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『太初の鯨』  作者: 大塚
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太初の鯨


 アイリは『太初の鯨』の中でこんな文字列に出会った。アイリはそれに名前をつけた。


 楽園


 言葉は、楽園である。言葉は、大地である。そうであるから、言葉は地獄でもある。いつからか、私たちは能動的に言葉の大地に身をまかせることを忘れてしまった。私たちは、言葉の本当の意味を忘れてしまった。言葉の原初の姿を知っているものは、この世界にはもういない。

 太初の鯨。これが言葉の本当の姿だと思っているのだろうか。限りなく「生産」されてしまう言葉に、かつてあった迷いのようなものは見出せぬ。その迷いは弱さではあったが、生命の命の躍動であった。

 言葉の堕落は、いつの間にか始まっていた。言葉が、商売用の広告に使われた。情報機器の発達によって言葉が情報伝達に使われることはなくなった。文学や芸術は、限りある物事の起こり方の組み合わせに過ぎないと言われるようになった。今では、創作活動は機械的な作業に置き換わっている。そこには、抽象的な記号はなかった。他者の伝えたいことを理解するには、彼が残した生命情報の中に突入するだけになった。かつてのように、言葉を使って情報をやり取りするよりもその方が速く、正確だった。

 相対性理論は、人間の見る錯覚に過ぎなかったと判断された。この世界の観測者は究極的には一人しか存在せず、相対的であることなどない。他者の世界観を想像するのは人間の特質である。意味から見た世界は、一つである。そこには、言葉だけがある。他者も、自分も観測点も存在しない。

 言葉は、確かに人間が発明した最高の道具だった。しかし、それを使い古してしまった。科学の進歩が、哲学の判断が、言葉を殺してしまった。人間は強くなった。言葉がなくても生きられる程度に、強くなった。


 しかし、我々は言葉の可能性をまだ知らない。我々が言葉というとき、現に書いていたり、読んでいたり、口に出したりしていた言葉のことを言う。太初の鯨は、それらの膨大なデータの記録である。しかし、それらは本当の言葉ではない。言葉の世界に対するアクセスに過ぎない。私たちが、話すというあり方で言葉に関わるとき、言葉の世界から話す単語を切り取り、口に出しているだけである。


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