思考少女は床の上 “仮面”
誰か人と一緒にいるとき、自分を100%出せる人はいるのだろうか? 私はいないと思う。誰しもが自分を圧し殺した姿を見せるんだと思う。少なくとも私はそうだ。自分を100%近くまで出せれば出せるほど、その人は素敵な人なんだと思う。逆に0%に近くなればなるほど、その人はありきたりな人になるんだと思う。どこでも見ることのできるような、仮面のような人。世の中に数多といるおんなじ仮面。個性の欠片もないような仮面。私はそれをいつもつけている。友だろうと親だろうと、誰と顔を会わせるときでも仮面をつけてきた。
自分の思うことや感じている世界、全てを圧し殺してきた。そうした方が争いは無いし、認められやすかった。生きやすかった。でもその生き方の仮面はいつしか取れなくなった。素顔を忘れてしまった。いや、もしかすると仮面が素顔なのかもしれない。でもこの心に引っ掛かるモヤモヤはなんなのだろうか。やはり私が私でないように感じているのだろうか。そもそも私らしさってなんだろうか。演じ続けたり仮面をつけ続けたって、その選択をしたのは私なのなら、その結果も私なのかな。でもこんな結果を望んでいたわけではない。こんな無個性で過個性な私なんて要らない。
でもでも、私は私。どんな性格だろうと思いだろうが世界観だろうが、それが私。
私はどんな私を望んでいたのかな。今はどんな私を望んでいるのかな。どんな私を嫌っているのかな。
目が覚めたら私はどんな私になっているのかな。どうもなっていないのかな。