175. 焚き上げの魔物に出会います(本編)
脱走した山車人形を捕獲している現場に、無事にエーダリア達が到着した。
そこはさすがのノアがいるので、数名の騎士と祭祀を行う魔術師、そして焚き上げの魔物も合わせて、ノアが魔術の道で上手く誘導してきたようだ。
すぐさまディノの隔離結界に繋いでくれ、荒ぶる山車人形の視線に晒されない形で、一同再会となる。
「…………酔いました」
魔術の道を出るなりそう呟いたのは、祭祀を司る農業関連の魔術を専門とする魔術師だ。
高位用の魔術の道を歩かされてしまったことで、若干ふらふらしているが大丈夫だろうか。
「ありゃ。随分密度を下げたのに」
「ムイ」
ノアの言葉にそう答えたのは、ネアにとっては初めましての焚き上げの魔物だ。
もしゃもしゃっとした煤色のぬいぐるみに、篝火色の赤い目をしている。
送り火の魔物のグレイシアと似たような配色なので、司るものが似ていると配色も似るのだろうか。
(か、かわいい!)
ディノからは苦手だろうと言われていた歪系のぬいぐるみボディだが、ネアはこの焚き上げの魔物ゆるふわ具合に、一目で虜になってしまった。
目の位置が若干ずれていたりもするが、ホラーさしか感じられなかったゴーグル屋さんとはまた違い、この魔物はとぼけたような顔が何とも可愛らしい。
手のひらサイズなのも良いかもしれず、口角の上がった口元と体のラインから、おとぼけ顔にデフォルメされた羊の人形のようだ。
しかしそんな羊人形的魔物だが、ディノやゼノーシュが山車人形の話を始めると、祝祭の儀式順を崩されたのが癪に障るのか、ぺっと唾を吐くようなハードボイルドな仕草をした。
「…………成程。地崩れの花の精霊か。かなりの高位のものだな」
青い顔をしているエーダリアの横で、ノアは一緒に来た騎士の一人にその精霊の説明をしている。
確か五席界隈の順列の騎士だったが、エーダリアと行動しているとよく一緒になるのだそうだ。
上の騎士達が別の問題に対処している場合は、自身でも充分に強いエーダリアと組まされるのは、順列的にだいたいこのあたりなのだとか。
隊長であるグラストはゼノーシュとペアで一つの問題に当れる力量を有するし、ゼベルやリーナも単独で問題に対処出来る騎士だ。
隊の配属や相関認識に長けているという第四席の騎士は本隊に残ることがほとんどで、こうして第五席から七席あたりの騎士達が領主の護衛にあたることも多い。
「地崩れの花はね、地中深くに根を張って雨を沢山吸い込むと、その根を引き上げて地崩れを起こすんだ。そうして崩れた地面から出てきた小さな妖精や魔物を食べるから、元々狡猾で獰猛な精霊なんだよね」
「木の中で休んでいたともなると、浸食魔術が使える階位なのですか?」
「だと思うよ。シルやゼノーシュが苦戦したなら、下手したら王族相当かもしれないね」
「お、王族相当………」
慄いてしまったのは、祭祀担当の魔術師だ。
それとは対照的に、騎士達はこの顔ぶれなのでどうにかなるだろうと囁き合っている。
なぜかこっそりネアを拝んでいるのは、狩りの女王に退治を祈願しているのだろうか。
しかし残念ながら、相手の一部が蜘蛛である以上、狩りの女王は休業中なのである。
「しかし、もう少し公園側に動かせないものだろうか。この道の角の手前には、雪解け水を集めて水路に流す為の魔術基盤があってな……」
困ったようにそう言ったのはエーダリアだ。
専門基盤は、専門の魔術師の手によるものなので、領主としてあまり修復の負荷をかけたくないらしい。
水回りの魔術師は何かと忙しい時期なのだそうだ。
それを聞いて、何やら魔物達は腑に落ちた様子である。
「どうしてこの場所に集まってきたのかなと思っていたけれど、それでなのかもしれないね」
「あ、そっか。地崩れの花は雪解け水も好むんだっけ」
「ネアじゃなくて、水の匂いを辿って来たんだね!」
「なぬ。ゼノ、私は山車人形とはお知り合いではございません」
「だってネア、またリズモ狩っちゃったんでしょう?」
「むぐ」
ネアは少しだけ考えた。
水の匂いなら川や湖でもいいような気がするが、地崩れの花の特性上はそういう水分はいらないのかもしれない。
「先程から思っていたのですが、こちらの場所が難しいようであれば、山車人形さんは箒でぺいっと掃いてしまいますか?」
「………箒?」
一瞬飲み込めずに首を傾げてしまったエーダリアに、ネアは首飾りの金庫からささっと前回の狩りの成果物を取り出した。
「ありゃ、戸外の箒かぁ」
「と、戸外の箒!!」
その言葉にざわざわしてしまったのは騎士達と祭祀の魔術師で、エーダリアはそれがあったかという顔になった。
「そう言えば、それがあったな…」
「お、お待ち下さいエーダリア様!駄目です!!こんなところで、世界の秘宝を使うなんて!!」
「そうですよ!戸外の箒さえ温存しておけば、大国の軍勢が攻めて来ても掃き出せるんですよ?」
「質量ではなく、回数なんです!ここで使うぐらいであれば、この命を懸けてでも、山車人形は俺が斃します!!」
ヒートアップしてしまった仲間達に囲まれたエーダリアを眺めて、ネアは首を傾げてディノを見上げる。
「…………どうやら、勿体ないという判断のようです」
「一回しか使えないかもしれないからかな」
「僕、ネアだったらまた拾ってきそうな気がする」
「そうだねぇ。僕もゼノーシュと同じ意見かな……」
「ムイ?」
魔物達はどっちでもいいけれど、出し惜しみしなくていいんじゃないかという空気だったが、どうやらエーダリアは騎士達に説得されて、何とも高性能な箒を温存する方向にしたようだ。
「ネア、その箒は出来れば温存してくれ。個人の持ち物なのに、すまないな」
「いえ。便利道具なら、環境保全に生かすのが一番ですからそうしましょう。この箒を献上した鳥もどきさんをまた見付けたら、狩ってきますね」
「そ、そうだな」
引き攣って頷いたエーダリアの後ろで、騎士達はなぜか再びネアを拝むことにしたようだ。
狩りの女王としては正当な評価として受け取っておく所存のネアは、うむと頷いておいた。
「じゃあ、僕が少し転がそうか。シル、そのまま押さえておいて」
「いいよ。それと、核になっているのは奥で押さえている人形の方のようだ。木が伐り出された箇所によって、濃度が違うのかもしれないね」
「ありゃ、手前のもそこそこだなぁと思ってたけど、奥の方が凄いんだ。よく抑えられてるね……」
「潰してしまった方が早いのだけれどね」
「ムイ!」
「そうだね。宜しく頼むよ」
もしゃもしゃ羊人形が勇ましく鳴き、ディノが頷いた。
万象の魔物に頷きかけて貰えたからか、焚き上げの魔物はぽわりと頬を色付かせ、喜びに垂直跳びを繰り返す。
ネアは、ボール遊びを強請る銀狐を思い出してしまった。
「えーと、じゃあ、………そのまま転がすしかないのかぁ」
「ディノ、お仕事の邪魔をしないよう、降りましょうか?」
「ご主人様が虐待する……」
「なぜなのだ」
そうして、サンドイッチにされた精霊入りの山車人形を転がす儀式が始まった。
ネアはあまり直視出来なかったが、なにしろ足回りが蜘蛛という形状のものなので、ごろん、ずばんという何とも心に優しくない転がしの様子となる。
魔術による非常線が敷かれているので、その外側の領民達は興味津々で転がる山車人形を見に集まってきていた。
結界は分りやすく目に見えるものではないので、ネアとしてはわらわらと集まってくる民衆に危なくないかと心配になってしまうが、危ないところには元々入れないような線引きがされているらしい。
ごろん、ずばんを時間をかけて五回ほど繰り返すと、少し道幅が広くなった部分に到達した。
少し前にそちらに移動したエーダリア達と、祭祀の魔術師が、焚き上げをする場を魔術で清め、その周囲を焚き上げの魔物が小さな体で円を描くように跳ね回っている。
ムイムイ言いながら跳ねる魔物の姿に、ネアは胸が熱くなった。
ちびまろ不足で空虚だった胸に、久し振りに可愛い毛皮生物の姿を収めることが出来たのだ。
換毛期用ブラシで梳かしてしまったので、最近の銀狐は若干スリム過ぎて物足りないのである。
「………むむ、ぴたりと収まりましたね」
転がされていた山車人形は、エーダリア達が準備した魔術陣の中にぴたりと収まった。
長い足もぎゅっと収納され、もがいてはいるが拘束を解けないようだ。
「シル、もう一つのも入れてしまうかい?」
「共食いしないかな」
「…………むぐ」
「ごめんね、少しだけ耳を塞いでいようか」
あまり心に優しくない単語に、ネアが顔色を悪くしたことに気付いたディノが、ネアの顔を自分の胸に抱き寄せて片方の耳を押さえ、もう片方の耳は片手で押さえてくれた。
何やらその後少しだけ密談が行われたらしく、山車人形は焚き上げの魔物の最大火力で二体一度に焚き上げられることになったようだ。
残すもう一体、核の方と言われた山車人形もごろんずばんと転がされてゆき、最初に魔術陣の中に入っていた山車人形をぎゅうぎゅう押し込むようにして、収納された。
あんまりな絵なので、ネアだけではなく魔物達の目も虚ろだ。
そこに臨時とは言え、秋の祝祭の形式を整えるべく、担当の魔術師が焚き上げ用の詠唱を行う。
朗々と響く詠唱は美しかったが、詠唱に反応した山車人形が暴れ始めたので、作業員達の視線は彷徨いがちになる。
儀式を見守っている民衆も、うわぁだとか、ぎゃあという控えめな悲鳴を上げていた。
「………跳ね返りが強いな」
「シル、右側は僕が押さえようか?」
「いや、不用意に緩めない方がいいだろう。このまま焚き上げが終わるまで押さえているよ」
苦戦している様子はないが、ディノの呟きのままであれば、大変な作業なのかもしれない。
片腕で抱えられたネアは、せいいっぱい三つ編みを握りしめてエールを送った。
「ディノ、負けないで下さい。でも、もし怪我をしそうなら我慢をしないで、私が箒を使って押し込みますので、すぐに教えて下さいね」
「心配ないよ。よく君が、暴れるリズモを握りしめているようなものだ。強く暴れてはいるけれど、私の何かを損なうようなことはないからね。ただ、あまり暴れられると握り潰しそうなのが少し困ったかな。……この暴れ方は、精霊らしいけれどね」
「そう言えば、精霊さんは荒れ狂いやすいのでしたね………」
「ムイ!」
詠唱が終わった途端、焚き上げの魔物がもしゃもしゃの胸元から、小さな魔法の杖のようなものを取り出した。
「…………ほわ」
「あれが、焚き上げの魔物の魔術を司るものなんだよ」
「あの羊的な前足で、どうやって杖を持っているのでしょう?」
「確かに、不思議だね……」
サイズとしては爪楊枝くらいのその杖を、焚き上げの魔物が魔法少女のようにえいっと振ると、きらきらした光が魔術陣に広がる。
そのまま円状に陣の上に充満してゆき、程よくいきわたったところで、焚き上げの魔物はぴょんと跳ねた。
「ムイッ!」
次の瞬間、コンロに火が入るように、ぼっと術式陣が燃え上がる。
あまりにも愛くるしい儀式についつい見入ってしまっていたネアは、その結果起こった阿鼻叫喚に慌ててディノの胸に顔を埋めた。
「ムーイ!ムーイッ!ムイムイムイ!!ムーイッ!!」
ごうごうと燃え盛る炎の音の向こうから、なぞめいた焚き上げの歌を可愛らしく歌っている声が聞こえてくる。
もう原型は留めていないかなという焚き上げの後半でネアがちらりとそちらを見てみれば、劫火を背景に弾み踊りながら歌う小さなもしゃもしゃ羊の姿があった。
ゆるふわの愛くるしさと凄惨な炎が相まって、何とも奇妙な光景だ。
「ムーイ!ムイ!!」
やがて、歌い終えたのか、じゃん!という感じで決めポーズをした焚き上げの魔物に、急遽祟りもの調伏のようになってしまった儀式を見守っていた人々から、わぁっと歓声が響いた。
大物オペラ歌手のようにその歓声を全身に浴びて、焚き上げの魔物はご機嫌で跳ね回っている。
とは言え小さな体なので、褒めてくれている領民達からは小さな黒っぽいものが弾んでいるようにしか見えないだろう。
「わーお、よく燃えたね。やっぱり植物だから、火には弱いのか」
「儀式昇華だから、呪いや祟りは残さないんだね。この方法にして良かったようだ」
「グラストを蹴とばそうとした人形がいなくなった!」
それぞれに感想を呟く魔物達に、なぜか騎士達は再びネアの方を拝んでいる。
結局こうして収まってしまうのだと囁き合っているが、今回狩りの女王がディノに持ち上げられていただけなのだ。
何だか不甲斐ないばかりなので、またあの鳥もどきを狩ってきて、箒の備蓄を増やしておこう。
「………何とか無事に終わったな。………さて、次は、焚き上げ用の広場にそろそろ入る頃の、逃げ出さなかった山車人形達だ。すまない、もう一働きさせてしまうな」
「ムイ!」
ゼノーシュの通訳によると、焚き上げの魔物ことトルチャは、威勢よくなんのそのと返したそうだ。
燃やすのと歌って踊るのが大好きな陽気な魔物で、こうした儀式では圧倒的な力を振るう。
今回のように、ディノやノアですら煩わされる程の精霊も、儀式の一環であれば一瞬で焚き上げてしまう猛者だ。
こうして、次の焚き上げにご機嫌で向かうトルチャを肩に乗せ、エーダリア達は本来の焚き上げ会場に戻っていった。
他の山車人形も同じ素材で作られた仮面には違いないので、ノアも引き続きエーダリアの護衛にあたる。
残されたネア達は、焚き上げで残った灰を人々が小さな袋に入れて持ち帰ってゆくのを、興味深く眺めていた。
「あのようにして荒ぶった精霊さんですが、灰を持って帰って大丈夫なのですか?」
「儀式で焚き上げられてしまったからね。もう綺麗に浄化されているよ」
「あのもじゃもじゃ羊さんは、凄いのですね!」
「…………浮気」
しゅんとした魔物を振り返り、ネアはご主人様を地面に下すように要請する。
またまた落ち込んだ様子でネアをそっと下した魔物に、ご主人様はさっと手を繋いでやった。
「ご主人様……」
「向こうの焚き上げが終わるまで、引き続き外周の警戒をしましょう。焚き上げが終わったら、屋台で何か買ってあげますが、何がいいですか?」
「………何か買ってくれるのかい?」
「ええ。記念のものも沢山売っていますしね。今日は頑張ってくれたので、ご主人様は魔物を労います!」
唇の端を持ち上げて嬉しそうに微笑んだディノは、その後も頑張って警戒業務を続けてくれた。
その後一時間程で正式な儀式の焚き上げも終わり、今年のウィームの秋の入りの豊穣祭は、無事に儀式を治めることが出来た。
ネア達が警備がてらあちこち流したところ、領民達は予想外に怯えておらず、脱走した今年の高度な山車人形にいたく興奮しており、なかなかにスリリングだったと盛り上がっているようだ。
脱走中の山車人形、特に、蜘蛛足を得てからの山車人形を目撃した者達は、何やら得意げにその目撃談を披露している。
何のことだかよくわからないが、今回の事件もリーエンベルクの厄除けの神がいたので大丈夫だったらしい。
最近密かに活躍しているので、もしかしたらノアのことだろうかと、ネアは微笑んで心の中で頷いておいた。
「ディノ、エーダリア様から無事に終わったという連絡が入りました。ご褒美時間に入りますが、警備中に何か欲しいものはありましたか?」
「………グラス」
「あらあら、名前の彫れる、小さなグラスですね?」
「………うん」
はにかみながら魔物がご指定したのは、観光客用の出店で売っていた小さなグラスだ。
親指程の大きさの小さなグラスで、絵柄は焚き上げの魔物柄と、山車人形を模した仮面の柄、そして炎の絵柄に祝祭の名前であるホールルと彫られたものから選べる。
お買い上げすると十文字までの文字を無料で彫ってくれるので、自分の名前を入れられる記念品向けのお土産だ。
溜め込む型の魔物は、記念品が欲しいのだろう。
(美味しそうな食べ物や、素敵な葡萄酒も売っていたのに)
相変わらずこんなところが可愛い魔物であるので、ネアはお昼休みを上手く利用してディノにそのグラスを買ってやった。
自分の名前を入れるのかと思ったが、なぜか魔物は頑なにネアの名前を彫って貰いたがり、出来上がったグラスはまるでネア専用のもののようになる。
艶麗な魔物が目を輝かせて作業を見守るので、気難しい顔をした店主も優しい気持ちになってしまったのか、本来なら有料である日付をサービスで彫ってくれた。
紙で包んで貰って簡素な紙袋に入ったグラスを、ディノは宝物のように抱き締める。
そんな光景には販促効果もあったようで、ディノがあまりにも大事そうに抱き締めるグラスに、観光客達がちらほら集まってきた。
他人がはしゃいでいると素敵なものに見えてしまうのか、何組かが焚き上げの魔物の柄のグラスを購入したようだ。
「有難う、ネア」
「どういたしまして。今日は、苦手な形状の山車人形さんを捕まえていてくれて、有難うございました。はい、お昼ご飯にしましょう」
「…………これは何だい?」
「スープリゾットですよ。熱いので、火傷をしないで下さいね」
断熱魔術で持ちやすい紙容器に入れられたのは、シチューのような濃厚なスープのリゾットだ。
祝祭の日の朝に焚かれる印火から火を貰ってきて作るのだそうで、豊穣と収穫の祝福が僅かに込められている。
木のスプーンですくってはふはふしながら食べるのだが、こちらはネアの方が周囲の皆さんの美味しそうな様子に影響されて買ってしまったものだ。
「まあ、サルシッチャのお肉がしっかりしていて、ジューシーで美味しいですね」
「じゅーしー………」
「お肉に言うのもどうかなという感じですが、瑞々しいという表現なのです。肉汁がたっぷりで、食べ応えのある自家製ソーセージです!」
「……これは食べるのかい?」
「ふふ、ローリエの葉っぱですね。それは香りづけなので食べなくていいですよ。そういうものが混ざり込んでしまうのが、屋台の楽しいところですね」
「…………おいしい」
サワークリームの入った濃厚なシチュー風のリゾットに、ディノは小さな幸せを噛み締めているようだ。
グヤーシュが好きならこういうものも好きな筈なので、ネアは己の手配の万全さに誇らしくなるばかりだ。
また新しいお気に入り料理を見付けてしまった魔物は、食べ終わると空になった紙容器を悲しそうに見つめていた。
「いただいてお味がわかったので、こういうものを今度作ってみましょうね」
「ご主人様!」
ぱっと顔を輝かせた魔物を引き連れて、ネアはその後、揚げたジャガイモをスパイシーな漬けだれに漬け込んだ小串を買い、ディノはマッシュしたジャガイモにひき肉のトマト煮込みを詰めて丸く揚げたものを買った。
ばらばらと帰路につく人々を眺めながら、祝祭の日の慌ただしさと賑やかさの中を二人で歩く。
秋の色彩に染まった街路樹の木々は、ウィームの街の色をまた見慣れない艶やかさに塗り替えていた。
季節を変える度に見慣れた筈の街はその奥行きを増し、昨年見た筈の風景ではあるものの、新鮮な風景に見える。
「来年の山車人形のお祭りでは、脱走者が出ないといいですね」
「でも、先程すれ違った人間達は、脱走がなくてもつまらないと話していたよ」
「大衆心理ですねぇ。でも確かに、今回のような強いやつではなく、逃げても被害を及ぼさない程度の山車人形さんが、適度に場を盛り上げた方がお祭りとしては華やかなのでしょうか」
「………場を盛り上げる」
人間という生き物の複雑な思考に、魔物は少しだけ困ったような顔をした。
危害を加えられたくないのに、脱走イベントは欲しいという人間の強欲さは、ディノにはよくわからないようだ。
とは言えネアは、脱走反対の勢力なので来年も引き続き、脱走なぞさせて堪るかの精神である。
「傘祭りのときのように、昇華してゆくのを楽しめればいいのですが」
「人間は不思議な祝祭ばかりしているような気がする………」
「そう言えば、ヴェルリアでは山羊追い祭りがあるそうですよ。街の中を山羊の妖精さん達が走り回り、そんな山羊さんに蹴飛ばされながら、一頭だけ紛れている幻の山羊さんを探すのです」
「………どうやって始まったんだろう」
「何だか、急にみんなで追いかけっこがしたくなったのかもしれませんね」
幸いにも、仮面を作った専門の魔術師は一命を取り留めたようだ。
駆けつけた魔術師達に発見された時には虫の息だったらしいが、現在のリーエンベルクにはエメルの蓄えた祝福の込められた水があり、その水を飲ませることで植物性の魔術汚染は流せたのだそうだ。
人形収めの儀式を行った後に工房に戻る道中で倒れたらしく、現職復帰するまでには二年程かかるらしいが、駆け付けた家族達は命が助かったことに安堵の涙を流したとか。
魔物達が精霊の住み込み木材であることを早々に見抜いたからこそ適切な処置が出来たと、夕方にリーエンベルクに戻ってきたヒルドも感謝してくれた。
祝祭を受け持つ魔術師というものは、旧家の魔術師が多い。
今回の仮面作りの専門魔術師も、いわば一つの技術の家元ということになり、今いる弟子達からしても、技術を極める前に師を失わずに済んだということなのだ。
なお、ヒルドの現場指揮の評判は上々だった。
元々王都でも第一王子以下の代理妖精達の指揮はヒルドがしていたこともあり、ダリルと比べても差異無く適切な指示が回り、配置や調整もすみやかに連携が取られると好評だったそうだ。
後はもう、罵倒されながら賑やかに進められるダリル派と、鋭く冷静な指示を受け粛々と進行するヒルド派で好みが分かれるくらいなのだとか。
「それにしても、あの山車人形さんが動くくらいなので、うちの雪豹アルテアもいつか動くかもしれませんね」
お風呂に入りながらネアがそう言えば、ディノは目隠しをされたまま首を傾げていた。
「雪豹アルテアがかい?」
「ちびまろたちのお母さんになり、私やディノの抱き枕として愛用されています。そもそも、アルテアさんの注文で作られたとっておきのぬいぐるみですので、あと十年もすれば動き出すかもしれないですよ」
「雪豹アルテアが……」
「そうしたら、白もふさんと仲良しになれるでしょうか」
「アルテアと、…………アルテアが」
「白もふまみれになったら楽しいでしょうね」
「…………ネアが浮気する」
「あらあら、今日はこんなにたくさん爪先を踏んであげたのに、まだご褒美が欲しいのでしょうか」
微笑んでそう言ったネアに、魔物は少し考えてからこくりと頷いた。
となればもう、ムグリスディノのお腹撫でをするしかないなと狡猾な人間が企んでいるとは思わず、ディノはお風呂から出たらと言われて頬を染めていた。
「ネア、………不得手なものを頑張ると、ご褒美が貰えるのかい?」
「それが必要な時に、それを成せる方が不得手さを堪えて手助けしてくれたからですね。この場合、例えばノアがあの山車人形さんの形状でも大得意となれば、得意な方に任せてしまっても構いません。しかし、みんなが苦手だったので、一番歳上で王様なディノが頑張ってくれたことが偉かったのでした」
「他に長けているものがいれば、そちらに任せてもいいのだね」
「勿論です。それと今回、ディノはその方が楽だからと破壊してしまわず、お祭りの儀式が成功することを優先してくれたでしょう?それもとても嬉しかったので、たくさん褒めなければですね」
「………たくさん」
口元を緩めてほにゃりと微笑んだ魔物は、部屋に帰ってくると新しい空間を一つ制作していた。
そろそろ宝物引き出しが定員になりかけていたのと、グラスは引き出しにしまってしまうと鑑賞に向かないからだ。
その結果、衣装部屋の棚の一つを扉扱いとし、ディノはその奥に宝物部屋を作った。
列車で買って貰ったラムネ菓子や、リノアールで買って貰ったポストカード、ネアから貰ったものの包装紙なども誇らしげに飾られている。
火織りのほかほかタオルハンカチも飾られているが、これはこれからの季節は、是非に使用して欲しい。
「あら、皆さんに貰った誕生日の贈り物も飾ってありますね」
「ネアが増えたよ」
「むむ、髪の毛を拾ったりはしてませんね?」
「…………しない」
「ここにご主人様本体がいるのに、どうしてしょんぼりしてしまうのか不思議でなりません」
その日の夜、魔物が宝物部屋から帰ってこないので迎えに行くと、散々配置に悩んだのか、模様替えの途中で力尽きた人のように床に座り込んで眠っている魔物がいた。
ゼノーシュ達から貰った毛布にくるまり、雪豹アルテアを抱っこしてすやすや寝ている。
ネアは何だろうこの可愛い生き物はという気分でいっぱいになったので、その晩はディノを寝台の上に上げてやった。
あくまでもディノが可愛かったからであり、決して山車人形が怖かったので一人で寝れない訳ではないと釈明しておこう。
因みに、列車で買ってあげたラムネ菓子は出来れば中身は食べて欲しいが、とっておく用なのでそのまま状態保持となるらしい。
ネアは今度から、記念品になってしまうような食べ物は買い与えないようにしようと心に誓った。