三章 流れる日常、その平和に耽溺す その4
松本に導かれた連れて行かれたのは、駅チカのマンションだった。五階建てで、周囲を高いフェンスが覆い、広い庭がその中に拡がっている。何十台分もの駐車場もあるが、停まっている車の数は数台だ。五階建てという階層は、田舎町である下谷川市に於いては高層ビルと呼べる。オートロックのエントランスは広く、警備員らしい常駐の男が二人詰めていた。
松本が詰め所の前を通ると、警備員の一人が軽く会釈した。しかし、彼女はあいさつを返さなかった。そのまま進んで行く。輝樹はなんとなく、彼女の代わりに会釈した。すると、警備員は出歯亀っぽい顔をして微笑んだ。少しむっとした。何を勘違いしているのだろうかと。
正面のエレベーターに二人は乗り込む。住人個別に与えられているパスワードを打ち込んでから、松本は最上階のキーを叩いた。
彼女の家は3LDKの部屋だった。ただいまも何も言わずに、松本は部屋に入った。誰もいないらしく、電気の消えた暗い室内。そのまま奥へ行こうとする松本に輝樹。「暗いぞ」
「すまない」
松本は明かりを点けた。一気に明るくなった部屋。しかし、調度品がほとんどない。玄関脇には靴箱すらない。今しがた彼女が脱いだ靴と、輝樹の靴だけがある。両親は仕事だろうか。まさか、いないということはないだろう。
「あがって」軽く松本は手首を振った。
「お邪魔する」
輝樹が通されたのは和室だった。中央に木で出来たコタツが一つだけある。他にタンスもラックもない。閑散とした部屋だ。コタツだけしかない六畳間は広く感じた。
「かけて」促されて、輝樹はコタツに足を突っ込んだ。既に電源がはいっていて、ほんのりと暖かい。まだ、夜は冷える時期なので正直ありがたい。
松本は座らずに和室の襖を開けた。開いた先にはキッチンのシンクが見える。
「何か飲む?」襖に手をかけながら、彼女は輝樹に訊いた。
「何がある?」
「レッドペッパー、ペプシキューカンバー、はちみつレモン、ダビドフ、リョッコー青汁。ジャスミンティーとコーヒーなら粉がある」
色々なメニューがあるようだ。青汁に関しては聞かなかったことにした。そもそも、品揃えが激しくマイナーであるが。
「ダビドフでコーヒー。もちろん、ブラックな」
「ドリップ? エスプレッソ? サイフォンもあるけど」
「サイフォンって何だ?」
「そういう装置。エスプレッソみたいなもの。トルココーヒーも受け付ける」
「詳しいんだな……」
全くコーヒーやティー関係に詳しくない輝樹は感心して呻いた。
「そうだな。これは松本クヌギの知識だけど」
どうせなら、聞いたことがないヤツにしようと思った。
「トルココーヒー頼むよ。ホットな」
「なら、ブラックはやめたほうがいい――」
講釈を垂れようと松本がするので、輝樹はせかした。「早くしてくれよ」
「解った」頷くと松本はキッチンへ消えた。講釈を垂れたかったらしく、少し残念そうな名残惜しそうな顔をしていた。
キッチンに灯は点されず、電気コンロなのだろう火の煌きも見えない。それでも、しばらくするとコーヒーの香が漂ってくる。
十分ほどして、彼女は戻ってきた。捧げ持った銀製のお盆には、湯気立つカップが二つ載っている。カップはさほど大きくなかった。カップをコタツの天板に移すと、松本もコタツに入った。
輝樹は一杯トルココーヒーに口をつけた。ブラックを注文したはずだが、砂糖がたっぷり入っていた。かなり、甘い。ミルクは入っていなかった。
「さて、聞かせてもらおうか」
「どこから、知りたい?」
「おまえが何者か、からだな」ずいと、上半身を乗り出す。
澄ました顔をして、訥々と松本は答えた。「私は地球人ではない」
「それなら、俺もだ」
「言い方が悪かったか。ホモ=サピエンスではない」
「とてもそうは見えないけどなぁ?」
松本はどこをどう見ても人間だ。ガイノイド技術なんてものは、まだまだ未来技術の枠を出ていないし、狐や狸が化けているなんてバカな話もないだろう。それはそれで非科学的すぎる。輝樹はそういった類のことは信じていない。現代人の多くは本気で信じていないだろう。輝樹は鼻を鳴らしながら、怪訝な視線を松本へ向ける。
「これも、言い方が悪いか? しかし、何と言えばいいか。そうだな……松本クヌギという個体は、“私”の外部インターフェースとでも言えばいいか。マリオネット、傀儡、色々な表現が可能ではある」
輝樹はまじまじと松本を眺めた。「つまり、おまえという存在の主体は、松本じゃないんだな?」
「ふむ。一応は、稀代の学者の孫だけはある。さっきは、デキが悪いと言ったが、訂正しよう」松本は感心したように大きく顔を揺すった。一拍おいて言葉を継ぐ。「私の本来の名はクシャナウイ=ジヴテロンという。クシャナウイがファミリーネームだ。つまり――」
「何人だ?」
「地球人の視座に立てば、エイリアン、インベーダー、宇宙人。といったところ。この宇宙人という言葉は興味深い。宇宙にすむ人、この場合の人とは知的生命体のことだろう。と、するならば宇宙人というのに、ホモ=サピエンス自身も包括されると思うが、どうか?」
哲学的な問い掛けをする松本。しかし、輝樹には彼女が話をはぐらかそうとしているように感じた。イラ立ちながら、言う。「話を逸らすな……。はっきりいって、そんな話は信じられない。メガロマニア(妄想『狂』)じゃないか? おまえ」
「興味深い発言だ。メガロマニア(妄想『郷』)の中にいる人間の言葉とは思えない」
松本はリラックスした様子でコーヒーをちびちび、すすっている。輝樹の発言を全て想定内と捉えているかのようだ。
「おちょくってるのか?」
輝樹は天板を叩いた。そして、コーヒーを一気にあおる。すると、むせた。カップのそこにコーヒー粉が溜まっていたのだ。がほげほと咽を鳴らす。気道に入りそうになったコーヒー粉は苦く渋いことこの上ない。口からコーヒーの飛沫があたりに飛んだ。机の上にも飛沫が飛んだ。「何だ、これ?」松本を睨む。
「まあ、落ち着くといい。トルココーヒーとはそういうものだ。粉ごと煮る」
冷静な松本に、輝樹は拳を振り上げた。わずかに腰も浮く。
松本は、飛び散ったコーヒーを拭き取るようにと、ポケットからハンケチを差し出した。それを乱暴に突っぱねると、手の甲で口周りについてしまったコーヒーをふき取った。机の上に散った分は見なかったことにする。
「だから、落ち着け。おまえの拳では、“私”は殺せない、松本クヌギは殺せても。私の本体は軌道上にいる。松本クヌギは被購入者(パーチェイスド=ピーポー)だ」
「……なんだそれは?」拳をぷるぷるを震るわせる。
「フレデリック=ポールを読むといい、合衆国の作家だ。百年前に活躍した作家であるが、まあ、短編ゆえ、SF作品集でも漁れば、載っている」
「は?」輝樹は松本の言葉が汲めず、逆にイライラを削がれてしまう。矛先を欠いた拳をしまいこんだ。腰を畳に据えなおす。
「たまには、読書でもするといいという話」
「あまり、好きじゃないね」輝樹は吐き捨てる。
実際、ほとんど読書をしたことはない。リーディング=メソッドを使って文字資料を参照することはあるが、必要に駆られた場合のみだ。趣味が読書と公言できるような人間の気持ちは解らない。解ろうとも思わないが。
「妄想を識りたいなら、読むべきだな。テクストというのは、どんな律儀なものでも少なからず何処かしらに執筆者の妄念がしたためられているものだ。そして、忠告。読書を厭う人間にあったなら、自分は嫌いじゃないと応えるといい」
「何だ、それ?」
「煽り方の一つ。あえて、敵対するのもやぶさかでないときがある」
「イライラするな。次の質問だ。目的は何だ?」難詰するように輝樹は言った。
「オブザーバーだと言っただろう。かといって、大宇宙からやってきた監察軍なんてシロモノじゃないから、安心するといい。ブビートラップなんて用意していないから」
「軍部でも、ミリティアでもないんだな?」
「当然。私はおまえたちの定義によれば、私は異星人ということになる。フェルミ=パラドックスは、これにて解決だ。ドレイクの掟も修正せねばなるまい。そして、動物園仮説は間違い。少なくとも私は現時点に於いて、干渉している。勿論、私が最初にホモ=サピエンスに干渉した非人類かどうかは解らないが。もっとも、人類世界は動物園というよりは、さじすめアミューズメントパークといえる」
「証拠は?」
ふぅと松本は嘆息した。「見ただろう? 望むなら、もう一度やってもいいが?」
彼女は片手を天井に掲げようとする。輝樹はその動作を手で制止する。
「あの光の剣のことか? 何のトリックだ、あれ?」
輝樹はいまだ信じられなかった。宇宙人だとか異星人だとか、くだんの存在から言われて、はいそうですか、とそう簡単に納得できまい。そう信じるしかない幾つかの事実に直面していたにしてもだ。
「全く、頭が固い。見たままを信じること、目撃したモノを事実として精査すること、ハナから疑念を抱くこと。この三つは違うぞ?」
「……」
「そもそもだ。軍部なら、仲間内でやりあうか? ミリティアなら、本部に連絡するといい。現在、可能かどうか解らないが。眠り姫の力は強大だから」
「嘘だったら、その頭に風穴空けてやる」
輝樹は鞄を叩いた。中には拳銃がつまっている。いまここで即座に殺害することも可能である。脅しとして、意味のないことは今までの会話で解りきっているが、一応脅しをしておきたかったのだ。インターフェースだろうと、マリオネットだろうと失うのはイヤに違いない。
しかし、松本は平然としている。「構わないが、おまえが殺すのは松本クヌギであって、“私”ではないぞ」
「少なくとも変態な宇宙人から、少女を救済することはできるだろ」
「ははははは! こいつは傑作だ」突然、松本は大笑いを始めた。いや、馬鹿笑いだ。ひっぃひいと嗚咽を混じらせつつ、腹を押さえて横たわる。コタツ布団を巻き込みながら、のた打ち回る。
「何がおかしい?」青筋を立てつつ、睨む。
ひぃひぃ、とひとしきり笑うと松本は起き上がった。目尻には薄っすら泪が浮かんでいる。相当おかしかったらしい。笑いの残滓が抜けておらず、嗚咽を隠すようにして告げた。「私は男だから」
「ふん。変態宇宙人め」
「相違ない。変身願望というヤツかもしれない。眠り姫のように」
松本はシニカルに笑ってみせた。十五歳とは思えぬ笑みが張り付いていて、いやがおうにも、彼女が本物の松本クヌギでないことを確認させた。彼女が只者ではないことだけは直感的に確かめられた。




