ブランコと星渡り
シュタルトの外れには、渓谷にかかる素敵なブランコがある。
月光を紡いで作られた鎖を空にかけ、風の精霊のベンチに眠り羊のクッションを乗せたとびきりのブランコだ。
このブランコを漕いで、夜光薔薇の森と小さな湖の上を揺られるのだから、これ程にロマンティックな場所もないだろう。
ただし、このブランコには致命的な設計ミスがある。
とてつもなく高い位置から鎖をかけ、何の安全対策もないままにものすごい距離を漕ぐので、殆ど絶叫アトラクションと化しているのだ。
「…………さすが、噂になるだけはありますね。うっかり手を離したら、湖の藻屑になる予感しかしません」
「………ネア、これに乗るのかい?」
「見て下さい、ディノ!なんて綺麗な鎖なんでしょう。宝石みたいに光るのに掴んでもごつごつしないですし、このふかふかクッションのお陰で楽しく漕げそうですよ!」
「ご主人様………」
ご主人様の度胸の良さに魔物はすっかり怯えていたが、ネアとしては守りが万全であることに甘えて、この噂の観光アトラクションを試す気満々でいた。
こんなものがあると教えてくれたのはエーダリアなので、決して危ない場所ではないと思うし、何よりも景観が素晴らしい。
夕方から夜へと向かうこの時間に、こんな素敵な場所を独り占め出来るなんて、もの凄い贅沢だと思う。
「来た時間が良かったですね。ちょうど観光客が途切れたところのようで、貸し切り状態です!」
「………他に来る人がいるのかな」
「む!ディノ、日が沈む前の夕暮れの綺麗な内に乗りますよ」
「ネア!一人では乗るのは禁止だよ。一緒に乗ろうか」
「しかし、二人乗りだと思い切り漕げませんよ?」
「きちんと漕いであげるから、大丈夫だよ」
「………そもそも、ブランコを漕いだことってありますか?」
「ご主人様………」
魔物がとても頑固であったので、ネアは仕方なく二人乗りでブランコに乗ってみることにした。
これまた頑固に、絶対落ちないように守護を固めると言い張るので、ブランコの醍醐味である風を感じる部分は削らないように説得する。
ブランコのベンチ部分は、ぎりぎり二人が並んで座れるだけの幅もあるが、少し座面が広いことを利用して、ディノはネアを自分の足の間に座らせるようだ。
魔物曰く、絶対に落とさないようにという配置であるらしい。
「では、いきます!」
「やっぱりこれ、普通の人間は乗らないんじゃないかな………」
「ふふ。ディノは案外怖がりさんなのですね」
「くれぐれも、暴れたり飛び降りたりしないようにね」
「心配性な魔物の為に、約束して差し上げます!」
「……いくよ」
すっかり準備万端で足をバタバタさせて急かしたご主人様の為に、ディノが地面を蹴った。
「ほわ!」
ぎゅんと、風に飲み込まれる。
綺麗な弧を描いて、ただしそれなりのスピードで飛び出したブランコは、息を呑むほどに美しい、夕暮れのシュタルトの景色を見せてくれた。
「ネア?大丈夫かい?」
「少し怖いのも確かですが、ものすごく楽しいです!ほら、 湖がきらきらして見えますよ?」
「乗り出したら駄目だよ、ご主人様」
「むぅ、ここでも拘束椅子にされました。………そして、片手漕ぎとはなかなかにやりますね!」
「安定を魔術で固定したからね。君が落ちたら一大事だ」
「あら、エーダリア様ですらお勧めしてくれたくらいなので、そこまで危なくはありませんよ。こうやってきちんと両手で鎖を持っていれば一安心です」
「人間は、随分と危ない遊びをするんだね」
「確かに、擬似的な危険と隣り合わせの時間を楽しむ嗜好はありますね」
「…………擬似的なのかな」
「わ、見て下さい!陽が落ちてきて薔薇がいっせいに満開になりました。なんて綺麗なんでしょう」
「ネア!乗り出さないようにね」
はらはらしている魔物の声が耳元で聞こえる。
先程は少し胸が苦しくなったりもしたので、ネアはその憂鬱を振り払うように、素晴らしい景色と大事な魔物とのブランコ遊びを楽しんだ。
こんな素敵な場所があるのなら、また今度、不安で胸がいっぱいになった時にはこのブランコを漕ぎにこよう。
時間が夜に切り替わってゆくこのえもいわれぬ青い空気の中を、ふかふかのベンチに座って漕ぐブランコは最高だ。
「………ネアが落ちないで良かったよ」
「まぁ、たかがブランコごときで、落ちたりしませんよ!」
「………本当に、人間はこんなものを何で作ったんだろう………」
一通り漕ぎ終わって出発した丘の上に戻ると、ネアを丁寧にブランコから下ろしながら、ディノの視線がちらりと背後に向けられた。
何だろうと振り返ったネアは、そこに、先程出会ったばかりのガーウィンの枢機卿が立っていることに気付いた。
若干顔が引き攣っているがなぜだろう。
「むぅ。むしゃくしゃさせた、嫌なやつがいます」
「排除してこようか」
「豆の精が落ちていないのが残念ですね」
あからさまにつんとしたネア達に、なぜかその男性は唐突に深々と頭を下げた。
「先程の失言を謝罪に参りました」
すっかりまた嫌がらせにきたとばかり思っていたネアは、おやっと眉を持ち上げる。
「先程の様子では、とても謝罪など言い出すようではなかったけれどね」
今回は口を塞がれていないが、念の為に黙ったネアの代わりに、ディノがそう答える。
虐められてしまったこともあり、美しい声はどこか硬質で鋭い。
「全くその通りですが、実は先程まで、あなたを他の魔物と勘違いしていたのです」
「おや、私を誰かと?」
「有り体に言えば、塩の魔物と取り違えておりました」
深々と頭を下げたまま、そう言われて二人は顔を見合わせる。
そこでネアは、先程までのディノが、鍵盤の魔物対策で髪の短い姿に擬態していたのを思い出した。
(でも、それでもノアに似てるだろうか?)
首を傾げたネアに、ディノが少しばかり困惑の気配を漂わせる。
この二人に喋らせておくと解決しなさそうなので、ネアはジェスチャーで、自分にも喋らせて欲しいとディノに訴えた。
「…………いいけれど、彼とは直接に会話をしないようにね」
ディノの言葉に、こちらの意図がわかったのだろう。
一度頭を上げてから、ガーウィンの枢機卿は、慌てて言葉を重ねてくれた。
あの敵意に満ちていた木苺色の瞳は、今はどこか所在なさげにも見える。
「あなた方に術式操作などしませんよ。俺は魔術を展開しませんので、普通にしていただいて構いません」
「ディノ、こんなことを言っている方がいますし、私は普通に話せると助かります」
「では、名前にかけて誓えるかい?」
「勿論ですとも。リーベルの名前にかけて、この場であなた方を魔術で損なうことはありません。また、この場で魔術を拾うこともないと誓いましょう」
「おや、充分に手札を残してはいるのだね。でもいいだろう。その代わり、君がどこからか私の契約者を損なう魔術を紡いだ場合には、その声を奪ってしまうよ」
「…………承知いたしました」
魔物らしい約束事が一つ交わされ、ようやくネアはリーベルという名前らしいこの枢機卿と直接話せるようになった。
じっと見つめれば少しだけ気まずそうにするので、決して悪意ばかりの相手ではなかったようだ。
と言うか、まず間違いなくダリルに叱られてここにきたのだろう。
「私の魔物を、ノアと間違えていたのですか?それなのに、あんな問いかけをされたのでしょうか?」
早速取り上げられた質問が堪えたのか、その言葉にリーベルはぎくりと体を強張らせる。
彼はあのとき、男女間の愛情のそれについて苦言を呈したのだ。
「ええ。あなたが、塩の魔物を懐柔したとは聞いておりましたから」
「さてはダリルさんからですね?割と最近まで、ノアが近くにいることは秘密だったのですよ?」
そう返せばそれは知らなかったのか、またしても体を微かに揺らしている。
「…………俺を案じられてのことでしょう。俺はネイを、………塩の魔物を嫌っていましたから」
「だから、先程はあんな風に仰られたのでしょうか。私は薄っぺらな人間だと自負しているので、あなたの言葉はとても胸に刺さりました。初対面の方からいきなり、お前は空っぽだと言われたのかと思って、悲しみのあまりこの街を滅ぼそうかと思った程です」
「俺があなたを………?いえ!あの言葉は………。ま、街を滅ぼす………?」
「ええ。ディノに向けたのですよね?或いは、ここに居ると思っていたノアに」
「そう。あれは、ネイという男に向けた言葉です。ご容赦下さいとは申しませんが、決してあなたの契約の魔物に向けたわけではなかった。申し訳ない」
もう一度そう詫びたリーベルに、ネアはふわりと微笑んだ。
「お前は空っぽだから愛される価値はないのだと言われて、怖くならない人は少ないでしょう。あの言葉は、誰の心だって切れてしまうようなとても嫌な言葉です」
「そうですね。俺があえてその言葉を選んだことは、否定はしません」
「あなたは、あの言葉はディノに向けたものではないと言いました。でも、間接的に私に向けられたものであることは確かですし、それがノアに向けられるのだとしても、私は腹が立ちます」
そう言い切ったネアに、リーベルは口元を微かに歪ませた。
「あなたにとっては、あれは良い隣人なのでしょうね」
「善良だとは思いませんよ?ノアが、心をカサカサにしていた間に随分と荒んでいたことは知っていますし、そもそも魔物さんは困った振る舞いも多い生き物です。私とて、ノアを見つけたら殺すしかないかもしれないと思っていた時期もありますし、不届きなことをされて蹴り倒して昏倒させたこともあります」
「………蹴り倒して?」
「けれども、今のノアはリーエンベルクの大事な末っ子です。ですので、昔がどうであれ、他所でどうであれ、ノアがノアである限り私にとっては大事な隣人ですので、あんな風に言われたら私は怒ります」
「それは、彼がどんなことをしていても気になりませんか?」
「魔物さんがしでかす悪さは、子供が食器をひっくり返すのと同じことでしょう。私はとても身勝手な人間ですので、私や私の大切なものを傷付けなければ、そういうことは気になりません」
「それは、あくまであなたに害が及ばないからこその楽観視ではありませんか」
「あら、私を雪食い鳥の巣に放り込んだ方もいますし、私の大事な魔物だって時々悪さをしますよ?けれども、それでもという心の線引きをつけるのは私自身なので、個人的なことにまで踏み込むのは余計なお世話なのです」
「………君は謝罪に来たのではなかったのかな?」
静かなディノの声に、リーベルははっとしたようであった。
恥じ入ったように視線を伏せた彼に、ネアは小さく溜め息を吐いた。
「謝罪は受け取りました。少しこちらで審議するので、その間にどうぞ」
「……………はい?」
「ブランコに並んでいたのでしょう?私は公共の遊具を独り占めする人間ではありません」
「誰がそんなものに………いえ、俺は結構です」
「ふふ、確かにこれは子供の遊びですので、大人が乗るのは気恥ずかしいですよね。ただ、幸いにも今は周囲にお子さんはいないようです。ブランコに乗って待っていて下さい。謝罪を受け取るか、とても嫌な思いもしたので謝罪を跳ね除けてつんとするかを決めますね」
「え、いや、………それならここで」
「風が気持ちよくてとても楽しかったですよ。ねぇ、ディノ?」
「そうだね。しかし、待つことも出来ないのであれば、さて困ったね」
「……………乗って待っておりましょう」
「ふふ、人間素直が一番ですよ。格好をつけて楽しいことを諦めるのは損ですから」
「………………そうでしょうね」
リーベルがとてもぎこちなくブランコの鎖を掴んでいる間に、ネアは心配そうにこちらを見下ろした魔物を見上げた。
会話をしてみても特におかしな魔術を受けた様子はないので、微笑んで頷いてやる。
その直後に、背後でぎゃっという声が上がった。
振り返れば、ものすごい勢いで布の塊が遠ざかってゆくところだった。
「あらあら、あのローブを着たままだと遊びにくかったですかね」
「…………命がけだね」
「まったくもう、ディノは大袈裟ですよ。さてはブランコ系の遊具は苦手なのですね?」
傍目で見ているとものすごい勢いでブランコが揺れるのがわかった。
この夜の入り口の薄暗い時間も素敵なので、ネアはちょっとだけ羨ましくなる。
魔物は羨ましそうにしているネアに、罰として乗らせたわけじゃないんだねと意味のわからないことを呟いている。
「さて、あの方をどうしましょうか。人違いの暴言であれば不幸な事故として解決してもいいですが、おのれという気持ちが残らないでもありません」
「では、声でも奪ってしまおうか」
「むぅ、かなり大きくゆきましたね。私は豆の精を投げつけてやりたいですが、残念ながら手持ちがないので、たくさん探してから実行したいです」
「君がそうしたいなら、それでもいいよ」
ネアは、そう言ってくれた魔物の目を覗き込んだ。
今はもう普通にしているが、あの言葉を向けられた直後はとても怯えていたのだ。
大事な魔物が傷付いたのだから、豆の精ぽっちでは許せないという気もしてくる。
「私の分は豆の精で解決するかもしれませんが、やはり私の大事な魔物を傷付けた分が許せません。五回コースにしましょう」
「五回に分けるのかい?」
「ええ。………ディノはもっと反撃したいですよね?でもあの方はダリルさんの貴重な戦力ですし、なんと、ゼベルさんのお兄様なのです」
「君がしたいようにすればいい。ネアがそれで気が済むなら、私は構わないよ」
何だか不憫になってそう言ったのに、ディノは穏やかに微笑んで頭を撫でてくれた。
これは怒ったというよりも、落ち込んだからの反応なのだろうなと思って、ネアはそんな魔物を撫で返してやる。
ぐりぐりと頭を押し付けてきたので、実際にはそれなりに消耗している証だ。
不愉快な時は容易く害せても、悲しい時には反撃出来なくなるなんて、本当に不器用な生き物ではないか。
(どうか、ディノが人間を嫌いになりませんように………)
戻り時の妖精の時、ディノを狙ったのは人間の学生だ。
今回のリーベルも人間であるし、あまりにも短期間に続いたせいで、人間は嫌なやつだとならないだろうか。
ネア達がリーエンベルクで暮らしてゆくのなら、そこは人間が主体となる組織である。
我慢をさせて磨耗していってしまうのなら、それは良くないことような気がした。
「ごめんなさい、ディノ。あなたに我慢させてしまうのが申し訳ないので、一回目は豆の精だとしても、二回目にもものすごく嫌なやつを送りつけてやりますから、それで溜飲を下げて下さいね」
「それは送るものなのかい?」
「ええ。都度取りに来て貰うのも面倒ですし、さして会いたくもないので、小包で送り付けようかなと思っています。それを必ずご自身で受け取って開封するようにして、地味に嫌な気分を味わわせてやるという精神攻撃を五回繰り返します」
「では、それにしようか。制限と厳守の契約をさせておこう。………ほら、彼はもう、心を少し損なったみたいだよ」
「ブランコが終わったみたいですね」
処分が決まったので、そちらに歩いてゆくと、リーベルはよろよろとブランコから降り、そのまますぐ側の地面に座り込んだ。
風が目に沁みたのか、涙目になっている。
フードが外れて髪の毛が乱れているので、夢中で遊んでしまったのだろう。
お仕置き審議中に全力で遊んでいたのかと、ネアは少しだけむっとする。
「むぅ、思いの外全力で遊んでしまいましたね。確かに遊んで待っていていいとは言いましたが、反省しているので控えめに遊ぶという配慮はない方でした」
「…………あ、…………あれを制御するのは、む、無理だ……」
「楽しすぎて、息も切れ切れではないですか」
「ち、違…………」
両手で胸を押さえているので、あまりにも楽しかったらしく、ときめきがおさまらないのだろう。
しかし、ここまで無邪気にブランコで遊ばれてしまうと、なかなかに素直なやつではないかという印象も被せてくるので、小憎い手法である。
「リーベルさん、無邪気にブランコ遊びする感じであざとくしてきましたが、その間に我々はあなたの謝罪を受け取ることに対する交換条件を決めました」
「………交換条件なのですか?」
「もしかして、ただで許して貰えると思っていたのですか?人違いだとしても、私に対する評価は変わりようがない言葉でしたので、心の狭い私はそれを見過ごせません」
「いや、………契約の魔物を不快にさせてしまって、まさか生きて帰れるとは思っていなかったので」
「あらあら、ほっとするのは早いですよ?私は陰湿なので、じわじわ報復しますからね!」
そこでネアが、今後五回、自分が送りつける小包を受け取るという罰則を告げれば、リーベルはいささか呆然としていた。
「五回くらい我慢して下さい!我々がきちんと話し合えない関係だった場合、破局の危機になりかねない精神攻撃をしたのですから」
「それで済んでしまうのかと驚いたんです。その、………手足くらいは失う覚悟でしたので」
「精神攻撃に対してそこまではしません。しかし、言われたことを思い出してむしゃくしゃしたら、小包を送りつけるつもりなのです」
「……わかりました。ネア様から届く荷物を俺が受け取り、防御などなく開けばいいのですね?」
「ええ。送りつけられたものを、ずる賢く回避せずにきちんと受け取って下さい」
「毒だろうが、呪いだろうが、誠意を持って拝受させていただきます」
「…………呪いを小包で送ることも出来るのですね」
「…………え」
その発想はなかったという顔をしたネアに、リーベルは失言に気付いたらしい。
微かに慌てた様子があったが、それ以上に、では何を送りつけるつもりなんだという不審そうな目をしていた。
「ですので、ディノ。リーベルさんとお約束を、……………む!」
「ネア?」
「リズモの群れがいます!」
「え…………。ネア?!」
少し先の空中にリズモが数匹ふわふわと浮かんでいた。
目敏くそれを見付けたネアは、ぱっと駆け出して、男前にブランコに飛び乗った。
ブランコを漕げば動線上にあのリズモの群れがあたるのだ。
手を伸ばせば一網打尽に出来そうである。
「ネア!」
地面を蹴る前に後ろで魔物が取り乱す声が聞こえたが、ブランコごときでここまで慌ててしまう必要はないのだ。
「とりゃ!」
すぱんと地面を蹴ってブランコを漕いだネアは、素晴らしい曲線を描いてお目当のリズモの群れにぶつかってくれたブランコに感謝した。
器用にバランスを取りつつ、さっと手を伸ばしてリズモを二匹纏めて掴む。
ミーミー鳴いているが、出発地点に戻る前に潰してしまわないようにと、きちんと配慮した。
腕輪の金庫に入れる為には両手を離す必要があるので、それはさすがに危ないと判断したのだ。
「…………わ、夜に乗るのもとても綺麗なんだ」
ごうっと風が耳元で揺れる。
頭の上の星屑や月だけではなく、眼下では薔薇の妖精や湖の中の妖精達がきらきらと光り、なんとも言えない美しさだ。
ほうっと感嘆の溜め息を吐き、ネアは微笑みを深める。
日中との気温差があるせいか、霞のようなものが出てきており、ネアはブランコごとそのふわりとした靄を突っ切った。
「む……………」
ブランコがぼすんと何かにぶつかったので、ネアは引っかかったものを引っ張り上げる。
リズモを掴んだ方の手でやるしかなく、強制的に得体の知れないものの回収作業に隣接されたリズモがミーミーと鳴き叫んだ。
(これは何だろうか………)
恐らく、ブランコに轢かれて失神してしまったのであろう毛皮の生き物も回収し、ネアは鋭い嘴と鳥の翼を持つ狐のような謎めいた生き物を膝の上に乗せた。
ブランコもそうだがネアの足も当ったので、もしかしたら蹴り飛ばしてしまった状態なのかもしれない。
ブランコは復路に入り、今度は後ろ向きにすいっと流れてゆく。
気持ちのいい風に足を伸ばせば、爪先がきらきらと星屑のようなものを切り裂いていった。
この時間になると、風を切って漕ぐというよりは星屑の中を漕ぐブランコにもなるのだろう。
ぎゅーんとバックで出発した丘に戻ってきたネアは、もう一往復しようかなと考えたところで、物凄い勢いで背後から拘束された。
がしゃんと、ブランコの鎖が揺れる程の剣幕に驚いてしまう。
「ネア!!」
「むぐ!ブランコごときで、感動の再会のようになってはいけません」
「ネア、無事だったかい?どうして一人で……」
殆ど取り乱したような感じでへばりついてきた魔物が震えているので、ネアは渋々ブランコから下りると、まずは手に掴まれたまま鳴き叫んでいるリズモから祝福を取り上げた。
そう言えばリーベルの件が途中になってしまったと思ってそちらを見れば、黒髪の枢機卿は真っ青な顔をして震えている。
苛めたばかりの魔物と二人きりにされたので怖かったのだろうが、そこは自己責任ではないか。
「収穫と財運です!もう一匹、財運色の子がいたのですが、取り逃がしました……」
「ネア、そこまで財運を増やさなくていいんだよ。どうしていつも、危ないことをしてしまうんだろう」
「あらあら、ディノの中ではブランコは危険指定されてしまったのですね?人間社会では子供の遊具でもあるので、これは使い方さえ間違えなければ楽しいものなのです」
「………………ほ、星渡り……」
「………………む」
喘鳴混じりの声に眉を顰めて、ネアはリーベルの視線を辿ってみた。
まだ意識を取り戻さないので、ぐんにゃりしたまま手にぶらさげている先程の毛皮を見ているようだ。
よいしょと持ち上げてみると、リーベルは両手を上げて後ずさり、へばりついたままの魔物が悲しげに息を吐いた。
「ネアがまた毛皮に浮気する……」
「誤解を受けるような発言は慎んで下さい。こやつは、ブランコで轢いてしまったので回収してきたのです。爪先がぼすんと刺さったので、少し蹴っ飛ばしてしまったかもしれませんが、なにしろこちらは定められた動きしか出来ない身。避けられなかったのはこやつの不始末ですね」
「ネア、良く見てご覧。翼の先が白いだろう?」
「初めて見る生き物ですね。美味しかったり、高く売れたりしますか?」
「とても珍しいけれど、祝福や恩恵がない生き物だから、売れるかどうかはわからないね。………それと、食べられないと思うよ」
「むぅ。では、その辺にぽいっとしておきましょう。………まだ生きていますよね?」
「君に蹴られてしまったのなら、どうだろう………」
「むぐ………」
ひとまず毛皮の生き物をディノに預けて観察してもらったところ、残念ながらお亡くなりになっているということであったので、ネアはいそいそと獲物用の金庫にしまった。
野生に返せないのであれば、持って帰るのが狩人の務めである。
「売れなくても、エーダリア様は欲しいかもしれませんしね!」
「ネア、これからはどんなに狩りがしたくても、一人でブランコに乗ってはいけないよ」
「おかしな条約が設けられましたが、私の魔物がなんだかしょんぼりしてしまったので受け入れざるを得ません」
「………ネア、今日はもうブランコは終わりにしよう。晩餐の後で、湖面流星群を見るのだろう?」
「は!そうでした。こちらの方の問題も早く片付けて、そろそろホテルに行かなければいけませんね」
なぜかリーベルはネアが近付くと怯えるようになってしまったので、ディノがささっと誓約を済ませてくれ、解放されるなりよろよろと逃げて行った。
ネアの獲物に随分と怯えていたようなので、あの毛皮が怖かったのかもしれない。
「こやつは、どういう生き物だったのですか?」
「星渡りだね。星伝いに空を渡って、目にした獲物の希望を食べてしまうんだ。凶兆の鳥とされていて、人間はあまり喜ばないかもしれない。とても凶暴だから、よく魔術師の子供を食べるとも言われている」
「事故でしたので可哀想に思っていたのですが、駆除したということで喜ばしい気持ちになれる気がしますね」
「………うん」
食事中に来たダリルからの私信によると、リーベルを軽微な処罰で済ませてくれたことに対するお礼と、リーベルが、ネアはとても危険なので、ディノのような特等の魔物が管理についてくれて良かったと言っていた旨が書き記されていた。
エーダリアに預けてあるカードからのメッセージなので、エーダリアもその場にいるのだろう。
とても不名誉な評価をつけられてむっとしたネアは、送りつける豆の精の数を箱いっぱいにしてやろうと決心した。
その後、ブランコを見ると魔物は荒ぶってご主人様を抱え上げるようになってしまい、ガーウィンの枢機卿は、ブランコを見ると指先の震えが止まらなくなってしまったそうだ。




