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葡萄ゼリーと濡れタオル戦争



鼻がムズムズして目が覚めた。

もそもそと起き出してティッシュペーパーを掴んだネアは、鼻をかんでから隣に寝ていた魔物がいないことに気付いた。


(それと、また少し熱が上がったみたい……?)


イガイガする喉と、ずしりと重たい発熱している体に真夜中に体調悪化の揺り戻しが来たことを知る。

経験上、この揺り戻しを経てから熱はがくんと下がり、朝にはくしゃみや咳くらいに快方へ向かっている筈だった。


(大事なところだから、しっかり休もう………)


そう考えていたのに、ゴミ箱にティッシュを捨てようとしたネアは寝台からずり落ちそうになってしまった。

当初の位置より反対側へずれていたのか、思っていたよりゴミ箱が遠かったのだ。


「…………むぐ」


密やかな危機にじたばたしていると、慌てて誰かが歩み寄ってきて、体を持ち上げて救出してくれる。


「………ったく、何をやってるんだお前は」

「熱があるせいで、使い魔の幻覚が見えます」

「幻覚が見えてるなら早く寝ろ」

「べたべたしまふ。……ディノは?……ほかほか濡れタオルを」


朦朧としていたネアは、ここでかくりと首が揺れて再び覚醒した。

要求の途中で意識が落ちていたが、幸いにも魔物が面倒を見てくれているようだ。


「熱があるくせに、何で冷やさない?」

「顔にずり落ちてきて邪魔になるやつは嫌いです。………くしゅん」

「好きか嫌いかの場合じゃないだろうが」

「………そして、なぜか使い魔がいます」

「言っとくけどな、お前が葡萄ゼリーが食べたいって呼んだんだからな?」

「ぶどうぜり、」


瞳を憧れできらきらさせたが、残念ながら食べるまでの工程を踏めるだけの体力がなさそうだ。

誰かに口の中に放り込んで欲しいが、頼りになる魔物が傍にいない。


「食べるか?」

「ち、力が足りませんので、起きたら食べます。………ディノは」

「隣の部屋でウィリアムと話してるぞ」

「ウィリアムさんまで………」

「核をまだ返してなかったろ。お前の異変に気付いたらしい」


話を聞きながら、ネアはとろんとしてきた。

首回りや顔を濡れタオルで拭かれてとても気持ちいいので、ご主人様は良きにはからえの素敵な気分である。

面倒を見られるということは、何やら子供の頃に戻ったような不思議にぬくぬくした気持ちになった。



「一人で暮らしているときに、インフルエンザになって……」

「いんふるえんざ?」

「高熱が続く、この手の病です。ひとりぼっちでしたので、お家で孤独死するかと思いました………」

「………しないだろ、もう」

「ふぁい。…………むぐ、ディノも使い魔さんもいます」

「ああ、そうだ。ほら、その手をどけろ」

「むぐ。……………む?!」


そこで正気に返ったネアは、いつの間にかお腹を拭かれてしまったことに気付いた。

ぎゃっとなったが、お腹くらいであればさしたる被害ではない。

何とか息を吐き、ばくばくしてしまった胸を両手で押さえた。


「おのれ!前面は私の作業領域です!安易に手を出してはいけません!!……くしゅん!」

「ほら見ろ。よれよれだろうが」

「むぎゃ!やめるのだ!!」


ばりりっと寝間着を捲りあげられそうになって、ネアは暴れて抵抗した。

しかしながら病人なので体力がなく、すぐに力負けしそうになる。


「…………何をしてるのかな?」


劣勢に転じたネアを救ったのは、やけに静かな声だった。

顔をそちらに向けたネアは、安堵に微笑む。


「ディノ!前面の汗も拭こうとする悪い使い魔がいます!!」

「おや、それは困ったね。捨ててこよう」

「俺が捨てて来られると、葡萄ゼリーも撤収だな」

「む?!…………ディノ、捨ててきてはいけません。お部屋の隅に放逐しておいて下さい」

「ご主人様…………」

「シルハーン、まずはアルテアをどかしましょうか」


そう言いながら後ろから現れたのは、気分的に少し久し振りに出会うウィリアムであった。


「ウィリアムさん。……くしゅん」

「もしかしてアルテア、悪化させるつもりですか?」

「なわけないだろ。使い魔の寿命は主人に左右されるんだからな」

「…………そうなのですか?」


びっくりしたネアは、アルテアを見上げる。

ぎくりとしたアルテアは、かすかにしまったという顔をしないでもなかったが、すぐに覆い隠してしまう。


「お前がそうそう死んだりもしないだろ。それよりほら、タオルを離さないと俺は動けないぞ?」

「………むぅ。葡萄ゼリーがなければ、ぽいするところでしたが。…………あ」

「なんだ?…………ネア?」


まだ意識がぽわぽわしているからか、ネアはここでどうでもいいことが気になってしまった。


手を伸ばしてアルテアの後頭部に触り、よしと頷く。

驚いたように目を瞠ったアルテアが、体を強張らせた。


「良かった。禿げてません」

「…………っ、………そこか」


なぜかアルテアはそそくさと逃げて行き、ネアは荒ぶる魔物にへばりつかれた。


「ネアが浮気する!」

「してません。…………くしゅん。綺麗な使い魔が禿げたら悲しいのです」

「アルテアの髪の毛なんて…」

「おい、やめろ!」

「ほら、シルハーン。ネアは病人ですからね。………ネアちょっといいか?」

「むぐ…………」


そこでウィリアムは、ふわりとネアのおでこに手を当てた。


「まだ熱があるな。喉は?」

「いがいがしまふ」

「汗をかくのはいいことだな。ほら、体を冷まさないようにしないと」

「むぅ。ウィリアムさんがかなり頼りになります」

「こういう症状は、魔術可動域が低い子供でよくあるからな。対処を誤ると危ないが、ネアはいい対処をしているよ」

「………魔術可動域が低い子供」


ショックのあまりげふげふすると、ディノが慌てて体を少し起こしてくれて背中をさすってくれた。


「ど、どういう線引きなのでしょう?」

「ああ。一般的には、インヘルと呼ばれている病なんだが……」


聞けば、こういうことだった。


魔術可動域が最低でも十程度あれば、この病にはかからないのだそうだ。

となると、この病にかかる人間は酷く稀であり、尚且つこの病自体も滅多に発症しない。

症状は様々で、嘔吐や発熱の者や発熱と咳、軽度なところではくしゃみだけの者もいる。


季節の変わり目や冬場に多く、貧しい国の子供などでは重症化させてしまい命を落とす者も多い。

また、魔物の薬が効かない症状であるので、焦った周囲が過度な魔術対策を施しその無理が祟って死んでしまうこともあるのだそうだ。

死に接することもある病であるからこそ、ウィリアムが知るものであったらしい。


「恐らく、魔術可動域が低い者だけに感染する病だから、魔術を基盤とした薬が効かないんだろう。ネアが薬湯を飲んでいてくれて良かった」

「…………心がささくれだちました」


やっとこの病を知る者が現れたのはいいことなのだが、ネアの自尊心はズタボロにされてしまった。

病人なので、とても傷付きやすいのである。


「ディノ、私は子供ではありませんからね?」

「大丈夫、知ってるよ。私の婚約者だものね」

「なぜでしょうか。その確認法でぞわりとしました。くしゅん!」

「ああ、ほらアルテアのせいで悪化したんじゃないかな」

「むぅ。葡萄ゼリーの素敵な使い魔なので、愚かな人間はつい許してしまうのです」

「ご主人様…………」

「ネア、シルハーンが落ち込んでしまうから、汗を拭いたら寝ようか」

「ウィリアムさむ。………くしゅん!」

「新しい名前みたいになったな………」


鼻が詰まって上手く発音出来ないネアに、ウィリアムはそう笑ってアルテアから取り戻した濡れタオルを手に取った。


「………ウィリアムさん、なぜ私はウィリアムさんに謎の危機感を覚えるのでしょう?」

「熱があるんだろう。シルハーン、この手の病の扱いは慣れてるので、ひとまず俺に任せてくれますか?」

「いや、汗は私が拭くよ。先程もやってあげたしね」


微笑んでそう言ったディノに、ネアはむっと眉を顰める。


「……何か大切なことを忘れている気がしました」

「気のせいだと思うよ。ほら、ネア」

「むぎゃ!なぜに私の前面の権利侵害が横行しているのだ!」

「暴れると危ないよ?」

「ディノが病人に意地悪します!」


なぜか悪いのは暴れるネアだというおかしな世間の風潮に、ネアはネアなりに朦朧とした頭で必死に打開策を考えた。


「使い魔さん!私が自分で拭く間、砦になって下さい!」


えっという顔で固まった魔物にぷいっと顔を背けてやり、ご主人様はしたり顔で砦になってくれたアルテアが頑張っている内に、ディノから取り上げた濡れタオルで頑張って自分で汗を拭いた。

終わる頃には少しぜいぜいしているので、またしても余計な体力を使ってしまった感じがある。


「終わったか?」

「………くしゅん!……使い魔、頑張りましたね」


よろよろしながら撫でて褒めてやると、アルテアはなぜかぎくりとし、ディノはじわっと涙目になった。


「ネア、熱が出てるから危機管理が出来なくなったのかな?」


そう微笑んだウィリアムは、怖いことに目が笑っていない。

朦朧としているなりに計算高さは変わらない人間は、慌ててそちらのフォローに入った。


「アルテアさんが悪さをしたら、ウィリアムさんが助けてくれます!」

「わかってるならいいが、あまり高位の魔物を常用しない方がいいからな?」

「むぐ。………葡萄ゼリー……」

「待て、俺の価値が葡萄ゼリーだけみたいになってるぞ?」

「無花果のパイと美味しい御飯もありまふ。……くしゅん!可愛さでは、暫定五位ですが」

「可愛さの評価はいらんが、上位は何なんだよ?」

「一位はゼノと、同率で贔屓目で見てしまうディノです。三位はダナエさんで、四位は獅子さんです!」

「アルテア、獣に負けましたね。……と言うか、ダナエと会ったのか………」


また少し怖いモードになったウィリアムだが、へろへろのネアは気付かなかった。


「ダナエさんは、綺麗で可愛くて、飼いたい竜さん一位なのです!元々、使い魔のお勉強をこっそりしていたのは、ダナエさんを飼う為だったのに……くしゅん」

「………ご主人様?」

「む!ご主人様を拭こうとする、悪い魔物が来ました」

「私に隠れてダナエを飼おうとしていたのかい?」

「な、何でそのことを知っているのですか?!」

「お前が喋ったんだろうが………」


弱っていた為にうっかり悪事がばれてしまったネアは、荒ぶる魔物に詰め寄られた。

そろそろ誰か自覚して欲しいが、ネアはこれでも病人である。


「今後、使い魔を持つことは禁止するよ。いいね?」

「何たる仕打ち!私とて、愛くるしいペットが欲しいです!やっと素敵な野良竜を見付けたのに!」

「それに、君の魔術抵抗値であっても、アルテアを使い魔にしてしまったら、他のものは抱え込めないだろうしね」

「そうなのですか?アルテアさんでは、ペット代わりにはなりません」

「当たり前だ」

「老後に別宅でディノと週末を過ごす際にアルテアさんまで連れてゆくと、何やらいかがわしい感じになります」

「………ネア、もしかして、ダナエをそこに連れて行くつもりだったのかい?」

「飼ってみて飽きなければですが」


ネアがぽろりと零した何とも非道な本音に、魔物達はさっと表情を強張らせた。


「…………飽きるかもしれないんだね?」

「くしゅん!………ディノには飽きません。お城に逃げたら許さないのです!」

「ご主人様!」


喜んで飛びついてきた魔物を、男前に抱き締めてやりながら、病人は徐々に目が据わってきた。

どうしてこうなったのかわからないが、この魔物達を追い払わないと静かに寝れない気がする。

心配してくれたり、葡萄ゼリーを持ってきてくれたりしたことはとても有難いのだが、そろそろどうにかして窓から捨てられないだろうか。


「ネア、飽きるのはペットだけなんだな?」

「……………むぅ。ここで本音を言うと極悪非道ですので黙秘します」

「他でも飽きるのか………!」

「人間は飽きやすい生き物ですので、くしゅん!………いつも同じ成果しか与えないものには飽きました。綺麗ですしそこそこお世話になりましたが、何だか見慣れたので、もういいやという気分なのです」


その残虐な言葉に、なぜかアルテアとウィリアムは顔を見合わせてごくりと喉を鳴らした。


「…………お前、使い魔には飽きるなよ?」

「葡萄ゼリーの素敵な使い魔です」

「良し。じゃあ、ウィリアムの方だな?」


なぜかアルテアが勝ち誇った顔で喜びを表し、部屋に少し深刻な空気が漂ったので、ネアは魔物を抱きしめたまま首を傾げた。


「…………何がでしょう?」

「飽きたのは、ウィリアムの方だろ」

「何でそうなったのですか?いつも捕まえる、黒い蝶の精霊さんですよ?あやつには飽きたので、目新しい獲物が欲しいです」

「…………獲物の話か!ネア、驚かせないでくれ………」

「む?ウィリアムさんには飽きませんよ?」

「そうだな。せっかく面倒の見れる人間が出来たのに、飽きられたら困る。……さ、シルハーン、もう寝かせてあげないと可哀想ですよ?」

「救い主が現れました!」


ここでウィリアムは、素晴らしい手腕で面倒臭く甘えたになった魔物を引き剥がして部屋から出してくれた。

やはりこういう場合にはとても頼りになる魔物なので、ネアは面倒臭いかもしれないと考えていたことをすっかり忘れて、なんと素晴らしい魔物だろうと安心感でいっぱいになる。

そんな素晴らしい魔物は、アルテアも綺麗に隣の部屋に片付けてくれた。


(や、やっと眠れる………!)


本来であれば受け答えを減らせば良かったのだろうが、魔物というものは厄介なもので、疑問が熱い内にきちんと受け答えしておかねば拗れるという性質を持っている。

今夜一番愛しい、毛布と寝台の元に帰れたネアは、ばすんと倒れて幸せな惰眠を貪る筈であった。



「……………むぐぅ」


しかしここで、重大な問題が発生したのである。

質疑応答で喉がいがいがすることを忘れてしまい、横倒しになってから水が飲みたくなったのだ。

暫くは寝て忘れようと思っていたが、ここで適切に潤いを与えておかなければ、後々の回復に響く可能性がある。

もぞりと起き上がって水差しを持とうとするが、満タンに水が入っている為に病人の腕では持ち上がらない。


(おのれ、誰なのだ。この重たいクリスタルの水差しに満タンに水を入れたのは!)


病人は容易く悲しくなってしまい、ふすんと鼻を鳴らして異様に重たい水差しと向かい合う。

よく枕元に置いておくものと違い、大容量用のものに変わっているのは病人用にと交換したせいで裏目に出たような状況だろうか。


「ディノ、手伝って下さい」


悲しい声で魔物を呼べば、すぐさま飛んできた。


「ネア、どうしたんだい?」


大喜びであるのが若干病人には面倒臭いところだが、ひとまず水が飲みたいのである。


「水差しが重すぎて持てません。お水が飲みたいのです」

「そうだったんだね、可哀想に。すぐに注いであげるよ」


魔物はすぐに水を飲めるようにしてくれたので、ネアは安堵して喉のかさかさを退治した。

謎の可愛い多発モードに入ってしまった魔物が、飲み始めから終わりまで可愛いと呟いている。

真珠色の髪の毛がさらりと揺れて、こんな生き物が隣にいることが妙にくすぐったい。


「寝まふ!」

「…………可愛い」

「そして、ディノは大丈夫ですか?疲れていたら、お客様は使い魔に任せるのできちんと寝て下さいね」

「………横にいてもいいのかい?」

「ティッシュペーパーの反対側なら好きにお入り下さい。ただ、くしゃみをしたりするので、安眠妨害してしまうようであれば、隣のお部屋で…」

「横がいい」


魔物が光の速さで肯定したので、若干ぞくりとしつつネアは頷いた。

ご主人様の了承を得たからか、ネアを丁寧に元の位置に戻す手伝いをしてから、ディノは意気揚々と隣室に勝利宣言をする為に戻ってゆく。



(…………エーダリア様も、今夜は寝てくれたかな)


部屋が静かになり、やっと気になることもなく横に慣れれば心なしか目が覚めた時よりも呼気が荒くなっている気がする。

窓の外の穏やかな夜の音と、そんな自分の呼吸を感じながら、ネアは先程の不思議な賑やかさを思った。


確かにこの様子であれば、孤独死をすることはないだろう。


(あ、使い魔を解放しなくては………)


素敵な使い魔は葡萄ゼリーの配達をもう終えているので、解散を命じてもいいのだった。

拘束しても可哀想なので、ネアは業務完了の命令を出そうと何とか重たい瞼をこじ開ける。


「使い魔さん………」


そしてそこで力尽きた。




翌朝、寝台の隣を死守して荒れ狂う魔物と、一人だけ呼ばれなくてちょっと面倒臭く怒っている終焉の魔物。

そして、呼ばれたまま放置されたので、そろそろ帰りたくなった使い魔に挟まれて、ネアの目醒めはカオスであった。



葡萄ゼリーは素晴らしかったとここに記しておく。





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