バハリン
おだやかでない発言に会場からのあちこちから「暴行?」と声が上がる。
矢本が会場最前列を示すと、1人の野球部員が包帯を巻いた右手を掲げる。場内に低いどよめきが広がる。
「返田さん、ご意見をお願いします」
「地図クラブではありません。地図歌唱クラブです」
「可能ならば本質的な部分からお願いします」
「どちらかといえば、地図より歌唱に重きをおいています」
返田の甲高い声に会場から苦笑が起こる。
[最強] [信念まげない] [首は曲がってる] [変化球投手] [成績トップなの?]
コメントのネタ勢はおもしろさを優先し、かけあいが発生している。
冷静だった狭山がやや動揺し、舞台脇の片杉をちらりと見ると、片杉が悠然とうなずく。狭山があらためて返田に対応する。
「返田さん、暴行についての見解をお願いします」
「まず引き渡しの交渉などなく、彼らは許可なくぼくらの所有物を持ち出しはじめました。地図帳、カスタネット、道路地図帳、タンバリン、各県地図帳、鍵盤ハーモニカ・・・」
「簡潔にお願いします」
「それらを野球部員が運びだしていたので、ぼくの後輩たちが制止したところ、勝手に転んでケガをしたと騒ぎはじめたのです」
『異議あり!』
「異議あり」
綾重の秘密通信を受けて、矢本がそのまま発声する。
「十一、なんか事情を知ってるの?」
「ぜんぜん。盛り上がるじゃん」
あきれる丸谷のとなりで、綾重がへらへらと笑う。
「安全地帯から好き放題にバカを操作できるって極楽だね」
「えー、野球部員が、明日までに出ていくようにと約束をしていたので、荷物を運び出しました。そこで押されたので転んだときに手をついて捻挫したのです」
要領悪く矢本が話すと返田が反論する。
「野球部員はふざけておおげさに倒れてみせたのでしょう。これは虚偽です」
「実際にケガをした者がいます」
舞台下のその部員が立ち上がり、包帯の手を後方に見せつける。
『えーと、確認です。これが本当なら右手をグー、パー、仕込みだったら左手をグー、パーしてください。すぐに』
矢本が左手でノーのサインを発する。
丸谷がうんざりした表情で、「ゲロ野郎」とつぶやく。
『もう1点。その場に返田さんはいましたか?』
これにも左手でノー。
『ぼくの言葉を繰り返してください。はいっ、あなたは現場に立ち会っていない。虚偽かどうかを判断できるはずがありません』
矢本が同じ言葉をなぞる。
「返田さん、いかがでしょうか?」
「ぼくは仲間を信頼しています」
返田側の応援席から小さな拍手が起こるが、会場の反応は薄い。
綾重一派も追い打ちをかける。
「マコト、コメント投下。被害者がいる、ケガ人がかわいそうの旨を含む7点。赤玉15発を遅れ気味に」
「ん」
[被害者いるぞ] [かわいそう] [痛そう] [ひどい] [事実は絶対だ] [BPO] [お気の毒]
マコトの手元のシステムでは入力した字句に関連する文章が自動生成される。そこから7点を適当に投稿し、赤いボールも散発的に流す。
画面上では2つの色が混在している。
返田が声を強める。
「両者ともそれが事実か否か証明できません。ケガはお気の毒だったとお見舞いを申し上げますが、そもそも同意のない退去を強行した野球部がすべての原因です」
「野球部では同意がなされたと考えています」
「いいですか、本校では他者の自由を侵害する行為は最も厳しく処罰されます。我々の部室に押しかけた時点で野球部は活動停止です。そうでしょう、狭山さん」
「自由の侵害を禁じているのはたしかです。それ以外の点についてはわたしから申し上げられることはありません」
『活動停止ですって。それはまずいですね』
綾重の煽動を受けて、矢本は語気を強めて同意があったことを繰り返す。双方の応酬が続くが、新しい情報もなく、情勢は動かない。生徒たちの反応も減っていく。
「ゲロ野郎、退屈だね」
マコトが不満をもらす。
「コメントの傾向は?」
「矢本支持の固定層は20%、返田は4%以下、ネタ勢は返田支持、浮動層は野球部寄り。ネタが多く見えるのは少数者が連投してるから。勢力として雑魚」
「学園掲示板からネタを探しておいて。ぼくは会場にゆさぶりをかける」
綾重が襟元のマイクのスイッチを入れる。
会場をぐるりと見まわして、邪悪に笑う。
「真実の劇場」では、当事者2名の討議の終了後、来場した生徒による、どちらを支持するかの多数決の結果を受けて、片杉が具体的な裁定を下す。生徒により多くの共感を与えた者が勝利する。
『矢本さん、これは相手を論破するのではなく、生徒の心をつかんだほうが勝ちます。会場に語りかけましょう。ぼくに続いてください。会場のみなさん―』
「会場のみなさん」
矢本が綾重の言葉をなぞる。
「お騒がせしてしまいましたが、これから野球部は猛練習して、必ず5年ぶりの甲子園に出場します。先輩がたの世代が甲子園で活躍したときの話を聞いたことがありますね」
どう操られるか警戒していた矢本が自信を得る。
「全国的に報道されれば、みなさんも他校の友達に鼻が高いでしょう。進学や就職してからも、同級生が甲子園に行ったという話題はメリットになります。来年度は優秀な生徒が押し寄せ、さらに学校もレベルアップ間違いなしです」
矢本が前に進みでて熱弁する。
「これは自分と返田くんの問題ではありません。みなさん自身のメリット、デメリットを考えてみてください。自分に正直に、どうなればベストか考えて、ご声援ください」
「マコト、矢本応援100連発」
「ん」
[そうだな] [自慢できる] [年寄りは野球好きだし] [上の世代うざい] [無賃乗車希望]
「あれ、連発する前にゲスコメントが連発してるよ」
「いいね。匿名万歳、無記名でムキ出しだ」
綾重が顔の見えない生徒たちの率直な反応に笑う。
矢本もモニターを見て笑うと、さらに野球部が活躍した場合のメリットを、綾重の誘導なくまくしたてる。
勢いに乗って、返田にも攻勢に出る。
「返田くん、地図歌唱クラブが他の生徒にどんなメリットを与えられるか教えてくれ」
「歌は歌い、聞くことで人を幸福にする文化だ。それ以上のメリットはない」
「男ばかり室内に集まって文化的な行為もいいですが、たまには男らしく野球でもどうですか?」
大型モニターに矢本支持の赤いボールが増えていく。
「野球マン、ご機嫌でアドリブ入れてるじゃない」
「それも支持されてる。ゲスはゲスを呼ぶからね」
「十一、こんなネタあったよ」
マコトがタブレットを見せる。学園掲示板から、非公式掲示板、生徒の個人的SNSまで、データ収集ロボットを走らせて得た情報が表示されている。
「いいね。麻里耶、これとか、このへん、どう?」
「噂で聞いたことあるかな。確実性は高そう」
「それじゃ、こっちでしかけてみよう」
綾重がマイクを使い、矢本に伝える。
『返田さん打倒の決定打がありました。いわゆるスキャンダル。腰よりアンダー、膝よりアッパー。はい、こちらを見ない。はい、勝ち誇ったように笑わない』
矢本は片耳に手を当て、神妙に考えごとをしているようにも見える顔をしている。
ことさらに厳しい表情をつくり、返田に問いかける。
「地図歌唱クラブの活動には敬意を表しましょう。しかし、返田くん個人には不適切な噂があります。信用にかかわる問題なので、答えていただきたい」
返田にせまる矢本を狭山が制する。
「それは本件と関係のある内容でしょうか?」
「かまいません。ぼくに不都合はありません」
受けて立った返田に、矢本は綾重一派が入手した情報をぶつける。
「返田くん、これまで校内および校外で女子生徒につきまとい行為をしてはいませんか?」
客席がざわめき、返田に注目する。
「まったく心あたりがなく、さっぱりわかりません」
返田は左側に頭を傾ける。
「体調の悪そうな女子に近づいては、疲れてるのか病気かと問いながら、あやしげな錠剤を飲ませようとしてはいませんか?」
「心外です。具合の悪そうな人を助けてなにが問題あるんですか。バハリンはいい薬です」
[バハリン] [バハリン] [バハリン] [バハリン] [バハリン] [バハリン] [バハリン] [バハリン]
お笑い系コメントが流れるが、会場は緊張感に包まれる。
「ここで発言するのをためらいますが、返田くんは腹痛を訴える女子の肩に手を回しながら、生理か排卵日かとしつこく問い続けたと聞いております」
キモっ!と、客席の女子生徒が悲鳴をもらす。ざわざわと動揺が拡大していく。
「ぼくは女性にさわることはないし、子宮の状態を問いただそうともしません。ああ、卵巣でしたか。失礼」
なぜか謝られた狭山が涼やかな目を冷ややかにする。
「どうですか、みなさん、これは適切な行動ですか?」
矢本が客席をあおると、コメントが一気にあふれ、赤いボールが満ちる。
「マコト、コメント分析」
「矢本に同意34%、返田に同意7%、ネタ15%、キモい42%」
「キモいは返田批判と考えるべきかな」
「当たり前。なんで狭山さんのおなかを見ながら卵巣とかいってるの」
「今回のテーマと関係なさすぎて、困惑だね」
「あなたが混乱させたんでしょ。放火魔なの?」
「理屈より好き嫌いが鍵になるよね。みんな、正直に生きてる」
綾重は愉快そうに笑いながら、次の策を考える。
「マコト、青玉を一定間隔で発射しながら、返田擁護コメント」
「ん。十一、どっちの味方?」
「いや。ぼくは世界の敵」
矢本への支援を約束した綾重一派が返田支援に舵を切る。
ボールとコメントの情勢が自分に傾いているのを見て、矢本は言葉もなめらかに罵倒に近い批判を続けている。
返田は反撃の糸口すらなく、違う違うと繰り返す。
野球部員たちは勝利を確信し、ヤジを飛ばす。
マコトは綾重がつぶやく言葉を投げこんでいく。短く明瞭な言葉が画面に流れる。
[真面目だし] [私もバハリンもらった] [歌うまいよ][善人]
[負けないで] [だいじょうぶ] [おにぎり好きそう] [歌ってよ]
[ありがとう] [変だけど偉大] [恩人] [ミスター親切]
野球部応援とお笑いネタばかりのコメントに、綾重の言葉がまざって流れると、やがて、それに触発される者も現れる。
[ありがとう] [感謝] [いい髪型] [お礼] [恩返し]
[お礼] [助けられた] [私の恩人] [勇気] [感謝]
[勇気] [立ち上がる] [勇気] [一人じゃない] [勇気]
矢本の一方的な演説と野球部のヤジはとまらない。
返田も首を左右に傾ける。
そこに、片杉の低い声が響く。
「狭山司会者」
一瞬、静まり、狭山と矢本がふりかえる。
舞台脇の片杉が客席を手で示している。
「会場後方に挙手している生徒がいる」
狭山は矢本の熱弁をとめ、場内を見わたすが、人数が多く発見できない。
「2年3組、鈴木彩奈くん、起立願おう」
片杉は全校生徒の顔と名前を記憶している。
綾重のテーブルよりさらに後方で、1人の女子生徒が立ちあがる。
顔を真っ赤にし、周囲の友達にはげまされながら、ふるえる声で話しはじめる。
「あの、わたしは、返田さんに助けてもらったことがあります。とても親切で、電車の席を空けるように、頼んでくれました。とても、助かりました。あのとき、お礼をいえなかったので、今、あの、ありがとうございました」
緊張のまま語り切って頭を下げる。
近くの生徒たちはサプライズ展開に小さく拍手するが、「本当に?」との声も上がる。
「勇気ある発言に感謝しよう」
片杉がねぎらうと、拍手が全体にひろがっていく。
「十一、仕込んだの?」
「ホンモノ。偶然。マコト、コメント続投」
「ぼくもです。ありがとうございました」
前方で男子生徒が立ちあがり、お礼をいう。
他にも、ぱらぱらと手を挙げる者がいる。
地図旅行クラブが万歳しながら叫ぶ。「さすがリーダー!」、「知ってました!」、「ちょっとだけ疑いました!」、「すみません!」。
会場がどっと笑う。
画面を一気に青いボールが埋めつくし、コメントも返田を冗談まじりで賞賛する。
狭山が時計を見る。
「矢本さんは演技経験も謙虚経験もないから、必死さが不足してたのがよくないよね」
「悪は滅びるかな。それとも逆転の秘策ある?」
綾重がマイクにふれる。
『矢本さん、あなたが球場で棒や玉をいじって人気者になってる間に、返田さんは地道に人助けしてたんですね。会長のお墨つきは効果絶大です』
矢本は舞台を右へ左へ動きながら客席に訴えかける。
「待ってください。大勢を助けたとしても、1人を傷つけたことは消えません! みなさん、本来の目的を思い出してください」
綾重が時間切れが近いことを秘密音声で伝えると、矢本は迫真の必死さを発揮する。
「これは遊びではありません。人気投票でもありません。どちらが正しいか、正義はどちらに―」
♪ お待ちなさ~い
突如、場内に高くのびやかな歌声が響く。