃにゃいか。にぎやかな方がいいじゃないかにゃ?」
愛は屈託ない様子で、ひろこの背中を何度も叩いた。
「そりゃ、そうだね」自分で質問をしておいて、輝樹は愛に同意する。
けれど、ひろこはちゃんと答える気のようで、
「はい……あの……。ちょっと通りかかったり、しなかったりで、そのえっと」
ああでもない、こうでもないとはっきりしない態度と口振りで、顔を百面相させる。そんな彼女を眇目で愛は眺めた。
「かわいいなぁ、ひろにゃん」とっさに、ひろこに抱き付く愛。
「ちょ、愛!」止めようと、美紀。
「かかかか、かわいいですかっ!」
頬を紅色にしながら、ひろこは顔をぷるぷる震わせる。
「うんうん」と大袈裟に頷き、遂には頬ずりを始めた。見かねた美紀は、彼女を強引に引き剥がす。
そんなこんなで、昼休みは過ぎて行く。
美紀はふと、松本を見た。彼女は口を余り利かなかったが、退屈しているようにも、自分たちを邪険にしている風にも感じなかった。ずっと、梅干の種を舐めていたのは気になったが。
畢竟、美紀はこれはこれでいいのかなと、思うことにした。別に問題はなさそうだった。個人的には、問題大有にしても、だ。




