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短編︰溢れんばかりの愛は何処へ

作者: 大久保周
掲載日:2019/08/06

(なんで、こんなことになったのか──!)


 ジョゼフィーヌは寝台の上で頭を抱えていた。それはもうこれ以上ないほどに大変なことになったのだ。今は亡き母と父の葬儀の頃よりも、叔母たちからいじめを受けているときよりも。いや、もしかしたらはじめてと言ってもいいかもしれない。


 窓の向こうからコツ、と音が聞こえてくる。カーテンを閉めてはいるが、月の光のシルエットが見えている。無理だ。開けたくない。相手が誰だかは分かっている。


「ジョゼ。開けてくれ」


 嫌だ。とジョゼフィーヌは答えたい。だがしかしここで返事をすればアランデルにジョゼフィーヌが起きていることがバレてしまう。


「…………」


 ジョゼフィーヌはベッドシーツを足指でくしゃりとなるよう引っ張った。このまま静かにやり過ごすのだ。


「返事をしないつもりか? なら周りに伝わるようにドアを四度ノックして入ろうか」

「それは止めて!」


 いつもなら出さないような悲鳴に近い声が出た。なんてひどい男だろう。唇をきつく噛み締める。


「なら開けてくれ」


 外から聞こえるその声に逆らえるはずもない。こんな夜にアランデルが来ていると知れればどうなるか。想像は容易い。ジョゼフィーヌは大人しく立ち上がると椅子にかけていたストールを巻いてカーテンとガラス窓を開いた。風は冷たく、アランデルの眼差しは熱い。


「……何か用なの?」

「用がないなら婚約者の家に来ては行けないのか?」


 感情を知られないように冷たく告げる。迷惑だと伝わるだろう。それなのにどうしてそんなに眉尻を下げるのか。苛つきを隠せずに無言で窓を閉めようとすると、アランデルはたいそう慌てた顔で「待て!」と大声を出した。


「そんなに俺が嫌なのか?」


アランデルはベランダから一歩も踏み出さなかった。悲しそうな目には、いつも見せない何かが潜んでいる気がした。涙として流せない苦しさを抱き抱えている。


(それは……それが私は)


 ジョゼフィーヌの顔が歪む。ストールを掴んでいた手に力が入り、その口はついにジョゼフィーヌの本音を暴いた。



「あなたは、嘘つきじゃない」



 嘘つき。それを聞いて、アランデルの顔は更に苦しさを増した。ジョゼフィーヌのその言葉はアランデルの心を強く抉った。


「そ、うだな。俺は嘘つきだ……」


 それがジョゼフィーヌの怒りを煽ると知らないまま。


「私は! あなたのそういう所が嫌なのよ!! 婚約者ですって!? 誰が!? 誰の!? こんな夜中にこそこそと泥棒のように来て! なんなのよあなた!」


 まさに火に油。烈火のごとき怒りが爆発した。美しい瞳はアランデルに対する怒りで燃え上がっている。ドラゴンの吐く高熱の焔のような蒼いそれは、彼女の妹のものとは異なっている。


 ストールが落ちた。素足のままベランダへ降り立ち、その勢いでアランデルの胸倉を掴む。


「俺は、それでも君に──!」


「謝るですって!? 反省ですって!? 悲しさも苦しさも! あなたが感じるなんてどういうことよ! あなたは私から全てを奪ったくせに!!」


 アランデルをベランダの柵に押し当て、それでもまだ足りないと何度も繰り返しその頭を揺さぶった。


「ねえ! 何か言いなさいよ!」


 涙は出ない。家人はこの騒ぎに気づいているだろうに、誰もここへ来ない。当たり前だ。ジョゼフィーヌはそれほどまでに強い力を持っているのだから。




「あなたのせいで、私の妹は死んだのよッッ!!」




 ジョゼフィーヌは転生者だ。生前は日本人で三十半ばを過ぎた時に事故で亡くなった。仕事に生きる彼女の唯一の癒しが年の離れた妹だった。父が再婚した後に出来た子供で、驚くことに二十近くも年が離れている。


 その妹が好きだった乙女ゲームに自分が転生していると知った時、ジョゼフィーヌに分かったことは自分がヒロインである、ということだけだった。同時に悪役令嬢の姉であるということと共に。


 ジョゼフィーヌは今世での妹、シェラフィーヌをたいそう可愛がった。シェラフィーヌは完璧な姉が嫌いだったが、あまりの溺愛っぷりにジョゼフィーヌのことを好きになっていった。たくさん褒めてくれる、ダメなところは叱ってくれるそんな姉が誇りとなった。


 そうしてシェラフィーヌは気が強く育ったが、それでも根は優しく礼儀作法も勉学も秀で、王太子の婚約者に選ばれるという快挙をなしとげた。


 しかし幸せは続かない。決して起こってはならない問題が起きる。王太子ア(・)ラ(・)ン(・)デ(・)ル(・)がシェラフィーヌそっちのけでジョゼフィーヌに恋をしたのだ。アランデルは脇目も触れずにジョゼフィーヌにアプローチを続けた。


「あなたのせいよ。あなたのせいで私の妹は、輝いていた宝石はいなくなってしまった! 自らその命を絶ってしまった!!」


 自分ではなく、自分よりも完璧な姉に恋をする。その事実はシェラフィーヌの心に強くのしかかる。好いていたはずの姉が憎しみの対象としか見えなくなってしまう。それがどれだけ辛いことなのかアランデルには分からず、またジョゼフィーヌが怒っている理由も彼にはわからない。


「それでも、シェラフィーヌは君を殺そうとしていた! 君の命が狙われていたのだ! 心の醜いあんな子がいたら、君が死んでいたかもしれないんだぞ!」


「死んでも構わない!! 死ぬなんてあっけない最後だ! 私はあの子を守りたかった! あの子を幸せにしたかった!! あの子に笑顔でいて欲しかった!! あなたのせいだ! お前のせいだ!!」


 シェラフィーヌはジョゼフィーヌを殺そうとしたのではない。シェラフィーヌはジョゼフィーヌに殺(・)し(・)て(・)も(・)ら(・)い(・)に(・)き(・)た(・)の(・)だ(・)。


「あの子の最後の言葉を知っているか!? あの子は最後に! お二人共お慕いしておりましたと! どうか幸せになってくださいと言ったんだ!!」


「なら幸せになればいいだろう! 俺と共に二人でこの国を治めよう! そうすればシェラも浮かばれる!」


「お前は本当に分かっていない!!」


 ジョゼフィーヌはその右手を振りかぶった。勢いを付けて、泣いて懇願しても許さないと。


「ジョゼフィーヌ。やめよう」


 その拳をぎりぎりで止めたのは、父親だった。ジョゼフィーヌを抱きしめるようにしてジョゼフィーヌの手を掴んでいた。


「お、とうさま……」


 荒い息で、乱れた髪のままジョゼフィーヌは振り返る。父親は唇が真っ青になるまで噛み締めていた。その奥、閉めていたはずの扉の向こうには母親や、使用人がいた。


「もう、どうにもならないんだ。これで王太子に手を挙げてしまったらお前まで追い込まれる」


「でも、でも……!」


「どうしようも、ないんだ」


 幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと。ジョゼフィーヌはその拳を震えながらほどいた。


 この夜の一幕は瞬く間に知れ渡ることになる。貴族社会にも、下町にも。


 これは、悪役令嬢を助けられなかったヒロインの話。原作の呪いに勝てなかった転生者の話。登場人物の感情は変わらないまま夜は静かに更けていった。



登場人物の心は変わらない、と書きましたがシェラフィーヌの心は変わっているかのように書きました。


シェラフィーヌというキャラクターは元々姉のジョゼフィーヌが好きだった、という設定です。それが表面に表れたと解釈して頂ければ幸いです。


ちなみに初めの父と母の話は前世のことです。かなり混乱するような書き方をしてます。誤解が誤解のまま終わらないといいな……というのは作者の勝手な願望ですね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが気になります。 王太子は、ジョセフィーヌの悲しみが想像も出来ないのが… ジョセフィーヌへの救いがありますように。
[気になる点] >今は亡き母と父の葬儀の頃よりも~…… と書かれていますが、後半ジョセフィーヌが王太子を叩いた?時、父親が止めに来ましたよね? ジョセフィーヌの両親は生きているのか死んでいるのかどちら…
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