第八話
ルーザ嬢曰く、まず動機はというと。
「わたくし、ハルト様をお慕い申し上げていましたの」
「んん? けれど貴女、ヘイズ王子と親しくしていませんでしたかね」
「あれは向こうがしつこいから仕方なく、ですわ」
「ふうむ」
ユーグ宰相は眉を顰める。
「どっちかっていうとルーザ嬢が熱心にアプローチしていた気もするんですがねえ」
「ハルト様の気を惹くための演技ですわ。宰相さまは女心を分かっていらっしゃらないのね」
「そりゃ僕なんてこの年まで独身やってるような男だからねえ」
ハハハッと笑いながら受け流すユーグ宰相。
「ルナティアくんはどうだい。同じ女ならそのへんはスッと理解できるのかな」
「まったく分かりません」
というか、こっちに話を振るのは間違っていると思う。
私は屍山血河で斬ったり斬られたりするような人間で、社交界の惚れた腫れたとは縁がないのだ。
いざとなれば攫うなり何なりすればいいし、父上もそうやってミェーダイ家に婿入りしている。(今は亡き母上はとても獰猛な方だった)
「それより続きを話しましょう。ルーザ嬢、貴女はどうしてハルト様を弑逆したのですか?」
「よりによってあなたがそれを訊きますの!?」
ルーザ嬢は憎々しげにドレスの裾を掴む。
「ハルト様があなたと婚約したからに決まってますわ!
深夜に王子からヒバリの間に呼び出されて、わたくし、とても期待していましたの。
なのにお会いしてみればあなたと結婚するとかしないとか、それが許せなくって、つい……」
ううむ。
これが真相だとすると、ルーザ嬢はとんでもない悪女じゃないだろうか?
なにせヘイズ王子の部屋で休んだ後、そのままハルト王子のところへハシゴしていることになる。
さらに殺害の動機は「自分のものにならないから」。
ちょっと勝手すぎる気もするけれど――はたしてどこまで信じてよいのやら。
「ルーザ嬢、私が婚約破棄を言い渡されたのはご存じなかったのですか?」
「もちろん知……し、知りませんでしたわ!
だってわたくし、舞踏会には出ていませんでしたもの!」
これは真っ赤なウソだろう。
なにせさっき彼女はこう言っている。
――婚約を破棄された腹いせに、王子の身体を滅多刺しにしたのでしょう!?
チラリとユーグ宰相に目を向けると、小さな声で「ほほう」と呟いていた。
おそらく私と同じことに気付いたのだろう。
(追求しますか?)
そんな意図を込めてアイコンタクトを送ると、宰相閣下はわずかに首を振った。
後でいい、ということだろう。
「本当に、どうして貴女みたいな狂犬がハルト様なんかと……」
「私もそう思います」
「嫌味ですわね。勝者の余裕かしら」
「違います、そもそもハルト様と婚約していたのは私ではありません。フィリア姉様です」
「……は?」
「おそらく誰かが聞き違えたのでしょう。
ハルト様の婿入り先はミェーダイ侯爵家ではなく、メーダイ侯爵家でしたから」
* *
かなり長い間、ルーザ嬢は呆気に取られていた。
茫然自失という言葉を博物館に飾るなら、今の彼女をそのまま持っていけばいいだろう。
「冗談、でしょう……?」
縋るような問いかけ。
「いやあ、残念ながら本当なんだよねえ」
それに答えたのは宰相閣下だった。
「陛下の滑舌はたいへんよろし過ぎる|ので、きっと勘違いしちゃったんじゃないかなあ。
すでに書類も出てるけど、そっちにはしっかりメーダイ侯爵家って書いてあるんだよ」
いつもどおりの柔らかい口調で、けれどどこか冷たく言い放つ。
「そんな……」
ルーザ嬢はすっかり床の上に頽れていた。
乱れた髪が顔を覆い、その表情を窺い知ることはできない。
「でも、だって、それなら何のために――」
まるでうわごとのように、彼女にしかわからない断片的な言葉を呟き続ける。
「さて、と」
宰相閣下は改めて歩き出す。
「仮にルーザ嬢が犯人としても、朝まで一緒にいたヘイズ様にはやっぱり話を聞かないといけないねえ。
ルナティアくん、フェントくん、ちょっとついてきてよ」
「分かりました。その、彼女はどうしますか?」
もちろんルーザ嬢のことだ。
とてもじゃないけれど連れて行ける状況とは言えない。
「誰か侍女を呼んでお願いするつもりだよ。さ、行こうか。
――ヘイズ王子、もしかすると逃げ出しているかもしれないねえ」
どうやらユーグ宰相は真犯人としてヘイズ様を疑っているらしい。
だとすれば王宮から出れないように網を張っているだろうし、万が一にも捕まえ損ねることはないだろう。
私たちは部屋を出ようとして、けれど。
「お待ちなさい!」
突如として我に返ったルーザ嬢、その声に呼び止められる。
「わたくしが自白すればヘイズ様のところには向かわない。
宰相さまはさっきそうおっしゃったはずですわ!」
「んー、そんなことを言いましたかねえ」
とぼけるように頭を掻きつつ、ユーグ宰相は首元の備忘石に指を添えた。
――ルーザ嬢、いいかげん本当のことを話しちゃくれませんかねえ。
再生された声はわずかに低いノイズが混じっているものの、ほとんど肉声同然に聞き取ることができた。
――そうしたらヘイズ様のところに向かわなくても済むんです。
「ほら見なさい! それとも宰相さまともあろう方がご自身の言葉を違えますの!?」
「いやいや、僕は言った通りにしてるじゃないですか。
だってルーザ嬢、あなたは本当のことを話してくれましたかねえ」
「そんなの言いがかりですわ!」
「じゃあ、これを聞いても?」
宰相閣下は備忘石を操作する。
――わたくしは知っていますわ! 婚約を破棄された腹いせに、王子の身体を滅多刺しにしたのでしょう!?
まず最初に再生されたのは、取り調べが始まってすぐのセリフ。
――ルーザ嬢、私が婚約破棄を言い渡されたのはご存じなかったのですか?」
――もちろん知……し、知りませんでしたわ! だってわたくし、舞踏会には出ていませんでしたもの!
その次はつい五分ほど前の会話だ。
「こんなあからさまな嘘をつかれたんじゃ、こっちも約束を守る義理はないって話です。
わかっていただけますかね」
「っ……」
ルーザ嬢は答えを返さなかった。
口を真一文字に結んで黙り込んでいる。
何かを堪える様に目を閉じて、震えて。
しばらくの後、カッ、と目を見開いた。決意の眼差しだった。
「宰相さまのおっしゃることは分かります。でも――」
ヒュ、と。
ルーザ嬢はこちらに何かを投げつけてくる。
私はユーグ宰相の前に飛び出し、それを空中で掴み取った。ツルリと馴染みある感触。それは白い手袋だった。
「かくなる上は決闘ですわ。もしもわたくしが勝ったなら、ヘイズ様のところに行くのはやめてくださいまし」
ああ。
どうやら私は女なのに、女心というものを本当に分かっていなかったらしい。
今のルーザ嬢の顔つきは凛として、命に代えても大切な何かを守ろうとする気概に満ち満ちていた。
おそらくここまでの"ワガママな侯爵令嬢"は演技だったのだろう。
何のために?
意図は二つ考えられる。
まず、強引に言い分を通すため。
私で言うなら蛮族相手の交渉でわざと凄んでみせるようなものだ。無茶な要求でも勢い次第でなんとかなる。
次に、自分が罪を被った時に信じてもらいやすくするため。
もしかすると彼女はこんな先入観を植え付けようとしていたのではないだろうか?
――頭の悪い侯爵令嬢が必死になってルナティアに罪をなすりつけようとしている。
そう思い込ませることで自白の信憑性を高めようとしたのかもしれない。
いずれにせよ。
さっきまでここで喚き散らしていたルーザ・ウィンスレイは擬態に過ぎない。
本当の彼女は決然とした瞳をこちらに向けている。
負けることは分かっているのだろう。
私がかすかに手を動かしただけで、ルーザ嬢は全身をビクリと震わせている。
それでも必死に自分を支え、こちらから目を逸らそうとしない。
きっと真犯人はヘイズ様だろう。ルーザ嬢は彼が逃げる時間を稼ぐつもりに違いない。
それは分かっている。
けれども一人の淑女が全身全霊をかけて決闘を挑んでいるのだ。それを踏みにじるのは許されない。
……それなのに。
「宰相、ちょっと聞いてくれ」
にわかにドアが開き、とんでもないタイミングでとんでもない男が姿を表す。
ボサボサの髪に、伸び放題の無精ヒゲ。
きっちりと身なりを整えればハルト様にそっくりと噂される双子の兄、第二王子のヘイズ様だった。
「ルーザの言ってることは全部ウソなんだ。ルナティアは何もやっちゃいない」
それは私や宰相様にとってもはや今更のことだ。
なのにヘイズ様は、さも自分だけが事の真相を知っているかのような口調で得意げに語り始める。
「本当の犯人はこの女なんだ」
その指はまっすぐにルーザ嬢へと向けられていた。
おそらくは罪をなすりつけるために。
これも今更だ。
私たちはすでに真犯人がヘイズ様であると結論付けつつある。
ルーザ嬢の意を汲んで逃げ出していればまだ希望はあったかもしれないのに。
いったいこの王子は何を考えているのだろう?