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『太初の鯨』  作者: 大塚
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 アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。


 言葉は、誰によって発されたのか。

 それは書いている私だが、この私の発している言葉は、私が生来持っている物ではなかった。

 私に言葉を与えた誰かがいる。

 それは誰だ。

 そうやって遡っていくと、無私の言葉にたどり着く。  誰が発したのでもない言葉。

 ただ、そこに在る言葉。


 発語する物は当然、言葉が存在すると思って発語する。 しかし、その言葉がどこに在るのかは知らない。

 言葉という物は当然ここに在り、そして受け取るものにも通じる物だと思っている。


 どうしてそう信じることができるのか。


 もし私たちが信じている根底の部分が本当は無いのであれば、私たちがふだん用いている言葉の営みすべてが何もない上に建てられた空虚な楼閣とだということになる。


 しかし実際私たちは、もう信じてしまっている。

 この事実は覆すことはできない。

 私たちは、誰かと会話し、文章を書き、音楽の詩に感情を動かされる。


 だから私は疑うことをやめ、もう一度信じることにした。








 「もう一回書いてくれますか。」

 私はディスプレイに表示された文字列をながめる。

 『私はこの文字列を『太初の鯨』から発見しました。』

 定常脳波をシグナルから分離すると、文章が姿を現した。

 目の前の少年は、ヘッドセットをかぶったまま、もう一度目を閉じた。ディスプレイの波形がゆれはじめる。

 「書いてくれますか。」 

 とは言ったけれども、私にはそれが書くという行為に思えない。私は昔から鍵盤を打って、ディスプレイに文字を入力することを「書く」と思っていたのだが。

 目の前の少年は、目を閉じて頭の中で文章を念じることが書くことだとおもっている。

 

 とにかく文章が生成されれば、それが書く、と言うことなのだろう。

 はたまた、書くという言葉の語源に遡るのだが、「書く」という漢字は、横棒が多い。これは、私よりももっと昔は、言葉を紙という安価で薄いハードウェア上に出力してたから。紙、は軽くて持ち運びがしやすい。それゆえ、液晶ディスプレイが普及する前は、紙が言葉を出力し、社会で共有するのにもっとも適したメディアだった。


 その「紙」が積み重なるという形容が、書くという漢字だ。

 

 しかし、書いた物が積み重なるイメージは私にはない。書いた物は、ただ重みを持たない単なるデータ。

 その点に関しては目の前のヘッドセットの少年と、幾ばくかは共有できるのではないか。


 書いた物は、積み重ならない。むしろ、どこまでも平面的に広がっている。

 私たちは、書くたびにその平面的な世界に潜り込み、言葉を発見する。

 私たちが書く前に、言葉の世界は広がっている。その世界から、一部分を切り取ることが書くことだ。


 書いた物が積み重なっていた時代は、どうやら言葉はそれを書いた人の所有物としてみられていたようだ。自分で書いた言葉を紙に出力して、それを売る商売まであったそうだ。それも、本来の紙の値段の数倍の値段で売っていた。だから、それはまさしく、言葉を売っていたのだと言える。

 いまの、言葉はオープンソースであり、誰かが発見した言葉は社会の共有財産である、と言う価値観とはかけ離れている。

 私は言葉を自分の物だとか、自己を表現するための道具だとかは、つゆほども思っていない。

 単なる、研究対象だ。

 私は、言葉を売ることではなくて、言葉を研究することで、収入を得ている。つまり、言葉の研究機関ではたらいている。


 私は、人間が無意識状態において発見する言葉について研究をしている。


 この研究の発端は、いま私の前にいる少年がしているようなデバイス、脳接続型のワードプロセッサが発明されてからだ。

 このデバイスが発明された当時は、ただ言葉の入力を簡易にするのが目的だった。鍵盤を打つことなく、言葉を高速に入力すること、それが目的だった。


 『僕は『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。』


 『うねる、うねるうねうねる。うねうねうねうねうねる。波の中でぼくはうねる。

 うねり、うねらず、うねうねる。そしてまたうねりうねったあとからまたうねる。うねる。うねるうねる。

 うねる。うねる。うねる、うねるうねうねる。』


 脳に直接接続された機械が、人間に見せた言葉ははじめ人々には異形に思えたそうだ。

 無意識に紡ぎ出される言葉は、文体も読む順序も関係なく、言葉そのものの形をしているようだった。

 私たちがいままで、普通という言葉で制限していた言葉の本当の形を、人間の脳の深部に私たちは再発見した。


 『うねり、ねりねりねりねりねりねりねりねり。

 うね、うね、うねうねうねうねうねうねうねうねうね。うねり、うりうりるりうりうりうりりっりりりりるりうり。うねる、うねる。ぼくはうねる。うねる。うねることしかできない。うねる。ぼくは、うねる。そしてまた、波の中で、うねりねる。』


 それは、意味とはかけ離れた言葉だった。意味を振り切った、言葉としての言葉だった。私たちは、その言葉にたいして、対応する社会的な現実を知らなかった。

 しかし、彼の頭のなかでそのような言葉が生まれ、発されているという事実は誰も否定できなかった。だから、それはある種の現実だった。私たちは、言葉を、訳のわからない言葉をもっていると言う現実だった。


 科学者たちは、その新しい種類の言語による現実を『太初の鯨』と読んだ。

 いや、じっさいに『太初の鯨』を発見したのは、脳接続型ワードプロセッサの被験者たちなのだが。


 『僕は『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。』


 被験者たちは、『鯨』を見て帰ってくる。

 被験者たちの生み出す文字列に、不規則ながらも、『鯨』という謎の存在に関する共通の記述が発見される。


 もし、ランダムに言葉を発しているだけならば、このようなことは起こりえない。

 『鯨』は、無意識下の言語世界の不動点である、と言う見解がだされた。

 想像しがたいことだが、私たちは無意識下で、『鯨』と言う概念を共有している。そして、その『鯨』はすべての言語的現象の根源であるようだ。

 この見解が、空間言語学の基礎になっている。


 「『鯨』をみたの。」

 私の問いかけに少年は首をかしげた。

 「何も覚えてない。」

 と彼は言った。



アイリは『太初の鯨』から、次のような文字列を発見した。

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