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『太初の鯨』
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アイリは『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。
昼、の過ごし方が苦手だ。眠くてだるくて何もする気にならない。昼寝してもいいが、なんだか逃げたような気がする。なんか、昼寝が習慣になっている国って何だっけ。その国は何時間ぐらい寝るのだろうか。気持ちのよい昼寝の仕方を教えて欲しい。罪悪感のない、頭が痛くならない昼寝の仕方を。昼って人間が血迷う時じゃなかろうか。人間の頭が狂って、ダメになるのが昼じゃなかろうか。それなのになぜ、学校では授業があり、仕事も昼にバリバリやらないといけないのだろう。朝型人間、夜型人間とは聴くけど、昼型人間は知らない。
昼にご飯を食べる習慣がある。どうやらこれは、エジソソンのせいらしい。彼は、自分の発明したトースターを売るために、今まで一日二食だったのを三食にしようというキャンペーンを打ち出しした。私たちは、そのビジネスに乗せられて、昼飯を貪り、人生の大切な時間を眠気と倦怠感に汚染させている。もう昼飯食べるのやめようかな。あ、でも夏休み終わったから友達に食堂に誘われてしまう。その時どうしよう。昼飯たべると調子悪くなる、といって断るのかな。それとも、一緒に友達が座っている横で自分だけ食べないで座ってるのかな。ああめんどくさい。
というわけで、昼の使い方をこれから構想したいと思う。読者の皆さんは参考程度に、いや鼻で笑う程度に聞いていて欲しい。
まず、社会に出ることを前提としないで考える。つまり、会社に行ったり、学校に行ったりしていると工夫の余地が少なくなってしまうのでそれは考えないということだ。だから、1日自分で好きなように時間を管理できる時に限って考える。休日において、どう昼の時間を使うかということが問題だ。それなら、試行錯誤できるし、もしかしたら成果が出て、平日の暮らしにも行かせるかもしれない。というわけで私が考えた昼の使い方その一は、、、、
昼をずっと昼寝する!
いえーいぱちぱちぱち。え、意外だって?
まあ、わけを聞いてくだせい。つまりこれは、昼寝の時間を長ーくとるということなのね。例えば、昼食をとって、午後の一時ぐらいに食べ終わるとするね。そしたら、夕方まで寝るの。そしたら、昼がなくなる。というわけ。昼がないなら、昼にだるくなることもないもんね。究極だよこれ。でも、夜に眠れなくなるかもしれないなあ。まだやってみたことがないからちょっとわかりません。最悪、夜に全然眠れなくて昼夜逆転生活になるかもだけど。そんなリスキーな技なのでした。っておい。なに安っぽい素人のブログみたいな記事書いてんだ私は。。。
うーん、なんか昼寝ってしすぎると体に悪いみたいなんだよね。なんか、ボケやすくなるみたい。結局昼にボケない代わりに、どこかでボケなくてはいけないんだね。人間って。というかボケても生きていられる社会を作ろうぜ。私たちで。まあ、昼寝が体に悪いってことは私も身を以て体験している。たまに白昼夢というか、幻覚をよく見るんだよね。ベッドに寝てて起きなきゃ、と思って起きるとそれは夢の中だったりするのね。それで、トイレに行ったりこれから何しよう、、、って考えるんだけど、あれこれって夢じゃない?って途中で気づくの。そして、何だか体から自分の意識が分離していることに気がついて急いで意識を寝ている自分に戻すの。そしてもう一回起きてみる。とやっばりまた夢なのよね。やばい起きれない!ってなってもう一回体を持ち上げようとするけど体が鉛のように重い。やっとの事で現実に帰還したら、気持ち悪くて頭がすっきりしないっていうことになってる。ああ、昼寝って怖いね。
ということで昼寝をしない方法を考えると、どうやって倦怠感とか、無気力を克服するかっていう気分の問題になるのね。でも、気分って自分でどうにかなるなら話は簡単だよね。そんなんだったら今頃私は、女優になってイケメン俳優と共演して両思いになって、付き合ってるわ。まあ、彼とは結局結婚しないで、金持ちの優しい王子様と結婚して幸せな裕福な老後を送るけどね。
、、、何の話だっけ。ああ、気分の話だ。だから気分の話って難しいのよ。気分がどうにかなるんだったら、人間一生幸せなのよ。麻薬やったり、変な道に走ることなんてないと思うの。気分がどうにかなるんだったら、なりたい自分になれるし、自分が嫌いになることもない。結局誰がどう言おうと気分は制御できない。どんな哲学も気分には勝てない。ああ、無理ゲーだわ。でも、結局みんな気分で生きてるなら、昼にだるいのも損じゃないかな。だってどうしょうもないことで悩んでるなんてそれこそ、損だし。
結論、昼にだるくなるのが嫌、なんて悩んでいる方が損!
、、、、ってなに安っぽい素人のブログみたいな記事書いてんだ私は。気分の問題だからこそ、解決したらぼろ儲けじゃん。ノーベル賞もらえるじゃん。なんかここで諦めるのもったいないなーって思う。人間の気分をどうコントロールするか。うーん今まで気分をコントロールしようとしたことないからなあ。そもそも、気分って何だ。今日は何だかいい気分、とかいうよね。今日は何だかタピりたい気分とか。まあ、私は全くタピりたくないんだけどね。あれ太るし。まあまあ、気分って自己中で気まぐれだね。自分だけはこういう気分だから仕方ないよねみたいな印象がある。じゃあ気分っていう言葉を乱用して、「今日はあなたにちょっとイラついている気分なの」みたいに普段は言えないことを言ってみたりしてもいいかもしれない。でも、そういう言い方ができるから、気分というものは個人の中に押しやられてしまっているのかもしれない。何でも気分で社会が回ってしまったら、社会は破綻してしまう。じゃあ気分って私だけの問題なのか。でも、私は他の人にも気分があることを知っている。こんな風に考えると、気分って心ってい言葉と似ている。「あなたって人の心を読み取るのが苦手ね。」って言われた時に私は心についても少し考えたのだ。まあ、飲み会でああ言われるほど辛いことはない。結局グレて、「人の心なんて死んでもわからん」ってツイートしちゃった(37いいね)。気分とか、心って何でここぞという時に持ち出されて都合のいいように使われるのだろう。ああ、許せない。今度から、心なんて見えないしわからないんだから、持ち出さないで欲しいって言い返そう。「じゃあ、アンタの言ってる心って何? 私わからないから、わかるように説明してよ。」ああ、嫌われそうな私。
結局気分なんて「無い」のだろうか。あれれ、何だか自分が信じられなくなってきた。さっきまで気分で悩んでいたのに。お化けがいないみたいに、気分もあると信じるからあるってこと。人間のみる共同幻想、それが気分? その幻想を信じないと、人の気持ちもわからないし、恋もできない。可哀想な人を哀れむこともできない。まさに、その幻想を信じることって人間であることかもしれない。私たちは、わざわざ人間になろうとしているのだろうか。
人間であること、人間でないといけないこと、人間という枠に収まること。それって不自由ではないだろうか。私は、思う。人間には、人間にならない権利もある。具体的にどうなることかは、想像もつかないことだけど。
、、、何の話だっけ。
アイリは、『太初の鯨』から次のような文字列を発見した。




