五章 愛の世界、彼女の告げるることの間に
輝樹のケータイが鳴った。着信相手は愛だった。
「輝樹くん。いいかな?」
「何だ?」
「少々、話があるんだにゃ」
「話か……」
「気になるでしょう。あたしのこと」やや艶っぽい声で愛は言う。
「……」
「どう?」
「行く」当然の答えだった。こっちから出向くつもりだったのだ。願ったり適ったりである。
「それじゃ、きみの家で」
ケータイを切る。
輝樹は即座に遊歩道を下り始めた。
「おい。横山輝樹、どこへ行く」
「帰る。手塚にはそういっておいてくれよ」
「待て。理由を言え」
「柳瀬の呼び出しだ」
「柳瀬愛か。面妖だな……私も行こう」
苦々しい面持ちを湛え、松本は立ち上がらんとする。すると、腕を掴まれた。掴んだのはひろこだ。
「松本さん。ここは彼に任せましょう」たしなめるように言う。
「なぜ?」
「彼女の素性を知るチャンスです。ヘタに大所帯で行く必要はありません。敵を知るのも重要ですが、大切なのは眠り姫です」
「そうかもしれんが……。重大な間違いに繋がりかねないかもしれない……」
「それは解りません。それより、空。見てください」
ひろこは上空を指差した。
「不味いな」
青空には亀裂が入っていた。世界の終りは近づいている。
山を下って西千拾まで行くのに、誰とも会わなかった。街は閑散としているというレベルではなく人の気配がしなかった。
自分の家の前に立つ。愛は「きみの家で」と言った。恐らく既に中にいる。
自宅の玄関を蹴破るようにあける。ダイニングへ行くとソファに愛は座っていた。輝樹が買い置きしておいた飲料水を飲み、くつろいでいる。勝手に冷蔵庫を開けたに違いない。家の鍵もピッキングしたのだろうか。
「おまえ、何者なんだよ」ずっと気になってたことを開口一番告げる。
「あたしは友達さね。みーにゃんのね」しれっと愛は応えた。ソファから立ち上がろうともしない。
「嘘を言え。昔の資料を洗ったんだ。柳瀬愛なんて人間は、あの時代、あの場所にいなかった」
カマをかける。本部と連絡は取れていない。もしかしたら輝樹同様、実在している人物なのかもしれない。そうなったらお手上げだが、松本やひろこは本来ならば存在しない人間だ。可能性に全てをベットした。
「はははは!」唐突に愛は高笑いした。
「何がおかしい?」
「やっと解ったの? って思ってさ」
急に口調が変わった。無駄にテンションの高い声が、凛々しく落ち着いたモノに変貌した。年齢が五歳以上老けたような落ち着き具合だった。輝樹は舌を巻く。「なっ」
「私は知ってるよ? きみが横山輝樹としてこの世界にもぐりこんだことを。なのに、私はわざわざ最初から偽物の人間になりきった。誰かの代わりという成りすましじゃなくてね。どうしてだと思う?」
秘匿するのかと思いきや、彼女はペラペラと喋った。別に隠す必要などハナからない、と言わんばかりである。
「最初から偽物であることが眠り姫にとってどんな結果になるか、きみなら解るよね? 横山光くん?」
嘲笑うかのように、輝樹の本当の名前を口にした。
「なぜ、知っている!」怒鳴る。しかし、愛は無視して話を続ける。
「それに、すでに眠り姫が創った住人の場合、どうしても“引っ張られる”からね。彼女の記憶に。きみも最初は引っ張られたんじゃないかな? 入れ替わった代償だと思えば安いかな? もっとも、きみが無茶なことするから眠り姫は横山輝樹の情報を修正したみたいだけどね? きみが最初火星軍と一悶着起こす前と後では、キャラ変わってておもしろかったかな。あ、必ずしもそうじゃないかな? ところどころ、おかしかったもんね。おもしろかったよ」
口調は変わってもお喋りなのは相変わらずのようだ。人をおちょくる性格もだ。
「……だから、何者なんだ!」半ば叫ぶように言う。ソファの前に回りこんで、組み伏せるように両腕を愛の顔の横に置く。
「答えると思う?」平然と愛は言った。
「いやなら、腕ずくでもやるさ」
「どっち道、無理だと思うけどね。眠り姫の創った世界で、眠り姫を謀るにはどうしたらいいか? 答えは?」
「ナノマシンか……」
「大正解」言うなり、愛の姿が消える。
「どこへ行った?」首を回す。
ダイニングと間続きになっているキッチンのシンク前に彼女は立っていた。人の感情を煽るような笑みを顔面に貼り付けている。
「ここだよ。無理だって言ったでしょう。人の話は聞こうね」
「くそが……」
「はは。焦っちゃダメだね。ちゃんと教えてあげるよ」出来の悪い生徒を見る目だった。気に食わなかったがしばらく大人しくすることに決めた。
輝樹が抵抗する気をなくすのを見計らい、愛は話を再開する。
「変異が厖張しているのは識っているね? 火星全域に拡がったネットワークに対して眠り姫の自己意識は、とっくに許容量を超えている。軍部は中枢である眠り姫を手中にすればいい、だなんて思ってるみたいだけど、違うよね。話はそんな単純にできてない。そんな単純だったら、最初から成功しているはずだからね。
だから、私たちは搦め手から攻めたわけ。一部のナノマシンは彼女の制御下を離れているのを知っているかな? つまり、眠り姫は絶対じゃないんだ。チングレクトミー=コンソール? バカな話だよね。眠り姫の脳をいじくればいい? 眠り姫ってのはあくまで原因でしかない。そう思わないかな?
つまり結論を言えば、中央なんてのはない。眠り姫は司令塔というよりは、ナノマシンに人格を与えているに等しいわけ。腸を第二の脳と言うよね。要するに眠り姫に対して、こちら側から情報を逆流させることができるって話。だから、柳瀬愛という人間を創り出すこともできる。
そもそも人独りの脳が火星を全て自由に操作はずないよね? 特に、当の眠り姫がこの世界を何の為に創ったのか? が解っているとね」
「私たち? やはり、どこかに与しているのか?」“私たち”とは気になる言葉使いだった。ひっかかる。
「リブーティストって耳にしたことないかな?」
「なっ……再生の連中か?」
「そうね。有体にいえばテロリストってことなんだろうけど」自嘲する愛。「ところで、リブーティズムの思想と一緒なんだけど、私はね、この星が――いいえ、人類世界が終わってくれって願ってるんだよ。どうなってもいいのよね。こんな場所は。そして、始まるナノマシンによる創世神話。楽しいじゃない」本当に楽しそうに笑う。
「そんなことは――」
愛は輝樹の言を遮る。
「知ってる? インディアの神シヴァは破壊神と同時に創造神なのよ。マーヤン=カレンダーでは、世界は繰り返すと言うね。現在は七番目の世界だったかな。
はっきり言ってくだんないのよ。こんなしみったれたノスタルジアなんてね。眠り姫はこれがお望みなんでしょうけど。火星軍も恐らく、現在の世界の覇者になりたいだけ。だけどね、私は美紀の力を応用したら物理法則すら思念で書き換えうると思うのよ。
眠り姫には死んでもらう。というよりは、自滅してもらう。そしてその後釜に私は座る。私は無意識下でコントロールする気なんてないし、一神教的支配の無理は知っている。だから、ヘマはしない。もっとも当面の問題は眠り姫が無事自滅してくれるか否か。終るかもしれない、賭け事。私はベットするわ、この命。それくらいの価値はあるものね」
「させねぇよ……。じいちゃんとの約束だ」
殴りかかりたい衝動を抑える。殴りかかっても無駄に違いないからだ。彼女はナノマシンに干渉していると言った。もしかすると、柳瀬愛には実体がない可能性がある。だとすれば、物理的攻撃に何の意味がある?
自分の思想を一通り語ったのか、愛は話のテーマを変えた。
「横山輝樹。火星テラフォーミングの第一派遣隊の一人。二代目火星総督。微小機械工学博士、惑星地質学博士、火星戦役にて二○七八年戦禍に巻き込まれ死亡、七年前ね。火星軍の謀殺説もあるけど、どうなんでしょうね?」
「知るかっ!」
「知らなくても、疑わしい。だから、きみはミリティアに籍を置いている。違う?」
「どこまで知ってやがんだよ……」
「ほとんど、ね。永井ひろこが地球政府の回し者であることも。赤塚が軍部の人間であることも。一つだけ解らない存在がいるけどね」
「松本か……」
「彼女は何者?」
「宇宙人だとさ」
「ふぅん。にわかには信じられないけど。でもまあ、ありえない話じゃないか。色々邪魔されたような気がしないでもないしね。今回は上手くいったけど」
ひろこ同様、異星人の存在を知っている。疑う風は見えなかった。
「披購入者だとさ」
「何それ?」
「俺もしらねぇよ。フレデリック=ポール読めって言ってた」
「読書は嫌いよ。余計な思惟が籠っているから」
「俺は好きだけどな」
「そう」少し怒ったように愛は言った。「それじゃ、私はそろそろお暇しようかしら? そろそろ、眠り姫がきちゃうから」
「待て!」
光は懐に隠しておいたピストルを抜いて、撃った。しかし、愛に当たることはなかった。彼女の体をすり抜けて、弾丸は家の壁をえぐった。爆ぜ跳んだのは建材だけだった。
「意味ないっていったじゃない。私のこの姿は嘘なんだから。最期に一つ教えてあげる。赤塚たちを“再生”したのは私。そして、私の本名は白土。下の名前は秘密。ひろこに、そうね。よろしくと言っておいてね。私の旧友なんだ」
そういい残すと霞みのように消えてしまった。
手には紫煙を上げる拳銃だけが虚しく握られていた。
また気を失していたようだ。自分はどうにかなってしまったのだろうか? これで何度目だ? 何かの病気か? 違う、検討はついている。恐らく――。
「起きました?」
「あ、はい……私、どうしてたんでしょう」
「気にしないでいいですよ」ひろこはやや挙動不審に見える。
「二人だけですか?」
「うむ。横山輝樹は帰った」
「そう……」美紀は力なく言った。
「送って行こう」
松本の提案に対し美紀は首を横に振った。
「独りで帰るよ。イヤな予感がするんだ」
美紀は横山家の玄関の戸を叩いた。何度も何度も叩くが、反応はない。ピンポンはすでに鳴らした後だ。こうなったら、選ぶ手段は一つ。
玄関の取手に手をかけた。力を入れると難なく開いた。ふつうなら無断進入は許されないし、する根性もないだろう。しかし今は例外だった。
家の中は薄暗い。全く電気が点いていないのだ。
「横山くん?」呼んでみる。反応なし。
リビング、ダイニング、見て回る。キッチンから青白い灯。
見ると、冷蔵庫が空いている。近寄った。
冷蔵庫のきわに人間が倒れていた。
横山輝樹だった。死んだように動かない。
美紀は咽をひくつかせながら、膚に触れた。冷たくはなかった。寧ろ、生暖かい。人膚よりも暖かいかもしれない。まるで人形みたいだった。
「やぁ。みーにゃん」
「え? 愛? どうしたの?」
「それ、何だと思う?」
それ、と彼女が言うのは眼前の輝樹らしきモノのことだろう。
「輝樹くん……」
「――の死体」愛が美紀の言葉を継いだ。
「死体っ!」金切り声が漏れた。「でも――」確かに人間の屍に見えなくもない。しかし、人形にも思える。人形との思いが強いからさほど焦らなかったといえた。
「手塚美紀。二○○七年生まれ。現在、七十九歳」
「何を……言ってるの? 愛」
「憶えているはずよ。初めて会ったとき、手紙の話、したね?」
「初めて? 嘘、愛とは……」
「二年生の新学期の日、初めて会ったんだよ。私たち」
愛の口調が変わっている。変だ。変? 変なのは誰だ?
「あなたが何者か、教えてあげる。赤い大地の眠り姫」美紀の頭の中など愛は構わない。
「えっと……その……」
「今は西暦何年?」
「……二○二四年」
「不正解。二〇八五年」
「そんなはず……ない」
「あなたは、ずっと眠っているのよ。四十年も前から。火星で」
「そんなはずない。だって、ここは地球でしょう?」
「二〇二四年の地球を模していることは確かよね。けど、だけどね、あなたが識らない場所はどう?」
「識らない場所?」
「そう」ゆっくり愛は頷いた。
「でも、これ……」輝樹を見る。
「人形よ」さっきとは違うことを愛は言った。
「変だよ……」呟く。
「そう。変なんだよ。だって、これはあなたの夢。現実のあなたは老婆で、四十年も意識不明なのよ」
「……夢」
「そうね。夢って言い方、悪かったわ。誤解を招くね。正確には、この世界は存在するのよ。火星に」
何かがおかしいとは思っていた。けれど、火星? 意味が解らなかった。
「だから……」
「何で火星? って。手塚美紀は、学生時代に出した恋文の返事をもらう為に、火星に殖民したからよ。二〇四五年、三十八歳のとき。一途なのね、二十年も想ってるなんて。いいえ、六十年ね。全部、あなたがやったことなのだから。思い出せない?」
「……手紙……手紙……」
「本当の横山輝樹はハンバーグ弁当を帰り道に買い食いしてたはずね? 一人称はぼくだったはず。あなたのことは手塚さんと呼んだ。光が無茶した所為で、あなたは記憶を自分で韜晦した。“逆に引っ張った”。そして、聞いていたはず。脳は死んでいなかったのだし、あなたはナノマシンを介して火星に満ちていたのだから。彼の声を聞いたはず」
「……光って 誰?」
光という名の人物は知らない。
「憶えてない? 『手塚さん、初孫の光だ。ぼくの小さな頃にそっくりでさ……』って。その光くんよ?」
フラッシュバック。走馬灯、なんと例えてもいい。全てが合致する。おかしかったのは現実であり、自分だったのだ。なぜなら、現実は自分だったのだから。
「愛……、あなた……誰……、輝樹くんは……」
「私は愛よ。横山輝樹は死んだわ。七年前に。さっきのは人形よ、あなたが創った、ね」
「死んだ? ……死んだ? 死んだ? 死んだ? な……んで……」
「さぁ?」愛は微笑んだ。瞬間、世界がブラックアウトした。
「神がお怒りだぁぁぁぁ!」石森が叫んだ。
「くそ。壊れやがった。こんちくしょう。横山輝樹、まずいんじゃないのか? これ」松本はうざったそうに、石森を蹴る。すると彼は黙った。
「ほっとけ」
「それには同意だが、おまえの所為だぞ。どうして、ここへ来た?」
現在四人は文学部室に集合中である。
「それはだな……」
「報告は電話でもよかっただろう?」
「そうだが……」
「入れ違い、ということだぞ。おまえが自宅にいればこんなことにはならなかった!」
松本は文学部室のカーテンをがばっと開く。
外は暗黒だった。街は崩れた粘土細工のように歪んで原型を留めていない。空間にまるで硝子でもあるかのようにヒビが走っている。世界は崩壊、否分解されつつあった。
「ヌンチャラ星人の技術力でどうにかできないか?」
「無理だ。少なくともおまえたち人類の問題ではないか。あくまで、加担しているヌンチャラは私だけだぞ。どうにかなるはずがない。ホモ=サピエンスが蟻の巣つつくようなもんだ」
「ヤなたとえだな……。永井は何かないか?」
「えっと……私、事務官なんですよ……。技官でも武官でもないので……」申し訳なさそうだ。縮こまってしまっている。
「手紙だ」輝樹は閃いた。
「手紙?」
「じいちゃんのだ。任務の役に立つかと思って」
「なぜ、役に立つ?」ここにきて手紙が有用な意味が解らない、と松本。
「手塚美紀へ宛てたものなんだ」
「なぜ、それを早く言わない」松本は剣呑に言う。
「なくなったんだ」
「なくしたのか?」
「違う。なくなったんだ。永井も言ってただろう。この時代に存在しないはずのものは、なくなるって」
「待ってください……私、今気付いたんですけど、TASPPって本来なら存在しないはずですよね?」
「確かに」
「そうか……それが、柳瀬の言ってた粗ってことか。あのとき、テキトーな説明で眠り姫は納得してしまったわけか」輝樹は得心したように頷く。
「粗? つまり、手塚美紀の意のままに全てが動いているわけではないということか?」
「実際、おまえだってダウンロードとかしてたじゃないか……」
「横山輝樹、それは違う。既に存在する物質が火星成層圏外の膜を通過して、それが美紀の意思で不適とされた場合、ナノマシンによって分解されて分子や原子に変えられる。しかし、ちょっと私の使う方法は違う。量子通信って知っているだろう? 二つに別けた量子は、片方が変化を来たした場合、もう一方も準じるって話だ。
軌道上からのダウンロードは情報だけ、物質のない情報だ。電波のように特定のルートを通るわけじゃない。だから、こうして二十一世紀初頭に存在しないと美紀が規定する物も私は扱える。ところで、祖父の手紙、イメージできるか?」
「おそらく……」
「私がナノマシンに干渉してみよう。地球人にもできたのだ。私にできぬ道理はないだろう。ただし、ナノマシンに干渉したところで、手塚美紀の意思を曲げることはできないだろう。だから、おまえは手紙を彼女に渡しに行け」
「へ?」
「早くしないと、終わるぞ? この世界。私の本体は軌道上にいるから、どうでもいいのだが」
「――解った」
最早道はそれしかないだろう。
「くれぐれも本物の横山輝樹のフリをするなよ。おまえは横山光として振舞え」
「なぜ?」
「私は男だが、本物の松本クヌギがそう言っている。乙女心だろう。おまえの嘘は残酷だ。そしてね、文章には思惟が宿るもの。眠り姫を諭すのは、故人の横山輝樹でなくばダメなのだ」
「柳瀬と同じこと、言うんだな」
「ふふ。おもしろい女だったな。柳瀬愛」
「俺は嫌いだ」
「そうか、代弁しよう。松本クヌギは、おまえが嫌いと言っている」
「けっ……」
松本が両手を掲げた。
「では、機材をダウンロードする」




