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四章 創立祭 その4

「どうしてかなぁ」と美紀はぼやいた。最近記憶が断続的になっている。まるで日常が夢みたいだ。輝樹とお近づきになったことが、ではない。黒装束たちのことだ。一体全体、なんの自己暗示なのか、深層心理なのか。解ったものではない。夢であるならいいのだが、リアリティが半端ではない。

 長い髪を手櫛にしながら、ベッドから身を起こす。首を左右に回すと、自分の部屋に違いなかった。イヤなオーラも感じられない。レイアウトに妙な感覚も感じない。自室、自宅だと解る。

「またか……」

 こういう精神状況のときに、夢判断は意味があるのだろう。精神分析そのものは疑似科学だが、気休めとして役に立つ。「気休め――欲しいな……」

「美紀ー」

 母さんが呼んでいる。夕飯だろうか? 窓辺に目をやるとすっかり暗い。しかし、学校を帰った時点で暗かったことを思い出す。空の色の移り変わりでは、時間の経過がわかりそうもない。時計を見ると八時だ。ちょっと遅い夕飯になりそうだ。そういえば、母はいつ帰宅したのだろう?

「美紀ー」

 中々娘が降りてこないので、美紀の母はもう一度声をかけた。

「解ったってばー」大声をあげた。

 ちなみに、晩飯は春なのに鍋だった。しかも、キムチ鍋であった。どうにかならないものかと少しだけ思った。

 

 翌朝。滞りなく学校へついた。あくまで、学校までは。黒装束たちが現れるようなこともなかった。夢の出来事なので現れてもらっては困るのだが。

 昇降口で靴を履き替えて教室へと向かう。何も変わってはいないはずだった。平静は崩れてはならない。いや、それは願望だった。何も変わっていて欲しくない、という。美紀はおそるそろる教室のレールを跨いだ。夢と(うつつ)の狭間が曖昧であるだけに、解った。自分自身その思いが理不尽であることなど百も承知だというのに。

 目前に拡がるクラスそのものは何も違わない。日常どおりだ。新学年になって一月しか経過していない為、クラスメート全員を憶えているわけではないが、妙な人物はいない。少なくとも顔だけは記憶にある。

 落ち着かない気持ちを抑えながら、朝礼を待った。

 朝のHRの為に担任教師が入ってくる。長い髪にタイトなスーツを着た女性。彼女に見覚えはある。職員室かどこかで見たのだろう。しかし、担任――? 担任ではない気がする。担任は――。 

 美紀は両目をこすった。こすったところで意味はなく、目の前にいる教師の姿が変容したりはしない。現実は現実だ。そう簡単に揺るぐはずがない。

「あれ、先生が……」

 思わず言葉が出た。

「先生がどうかしたかにゃ?」

 何故か愛が答えた。後ろの席から。

「え?」振り返る。そこに愛がいるはずがないのだ。席順はクラス替えから変わっていない。愛の席は遠いはず。

「やほ」小さく愛は手をあげた。

 美紀は愛がどうしてそこにいるのかよりも、担任教師に感じる違和感を優先した。

「清水先生? 担任だったけ?」

 しれっとして、愛は答える。「清水先生に決まってるじゃないか」

 愛の顔を覗き込む。彼女が嘘を言っているようには思えない。

「本当に?」それでも美紀は畳み掛けた。

「本当だにゃ。清水先生じゃないから、誰なのさ?」

 美紀は首を傾げた。

 清水先生じゃないなら、誰だ? 解らなかった。担任は四月の頭から清水先生ではなかったか。

「だね……」釈然としないもやもやを抱えながら、美紀は頷いた。頷く以外にどうしようもない。自分でおかしいと思っておきながら、おかしい理由が解らないのだから当然だ。

「それじゃ、皆さん。今日は創立祭です。盛り上がりましょう」

 壇上で清水先生が言った。彼女は結構やる気満々に見えたが、生徒たちはあまりノリ気がない。テキトーにオーと一部の男子が言ったのみだった。進学校の行事ごとに気体なんかできるはずもない。

 清水が「支度しましょう」と音頭を取る。それぞれの生徒たちは『歴史展示』へ向けて、準備を始めた。

 美紀も自分が担当した分のポスターを張り出す。コルクボードを壁にかけ、椅子と机を教室の背後に退避させ、展示用の脚付き板を並べる。

 一時間目は準備に費やされ、二時間目から創立祭が本格的に始まった。体育祭ではないので、開催の合図もない。つまり校長の長い話がないわけだ。

 創立祭に於いて、二年四組は展示で参加であるので自分たちの教室に残る必要性がない。よって、今日一日自由に歩き回ることができる。模擬店を回るもよし、他のクラスの展示を見学するもよし、エスケープしてもよしだ。何をしたって今日は咎められないだろう。もちろん、犯罪行為はご法度だが。

 美紀は輝樹を誘った。不思議なことに意外とすんなりと誘えてしまった。大して緊張もしなかった。登校を一緒にしていた所為かもしれない。慣れの問題ということもあろう。

 美紀には確認しておきたいことがいくつかあった。だから、チャンスといえた。

「横山くん。一緒に回らない?」

「ん。いいよ」

 快諾を得た。拒まれでもしたらどうしようかと思ったが、そんなこともなかった。やや、彼は面倒そうな顔付をしたが、それは見なかったことにした。いきなり誘われたなら、誰だって怪訝な顔くらいするだろう。

 連れ立って、さっそく教室から出ようとする。

 教室の扉を開けると、廊下に愛が立っていた。二人の前に立ち塞がるようにしている。仁王立ちという表現がしっくりくるように脚を開き、腰に手をあてている。浮気現場を押さえた主婦にも見えなくもない。まったくいいところで登場するお邪魔蟲だ。

「やほ!」

「……」早速邪魔をする気だろうか? 美紀は彼女に言外の圧力を注ぐ。

 視線が交錯する。火花は散らなかった。

 愛にしては珍しく、引き下がったからだ。さすがに今回ばかりは空気を読んだのだろうと思われた。はぁと、伏目がちに軽いため息をする。即時顔をあげ、「――解った。解った。解りましたっ!」早口にまくしたてると、女王に使える陪臣のごとくうやうやしく一礼して、道をあけた。慇懃無礼とは恐らくこのことだ。去る二人の背に告げる。「いってらっしゃい」

 美紀たちはとりあえずブラブラした。行くあては特にない。事前に計画を立てていたわけではないし、人目のないところで逢引するわけでもない。恋人同士、ではないのだから当然だ。恋人同士でもあっても、学校内でイチャイチャするのは憚るべきと思っていたけれども。

 行く場所は決まっていないので、最初はグランドの縁に並ぶ模擬店を巡ってみた。焼きソバとお好み焼き、ホットドッグ、ありがちな品々が並んでいる。全部で五つくらいしかないので、いささかしょぼい印象が拭えないが、高校の学際ならこの程度で十分だ。屋台で買物をしている生徒はまだ少ない。当然だ、まだ午前中である。皆、お腹がすいてはいないのだ。売りときは恐らく昼。

 白いテントの中の厨房を覗き見る。さすがに携帯コンロを連結させているような馬鹿はいなかった。流石は進学校、変なところで納得してしまう。

「ちょっと、待ってて」

「うん」

 輝樹は焼きソバ屋台に走った。彼は昼食は常に購買パンなので昼食の確保をするのである。二パック購入して戻ってきた。どうせなら、昼前に買ってもいい気がした。今買うと昼には多分、冷めてしまっている。

 ひとしきり屋外の模擬店を回った後、再び校舎内に戻った。

 校舎内は閑散としている。クラス展示の行われている教室はそこそこの生徒が見受けられるのだが、特別教室や展示のない教室はすっからかん状態である。あたかも二人っきりでいるような感覚に襲われた。これを、――というのだろうか? 遅れて気恥ずかしさがやってきた。

「えっと――」やや声がうわずった。遅れてくる緊張。対処しかねるものがある。

 美紀の態度を不審がって、輝樹が覗き込む。顔が間近に迫る。心臓にあまりよろしくない事態である。

 美紀は顔を逸らしつつ、小さく深呼吸した。そして、一語々々を区切るように言った。「――美術室へ行かない?」

 特別教室の中で唯一展示がされているのが美術室である。科学部や生物部があれば化学室にも展示物があるのだろうが、例にとって休部もしくは廃部状態にあるので何もない。美術部が存続しているので美術室には展示物が存在するわけである。

 美術室では、美術部の作品と一緒に校内写生大会の優秀者の水彩画なども展示しているはずだった。美紀はこれを見に行くつもりだった。優秀者の事前発表は本人以外に通達がないので、行くまで誰の作品があるかは解らない。

 美紀の提案に「いいよ」と輝樹は応じた。

 特別教室棟にある美術室には人がいなかった。地味な展示だからだろう。お化け屋敷や体育館で開催されている音楽祭に人手を奪われていると思われた。結局、皆バカ騒ぎに少しでも加担したいのだろう。一日でも非日常的なお祭りごとに参加したい。その気持ちは解らなくはなかった。当時は、そう思えなかったにせよ、過ぎ去ってから惜しいと思ってしまうことはたくさんある。

 美術室の机や椅子は二年四組の教室同様に、後へ追いやられ、その代わりにコルクボードが所狭しと並ぶ。美術部員の作品の中に混じって、七点ほど写生大会の絵が展示されている。去年、美紀たちが一年生だったときの作品たちだ。

 ひとしきり、美紀は作品を眺めた。魅入られたように七枚の絵を見ている。一枚につき三分くらい、絵に興味のない輝樹には長い時間だった。役半時間も所在なげにしていなくてはならなかったのだから。

 一枚一枚の絵には名札がついているのだから、誰の絵かすぐに解る。何をそんなに丹念に見る必要があるのか輝樹には全く理解できない。

 だから、輝樹は気付かなかった。本来ならここに張り出される絵は八枚だったことと、八枚目の作者の名前がかかれた紙が張られていることに。

「ないね」

「何の話だ?」

「こっちの話」切なそうな微笑を浮かべる。「ところで、横山くんは結局何を描いたの?」

「え?」

「私、結局、聞いてなかった――違う。答えもらってないから」

 美紀の言葉の意図を輝樹は汲めない。雲を掴むような感じだ。茫洋としていて、埒がない。本物の横山輝樹ならちゃんと応えられるのだろうか? 本物でない以上、答えの出ることのない疑問だ。

 たまに、女というのはこういう語りをする。肝心な部分をぼかした、非論理的な語り口。輝樹は気に入らなかったが、ぐっと堪えた。「えっと――」

「いいよ。別に……」

「何だよ」

「いいんだ。うん」

 それっきり美紀は突き放すように会話を一方的に切った。そして、言う。「ほか、見て回ろう」

 輝樹は釈然としないながらも、承った。

 二人はひととおり展示教室を見て回った。全クラスの約半数が何らかの展示物をやっていた。やっていないクラスは劇を上演するか、模擬店を出している。

 回り終えた頃には、正午過ぎになっていた。擦れ違う生徒たちの手に模擬店のパックがある。皆、食事に向かうのだろう。

 突然、輝樹のケータイが鳴った。

「もしもし」

「やぁ。お昼、一緒するでしょ?」

「あ、うん」

 電話をかけてきたのは愛だった。

「昼食、いつもどおり摂らないかって」輝樹はケータイを畳むと、美紀に言った。

 彼女は少し考える風にして、頷いた。

 二人が文学部室に入ると、すでに何時ものメンバーが終結していた。二人を待つ気はなかったようで、すでに食事中である。輝樹以外は弁当だった。

「美紀さん、どこへいってたんですか」美紀の姿を目に留めて、悄然とした様子で石森が言う。

「ちょっとね」

「ちょっと?」愛が身を乗り出す。

「ちょっとだよ。うん」美紀はぞんざいに対応すると、席につく。一日一パックのデイリー牛乳を置く。

「ふぅん」愛は半眼だ。

「そんな顔するなら、午後は一緒に回る?」

「へ?」意外そうな顔を愛はした。「いいのかにゃ?」

「いいよ」

「むぅ……」

 愛は困っているようだ。おちょくる材料がなくなったからだろう。解りやすい人物である。

 ひさびさに仕返しができたところで、美紀も食事を始めた。美紀は今日も母親お手製の弁当である。牛乳パックにストローをさそうとする。しかし、手が滑った。しかたなく、隅を開閉して口をあける。

 この飲み方は好きではなかったが、ストローつきではない牛乳を飲む際はしかたなくこうしている。

「どこ、回ったんですか?」興味深々といった様子でひろこ。出歯亀根性はあるらしい。自称未来人でもそこは女子高生といったところか。

「あらかた、です。午後は体育館くらいしか行くところ、ないですね」

「なるほど、もうするコトは済んだわけかにゃ」

 美紀は愛をスルーする。確かにすべきこと――確かめるべきことは確かめた。だから、というわけではないが、午後は皆で楽しむことになっても構わない。

「午後は――」ひろこが持参したパンフレットを開く。職員室のコピー機で刷られたもので、創立祭開催中、体育館で催される出し物のスケジュールが載っているのだ。

「劇ですね」

「演劇部の、ですか?」

 美紀はパンフをHRでもらったはいいのだが、教室におきっぱなしで開いてすらいなかった。だから、何をやっているのか識らない。

「みたいです」

「演目ってなんです?」

「あ、ちょっと待ってください。二年六組もやるみたいです」

「そうなんです」何故か満面の笑みを浮かべる石森。心底嬉しそうだ。他クラスの出し物であるはずなのに、だ。

「なぜ、おまえが喜ぶ?」

「友達が多いんです」

「へぇ。で、演目は?」

「えっとですね」ひろこが演目を読み上げる。「マイキズム?」読み方に自信がないらしい。恐らく、英字タイトルなのだ。

「貸して」松本がパンフをひったくる。「ミキズム……おい、石森昭二」

 いきなり睨まれ、えっ? と呆ける石森。

 松本は彼の耳たぶを掴んで机ごしに引き寄せる。そして、耳元で囁いた。「大々的にやりすぎだぞ」

「そのミキズムってなんでしょう?」

 ひろこには何のことかさっぱり解らないようだ。

「後で説明する」切り口上に松本。これ以上、この話題には関わりたくないという気持ちがありありと出ていた。彼女は話を引き戻す。「それで、演劇部がやるのは?」

「スノー=ホワイトらしいですよ」

「スノー=ホワイト?」

「白雪姫ですね」

「ふあっ」

 当然、起立する愛。一同の視線が集まった。一体何ごとかと、怪訝な十個の瞳。それらを一身に受けながら、ばんと長机を叩く。

 牛乳パックが衝撃に倒れた。中から牛乳が飛び出す。ストローを使わない直飲みなのが災いした。際限なく中身がぶちまけられ、美紀の正面に座っていた輝樹にかかった。輝樹の左隣の松本は回避した。石森にはかからなかった。

 美紀の両目が大きく見開かれた。輝樹を見る。

「何すんだっ!」怒鳴った。輝樹は眉間をひくつかせて、愛を睨む。

「あはは、ごめーん」ちゃらちゃらした態度で愛。この態度が彼を煽った。神経を逆撫でした。愛のKYっぷりが際限なく発揮された瞬間だった。

「ちゃんと謝れよ」低い声。

 輝樹がずいと立ち上がろうとした瞬間、別の人物が立った。美紀だ。

 美紀は何もいわずに、弁当包みを仕舞う。その間、全員静止画像のように動かず、喋らない。息遣いだけが部室に満ちている。

 そして、部室を出て行った。文芸部室の開き戸を叩きつけるように閉めて。

「何だ……」

 何故、美紀がいなくなる必要があるのかまるで解らない。しかも、怒っているようだった。

 しかし、輝樹以外の人物は事情をきちんと把握し、理解しているようだ。非難がましい視線が彼を襲っている。

 輝樹はいたたまれなさ以前に、憤慨した。非難されるべきは愛ではないだろうか? 全く理不尽以外のなんだというのか?

「ごめん。ちょっとふざけただけ」そう言うと、愛も出て行った。去り際に、「みーにゃん、捜してくるから」と言って。

 文学部室には、美紀と愛を除く四人が残っている。部室には、やや沈鬱な雰囲気が満ちている。

 はぁと大げさなため息をつきつつ、松本が口を開いた。彼女の嘆息が契機となって少し場の雰囲気が緩む。

「全く、やらかしてくれたものだ。横山輝樹」

「本当です」とひろこも頷く。やや怒っているようにも見受けられる。むすっと頬が膨らんでいるのではっきりと解るレベルで怒っている。ひろこの内面の解りやすさがイカンなく発揮されている。

「だが……」輝樹もブ然とした表情をした。納得がいかないといわんばかりの様子である。どうして、二人に非難されなくてはいけないのか。悪いのは愛であり、当然の抗議を自分はしただけだ。

「言い訳無用。おまえはここでは横山輝樹なんだぞ」

 松本は輝樹を見上げる。半眼になって視線で射抜く。

「その前に少しいいか」輝樹は難しい顔をした。「永井先輩。あなたは何ですか?」咎めるような目つきでひろこを見やる。彼女は怯えたような表情を浮かべた。

 輝樹としてはひろこの正体を確認しておきたかった。松本が何者かは既に解っている。石森に関しても大方の予想がついている。彼は美紀教の人間だ。手塚美紀のことを神様と呼んでた事実が証拠だ。しかし、ひろこについては解らなかった。

 これから松本と話す内容を聞かれてはまずい。彼女はどこをどう見ても、軍部の人間には見えないのだが、一応念のためである。

「何といいますと?」ひろこは小首を傾げた。

「なんだ。知らなかったのか。横山輝樹」

「知らないぞ……。明らかに言動がおかしいから、どこかの回し者だとは思っていたが。しかし、軍部や政府ではないだろう?」

 ひろこは息を溜め込むように深呼吸。そして、搾り出すように告げた。

「――私のお上は地球同盟です」

 驚いた。まさか、地球から来ていようとは。輝樹の予測では、ミリティアと軍部の抗争ばかりだと思っていたのである。

「地球同盟……? 地球から来れるものなのか?」

「横山くん。あなた、ミリティアですね?」

「はっ……」輝樹は口元を押さえた。ひろこの言う通り図星だったので、「何故、知っている?」とうっかり、言ってしまうそうになったのだ。慌てて自分の反応を押さえ込んだが、ほとんどイエスといっているに等しかった。後の祭りもはなはだしい。

 輝樹の様子に我が意得たりと、ひろこは得心したように頷いた。

「そうですか。やはりそうだったんですね。火星軍ではないと解ってはいましたが。――ちょっと顔に出過ぎですよ」

「あんたほどじゃない」

 彼女にだけは言われたくない輝樹だった。顔どころか、身体全身に出てしまうひろこだけには。鬱屈した感情だったせいだろう、思わずタメ口になってしまった。

「火星軍でないのなら、構いません。少しお話しましょう」

「松本のことはいいのか?」目で松本を示す。

「おっと。永井ひろこ。そのまえに、こいつは始末しておこう」

 言うなり、松本は石森の顎に一撃。すぐさま、彼は昏倒した。虐げられた、かわいそうな男である。「これでいい。どうぞ、永井ひろこ」彼女は石森を引きずって、部室の隅っこに置いた。というよりは、放置した。

「えっと、松本さんはヌンチャラ星人ですよね?」

「うむ」

「ヌンチャラ星人であれば問題がありません。同盟上層部は既に異星人の存在を知っています。協定を結んでいる相手もいます。ヌンチャラ星人は――三番目ですね。三番目に政府にコンタクトをとって来た異星人です。今更、どうということはありません」

「なんだと……」

 輝樹は驚いた。まさか、地球同盟がすでに異星人と通じていたなどとは聞いたこともなかったのだ。三人の中で、知らなかったのは自分だけということが、悔しくもあった。

「そういうことだ。横山輝樹」

「私がここにきたのは二週間くらい前です。現在、地球から火星への渡航は難しいですが、その理由は解りますか?」

「いや……」

「現在、火星上空には特殊なフィールドが形成されているんです。私は突撃艇で来ましたけど、途中で意識が消えて、気がついたら知らない家のベッドで寝てました。ヘタをした場合そこで消滅してしまっていた可能性があります。そして、その時持ち込んだ兵装は全て失われました。ペンシル=オクルスがあったら便利だったんですが。

 恐らく、二十世紀初頭に存在していない物は弾かれるのだと思います。私自身が本来、眠り姫の時代には存在しない人間ですから。つまりですね、皆恐れているのです。この火星の状況を。現在地球側から派遣されているのは私だけだと思います」

 ひろこは長々と語った。現在の彼らの状況をよく言い当てている。いくつかの疑問が氷解するのに一役買った。

「なるほど、上層部が俺に旧いモデルの火薬銃を支給した理由か」

「これで謎は解けたか? 横山輝樹」

「うむ」

「それでは、とりあえずおまえには謝ってもらわないとな。手塚美紀に」

「どうして……」

「だから、おまえは横山輝樹なんだ」

「そうですよ」

 シンクロして二人は輝樹に畳み掛ける。たじろぐ輝樹。

「むぅ……」

「この約半年で何回“リセット”がされたか識っているか?」

 やや咎める様子で松本は輝樹に訊ねる。

「いや……」

「横山輝樹。おまえが眠り姫の部屋に潜入した件で十五回目だ。前回は結局なかったようだが……」

「そんなにか……」「そんなにですか!」

「うむ。内部の人間には解らない場合が多いと思われる。なにせ、当の本人も気付いていないのだから。体感何回くらいだ?」

「てっきり、二三回だと思ってた」

「自分たちが関与した分、ということだろうな。その点私は、永井ひろこのいうフィールドの外だ。実数が解る」

「なるほど……。しかし、たった半年でその回数はまずいんじゃないか」輝樹の顔は渋面だ。百匹は口中に苦虫がいるかのよう。

「うむ。世界は何度も更新されている。元々、この世界はコピーだ。眠り姫の記憶の中のイデアの表出にすぎない。例え、こうして現実に物質界に存在したとしても、な。砂上の楼閣という言葉がしっくりくる状況だ。して、そのような不安定な状態で何度も何度も上描きされたらどうなるか? 絵具を何度も重ねられた油彩画は剥がれ易くなってしまうもの。いい加減、ボロが出るぞ

 現状の打開策が他にない以上、おまえは横山輝樹として振る舞い、彼女を安定させるしかない。眠り姫はまだしばらく寝かせておかなくては――彼女が死ぬ前に」

「……そうだな。あと、どれくらいなんだろうな?」

「私にも計りかねる」松本は申し訳なさそうに首を横に振った。「解ったら行け」それから、ぽんと輝樹の背中を叩く。

 半ばせかされたような格好で、輝樹は文芸部室を後にした。

 部室を出てみたのはいいが、美紀がどこへ行ったのか輝樹には全く解らなかった。彼女はケータイも持っていない。連絡をとる手段が存在しないのだ。となれば、頼る相手は一人しか思い当たらない。気に入らないが、そうするしかないのがまたシャクだった。

「――しもしもー?」

 輝樹が電話をかけた相手は愛だ。彼女は美紀を追って行ったわけだから、付近に居るかもしれないと思ったのだ。

「ああ、輝樹くん?」

「手塚を知らないか?」不機嫌さを崩さずに輝樹は言った。そもそも、コトの発端は通話中の相手なのだ。

「んー。知らないにゃぁ」

「え? おまえ追っていったじゃないか」

「見失った」

「じゃあ大体どのあたりへいったか解らない?」

「そうだねぇ。帰ってるかもしれないねぇ。行く場所は特にないからね。フリョーでもないしにゃ、屋上で一服するようなこともないさね」

「帰ったんだな?」

「屋上かもしれないねぇ」

 愛ははっきりしない。誤魔化すのでもはぐらかすのでもなく、テキトーなことを言って楽しんでいるだけのように感じる。いけすかない女だと思った。こういう存在をトラブルメーカーと人は呼ぶのだろう。

「屋上なんだな?」

「多分ねぇ」

「解った」それだけ言って、輝樹は一方的に通話を切った。これ以上はなしても無駄に思えたのだ。

 結局ロクな情報は得られなかったが、輝樹は屋上に向かうことにした。非常階段を昇り、屋上へと向かう。屋上と一口にいっても、いくつもの校舎が学内には存在するわけで、部室棟の屋上かもしれなかったが、最初の目標として第一校舎の屋上に当たりをつけた。外れたならば、それはそれで構わない。手当たり次第に当たってみればいい。

 三段飛ばしで階段を昇る。屋上と非常階段を隔てるチェーンを跨ぎ、屋上に至る。

 一発目で正解だった。急いだせいか、息があがった。気付けば、肩が大きく上下してしまっている。

 手塚美紀は読み通り、第一校舎の屋上にいた。長い黒髪を揺らしながら、グラウンドへ目を落としている。半眼になっている双眸、二重瞼が覆っている。思わず、見とれてしまいそうだった。今の今まで気付かなかったが、彼女は美人だった。

 ひろこがいった演劇部の演目を思い出す。スノー=ホワイト。眠り続ける姫に白馬の王子はキスをした。なぜ、彼はキスをしたのだろう? 憐憫だったろうか? いや、多分違う。見とれてしまったのではないだろうか?

 輝樹が立てる物音を聞きつけて、彼女は振り返る。ゆっくりとした動作だった。てっきり、泣いているかと思っただけに拍子抜けした。目前の眠り姫はいたって冷静に見える。怒ってさえいなかった。

「やぁ」なんて、右手をあげた。逆に輝樹は対処しかねて面食った。一体、どうしたものか。考えあぐねる。ミリティア本部では眠り姫の人格そのものに対する処方は教わっていなかった。無理もない話といえた。

「――えっと、心配したぞ」こういっておくべきだろう。定型の言葉を投げかけ、お茶を濁すしかない。輝樹は続ける。「突然いなくなってさ」

「ごめん。なんかさ――」

 輝樹の目が見開かれた。眠り姫にあらざる言葉を聞いたからだ。

 とても危険な言葉だった。即時否まなくてはならない。

「そんなことはない」強く言った。

「本当に?」

「本当だよ」更に、強く言った。確信を押し付けるように。

「なら――」美紀は輝樹のほうへ身体を向けた。やおら、歩き出す。「山へ行かない?」

 何を言っているんだと思った。山とはなんだろう? 下谷川を囲う山々のことだろうか? 語の定義範囲が広過ぎて見当もつかない。

 ここで、何の話? と問いかえしてはいけない。自分は横山輝樹にならなくてはいけないのだ。これ以上の失敗は許されそうにない。戦闘に於いては松本は助力してくれるが、今回は自力でどうにかするしかないと思った。

 考えに考えた。山とは? 彼女の真意は――。

「解った。行こう」

「ありがとう」美紀は微笑んだ。「明日、でいいかな?」

「早くないか?」

「そう。じゃあ、来週でいいよ」

「解った」輝樹は頷く。そして、屋上を後にした。

 輝樹が校庭まで降りても美紀は降りてこなかった。しばらく屋上に居続けるつもりだろう。

 美紀は数日前のようにフェンスを背にした。彼女が見上げる空に、先日の如く月はみえなかった。代わりに二つの小さな点が浮いていた。


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