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『太初の鯨』  作者: 大塚
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太初の鯨


アイリは、『太初の鯨』から、こんな文字列を発見した。



 私は、ただ形あるものが欲しかった。それについては何も弁解する余地はない。どんなに醜くても、儚くてもこの手で掴みとれる質感が欲しかった。それが私の信仰といってもよかった。それ以外に明日を生きる気力を得る方法がないとと思い込んでいたから。

私は、夜、目を閉じるとき、心の目をも閉じていた。絶えず自分に降りかかってくる何かから目をそむけないと、眠れなかった。次第にそんな日々が積み重なっていった。あるとき私は目を背ける代わりに、私の外にそれを出すことにした。手段はなんでもいい。文章でも、彫刻でも、写真でも、歌でも。ほとんどの表現手段は、民主化されていたから、インターネットでいいアプリを買えばそれなりに満足できるものを作ることができた。私は、あるスタイルを持つことを嫌っていたかもしれない。私がしていることは、表現なのではなくて、排泄なのだ。私の中にある、私に必要のないもの。それを、日々吐き出しているだけ。だから、何を表現したいのか、と聞かれると少し困る。誰も、涙を流す時にその涙の持つ意味を答えられないように。私は、泣かなくてはいけなかった。そうじゃなければ、生きていられないとすら、考えていた。だから、自分の表現には、私自身にもわからないものが常に含まれていた。表現することとは何かと、表現しながら考えずにはいられなかった。

 結局、私は今もわからないでいる。常に自分にとって一番気持ちの良い表現手段を探している。例えば、生活が忙しい時はさっと日記を書いて終わりにしようとか、長い休暇の時には、哲学をすこし勉強して抽象絵画みたいなものを描いたりしていた。とにかく、私の家は膨大な作品群で埋もれている。親の残した財産で大きな家を買うことができたけれども、こんな風にもので溢れてくるとは、思いもしなかった。今は、寝る場所も描きかけの絵や、ノートの山で溢れていて、足の踏み場が危うい。ベッドにたどり着くまでにはひどい集中力が要求される。

最近、私は今まで作ってきたものたちを見直した。何十年と、積み重ねられた私の思いはなんだったのだろう。私が今まで目を背けてきたものは、なんだったのだろう。それは言葉にできないものだった。写真は写真のままで、詩は詩のままで、そこにあった。もちろん、拙くて人に見せるのは恥ずかしいかもしれないけれども、私が当時のことを思い出すのには十分だった。

私が、わからなくて目を背けてきたものは、今も昔も同じもののような気がした。少し、がっかりしたけれども、少し安心した。そうだよね、と思わず初めて書き始めた時の日記を読んで呟いてしまった。何十年も昔はパソコンを使わずにノートに直接文字を書いて記録していた。私は、直接その言いようのないものと向き合っていたといってもいいのだろうか。ただ、それを思いつくままに感じるままに、表していただけではなかったか。私が目を背けてきた「何か」は、「何か」のまま、何も変わらずに暗闇の中にずっと仕舞われていた。なぜ、私はそれを暴こうとせずにただ、その前で立ち尽くして泣いているだけだったのだろう。どうして、追求しようとしなかったのだろう。その、いってしまえば無意味とも言える時間になんの意味があったのだろう。


 最近、私は逆に考えるようになった。その暗闇を、私はむしろ肯定的に受け止めていたのだ。目を背けることによって私は確かに何かを得ていたのだ。そうすることで、一日1日をちゃんと区切りをつけて生きることができていたのだ。妥協の繰り返し、敗戦の繰り返しに見えたその日々は、ある意味現実を見つめて、自分の弱さを見つめて、生きていた充実した日々だったのではないだろうか。綺麗事だというのはわかっている。自分で自分の経験を美化したいだけなのだろう。でも、生きるということが、単純に生きるということであり得るだろうか。言葉にできるもの、直視できるものだけで私たちの生は、構成されているのだろうか。生きるということは、常に様々な不安定で不純な要素が絡まりあって、それでもバランスを保って今につながっているように思える。だから、私は嘘をつき続けて生きるのかもしれない。何かから、目をそらして「幸せだ」と言い続けて生きるのかもしれない。その罪悪感を忘れられずに生きるのかもしれない。ありがちな表現かもしれないが、本当の生や、本当に信じられるものを遠くに見ながら、地上の道を歩いて行くのかもしれない。


また明日も同じようなことを書いて眠ってゆくだろう。文章は刻まれるものだろうか。私は違う。涙のような、今日書いて、そして明日に乾いて行く文章。これが、私の独白である。それでいい。


 アイリは、『太初の鯨』の中で、このような読める文字列を見つけた。いつものように、探し物をしている時だった。



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