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245. 予言者に出会いました(本編)




がらんとした空っぽの王宮には、ネアにしか見えない誰かがいるらしい。



それは、ディノのような高位の魔物を得て、その守護の恩恵を受けてきたネアにとっては青天の霹靂であった。

人ならざるものや不思議な魔術のその中に、ネアに分からないことはあっても、ディノが見過ごしたり見付けられないものはないのだと思ってきたのだ。




「………どんな姿をしているんだい?」

「…………ふぎゅ、信じてくれるのですか?」

「どうして、私が君を疑ったりするのだろう」

「ディノ…………。……サラフさんのような肌の色をしていて、白い長い髪をしています。目の色は…………ここからではよく見えませんが、恐らく赤、でしょうか。砂漠のお国の神官さんのような長いお召し物ですが、上着の一部が開いていてお腹が見えています。……大きな耳飾りと、裸足の足には素敵な足飾りがあって…………、こちらに歩いて来るようです」



怖くなったネアはディノの肩にぎゅっと掴まったが、ディノはなぜか、考え込むように目を伏せるとその場を動かずにいた。



「…………ディ、ディノ」

「…………特定の者にしか見えない存在でその容姿となると、砂漠の予言者かもしれないね。あまり良い予兆とはされないが、それが語るのは、元々用意されている災厄だ。……ごめんね、ネア。怖いかもしれないが、その予言を聞いておいた方がいい」

「ふ、ふぎゅ………。言葉の魔術とやらで、聞いてしまったことが悪影響を与えたりはしないのですね?」

「いや、それは在るべき事への指摘となる。聞いてしまうことが厄にはならないよ。………まだ近付いてきているかい?」

「だ、だいぶ近くに来ました」

「では、名を訪ねてごらん。砂漠の予言者、サリガルスかと」

「は、はい…………」



そこでネアは、さりさりと砂の落ちた床を踏みながらこちらに歩いて来た人物に、その問いかけが届く距離になるまで頑張って耐えた。


長い髪が揺れ、伏せ目がちだが、やはり瞳は濡れた苺のように赤い。

胸元を長い髪が隠しており、しっかりと筋肉のついた腹部から見るには男性なのだが、その美貌の種類は女性寄りと、性別の判断がつけ難く、その印象を上手く飲み込めない。


まだ年若いようにも、酷く年老いてるようにも見えた。



「あなたは、サリガルスさんでしょうか」

「……………如何にも」



肯定の返事を得て、ネアはディノに向かって頷いてみせた。

するとディノが頷き返してくれたので、ネアも唇を噛み締めてまたこくりと頷いた。


体を強張らせて正面に視線を戻したネアに、サリガルスは伏せていた瞳をゆっくりと持ち上げる。

ぎくりと体を強張らせたネアを宥めるように、ディノがこめかみにそっと口づけてくれた。




(……………ああ、この人は)



自分でもよく分からないまま、ネアは確信した。



この予言者は、もうこの世の人ではない。

この世界での死というものの線引きが、どこまでどうなっているのかを理解した訳ではないのだが、ここにいるディノやルドヴィークのように生きている存在ではないのだと。



赤い瞳に狂気や悪意はなく、どこか誠実で義務的なものだ。

だが、そんなサリガルス本人の感情は、とても遠い時間の澱の向こう側に感じられた。



「そなたは、近い内に絶望に出会うだろう。どの絶望に出会うのかは、そなた次第だ」

「……………絶望に」




ネアがその言葉を呟く前に、サリガルスはしゅわりと光の粒子になって消えてしまった。

瞬きの間に全てが大気に解け、その輪郭すら消えてしまう。



ほうっと小さく息を吐き、ネアはその言葉を噛み締める。

視線を戻せば、澄明な瞳に不安をけぶらせた美しい魔物がこちらを見ていた。



「………ネア、サリガルスにどう言われたんだい?」

「…………どう?」

「サリガルスの予言は、変えられるものと、変えられないものがある。彼は、その予言をどう締め括ったのだろう?」

「………私は近い内に絶望に出会うそうです。どんな絶望に出会うのかは、私次第だと」



ネアがそう告げると、ディノは深く深く息を吐いた。


りぃんと耳の中に響きそうな沈黙の冷たさに、ネアはこくりと喉を鳴らす。




「…………良かった」



ややあって、ディノはそう呟くとふわりと微笑んだ。




「それは、結果だけが決まっていて、変えられる未来に関する予言だ。その言葉であれば、幾らでも君に負担のないように調整出来るよ」

「……………むぐ。………それにゃ、それなら、良かったです…………」



少しだけ心臓が痛くなるような不安に苛まれていたネアは、安堵のあまりぼふんとディノの首元に顔を埋めてしまう。

体から力が抜けて、安堵にへなりとなってしまったネアの背中を、ディノが優しく撫でてくれた。



「…………誰もいない筈なのに、砂が足の形に窪んで驚いた。あなたのような魔物にでも、見えない存在があるのだね」



ネア達が安堵したのを見届けてから口を開いたルドヴィークは、ふうっと息を吐きながらそう言った。

指先でこしこしと頬に触れているのは、かなり緊張したからだという。

見えなくても、その高い魔術可動域が故にただならぬ気配を感じてしまったようだ。



「サリガルスは、今代の世界の存在ではないんだよ。私は見たことがないのだけれど、かつては、この砂に埋もれたどこかの国に住んでいた、前の世界の書の魔物なのだと言われている」

「ほぎゅ、…………前の世界の………」

「恐らく前の世界の記憶を持つ高位の精霊がそう判断したのだろうが、彼らももう、意思の疎通が難しい形状になってきたからね。この先により多くを知るのは難しいだろう。………その名前と容姿、そしてどのようなことをするのかだけが、今代の世界に伝わっているんだよ」




サリガルスは、亡霊のようにこの時代まで残ってしまっている訳ではないらしい。


彼は彼の時代に属する場所の、彼の城にある図書館にいるのだが、時折何気無く手に取って開いた本に、遥か先の世界の誰かの未来を記した一節を見付けることがあるのだそうだ。

そうすると、その誰かがサリガルスの図書館に迷い込んでくる。

なのでサリガルスは、その迷い子に、本に書かれていたことを教えてやるのだとか。



「髪が白かっただろう?前の世では、書の魔物はかなり高位の魔物であったらしい。今代の世界とは、少しずつ色々なものの価値が違うのだそうだ」

「あの方にとっては、私が自分の図書館に迷い込んで来たように思えたのですね?」

「うん。もはや確かめることは出来ないけれど、前の世界では時間の紡ぎ方や、道の魔術が独特であったようだ。何らかの作用を以って、彼は不定期にこちらに繋がることの出来た魔物なのだろう」

「……………そう考えると、私は、とても不思議な体験をしたのですね」

「与えられた予言が、動かしようのないものでなくて良かった。すぐにでも、君にとっては絶望的であっても、君に害を与えないものと出会おう」

「なぬ……………」



ネアは目をぱちぱちさせ、悲しげに魔物を見上げる。

しかしディノは、少しばかり後ろめたそうにしていたものの、どこか魔物らしい目でネアを静かに見つめていた。




「く…」

「やめるのだ!」

「ネア、早く済ませてしまわないと、危ないだろう?」

「ふ、ふぐ。………であれば、ギードさんに会わせて下さい」

「ギードに?」

「私が許容出来る絶望の範疇だと不安であれば、ギードさんであれば、間違えようがなく、その予言の通りになる方です」



蜘蛛には会いたくないので手当たり次第な心持ちのネアがそう頼めば、ディノは目を丸くした。

そのやり方は考えていなかったようで、少しだけ沈黙した後、困ったようにネアを見る。




「彼をどう呼べばいいのか分からないんだ。…………とは言え鳥籠だからね。このどこかにいるかどうか、ウィリアムに尋ねてみようか?」

「……………ふぁい」



涙目でこくりと頷いたネアに、ディノは、ウィリアムにこの事情を話してくれた。

その前の流れではどう考えても蜘蛛を召喚されるところだったが、ネアの限界値はもう巨大バッタでいっぱいなのだ。

これ以上は、虫トラウマになってしまう。



なお、ぽわぽわ兎がとても静かなので空気の読める兎なのかなと感心していたところ、ルドヴィークに保護されてすっかり安心してしまったのか、くぴくぴと鼻を鳴らして爆睡していた。

ストールにしがみついたまま寝られるのだから、謎の腕力を誇っているとしか思えない。

ルドヴィークも、ぶら下げる装飾品みたいで可愛いねと、ぽわぽわの背中を撫でてやっていた。



「……………ギードがこちらに来るようだ。近くにいたらしい。ほんの少しだけだから、………そうだね、挨拶くらいかな」

「まぁ!ギードさんは、この近くに居てくれたのですね!!ディノ、有難うございます。では、きちんとご挨拶するので一度下ろして下さい」

「…………君が浮気をするといけないから、このままでいようか」

「なぬ!私はディノのお友達に浮気をしたりはしません!!」

「でもほら、君はすぐに他の魔物に浮気してしまうだろう?」

「何という疑いをかけるのでしょう。麗しの毛皮生物なら撫でてしまいますが、ディノのお友達をそんな風には……………く、黒つやもふもふ!!」

「…………ネアが虐待する」




そこに現れたのは、しゅたりと砂の上に転移で飛び降りた美しい黒い狼であった。

狂喜する人間を抱えたディノに優雅に一礼すると、ふわりと漆黒の布を翻すようにして、これまた異国風の装束に身を包んだ一人の美しい青年になる。



「ご無沙汰しております、我が君」

「すまないね、ギード。この子がサリガルスの予言で、絶望に出会うと言われてしまったものだから、君にであれば安心だと考えたんだ」

「いえ、このような形でお力になれるなら、俺としてもこの上ない喜びですから」




そう微笑んだ青年は、とても嬉しそうだった。


表情はどこかぶっきらぼうな感じであるのだが、その不思議な色合いの瞳には確かな喜びが煌めいている。

ああ、彼はディノが好きなのだなと思えて、ネアは何だか嬉しくて堪らなくなった。


そう思って見ていたら、ネアの方を見て、どこか不慣れな仕草で微笑んでくれる。



「初めまして、ネア様」

「初めまして、ギードさん。ウィリアムさんに素敵な石を預けて下さって、有難うございます。それと、今回もお仕事中に呼び出してしまってごめんなさい、ディノはギードさんがお仕事中だと理解していたのですが、私がディノに無理を言ってお願いしたのです。来てくれて有難うございます」

「い、……いえ。俺なんかでシルハーンの伴侶になるあなたの身を守れるなら、いくらでも」


来てくれて有難うと言われたのが嬉しかったのか、絶望の魔物はほわっと目元を染めると困ったようにそわそわする。

この魔物もそういう言葉に慣れないのだと、ネアにもなんとなくわかる反応だった。


時折、ディノやウィリアムがそういう反応をするので、得られなかったものを得た瞬間の魔物の表情を見付け慣れているのかもしれない。



「ふふ、ギードさんはディノのことをとても大事に思ってくれているのですね。ディノも、この前の久し振りにギードさんに会えたという日には、帰って来てからずっと嬉しそうにしていたのです。そんなディノも大好きなギードさんですので、どうかこれからもディノとお友達でいてあげて下さいね」

「……………っ?!…………も、勿論です!」



ディノが自分との再会を喜んでいたと知りよほど嬉しかったのか、ぼふんと赤くなると、ギードは慌ててびゃっと頭を下げた。

そんなことを暴露されてしまったディノも、目元を染めておろおろしてから、どうしたらいいのか分からなくなったらしく、びゃっとギードにちびお辞儀をしている。



「素敵な友情だね」

「ええ、ディノの大切なお友達に会えて、私も災い転じてのお得感でいっぱいです」

「シルハーン、……で、では、そろそろ俺は」

「…………うん。来てくれて有難う、ギード」



微笑んでお礼を言われたギードは、緑と紫が混ざったオーロラのような瞳を瞠ってから、またほろりと嬉しそうに微笑む。

今度はしっかりと口角を持ち上げて、きっとディノや、仲のいい友人達にしか見せないであろう、素敵な微笑みを浮かべた。



「俺は名前のままに不自由な身ですが、あなたが望めばいつだって呼んで下さい。気配を遮断する擬態も、この通り随分と上達しました。いつか、際限なく側にいられるよう、そしてあなたのお力になれるようになりますから」

「君は君の願いを一番に優先させて、自由に生きておくれ。ただ、……君に会えるのは、いつだって嬉しいよ」

「………………シルハーン」



ギードは口元を片手で覆ってぺこりと頭を下げると、くるんと服裾を翻して漆黒の狼になり、転移を踏んで帰っていってしまった。


ほんの一瞬のことであったが、そんな友人を見送ったディノはどこか嬉しそうだ。




「ギードさんは、ディノの言葉が嬉しかったのでしょう。最後は涙目でしたね」

「…………そうなのかな。私は、何か間違ったことを言っていなかったかい?」

「大丈夫ですよ。………ディノ、く、……くもの脅威が去って冷静になると、私はとても我儘を言ってしまいましたが、ギードさんにお願いしてくれて、有難うございました」

「君が怖くないのが一番だからね。………それに、私も思いがけないところで、ギードに会えた」



瞳をきらきらさせてディノがそう呟き、ネアはそんな魔物に微笑みかけてやる。

ごつんと額を合わせてやれば、ディノは目元を染めてもじもじした。



「頭突き…………」

「これで予言は成就したのです。ディノの素敵なお友達にご挨拶が出来て、優しいディノのお陰で、私の心も守られました。……………ルドヴィークさん?」

「…………床の上の砂が震えていないかい?また何か、大きな生き物が来たようだ」

「…………ほわ」



しゃがんで床の上の砂を調べていたルドヴィークにそう言われ、ネアはディノと顔を見合わせた。


ぱらぱらと天井から落ちてくる砂を見上げ、三人は顔を見合わせる。


「……ここだと危ないかもしれないね。ただ、戻り時の妖精が近くにいても困ったことになるから、あちら側の、天井が崩落した区画に移動しようか」



屋内にいては怪物達の動向が掴めないし、うっかり建物を崩されると屋根の下敷きにされてしまう可能性もある。

ネア達は広い王宮を抜けて、屋根がなくなった部分にあたる、宝物庫近くにある広間のようなところに移動した。


思いがけず広大な空間だが、鳥籠の中なので転移は出来るだけ避ける方針だ。

ネアは魔物が疲れてしまわないように降ろして欲しいと言ったのだが、ディノは頑なに首を振る。


やはり、戻り時の妖精をかなり警戒しているのだろう。



(でも排除してしまわないのは、ここの戻り時の妖精さんを排除すると、絶滅してしまったりするからなのかな。それとも、何の繋がりもない妖精さんをただ排除するのは、やはり手がかかるからなのかしら……)



そんなことを考えかけ、ネアはふと、戻り時の妖精に刺された時のディノのことを思い出した。

あのディノを見て、どれだけこの魔物が優しくても、やはり魔物というものらしい違う価値観も持つ者なのだと考えたものだ。



であれば或いは、戻り時の妖精を滅ぼさないのは、いつかその効力を利用することを視野に入れているからなのかもしれない。


例えばそれは、ネアがこの魔物にとって不利な選択などをした時にでも。


そう考えても特に動揺はしないので、ネアはこの一年で更にこちらの世界に住む人ならざる者達の心に馴染んだのかもしれない。




「この辺りまでくれば大丈夫そうだね」

「これで………、むむ、地響きはあやつでしょうか?」

「うん、あの生き物が地面を揺らしていたようだ。怖いなら目を背けておいで」

「凄いなぁ。こんな生き物を見られるなんて、思いもしなかった。あれは危ない怪物だとしても、僕は見られて嬉しかったな」




三人の視線の先には、どしどしと街を踏み荒らしている、悪い巨大羊がいた。

放し飼いにされている羊とは違い、ふかふかの綺麗な毛がとても素敵だ。


ディノはネアが怖がるだろうと案じてくれたが、予想に反してネアは目を輝かせる。



「なんというふかふかでしょう!しゅぼっと抱き着いてみたくなりますね!」

「ネアがまた変な生き物に浮気する………」

「いいなぁ。僕もやってみたい」

「あれだけ大きいとふかふかですよね!」

「あんな怪物なんて…………」



はしゃぐご主人様とルドヴィークから仲間はずれにされ、すっかり荒ぶった魔物はそろそろウィリアムも疲れただろうからという謎の理由をこじつけて、その巨大羊を無慈悲にも成敗してしまった。



ネアにはよく分からないが、元は火の系譜のものから生まれた怪物なので、大量の水でその魔術の火を消してしまうことが出来るようだ。


ざあっと足元に敷かれた魔術陣が光るのがここからでも見え、次の瞬間には、巨大羊はびしゃびしゃになっていた。

シャンプーに出されたわんこのように濡れそぼった羊は、その直後しゅわんと青白い炎になってから消えてしまう。



「…………羊さんが」

「あれだけ頑強な守護結界があったのに、こんなに簡単に消してしまえるんだね」

「まぁ、今のは、あやつをびしょ濡れにしただけではないのですか?」

「魔術などで介入出来ないような、とても込み入った結界が張り巡らされていたんだよ。君の魔物は凄いなぁ」

「ディノは凄いですね!」

「ご主人様!」



褒められてはしゃいだ魔物だが、ふっと瞳を眇めるとまた、ネアをしっかりと抱え直した。


崩れ落ちた壁の淵からさらさらと砂が舞い込んでくるが、結界に守られたネアの口の中がじゃりじゃりになることはない。

ただ、その風に混ざる火の気配は少しだけ分かる気がした。



「ディノ…………?」

「また少し、王宮の奥に入っていよう。………あちらの、川沿いが見えるかい?」

「………むむ、黄色い色が見えました。………鳥さんでしょうか?」

「戻り時の妖精だよ。川近くの茂みの色が強いので、黄色だけが目に入るのだろう」



ネアにはよく見えなかったが、ルドヴィークは目がいいのでここからもその輪郭が認識出来るようだ。

片手を庇にして上からの光を抑えてから、目を凝らして川の方を見ている。


「……黄色と黒の横縞の生き物だね。蜂のようと言ったけれど、実際に蜂みたいな動きをするんだね」

「蜂鳥というものによく似ているらしいよ。鳥だと考えていると……思ったより不規則で素早い動きをするから、大きな蜂だと考えた方がいいかもしれないね」

「…………ディノ、もしかして昨年のときは、それで刺されてしまったのですか?」



はっとしたネアがそう尋ねれば、ディノは淡く苦笑して頷いた。



「そうなんだ。鳥の妖精だという意識が強くて、動き方に予備知識がなかった。知らないと言うことは、時には困ったことになるのだと、あの時にあらためて実感したよ」

「…………ええ。知らないということは、確かに怖い事ですよね」



(私もそれを知らず、咎竜と言葉を交わしてしまったことがある………)



ばさばさと風が鳴り、見渡すのは見知らぬ土地だ。



だからネアは、度重なる予測出来ない事態に見舞われるこの見知らぬ土地で、重々身の回りに気を付けているつもりだった。



けれどもやはり、知らないものというものは防ぎようがなく。

でもそれは、確かに一度だけ、ネア自身が対策し防いだものであったのに、すっかり忘れてしまっていたのだった。




「…………ああ、ウィリアムから連絡が来たよ。怪物を四体まで倒したそうだ。先程のものを合わせると、残りは二体だね。ただし、その内一体が本体になる。そればかりは、壊すのが厄介なんだ」

「……………む。厄介なのですか?」

「本体はね、陽炎のようなものなんだ。それなのに、火が消えないようにと夜行灯にかけられた魔術を保有しているから、水などでは壊せない。核を壊せば問題ないのだけど、近付くまでは少し苦労するだろう」

「ウィリアムさんが、困ってしまったりはしませんか?」

「それはないけれど、………そうだね、崩すまでに時間のかかる硬い壁だと考えるといい。手間はかかるし疲れるが、損なわれることはないんだ」

「ふむ。何となく理解出来ました。ウィリアムさんは大変ですが、怪物さんがいなくなれば、この土地に残った人達は少しだけ楽になりますね」

「恐らく、今回の死者の行列には疫病の類はいないだろう。要因となった怪物が消えれば、早急に鳥籠も解除される筈だよ」




それからの暫くの時間を、ネア達は崩れた王宮の中で過ごした。


宝物庫の扉が開いていたのでこっそり中を覗いてみたが、さすが盗賊を起源とする国民であるらしく、撤収なども迅速であったようだ。

納められていた品物はあらかた持ち出されている。

ただし、ここからあの怪物達が飛び出していったので、割れて壊れているものや、転がり落ちて回収されずに残っていたものなどもある。



ディノが調べたところ懸念していた他の遺物などもなく、ネア達は、そんなものを見て回った。



ルドヴィークは、ディノに危なくないか調べて貰ってから落ちて割れた美しい陶器のお皿を拾い、持って帰って継ぎ直して使うのだという。

ネアは、手を繋ぐことを条件に地面に解放して貰えたので、エーダリアへのお土産の魔術書を二冊と、不思議な青い宝石を拾った。

宝石は霧を晴らす加護のあるもので、夜の森などを行軍するのに使う武具の一部が壊れて落ちたものであるらしい。


よく分からないが、何かで誰かに役立つかもしれないと思い、ネアはその宝石も拾っておいた。



そんな風に時間を潰していると、ばさりとケープを翻す音がして、誰かが転移を踏んでやって来る。



はっとしてそちらを振り返れば、鮮やかな白い軍服姿の終焉の魔物がいた。



「シルハーン。すみません、少々手間取りました」

「ウィリアム、世話をかけたね」

「いえ、どのみちあの怪物達は俺が倒すしかありませんからね。…………ネア、」

「ウィリアムさん!…………むむ、少しお顔が疲れていますね。甘いものでも食べますか?」



こちらに視線を向けてくれたウィリアムに、ネアはへにょりと眉を下げる。

ネアにだって、それがウィリアムの仕事の一環とは言え、ネア達がここにいることで、ウィリアムがその仕事を大急ぎで仕上げてくれたことくらいは分かるのだ。


しかしウィリアムは、ふわりと微笑むとそんな風に案じたネアの頭を撫でてくれた。



「ネアが無事で何よりだ。よりにもよって、この国に繋がるとはな………」

「悪夢に手を加えた妖精は、元々はこの王宮の宝物庫を守護していたようだ。そこで道が繋がってしまったのだろう」

「やれやれ、妖精に呪われるとは、アイザックも珍しく不手際ですね」

「今回は彼の友人も巻き込まれたからね。不愉快さは例えようもないだろう」



そうディノが少しだけ横に向けた視線で、ウィリアムは目が合ったルドヴィークにも、穏やかに微笑みかけてくれた。


とは言えここは鳥籠の中で、ウィリアムはその終焉を齎す最たる装いをしている。

微笑みは穏やかだが、身に纏う気配は鋭く重い。

微かに体を揺らしたルドヴィークに、ウィリアムも鷹揚に微笑んだ。



「人の身には重いだろう。無理をして顔を上げなくていい。今回は災難だったな」

「………あなたの香りを、何度か嗅いだことがある気がする」


そう言われたウィリアムは、微かに目を瞠ってから一つ頷いた。


「それなら君は、どこかで終焉の領域に触れかけたことがあるんだな」


そう微笑んだウィリアムに、ふうっと短く息を吐いてから、ルドヴィークはゆっくりと顔を上げて真っ直ぐにその瞳を見返した。

ルドヴィークが浮かべた穏やかで優しく、けれども彼の暮らす山のようにひたむきな強さのある微笑みに、ウィリアムが小さく息を飲むのが見えた。


「………目を見てお礼を言うのが遅くなってしまって、申し訳ない。あなたの言うようにとても重たい精神圧だったが、とても穏やかで静かだ。高位の方、僕のことも気遣ってくれて有難う」

「……………君は、どこかネアに似ているな。何となくだが、アイザックが気に入るのが分かった」

「そう、なのだろうか。アイザックはよく、僕が面白いと言うんだ」

「むむ。となると、私も合わせて面白い枠に分類されるのでしょうか?気の利いたことが言える素敵な人間という評価なら、やぶさかではありませんね!」

「それなら嬉しいけれど、違う意味のような気がするなぁ………」

「む?」



ではどんな意味なのだろうかと、ネアが首を傾げたが、何やら得心した様子のウィリアムは微笑んで教えてくれなかった。


その後、ルドヴィークは、ウィリアムとぽつぽつと短く会話を試みており、ネア達はそんな二人を微笑ましく見守る。

ディノはアイザックが心配なようだが、ネアとしては優しいルドヴィークと、ウィリアムが会話出来て嬉しかった。



「…………すみません、ウィリアム様。無理を言いました!上司がすっかり心配性になりまして」

「ああ、もう鳥籠は解除するからな。今回は疫病は呼び込んでいないから、擬態さえしっかりとしていてくれれば構わない」


そこに飛び込んで来たのはローンだ。

先程のギードのように、くるりと服裾を翻すと転移を踏んだ足で軽やかに着地した。

翻ったフードコートからちらりと見えた尻尾に、ネアはぱっと顔を輝かせる。



「おや、君は彼を迎えに来たのかな」

「はい。御身に任せきりでは申し訳ないので、彼だけを見ていられる者が必要だろうと。俺であれば、鳥籠の中にも入れますからね。シルハーン、ネア様、ご無沙汰しております」


ローンはぺこりとディノにお辞儀すると、ネアにも丁寧に一礼してくれた。

どうやら彼が来たのは自分の為であるのだろうと察したのか、ルドヴィークは少しだけ困ったように微笑み、首を傾げている。

ローンとは面識がないようだ。



(やはりこの世界には様々な人達の縁があって、アイザックさんもこんな風に誰かを大切に思うのだわ)



アイザックは過保護さとは無縁のようだったが、問題がなかったか尋ねてきたローンに、砂蛇の魔物を狩ったことと、砂兎の魔物をペットにしたことを告げて真っ青にさせているルドヴィークを見ながら、ネアは暖かな気持ちでふむふむと微笑んだ。




「嘘をついたかい?」

「む?嘘はついておりません」



その時、ふっと耳元で問いかけが揺れたような気がした。

その声はディノの声に少しだけ似ていたような気がしたので、思わずそう答えてしまってから、ネアはぎくりとして周囲をきょろきょろした。



現在ネアはディノの左腕に右手で掴まって立っているので、左耳の側からディノの声がする筈がないのだ。



「ネア…………?」

「…………ディノ、今、……私に嘘を吐いたかどうか尋ねましたか?」

「いや、私は尋ねていないよ」



そう返したディノに、はっとしたようにウィリアムが表情を強張らせる。



「………ウィリアムさん?」

「ネア、何でもいいから、俺に嘘を吐くんだ!!」

「…………う、嘘を、?…………むむ、私はウィリアムさんとお友達ではありません!……」

「……っ、………嘘だと分かっていても一瞬、どきりとするな。………ネアが声を聞いたのは、嘘の精だろう。食われると厄介だからな、今の内に幾つかの嘘を重ねておくといい。確か、………どれくらい重ねておけばいいんだったかな」



(……………嘘の精)



ネアはふと、そんな生き物がいたのだということをすっかり忘れていたことに気付いた。

去年は色々あって失念していたが、戻り時の妖精と同時期に現れる生き物だったのは確かだ。



(嘘を吐いておかないと、どうなるのだったっけ………?)



そう考えながら、おかしなものがいるからと慌ててネアを持ち上げようとした魔物にぺたりと寄り添おうとして、ふっと視界が翳った。




嘘の精がどんなものなのかを、そして、戻り時の妖精が活動し始める頃に彷徨うものなのだと、ネアもディノも知らなかったのだ。




それは、そうして起こってしまった事件であった。




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