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馬の亡霊ともわもわ妖精



「ふぎゅわ…………」



その日ネアは、一頭の馬に虐められて半泣きになっていた。

毎度お馴染みのリーエンベルクに住まう首なし馬の亡霊だ。



以前にいた特別獰猛な首なし馬とは別の個体であるこの茶色い馬は、なぜかネアに出会うともわもわ妖精を捧げようとするのだが、ネアはこのもわもわ妖精がとても苦手なのだ。



「も、もういりません………。ふぎゅ」



ネアは必死に受取拒否をしているというのに、茶色い首なし馬は山ほどのもわもわ妖精でネアを埋め尽くさんとする。

ネアが逃げようとしても追いかけてきて、すぐにもわもわ妖精を捧げてくるのだ。

悪意を感じないので下手に刺激しないようにと攻撃は出来ず、ネアはもわもわ妖精まみれであった。



「ネア様?!」



そんな時に、たまたま通りかかったのがグラストだった。

頼もしいリーエンベルクの騎士隊長は、すぐに捧げものをやめない茶色い首なし馬を追い払い、もわもわ妖精に埋もれかけたネアをずぼっと引き上げてくれる。


もわもわの山から引っ張り出されたネアは、命の恩人を眩しい思いで見上げた。


「ご無事で良かった。ディノ殿はご不在ですか?」

「いえ、お風呂中なだけなのですが、ディノもこのもわもわ妖精は怖いのです。せっかくお風呂でぴかぴかになった大事な魔物を、もわもわ妖精の餌食には出来ません………」

「それで助けを呼ばずにいたのですね。………それにしても、首なし馬は、どこからこんなに脱脂綿妖精を持ってきたものか………」



もわもわ妖精こと脱脂綿妖精は、かつてお化粧を好んだ貴婦人達がこのリーエンベルクに住んでいた頃に派生した、脱脂綿の妖精だ。

今でも騎士達の怪我の手当てなどに脱脂綿を使うことがあり、また、それ以外にも様々な場面で使われるものであるので、多少なりとも近所に住んではいるものなのだ。



だがなぜか、あの茶色い首なし馬は、五匹も見つければ沢山出てきたという感じになる脱脂綿妖精を、ネアが埋まってしまう程持ってくるのである。

そもそも、首なし馬がどうやって荷物を持つのかもわからず、ヒヒーンと頭のない首を振られると脱脂綿妖精がぼさっと落ちてくるので、ネアにとっては恐怖でしかない。



「私はいつか、あやつにもわもわ妖精責めで滅ぼされます…………」

「ゼノーシュ曰く、あの馬はネア殿に脱脂綿妖精を献上しているつもりのようですよ」

「し、しかし、もわもわ妖精は大量に集まるとその虚無感が例えようもなく、とても恐ろしいのです………」

「虚無感と言われると、分かるような気がしますね…………」



こちらの世界の脱脂綿は、綺麗なミントグリーン色をしている。

親指と人差し指で作る輪っかくらいの大きさのふわふわで、まさにそのままの脱脂綿に顔がついただけな形をした脱脂綿妖精は、虚無しか感じさせないひどく虚ろな眼差しをした妖精だ。

聞こえるか聞こえないくらいの声で、ランランと歌っているのだが、とにかく表情は虚無である。

つまり、そんな脱脂綿妖精の山に埋まってしまうと、例えようもなく恐ろしいのだった。


グラストもどこか途方に暮れたような目で、山積みにされたもわもわ妖精を眺めている。

実はネアがこのもわもわ妖精責めにされるのは何度目かで、その度に騎士達がこのもわもわを森に帰して来てくれているのだ。


「グラスト、どうしたの?」


そこにやって来たのは、少し遅れて契約者を追いかけてきたゼノーシュだ。

グラストの横にやってきてもわもわ妖精の山を見付けると、ネアにまた献上されたんだねと呟く。



「あの首なし馬は、ネアが前に小さな祟りものを壊したのが嬉しかったみたいだよ」

「………ふぁい。そう聞いて事を荒立てずに来たのですが、そろそろ私の精神が崩壊しそうです。出来れば、こんなもわもわ妖精ではなく、美味しい食べ物やお友達になれそうな可愛い女の子…」

「僕、女の子はいらないと思う」

「そ、そうでした。ゼノと一緒に楽しめるように、美味しいお菓子だと嬉しいですね!」

「うん。…………でも、どうやって集めるんだろうね」

「私にも謎なのです。ディノも、そんな不思議にもすっかり怯えてしまっていて、ただの脱脂綿を見ても最近怖がってしまうんですよ」

「何で歌うのかなぁ」

「せめて、この前アルテアさんが襲われた紙吹雪の魔物さんのような明るさがあればいいのですが、虚ろな目で歌われるとどう接していいのかわかりません…………」

「明るく歌えるかな………」


そう呟いたゼノーシュに覗き込まれても、もわもわ妖精の目は虚空を見つめたままだ。

ヒルドも意志疎通出来ないようで、この妖精が何を考えて歌い、何を喜びに生きているのかは謎に包まれている。

時々少し色がくすんでいる個体がおり、その妖精の歌声はかなり儚い。



「ゼベルに、一部を残して森に帰すように伝えておきましょう」

「ごめんなさい、お手数をおかけします」

「いえ、リーエンベルクの管理は我々の仕事ですからね」



ゼベルの持つエアリエルの加護があれば、このもわもわ妖精を森に振り撒くことが出来る。

とは言え本来は人々の家の近くに住む妖精なので、少しはリーエンベルクに残すのが常だ。

森に撒くのは、さすがに街中に降らせると迷惑なので、一度森で解散していただき、そこから各自どこかへ旅立つようにという処置なのだった。



「美味しかったらいいのに」

「綿菓子なら美味しくいただいてしまいますが、脱脂綿なのです」

「脱脂綿が必要なところなら、使えるのかな?」

「ゼノーシュ、………その、妖精なのだから、一応生きているだろう?」

「グラストは優しいね。僕大好き!」


思いがけないところから可愛さ爆発のクッキーモンスターに出会えて、あまりの有難さに拝みたいネアだったが、ゼノーシュが愛くるしい笑顔で排除しているのは、大好きなグラストからの脱脂綿への気遣いである。

羽ペンの妖精も許せないので、勿論こんな脱脂綿ごときにグラストの優しさを御裾分けするつもりはないのだろう。



「おや、今日も随分集まりましたね………」


そこにやって来たのは、朝の陽射しを浴びて居眠りしている奥さんを頭に乗せたゼベルだ。

最近奥さんは、こうして時々朝の任務にも付き合ってくれるようになったのだそうだ。

その代わり、朝は眠いのでゼベルの頭にだらんと乗っかってすやすや寝ている。

たいそう不安定に見えるのだが、ゼベルを溺愛しているエアリエル達が、奥さんのお尻をきちんと支えてくれているらしい。


「ゼベルさん、今日もお手数をおかけします………」

「いえいえ、でも今日は、森には返さずにまずは街の子供達に見せてやってもいいですか?」

「子供達に?」


そう尋ねたグラストに、ゼベルはもじゃもじゃの前髪の下の目を微笑ませた。

ネアが最初に出会った時には、グレイシアと間違えた髪型だ。


「ええ。最近、良く見かけるからか、脱脂綿の妖精を飼うのが街の子供達に流行っているんですよ。パンの魔物みたいに餌代をかけずに飼えるので、親たちにも人気みたいです」

「脱脂綿の妖精を、飼うのか………」

「歌うばかりで何も悪さをしませんし、脱脂綿を使う環境下にあれば元気に育ちますからね。寿命も一年程なので、無理なく飼えるようですよ」

「この虚ろな目をした生き物を飼うだなんて、ウィームの子供達は逞しいのですね………」

「表情が変わらないところが、気持ち悪くて可愛いそうです」

「子供達の喜ぶものは分らないものだな……」


途方に暮れたようにそう呟いたグラストはちらりとゼノーシュの方を見たが、ゼノーシュは無言で首を横に振っている。

もわもわ妖精などはいらないという意志表示であるらしい。



「若い騎士達に持って行かせますね。子供達に人気が出るだけでなく、親達とも会話出来るのでいい経験になると思いますから」

「であれば………」



街の人々と触れ合わせる騎士の人選に入ってしまったグラストとゼベルの横で、ネアはゼノーシュから最近のほこりの話を聞いていた。

ちょっと内緒話風に体を屈めた見聞の魔物は殺人的な愛くるしさなので、ネアは高鳴る胸の動悸を押さえようと両手をぎゅっと握り締める。


「最近ね、また白夜と喧嘩したんだよ」

「まぁ、また尾行されてしまったのでしょうか?」

「ううん。ほこりが食べようと思って育ててた喋るキャベツを捨てちゃったんだって」

「…………恐らく、良かれと思って捨てたのでは………」

「うん。紫色になってきたから、腐ってるのかなと思ったみたい。一週間口を聞いて貰えなくて髪の毛が少し抜けちゃったみたいで、僕が昨日の夜に和解させに行ったの」

「さすがゼノですね!………ほこりは、白夜さんを許してあげましたか?」

「僕がね、ネアだったら許す代わりに美味しいものをたくさん持ってこさせるよって言ったら、そうするって。アルテアもいつもそうなんだよって言ったら、真似してみようと思ったみたい」

「ふふ、それなら白夜さんも張り切りそうですね。アルテアさんも、そういう時は何品か多く作ってくれたりするんですよ」

「バルバの話をしたから、今度みんなでやるんだって。棘牛が美味しいよって言っておいた。でも祟りものも焼いてみるんだって」

「…………祟りもののバルバ………」


それはまた激しい光景になりそうだと思ったが、そちらもそれなりに高位な魔物達が揃っているので、何かあっても対処は出来るだろう。

しかし、イマイチ調理方法が分らず、ネアは首を傾げた。


「祟りものさんは、捌けるのでしょうか?」

「とりあえず、輪切りにして焼いてみるって。クッキーなら美味しそうだよね」

「まぁ!焼きクッキーですね。香ばしくて美味しくなりそうです」


ネアがちょうどそんな発言をしたときだった。

ゼノーシュが顔を上げたので振り返ると、真っ青になって震えているディノが背後に立っているではないか。




「ディノ、探してしまいましたか?………むむ、もわもわ妖精を見ないようにして下さいね」

「…………祟りものを、焼いて食べたいのかい?」

「なぬ。よりにもよってというところだけを聞いてしまいましたね………」

「ご主人様……………」



お風呂中にまたしても失踪したご主人様を探して来たら、祟りものクッキーを焼いて食べる話をしていたので、ディノはすっかり怯えてしまったようだ。

ネアはここで、祟りものを焼いて食べるのはほこりであって、決してネアは食べようと思っていないと懸命に宥めなければならなかった。

すっかり怯えていた魔物が事実を飲み込むまでは少し時間がかかったが、説得の甲斐あって、ご主人様は隠れて祟りものを焼いて食べたりはしないという事実を受け入れてくれる。


因みに、この説得が長くなりそうだったので、グラストとゼベルは袋詰めにしたもわもわ妖精を持っていってくれ、ゼノーシュからもばいばいと手を振って貰って可愛さに悶絶しつつ別れている。


「ネアは、どうして脱走したんだい?」

「言い方が…………!すっかり出すのを忘れていた砂風呂の水着を思い出し、恐れ慄いて水洗いした後、タオルに包んで洗濯妖精さんに届けた帰り道でした。渡り廊下を歩いていたところ、向こうからもわもわ妖精を献上してくる茶色い首なし馬さんが走ってきたので、必死に逃げている内にここで捕まってしまい、もわもわ妖精まみれにされていたんですよ」

「私を呼ばなかったんだね?」

「ディノは、もわもわ妖精が苦手なのでしょう?」

「………………君の為なら、頑張るよ」

「目が泳いでいますし、顔色も真っ青です。怖いものを無理に引き受けなくても、もわもわ妖精は害はありませんし、さっきのようにグラストさん達が対処してくれますからね」

「ご主人様…………」


せっかくなので、三つ編みをリードに、リーエンベルクのお庭を歩きながらそんな話をしていた時だった。

通用門の方から何やら人々の騒ぐような声が聞こえてきて、ネアとディノは顔を見合わせる。

少し早足になってそちらに向かってみると、大きなもわもわ妖精入りの袋を持ったゼベルが、門の側でなにやら揉めている様子のグラスト達を途方に暮れたように見ている。


「ゼベルさん!何かあったのですか?」


慌ててネアが声をかけると、ゼベルは困惑しきった眼差しで振り返った。

手にした布袋から微かな歌声が聞こえてくるのがかなり怖い。



「いや…………、どうもグラスト様に憧れているという妖精達が、朝摘みのブルーベリーを届けに来たようでして。仮にも食べ物ですからね………。ゼノーシュ様もどうしても許容出来ないようですよ」

「まぁ。妖精さんが食べ物を持って来てしまったのですね?」


ネアはてっきり可愛らしい少女達が籠でブルーベリーを持って来たのかと思っていたが、覗き込んで見るとそこにいたのはハリネズミのような小さな生き物だった。

ちびこい前足にブルーベリーの入ったちび皿を持っており、そんな三粒のブルーベリーをグラストに食べて貰おうとしたらしい。

なお、ハリネズミもどきは三匹いて、ゼノーシュが大事なグラストを抱き締めて精一杯威嚇しているので、何とも言えないファンシーな空間だ。



「何の妖精だろう………」


針の先がぽわりと淡く緑色になっている不思議なハリネズミに、ディノが不思議そうに首を傾げると、ゼベルが土玉の妖精なのだと教えてくれた。

よく植物が育つ地面に出来る、だまになった土の小さな塊に宿る妖精なのだそうだ。

本当はただの土の塊だったのだが、何かいいものが入っているのだろうかと考えた小さな生き物達や子供達の好奇心が積み重なり、生まれるようになった妖精なのだとか。



「この前、花壇で裏返っていたところで、隊長が助けたんです。それですっかり懐いてしまって……」

「あのちびこいお皿をどうやって作ったのか、不思議でいっぱいの可愛いやつですね」

「あんな妖精なんて………」

「考えてみて下さい、ディノ。あのお皿は陶器なので、あのちびちびお皿を、どこかの誰かが窯で焼いて作っているということではありませんか。不思議です!」


そんなことを考えてみると少し怖くなってしまったのか、魔物は、ハリネズミ妖精が両手で掲げている小さな陶器のお皿をじっと見ると、すすっとネアの背中に隠れた。

少し心配だったので様子を見ていたが、荒ぶるゼノーシュと懐いたハリネズミ妖精の間で、グラストは実にうまく双方と話をしている。


結局、せっかく頑張って摘んできたブルーベリーなので、ゼノーシュが魔術の繋ぎを切る形で、グラストは受け取ってやることにしたらしい。

ゼノーシュはまだ少しぷんぷんしていたが、我慢出来ていい子だなとグラストに頭を撫でて貰い、荒ぶるクッキーモンスターはこくりと頷いた。



(凄い!さすがグラストさん!!)


あの宥め方はいつか生かしてみようと考え、ネアが満足げに頷いている時だった。

グラストにブルーベリーを受け取って貰い、お皿をどこかに仕舞ったハリネズミたちが、なぜかネアの方を見て目を丸くしている。

なぜだろうと思って背後を振り返ったネアは、凍り付いた。



「むぎゃ!首なし馬!!」


さすが亡霊だけあって神出鬼没な茶色い首なし馬は、ヒヒーンと嘶くと、だしんと前足で地面を蹴って後ろ足立ちになり、首を振った。



「や、やめ………!!」



直後、ぼさぼさっと大量に落ちてきたもわもわ妖精に埋まってしまい、ネアは意識が遠くなる。

すぐにグラスト達が掘り出してくれたが、ネアを助けようとして一緒に埋まってしまったディノは、その後は暫く巣に籠ってしまった。



後日、事態を重く見たヒルドがその首なし馬に、ネアが喜ぶのはもわもわ妖精ではないとレクチャーしたところ、もわもわ妖精に交じって食べられる木の実なども混ぜてくれるようになったが、依然としてもわもわ妖精度が高く、その後もネアと一緒に居たちびふわが、もわもわ妖精に埋まって行方不明になるなど、悲しい事件が続いたのであった。













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