短編︰溢れんばかりの愛は何処へ
(なんで、こんなことになったのか──!)
ジョゼフィーヌは寝台の上で頭を抱えていた。それはもうこれ以上ないほどに大変なことになったのだ。今は亡き母と父の葬儀の頃よりも、叔母たちからいじめを受けているときよりも。いや、もしかしたらはじめてと言ってもいいかもしれない。
窓の向こうからコツ、と音が聞こえてくる。カーテンを閉めてはいるが、月の光のシルエットが見えている。無理だ。開けたくない。相手が誰だかは分かっている。
「ジョゼ。開けてくれ」
嫌だ。とジョゼフィーヌは答えたい。だがしかしここで返事をすればアランデルにジョゼフィーヌが起きていることがバレてしまう。
「…………」
ジョゼフィーヌはベッドシーツを足指でくしゃりとなるよう引っ張った。このまま静かにやり過ごすのだ。
「返事をしないつもりか? なら周りに伝わるようにドアを四度ノックして入ろうか」
「それは止めて!」
いつもなら出さないような悲鳴に近い声が出た。なんてひどい男だろう。唇をきつく噛み締める。
「なら開けてくれ」
外から聞こえるその声に逆らえるはずもない。こんな夜にアランデルが来ていると知れればどうなるか。想像は容易い。ジョゼフィーヌは大人しく立ち上がると椅子にかけていたストールを巻いてカーテンとガラス窓を開いた。風は冷たく、アランデルの眼差しは熱い。
「……何か用なの?」
「用がないなら婚約者の家に来ては行けないのか?」
感情を知られないように冷たく告げる。迷惑だと伝わるだろう。それなのにどうしてそんなに眉尻を下げるのか。苛つきを隠せずに無言で窓を閉めようとすると、アランデルはたいそう慌てた顔で「待て!」と大声を出した。
「そんなに俺が嫌なのか?」
アランデルはベランダから一歩も踏み出さなかった。悲しそうな目には、いつも見せない何かが潜んでいる気がした。涙として流せない苦しさを抱き抱えている。
(それは……それが私は)
ジョゼフィーヌの顔が歪む。ストールを掴んでいた手に力が入り、その口はついにジョゼフィーヌの本音を暴いた。
「あなたは、嘘つきじゃない」
嘘つき。それを聞いて、アランデルの顔は更に苦しさを増した。ジョゼフィーヌのその言葉はアランデルの心を強く抉った。
「そ、うだな。俺は嘘つきだ……」
それがジョゼフィーヌの怒りを煽ると知らないまま。
「私は! あなたのそういう所が嫌なのよ!! 婚約者ですって!? 誰が!? 誰の!? こんな夜中にこそこそと泥棒のように来て! なんなのよあなた!」
まさに火に油。烈火のごとき怒りが爆発した。美しい瞳はアランデルに対する怒りで燃え上がっている。ドラゴンの吐く高熱の焔のような蒼いそれは、彼女の妹のものとは異なっている。
ストールが落ちた。素足のままベランダへ降り立ち、その勢いでアランデルの胸倉を掴む。
「俺は、それでも君に──!」
「謝るですって!? 反省ですって!? 悲しさも苦しさも! あなたが感じるなんてどういうことよ! あなたは私から全てを奪ったくせに!!」
アランデルをベランダの柵に押し当て、それでもまだ足りないと何度も繰り返しその頭を揺さぶった。
「ねえ! 何か言いなさいよ!」
涙は出ない。家人はこの騒ぎに気づいているだろうに、誰もここへ来ない。当たり前だ。ジョゼフィーヌはそれほどまでに強い力を持っているのだから。
「あなたのせいで、私の妹は死んだのよッッ!!」
ジョゼフィーヌは転生者だ。生前は日本人で三十半ばを過ぎた時に事故で亡くなった。仕事に生きる彼女の唯一の癒しが年の離れた妹だった。父が再婚した後に出来た子供で、驚くことに二十近くも年が離れている。
その妹が好きだった乙女ゲームに自分が転生していると知った時、ジョゼフィーヌに分かったことは自分がヒロインである、ということだけだった。同時に悪役令嬢の姉であるということと共に。
ジョゼフィーヌは今世での妹、シェラフィーヌをたいそう可愛がった。シェラフィーヌは完璧な姉が嫌いだったが、あまりの溺愛っぷりにジョゼフィーヌのことを好きになっていった。たくさん褒めてくれる、ダメなところは叱ってくれるそんな姉が誇りとなった。
そうしてシェラフィーヌは気が強く育ったが、それでも根は優しく礼儀作法も勉学も秀で、王太子の婚約者に選ばれるという快挙をなしとげた。
しかし幸せは続かない。決して起こってはならない問題が起きる。王太子アランデルがシェラフィーヌそっちのけでジョゼフィーヌに恋をしたのだ。アランデルは脇目も触れずにジョゼフィーヌにアプローチを続けた。
「あなたのせいよ。あなたのせいで私の妹は、輝いていた宝石はいなくなってしまった! 自らその命を絶ってしまった!!」
自分ではなく、自分よりも完璧な姉に恋をする。その事実はシェラフィーヌの心に強くのしかかる。好いていたはずの姉が憎しみの対象としか見えなくなってしまう。それがどれだけ辛いことなのかアランデルには分からず、またジョゼフィーヌが怒っている理由も彼にはわからない。
「それでも、シェラフィーヌは君を殺そうとしていた! 君の命が狙われていたのだ! 心の醜いあんな子がいたら、君が死んでいたかもしれないんだぞ!」
「死んでも構わない!! 死ぬなんてあっけない最後だ! 私はあの子を守りたかった! あの子を幸せにしたかった!! あの子に笑顔でいて欲しかった!! あなたのせいだ! お前のせいだ!!」
シェラフィーヌはジョゼフィーヌを殺そうとしたのではない。シェラフィーヌはジョゼフィーヌに殺してもらいにきたのだ。
「あの子の最後の言葉を知っているか!? あの子は最後に! お二人共お慕いしておりましたと! どうか幸せになってくださいと言ったんだ!!」
「なら幸せになればいいだろう! 俺と共に二人でこの国を治めよう! そうすればシェラも浮かばれる!」
「お前は本当に分かっていない!!」
ジョゼフィーヌはその右手を振りかぶった。勢いを付けて、泣いて懇願しても許さないと。
「ジョゼフィーヌ。やめよう」
その拳をぎりぎりで止めたのは、父親だった。ジョゼフィーヌを抱きしめるようにしてジョゼフィーヌの手を掴んでいた。
「お、とうさま……」
荒い息で、乱れた髪のままジョゼフィーヌは振り返る。父親は唇が真っ青になるまで噛み締めていた。その奥、閉めていたはずの扉の向こうには母親や、使用人がいた。
「もう、どうにもならないんだ。これで王太子に手を挙げてしまったらお前まで追い込まれる」
「でも、でも……!」
「どうしようも、ないんだ」
幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと。ジョゼフィーヌはその拳を震えながらほどいた。
この夜の一幕は瞬く間に知れ渡ることになる。貴族社会にも、下町にも。
これは、悪役令嬢を助けられなかったヒロインの話。原作の呪いに勝てなかった転生者の話。登場人物の感情は変わらないまま夜は静かに更けていった。
登場人物の心は変わらない、と書きましたがシェラフィーヌの心は変わっているかのように書きました。
シェラフィーヌというキャラクターは元々姉のジョゼフィーヌが好きだった、という設定です。それが表面に表れたと解釈して頂ければ幸いです。
ちなみに初めの父と母の話は前世のことです。かなり混乱するような書き方をしてます。誤解が誤解のまま終わらないといいな……というのは作者の勝手な願望ですね。




