森の民のこと
村の朝は早い。
日が昇る頃には木で出来た簡素な家の窓を開け、小さな食堂のテーブルに家族揃ってお祈りを捧げてから朝食を摂る。
みなの朝の支度が終わるころ、広場の鐘が7つ(時七つ)鳴ると村のみんなは家族で連れだって長の家に集まる。
長の家は村の寄り場を兼ねていて、とてもとても大きい。
入ってすぐの場所は何もない土間になっており、男も女も子供も、その子供におぶわれた赤子も、朝は先ずそこに集まり、長が来る時八つまでの時間を他のみんなと挨拶や雑談などを交わし、各々思い思いに過ごす。
時八つの鐘が鳴ると、奥から長が出て来て朝の挨拶と伝達をし、それが済むと、あるものは畑へ、あるものは畜産へ、あるものは貯蓄庫の備蓄を数えたりと自分の仕事の持ち場へと散っていく。
森の民の子供は10歳になると、みな"村の子供の仕事"を任され始める。
翠も勿論、10歳になってから他の子供と同じように、仕事を始めるようになった。
子供の仕事は、みなが等しく何でも出来るようにと順番制になっている。
それは水汲みだったり、薪拾いだったり、衣服の縫い合わせだったりと、大人の知恵と力を必要としなくても出来る仕事だ。
けれども冬の水汲みは誰もが嫌がった。
春の日の泉までの道は散歩にちょうどいいし、夏は夏で水遊びも出来て楽しい。
その楽しい水汲みも、冬になると一変して雪が降った日の朝は凍えるように寒かったし、また冬の泉の水も清らかに澄むほど手を切るように鋭く冷たかった。
ずる賢い年長な子供は、度々この役目をお前の当番の日だと騙して翠にやらせた。
純朴な翠は、言われるままに人より多く回ってくる水汲み当番を何も疑わずに週に何度もこなした。
それを見ている大人は何も言わない。
それは翠が何も言わないから。
それに、子供達にも子供達のルールがある。
自分の番ではないとはっきり言えば、ずる賢いと言われてる子供も決して無理強いはしない。
けれども翠は、一度も否と言わなかった。
翠が水汲みを多くしてることに藍は気付いていたが、もう守り人として大人と同じ仕事をしていた藍は、子供の仕事のことに自分が口を出すべきではないと分かっていた。
けれど、ある冬の日の森の見廻り中、たまたま水汲みをしている翠と行き合った時に聞いてみたことがある。
冬の水汲みは辛くはないか?と。
そう聞かれた翠は、ふわりと笑い「ちっとも」とこたえた。
冬の朝に歩く泉への道は、空気がピリっとして、ほっぺがむずむずしてくるのも何だか面白かったし、何より冬の泉は水が澄みきって、その水面に映るいつもは白い自分のほっぺが林檎色になっている不思議を見るのも好きだった。
なぜそんな事を聞かれるのか、きょとんとした顔をする翠に、最初はその不公正を説こうかと思っていた藍も、それは翠は一生知らなくてもいいことなのだと思い直し、一言「そうか」とこたえ、翠の持つ水桶のつるを一緒に持った。
背の高い藍が桶を持てば、重い桶も藍が一人で持ってくれているようになってしまう。
そんな体も大きく力の強い藍を見上げ、翠は大好きな蜜菓子を食べてる時と同じような幸せな気持ちに満たされながら、村までの道を藍と一緒に歩いて帰った。